Project "WW" ⑭
明石は巨大なガラス管を見つめた。その中に最初の魔女が眠っている。彼女の理論が机上の空論ではなく、現実に正しいことが証明された。
だがこれは最初の足掛かり。明石が神に至る第一歩でしかない。こんなところで終わるわけにはいかない。ここで敗れれば神の領域は離れていく。肩の出血をおさえながら操作盤に向かう。
「ワタシは認めないぞ。絶対に!」
手元のパネルにコマンドを打ち込み、装置を動かす。ガラス管内部の培養液が施設の外に排出された。
「明石四恩!」
背後からの声と迫りくる足音に柄にもなく焦ってしまう。ウィッチに致命傷を与えた男。エックスの弟子。彼らに見つからないように敢えて彼の大学を一時的な拠点とした。
予定であれば今日、洗脳した学生たちに暴動を起こさせ、公平やエックスがそれに対処している間に他の地へ移るつもりだった。
完全に姿を眩ますよりもどこかで気配を残す方がいい。手がかりがあればそれを元に誰もが行動する。その裏をかけば逃げ切ることが出来る、予定だった。
「キサマ……」
必修の代数学をサボって、別に必要でもない教養の授業、『人類の進化』を聞きにきた男。それさえなければ。そう思えば思うほど、怒りがこみあげてくる。
明石はその長い髪を振り回しながら公平の方を向き、思わず叫んでいた。
「キサマは一体何のために大学に通っているんだァ!」
「え?」
公平の足はそこで止まってしまった。突然のことで何を言われたのかよく分からない。想定外の所から殴りつけられた気分だった。
明石のイラつきは少しずつ大きくなる。何のために決して安くない授業料を払ってまで大学に通っているのか。数学科に通っているのは数学を勉強するためではないのか。彼女の常識ではありえない行動である。
公平という男は、数学は好きだがそれに人生をささげるつもりはない。学問と研究に生きた彼女にはそのどこか適当な行動が理解できなかった。そのために彼女の予定は狂ったのである。
思わず力を込めてしまった最後のコマンド入力。それにより、魔女となったアリスが起動する。その目を見開き、ガラス管を砕いて彼女は外へと出てくる。
「アリス!あのムシケラを踏みつぶせェ!」
明石の指は公平に向けられていた。どうしてと思わず言いそうになる。
アリスはうつろな表情だったが、明石の命令に従って歩いてくる。脚に怪我を負って動けないでいる吾我ではなく、何故か元気な自分の方に。
「な、なんで!?」
公平は焦りながら近づいてくるアリスに対し剣を構える。直後、すぐ横を光が通り抜けた。目の前の巨体に命中した。スーツにも傷は付かなかったが一瞬動きを止めることは出来た。その瞬間に振り返るとそのまま走り出し、矢を放った吾我に合流する。
「動いて大丈夫なのかよ」
「問題ない。『ゲアリア』」
ウィッチの回復魔法。それによって傷が塞がった。痛々しく痕は残っているがそれだけだ。
「大丈夫なのか」
「傷は見ての通りだ」
「そうじゃなくて。相手は」
「アリスが完全に魔女になっていないことに賭ける。朝倉美緒と同じように倒せば元に戻るかもしれない」
「なるほどね」
そういう事ならば協力することもやぶさかではない。
「けど勘違いすんなよ。俺とお前は」
「仲間じゃあない。それでいいか?」
エックスは、初めに『白紙の世界』を発動させた。内部にその場にいた魔法使い全員を引き入れる。これで取り急ぎ周囲に被害は出ないし、自分の姿をこれ以上人の目に晒すこともない。
そこでようやく地面に降りた。地に足を下ろした衝撃で、足元にいた敵は何人かよろめく。それを見下ろすとにんまり笑って、エックスは両腕を大きく広げた。
「さあ。どおぞ。攻撃してきていいよ?」
怒涛の攻撃がエックスを襲う。その巨体を爆発が包み込み、煙に覆い隠される。学生たちを取り巻く空気がどこか柔らかくなった。
だがキングもジャックも杉本も、魔女の本当の力を知っている。この程度ではエックスは倒すことは到底不可能だ。
「……うん。こんなもんか」
煙を振り払って、巨人の姿が再び現れた。服に汚れが付くことすらなく元気なまま見下ろしてくる。その視線がエックスの足元の彼らに絶望感を与える。
「あれ?どうしたのかな?もう撃ってこないの?じゃあ」
エックスは大きく足を掲げた。学生たちを、その影が覆う。その力を彼らは知っている。振り下ろすだけで人間を殺しかねない力。今度は直接落ちてこようとしている。
狂ったような攻撃がエックスに放たれた。これでいい。狙い通りの展開である。これで相手の戦意だけをうち砕くことが出来る。ついでに魔力操作とはどういうものか、後ろにいる二人に見せてあげられる。
エックスは手を前に出した。
「まずこれが『還元』」
キングとジャックに教えるように言った。それに合わせるように敵の魔法は魔力に還る。
学生たちもまた魔力操作の技術を明石四恩から学んでいる。『還元』のレベルには到達している。だがそれも元の身体に戻ったエックスにしてみれば児戯だ。
再び攻撃の手が止まった。これ以上やっても傷一つつけられる気がしない。
諦めの気配を察知したエックスは、右足のつま先だけ上げて、勢いをつけて地面に叩きつけた。
「ほら。次。早く」
何人かが逃げ出した。脱出方法を知らなければこの世界に逃げ場などないのに。エックスはうんざりしたようなため息を吐いてみせる。
逃げる彼らのすぐ目の前に『裁きの剣』を投げつけた。ちょっとしたビルくらいの高さの剣が突き刺さり、そこに映る自分の姿に腰を抜かしてしまった。
「帰っておいで。今なら許してあげるから」
優しい口調で言いながらその視線は冷たい。少し迷って彼らはとぼとぼと帰ってきた。
「さあ。もっと打ち込んできなよ。もしかしたらボクのことやっつけられちゃうかもよ」
そんなことを「次は『魔力の掌握』を見せようかな」なんて考えながら言った。万が一にも彼らに負けるなんてエックスは考えていない。
「全く魔女って生き物は……」
杉本がキングとジャックに合流する。余裕のない二人に比べて彼の表情は思いのほか落ち着いていた。
「加減ってもんを知らないんだから。あれで傷つけるつもりはないんだからタチが悪い」
「そ、そうかな。僕にはいたぶって遊んでいるように見えるんだけど」
そんなんじゃないんだけどなとエックスは思った。これはあくまでも指導である。キングとジャックの二人に魔力操作の何たるかを見せ、ついでに魔法を悪用したらどうなるかを教えているのである。
そんなエックスの思いをよそに、杉本は小声でキングとジャックに言った。
「そうですよ。あれは遊んでいるんです」
魔女の耳は地獄耳。その言葉にエックスは思わず振り返りそうになった。違うと抗議したい。断じてそんなつもりではない。
「魔力操作を教えるとかあーだこーだと言っていましたが、アレは彼らを玩具にして遊ぶ言い訳が欲しかっただけです。結局彼女も人間を弄ぶことが好きで好きでたまらないんですよ。たまたま僕たちの味方ってだけで、本質的には他の魔女と何も変わらないんです。ワールドに攫われた僕には分かるんです」
心の中で歯ぎしりして、地面を叩いてもだえた。
聞こえないふりをして、涼しい顔を保ったが、それでもちょっと泣きそうになった。少し相手の子たちに優しくしてあげようかと思い直す。これ以上不当に悪く思われるのは嫌だった。
杉本はそんな姿を横目に見る。彼は魔女と相対したときの無力感を知っている。あのまま続ければ何人か心を壊していたかもしれない。だからわざとあんな話をした。魔女の聴覚ならこちらの会話を聞き取ってしまうことも計算した。少しかわいそうなことをしたとは思うが、こうでもしないと止まりそうになかったから仕方がない。