Project "WW" ⑬
吾我の進んだ先は灯りの少ない暗い空間だった。天井は遥か高くどこまで遠くまで続いている。右手には一つ、巨大なガラス管がある。ビルより高くそびえ立つその内部にあるものを見て、一瞬目を閉じてしまう。暴れる沢山の感情を抑え込み、目を開いた。視線のすぐ先にいる明石四恩に対峙する。
「フフ。来たね。レイジ」
彼女は手を大きく広げて踊るように回った。
「キミは本当にしつこいねえ。ココは深海2000m。殆ど誰も足を踏み入れたことのない世界だよ?」
「そんなところに俺はいるんですね」
言いながら吾我は真っ直ぐに明石を睨んだ。その視線を明石は嗤って受け流す。
「そんなことはどうでもいい。俺は。貴女を止めに来たんだ」
「ヘエ。そうなんだ」
明石はその場に座り込んだ。
「ワタシはね。分かっていると思うけど、人類の未来とかどうでもいいんだ」
吾我は斧を構えて明石の方へと歩んでいく。
「ワタシは神に成りたい。それだけなんだよ」
そこで彼の足は止まった。
「神?」
「ウン。ワタシは魔法空間の広がり方を調べてみた。そうすると100の段階に分けて、ある数式に従って大きくなっていくのが分かった」
明石はその段階をランクと定義した。ランクXと魔法空間の面積Sに対して以下の式が成立する。
「S=X/(100-X)。さて問題。ランクが100になった時、何が起こると思う?」
「そんな式は成立しないです。面積が無限大に発散して──」
そこで、ハッと気付く。吾我は彼女の言いたいことに思い至った。
「キミはやはり聡明だ。魔法空間が無限の広がりを持った時、心の外にあふれ出す。つまり、この現実世界そのものを自分の魔法空間として自由に扱えるのさ!」
魔法とは、心の中で描いた現象を、魔力というエネルギーを用いて現実に出力する作業である。吾我は明石からそう聞いていた。
その過程でどうしても、現実に出力される魔法は劣化する。それは避けられぬことであり、品質の高い魔法を使おうと思ったらより広い魔法空間により精密に描かなくてはならない。だが現実世界そのものを魔法空間として扱えるのであれば話は変わる。最初から現実に描かれているものであれば現実に出力する工程は消え、劣化もしない。
心の中で思い描いたことがそっくりそのまま現実に変わる。確かにそれは神と言えるかもしれない
「いや……。そんなことが。無限なんて。人間が扱えるわけがない……」
言いながら明石の次の目的にも気が付いた。
「そうか……。だから『魔女』、か」
明石は歪んだ笑みを浮かべる。人間の身体は、神の器とするにはあまりに脆い。彼女はそう考えていた。だからこそその力に耐えうる魔女の肉体を求めたのである。魔女の身体と無限の魔法空間。その二つをそろえて彼女は神に成ろうとしている。
「何故そんなことを」
「ナゼ?出来そうだったからに決まっている」
その返答に吾我は絶句してしまう。これ以上何も言えることはなかった。
「ワタシの人生は即ち研究そのものだ。当面の目標が神になることだ。既に理論は完成していて、後は実践するだけ。魔法使いも魔女もその為のツールに過ぎない。結果的に人類を救ったり、滅ぼしたりするかもしれないが。まあ些事だよ」
「そうですか。もういいです」
吾我は斧を投げつけた。明石は指を鳴らす。音の直後に斧が消失した。
「なにっ」
「『バレット』」
銃の魔法。咄嗟に吾我は足を強化して避けようとした。が、身体強化が十分にできない。どこかに奪われているような感覚だった。
同時に彼は気付く。同じ現象を見たことがあるのだ。
『いい魔力だな。返すぜ』
魔女となった朝倉美緒から、公平は魔法を魔力に戻し、自らのものにしていた。そんな技術をいつ身につけたというのか。
「まさか……!」
吾我には最初からとしか思えなかった。
「ココまで近づいてきてくれてありがとう。お陰でキミの魔力を簡単に操れる」
魔法を構成する要素の一つ。『魔力』の扱い。魔法を研究する彼女であればすぐに会得していたはずだ。その上で自分たちには伝授しなかった。こうして敵対する瞬間が来れば、一方的に仕留めることが出来る。これが彼女の切札だった。
乾いた音がして、血が流れた。
だがまだ。吾我の命は尽きていなかった。
魔力による強化が出来ずとも動けなくなったわけではない。焦りの中でもどうにか弾丸の軌道から逃れることが出来た。しかしながら、完全に避けられたわけでもない。
彼の右腕はほんの僅かに抉られていた。痛みに耐えながらそれでも吾我は必死に走り回った。相手は研究者の明石だ。決して戦闘員ではない。動き回る的を撃つ訓練などしていない。
「ダメだなワタシは。こういうのはまるで向いていない。と、なれば。仕方ないな」
明石は銃を上に掲げた。そのまま彼女は動きを止めた。
吾我はガラス管の影に隠れて、その向こうに見える明石の様子を窺う。何のつもりか判断が付かない。
「……ソコだね」
銃弾が放たれた。当然上に弾丸は伸びていく。かと思えば、それは滅茶苦茶な軌道を描き出し、ガラス管の奥に隠れている吾我に向かってきた。
「しまっ……!」
着弾の直前になって身体を倒した。致命傷は避けられた。だが、弾丸は吾我の脚を撃ち抜いていた。足音がゆっくりと近づいてくる。激しく息切れしながら吾我はその影を睨んだ。姿を現した明石は彼の傷を見て笑った。
「ウン。ワタシは運がいいな。殺せはしなかったが、これで逃げられなくなったわけだ」
再び銃口が向けられる。
「『バレット』の弾丸軌道は制御が難しい。お前ならともかく、ワタシにはそっちの才はないからなあ」
「くっ……」
「コレで。確実に。ワタシの目の前で殺せるわけだ」
「明石さん俺は」
「エックス殿や、公平とかいう学生も、もうすぐに来る。これ以上時間はかけられない」
「……公平」
明石は躊躇うことなく引き金を引いた。
公平は魔法を魔力に戻すことが出来た。その気になれば誰にだって出来ることのはずだ。少なくともあの男に出来ることならば、やり方を知らないくらいで自分が出来ないわけがない。
「ッ!?」
心臓に向かって進んでいた弾丸は、着弾することはなかった。その直前に動きを止めてしまったからだ。
「ナ、ニ?」
「……あの時も思ってはいたんだ」
弾丸は180度回転し、再び動き出す。それはそのまま明石の右肩を撃ち抜いた。
「魔法を魔力に還して奪い取り、別の魔法に変える?そんなことをするくらいならコントロールそのものを奪取した方が早いんじゃないかって」
「……レイジ!」
明石は肩をおさえながら銃をでたらめに連射する。だがそれらは吾我に当たることはなくその背後の床に着弾した。
「ワタシの魔法の……コントロールを奪ったのか」
魔力操作の極みである『掌握』の段階。吾我はそこまで一気に到達したのである。
「吾我!」
背後から公平の声が聞こえた。扉の向こうから彼が駆け寄ってくる。それを見た明石は舌打ちして離れていった。
「遅くなった!ここやたら広くて……。って、お前その傷……」
「構うな。それより」
吾我はガラス管を見つめた。その視線を公平も追いかける。
「……嘘だろ」
既に明石は、魔女を一人完成させていた。彼女が消えたのと同時期にもう一人消えた仲間がいる。
きっとそういう事なのだろうとどこかで思っていた。まだ間に合うと必死に自分に言い聞かせてきた。だが、現実はこれだ。
「なんで」
公平はぽつりと呟いた。ガラス管の中に明石四恩が創り出した最初の魔女がいた。内部を満たす何らかの液体に包まれ、機械のスーツを身に纏っている。顔だけは露出しているから、それが誰なのか分かった。
「なんでアリスさんが」
明石のやり方では魔女を作るにはそれなりに優秀な素材となる魔法使いが必要だった。丁度アリスがそれに適役だった、ただそれだけのことだ。