Project "WW" ⑩
「そうか。明石さんを逃がした、か。まあ仕方ない」
吾我はエックスの買ってきたアンパンを食べている。なけなしのお金であるだけ買ってきたアンパン。みんな食べるかなと思って沢山買ってきたアンパン。お陰でエックスの所持金は26円になってしまった。
「ホントにゴメン!また手がかり無くなっちゃった……」
エックスはその巨体を精いっぱい小さくして申し訳なさを表現している。
「大学に問い合わせれば住所も分かるんじゃないか?」
公平の言葉に吾我はため息で返す。
「な、なんだよ……」
「本当の住所を使っているわけないだろ」
田中が小さく噴き出した。公平は悔しそうに彼を睨む。
「まあ。手がかりが途切れたわけじゃない。来週だって授業があるんだろ」
「いやいや。それこそ授業なんかにでて来ないだろ……」
「来るさ。明石さんはそういう人だ」
アンパンを平らげ、吾我は裂け目を開く。
「じゃあまた」
そう言い残して彼は消えた。
「……ところで吾我クンなんかあったの?疲れた様子だったけど……?」
「ローズに聞いてくれ」
公平の言葉にエックスはきょとんとしていた。
ローズは自分の部屋でベットに転がっていた。ベットの中で足をぱたぱたと上げ下げしてふてくされている。吾我と一緒に遊ぼうと思っていたら散々抵抗され、結局かわいそうになって逃がしてしまったからである。
「つまらないの」
誰に言うでもなく呟いた。
「それで、俺はまだ帰れないんですか?」
「ダメ。絶対」
エックスは頑なである。明石四恩の影響力は想定以上だった。公平の大学に赴任してきたのだって偶然ではないはずだ。恐らくはあまりに近いがゆえにこちらの盲点になると判断してここを選んだのである。個人で行えることではない。相手がそれだけの力があるのならば、田中を外に出してしまえば何か危害が及ぶ可能性だってある。
「吾我クンの話を信じるなら、明石四恩は来週必ず現れる。そこで何とか終わらせるから、それまでは田中クンにはボクの部屋にいてもらう。まあ……囮になってくれるって言うなら外に出てもいいけど」
「しょうがない。ここにいるよ。お前の家貸してくれ」
「えっ!?いや……」
「いいよ。ここにいてくれるんならそれが一番いい」
エックスは田中を摘まみ上げ、公平の部屋の前に降ろした。続けて公平を手に持つと姿を消してしまった。田中には理解できなかったが魔法の特訓を行うために自分で構築した世界に移動したのであった。
外も危ないがこの部屋も十分危ない。エックスだけならともかく、もう一人よく分からない魔女がいるのだ。そんなところには生活しようと思ったら少しでも安全な空間がいい。流石にこの部屋を壊してまで攫われたりはしないだろうと思った。そういう意味でもここが一番安全なように思った。
田中は窓から外が見えないようにカーテンを閉め、寝転がった。いくら安全でもいつまでもこんなところに閉じこもっていられない。早く終わってほしいものだ。
それ以降、公平は本当に田中のためのノートを取る羽目になった。大人しくエックスの部屋で待っているので仕方がないことである。元々田中はろくにノートを取らず、公平のものを当てにしているので同じことではあるのだが。
大学にいる間は周りの目が気になった。自意識過剰なつもりではないが、明石四恩が育てているらしい魔法使いの存在が気にかかる。突然後ろから襲われるのではないかと変な心配をしてしまう。それ故にここ数日は常に神経を尖らせていた。
エックスの部屋に帰れば地獄の特訓が待っている。二日に一度は、疲れ果てた精神を休ませる間もなく身体を虐め抜くことになる。
「ほらほらぁ!そんな調子じゃいつまで経っても終わらないぞ!」
エックスとの実践訓練は、彼女に一度でも有効な攻撃を通せばそこで終了となる。彼女は一切ズルはしない。魔女の魔力で作った魔法を受け、ちょっと痛いかも以上にダメージを感じたらそこで終わらせてくれる。それまでは公平が意識を失うまで終わらないが。
特訓の性質上、公平は手数を優先している。下手な鉄砲、というわけではないが、何にせよ当たればそれで終わるのだから。特訓の初期の初期では魔女の魔力もなるべく節約できる『炎の雨』を多用していた。だがそれはすぐに止めてしまった。
「『炎の雨』なんかいくら使ったってキャンバスの成長にはつながらないだろ!」
エックスは『炎の雨』に対しては特に厳しく、必要以上に防御をしてくる。わざと公平が使ったもの以上の威力と数の『炎の雨』で迎撃してくるのだ。使ったら使った分だけ傷が多くなることになる。その為牽制以外では使わないようになった。少なくとも決め技にはならない。エックスの警戒度が最も高いからだ。
公平が決め技として選んだのは『裁きの剣』である。こちらに対してはエックスも少し甘めの判定をしてくれている。意図的に同じ威力・同じ物量で迎え撃ってくれるので相殺されるのだ。
──そう、甘く判定して相殺。基本的にはエックスには届かない。レベル2と併用した上で時々運よく当たって終了することもあるが、その度に小さく舌打ちしているのを公平は知っている。
そして。今日はそういうラッキーは起こらなかった。運が悪いだけではない。レベル2にもエックスは対応してきているのである。
「くそくそくそくそっ!」
レベル2を纏った『裁きの剣』をエックスは掴みとり、こちらの攻撃をそれで全て破壊している。それを持ったまま地を揺らして彼女は近づいてくる。逃げ切る前にその巨大な剣が自身の目の前に突き立てられた。その衝撃で公平は吹き飛ばされる。
「ズルいぞ!こっちが使えないのをいいことに『掌握』なんか使いやがって!」
「使ってませんっ!公平が出来ないことをボクはしないよっ!物理的に奪い取っただけだっ!」
「ええ……」
実際魔法を解除すればエックスの手の中の剣は消えてくれた。この特訓に於いてエックスは二つの枷をつけている。第一に『魔力の掌握』は使わないという事。第二に公平の使った魔法以外は使わないという制限だ。目的は彼を鍛えることであって倒すことではない。必要以上の攻撃をするつもりはなかった。
そんなハンデを背負ったエックスに吹き飛ばされた公平は、半分落ちるように地面に戻ってくる。既に次の『裁きの剣』を数十展開しているお嫁さんの巨きな姿を見上げて、乾いた笑いが零れた。
「『レベル3』はどうしたのかなあ?出し惜しみしてボクには勝てるなんて思ってないよねえ?」
「出し惜しみしているわけじゃなくて……!」
「それっ!」
両手に一本ずつ、残りは射出してきた。こちらの返答を待たず、剣とエックスの巨体が同時に近づいてくる。
「ああもうっ!」
本当は使いたくない。使えばより酷い目に遭うことを公平は知っている。使いたくないが。
「仕方がないから使う!『レベル3』!」
エックスが待っているその魔法。公平は『レベル3』の柄のリングを引っ張り、その封印を解いた。刃はゲラゲラと嗤いながら目の前に迫るエックスの『裁きの剣』を全て喰らう。
銀色に輝く『刃』を見たエックスは、右手に持った最後の『裁きの剣』を地面に突き刺し、そのエネルギーを解放させた反動で後ろに大きく飛ぶ。
公平は更にもう一段階封印を外す。銀色の輝きが増した。横一文字に嗤う『刃』を振るう。溜め込んだ魔法の力を全て解放し斬撃として放たれる。
「これなら……」
「甘い」
左手の剣を下に向ける。先ほどと同じように力を開放することで更に上へと浮き上がる。それを公平は悔し気に見つめた。それを知ってか知らずか、『刃』の嗤いも止まる。
彼のすぐ目の前にエックスは落ちてきた。その衝撃でまた吹き飛ばされる。『刃』を支えに立ち上がって上を見上げると、緋色の瞳がこちらを見下ろして、その足が大きく掲げられていた。
「ははは……」
「そおれっ!」
そしてまた。自分のすぐ目の前にエックスの巨足という爆撃が落ちる。
「汚いぞ!魔法を使えー!」
「使ってほしいならそれなりの動きをするんだねー!」
そして何度も何度も、エックスの踏みつけに吹き飛ばされ、立ち上がればまた踏みつけに吹き飛ばされる。
とどのつまり『レベル3』を使いながら『裁きの剣』を出せるようにしろとの事だ。向こうが魔法を出さざるを得ない状況に持ち込まない限り『レベル3』はただキャンバスのリソースを喰うだけのお荷物である。こうなるのが分かっているので、使いたくなかったのである。
「よしよし。ここまでしようね。イエーイ!今日はボクの勝ちだ!」
エックスの勝ちというのは、即ち彼女に一撃も当たらなかったという事である。
その勝利の声は公平の耳には届かない。既に意識を失っているからだ。
ピクリとも動かない小さな身体を拾い上げて、特訓用に構築した『白紙の世界』を崩す。足を摘まんで目の前に持ってくる。だらんと力なく、振り子のようにふらふらと振れた。つんつんと突っついてみるも反応はない。
「だらしないぞー。元気だしなさーい」
「う、あ。む、ちゃ言うなって」
「おお。段々打たれ強くなってきたねえ。目覚めるまでの時間が短くなってるよ」
「そりゃあね……」
「うんうん。公平はちゃんと強くなってる。いいことだ。ボクも嬉しい。疲れちゃったねえ。ご飯の前にお風呂入れてあげようか?」
「その前に……。『ゲアリア』」
ウィッチの使っていた回復魔法。吾我がウィッチの魔法を使っていたのを見たエックスは、もしやと考え、最初の特訓の後、公平に実践させてみた。期待通りの結果にエックスは嬉しくなる。
公平は回復魔法をウィッチほどには使いこなせていないので他人を治すことはまだできない。疲れも完全に取ることは出来なかった。それでも特訓でできた傷は十分に治すことが出来る。これが無ければこんな命がけの特訓はできない。
「これに関してはウィッチに感謝だ。お陰でボクも最初の計画よりもハードに出来る」
「こんな事ならこんな魔法使えるようになるんじゃあなかったって後悔してるよ」
お風呂の後にご飯を食べ、その後は眠るだけだった。
「はあ。楽しかったねえ」
「ははは。俺は死ぬかと思ったよ」
「ごめんごめん。っていっても特訓の内容を緩くすることは出来ないんだけどね」
ベッドの中で、エックスは今日の特訓の総評を楽しそうに話した。彼女は普段窮屈にしているのかもしれないと公平は思っている。思うがままに力を振るうとき、一番生き生きと、それでいて楽しそうにしている。
特訓で身体は疲れ切っていて、すぐに眠ってしまいたい気持ちは強かった。エックスもそれを理解しているので少しだけ特訓の振り返りをするとすぐに消灯してくれる。
だがそれでも公平はなかなか寝付けない。暗闇の中でも無防備なエックスの寝顔に見惚れてしまっていたからだ。暫くそうしていると彼女の大きな指先が、彼の顔を撫でてくる。
「……早く寝なさい。ボクだって我慢してるんだから」
エックスは目を閉じたまま諫めてくる。ようやく公平は目を閉じて、そのまま夢に落ちる。これがここ数日の二人の日常だった。