Project "WW" ⑨
「なあ。さっきのやつ。一体何なんだよアレ。お前何か知ってんのか?」
「実を言うと、俺もよく分からないんだ。ただ明石四恩ってやつを俺たちは追いかけていて、それが何故かあそこにいた」
灯台下暗しである。自分もエックスもこんな近くに彼女がいるなんて想像できなかった。お陰でこの数週間は無駄足を踏んでいたことになる。
「アイツは魔法の研究をしているらしい。で、人工的に魔女を生み出す技術を発見したとかで……」
「は?いや待て待て」
田中が公平の言葉を遮る。額に手を当て、「えーっと」と唸る。
「魔女ってアレだろ?あの……エックスさんみたいな巨人の事だろ?」
公平の部屋、その窓から見えるエックスの巨体を見つめて言った。意識はそこになく、目を閉じたままである。
「ヤバイじゃん。そんなん何人も出てこられたら死んじゃうじゃん」
「そうなんだよ。しかもアイツが元々いた組織も……」
「あんまり機密事項をベラベラ話さないでくれないか」
背後からの声。振り返るとそこにいたのは短髪で長身の男。
「あ……!吾我レイジ!」
田中が吾我を指差す。彼はワールドから中学生たちを救助した人物、という責任を全て公平に押し付けられた男である。お陰で正体は知られていないにせよ、それなりに有名人になっていた。
吾我は田中を一瞥すると公平に向き直る。ため息交じりに聞いてきた。
「コイツは誰だ。何でこんなヤツ連れてきた」
「俺の……友達だよ」
「お前に友達なんかいたのか」
「……いるよ友達の一人や二人。明石四恩と鉢合わせたところに一緒に居たからしょうがなく連れてきたんだ」
吾我の目が大きく見開かれる。かと思えば、もの凄い勢いで公平に掴みかかってきた。
「いたのか!?どこにいた?」
ぶんぶんと公平を前後に揺する。
「うああ。だ、だ、だ、大学だよ。俺の大学。教授として赴任してたんだよ~」
それだけ聞くと吾我は公平を突き放す。
「大学……。そんなところに……」
「吾我……!お前なあ……!」
吾我は公平を睨み今度は胸倉をつかんでくる。
「何でもっと早くに気が付かなかった!一番近くにいたお前が!」
「しょーがねえだろ!他所の学部の教授の事なんか知らねえよ!」
「こんな半端な時期に教授が赴任してくるなんて変だと思わなかったのか!」
「ンな無茶言うな!つーか見つけたって言ってるだろ!問題ねえじゃんか!」
「もっと早くに気付けと言っているんだ!」
「だったらもっと早く連絡入れてこいよ!」
吾我は小さく歯ぎしりし、乱暴に公平から手を離す。
「はあ……。お前が明石四恩を探しているって知ったのは先週だ。それまでにも連絡する機会はあっただろ」
それに対し、吾我は吐き捨てるように答えた。
「連絡できない事情があったんだ……」
「だったらその事情を話せよ。こっちは完全に善意で協力してやってるんだ。秘密主義はなしにしようぜ」
吾我は田中に視線を向ける。公平もそれに振り返った。喧嘩腰のやり取りに、蚊帳の外になっていた彼は突然のことに戸惑っている。
「あのー。俺出て行った方がいい?」
「あ、うん。悪いけど……」
「いやいい。この際一人も二人も変わらない」
「いや。つーかヤバそうだから聞きたくないですけど……」
「明石さんが"WW"を辞めてすぐのことだった」
「この人話聞かない感じの人!?」
「うん」
「俺は組織の裏切り者として拘束され、尋問を受けていた。その時受けた傷がこれだ」
言いながら吾我は上着のボタンを外し、上半身を見せる。右肩から斜めに一直線に大きな傷の跡が痛々しく残っている。こんな大きなものが一週間かそこらで治るとは思えなかった。
「組織の中枢に、明石さんの協力者がいたんだ。そのせいで俺は反逆者扱いだ。敵の正体暴いて、自由になるのに時間がかかった」
「そ、そうか。そうだったのか。じゃあしょうがないな」
公平もこれ以上聞きたくなくなってきた。藪から蛇ならまだいいが、もっと怖いものが飛び出してきそうである。
「もうヤツは始末した。お前に危害が及ぶことはないだろう」
「しまつ」
「だから聞きたくなかったんだ……」
田中は頭を抱えている。明石四恩を捕らえたとして、この男に渡していいのだろうか。公平の頭の中をぐるぐると色々な考えが回る。
「満足したか」
「うん。もう分かった。俺が悪かったよ」
「ならいい。ところでエックスは?」
「明石四恩が授業を終えるのを待ってる。講義を受けている連中全員様子がおかしかったから、その場でやりあうのを止めたんだ」
「甘い」
言いながら吾我は裂け目を開く。向こう側には公平の通う大学が見える。
「そんなことを気にせずにさっさと終わらせれば……」
「待て待て待て!」
公平は吾我を羽交い絞めにして彼を止める。吾我はそれを振りほどこうと暴れた。
「離せっ!これ以上時間をかけていられるか!」
「その為に他の人を傷つけるなって言ってんの!」
「時間をかければかけるほど犠牲者の数も増える!」
「それでもだよ!ここはエックスに任せておけって!」
「ええいっ!離せっ!邪魔するならまずはお前から……」
「ただいま~」
外から呑気な声が聞こえてくる。
「エックスじゃない?誰だ」
「ああ。ローズって魔女。最近居候してる」
「あれれ。エックスまだ帰ってきてないのかしら。……それにしては変ね」
彼女はずんずんと公平の部屋まで近づいてくる。巨大な眼が窓から覗いた瞬間、田中は思わずのけぞった。
「何でアナタだけ帰ってきているのかしら。てっきりエックスと一緒だとばかり……。あら。そちらはお友だち?」
「ああうん。こっちで倒れている田中は友だち。吾我は……なんだろ。友達じゃないし仲間でもないし」
「ただの知り合いだ」
「そう。ただの知り合い」
「へえ……」
その目が悪戯っぽき輝いたのを公平は見逃さなかった。裂け目を開き吾我をそこに突き飛ばす。
「ンな……」
「おおっと」
行先はローズの手の中。公平は窓を開けて彼女に叫んだ。
「ローズ!ソイツちょっと預かっててくれない!?」
「はあ!?」
「えっ!?いいの!?……コホン。いえ。そんな暇はないのだけれど?」
ローズは照れ隠しなのかすました顔で言う。公平は更に続けた。
「ソイツにエックスの邪魔をされたくない!暫く抑えててくれ!」
「お前何を……っ!」
「へえ。ふうん。そういう事なら……。少しの間遊んであげようかしら?」
ローズが手の中を見下ろす。吾我は立ち上がって叫んだ。
「ふざけるな!『オレガブレイク』!」
そうして斧を構える。それに対して、ローズは指先を向けた。それだけで斧が消滅する。
「なっ……!」
自分の手にあったはずの斧がどこかに行ってしまった。その現実に吾我は戸惑った。
エックスと公平の特訓をローズも知っている。人間世界の魔法使いが、実は魔力操作技術を十分に習得できていないことも分かっているのだった。『魔力の掌握』に至っている彼女は人間の魔法使いに相手には無敵なのである。
「あらあら。随分あっさりで魔力に還せちゃったあ。さあ。ちょっとお話しましょうね」
意地悪な口調で言い、その手を軽く閉じる。暴れる吾我を一方的に捕らえてしまう。
「離せっ!公平……貴様っ」
公平はそこで窓を閉じ、鍵を閉めた。
「い、いいのか?アレで?」
「ローズは敵じゃないから大丈夫」
エックスは講義室の入り口が見える、使われていない教室に隠れていた。授業が終わるのは十二時。明石四恩が一人になる瞬間を待ち、捕らえる。
時計は十一時五十分を指している。もうすぐで授業が終わる。大学に戻ってすぐに売店で買ったアンパンを食べながらその時を待つ。
「あ。これ美味しい。公平にも買っていってあげようかな」
言いながら以前公平と買った財布の中身を確認する。あんまりお金は入っていない。以前富士山ラーメン食べた時に五千円を貰ってから増えていないからだ。普段の買い物は公平がお金を出してくれるので自分のお小遣いが無くても問題はなかった。第一使うような用事がない。
「うーん。けどこれじゃあ公平にお土産買ってあげるのもままならない。やっぱりどこかでお金を稼ぐ手段を考えようかしら」
そんな独り言を言っているとチャイムが鳴り響いた。エックスは教室を出ると跳びあがって天井の隅に張り付いた。忍者のようにして講義室の扉が開くのを待つ。
五分待って。十分待って。それでも誰も出てこない。彼女は強いので別に疲れたりはしないのだが、それでもやけに時間がかかっている。
不審に感じたところで、講義室内部で同時多発的に空間の裂け目が開かれたのをエックスは感じた。
「はあ!?」
天井から降りてエックスは扉を開ける。あり得ないあり得ないと頭の中で繰り返す。
「そんな……」
既にもぬけの殻。明石四恩どころか学生すらいない。
間違いなくあの裂け目は学生たちが使っていたものだ。一つ一つの魔法にはムラがあった。同一人物が使用したものとは思えない。そう分かっていてなお、目の前の現実が信じられなかった。
明石四恩は一ヶ月足らず、時間にすれば10時間にも満たないほんの僅かな期間で、魔法使いをこんなに沢山育て上げた。そこまでの指導力は流石のエックスにも想定外だったのだ。
明石四恩が学生らと一緒に魔法で逃げたのだとしたら、もう追跡しきれない。今から裂け目の出口を探し当てたところで追う事が出来るのはせいぜい十個前後だ。捜索している間に魔法の痕跡が完全に消えてしまうからである。たまたま標的に行きつくこともあるだろうが、その可能性はあまり大きくない。
またしても、明石四恩を取り逃がした。公平や既に来ているであろう吾我に何と言おうか。エックスは考えていた。