Project "WW" ⑧
吾我に再開してから一週間、エックスとローズはあちこちを飛びまわった。これまでの接触で、明石四恩も魔法を使えることが分かっている。ほんの少しでも魔法が使われた形跡を探しまわったのだ。そして、結論としては。
「どうだった?」
「だめ。ていうかこんなの普通無理だと思うんですけど」
まるで見つからない。実際のところ二人のやり方で人探しをするのは困難であった。魔法が使われた痕跡など短時間で消える。発動された瞬間であればその位置を特定することが可能だが、それから時間が経ってしまえばそれも難しい。全ての力を取り戻したエックスならばともかく、今の状態では不可能に近かった。
本当は、ヴィクトリーにも協力を頼みたかった。ローズと二人で協力を仰ぎには行ったのだ。だが彼女の返答は期待したようなものではなかった。
「いやよ。そんなことは人間世界の問題であって、私には関係のないことじゃない」
「そんなこと言わないでよ。人間世界で魔女を作られたら、こっちの世界だって……」
「……あら。そういう話になるのなら協力してもいいわよ。でも人探しなんて悠長なことはしません。私はもっとスマートにやる。人間世界を丸ごと焦土にしましょうよ。そうしてその明石とかいう人間を殺してしまえば解決だわ」
「そんなのダメに決まってるでしょ!?」
「ローズ。私だってそんなことはしたくない。でもこの世界にも危機が及ぶとなれば話は別よ。第一に考えるのは魔女の事」
明石四恩が人工的に魔女を作り出し、それらで魔女の世界を攻撃する可能性があるこの状況では、ヴィクトリーは明石四恩を始末しなければならない。それこそ人間世界を完全に破壊してでも、だ。
「だから今回は聞かなかったことにしてあげる。協力しないのは、むしろ人間世界の為だと思ってほしい」
「うにゅにゅにゅにゅ」
「行こう、ローズ。ヴィクトリーの言ってることは正しいよ。仕方ないさ」
そういうやり取りもあって、エックスたちはヴィクトリーの協力を諦めたのであった。
時間だけが過ぎていく。明石四恩がWWを辞めてから既に一か月近くが経過している。彼女が見つからないままで、水面下で事態が進行している。それを思うともどかしかった。昨日は丸一日飛び回っていたエックスである。その程度で魔女は疲労しないが、精神的な焦りはローズにも見て取れた。
「エックス。今日はアタシだけでいいわ。アンタはちょっと息抜きしてきたら?」
「いやでも、時間がないから」
「いいって。最悪の事態になっても、アナタとアタシなら人間丸ごと守り抜けるでしょ?昨日今日魔女になったような子とは年季が違うもの。最近はあの子とも遊べてないんでしょ?ほら。行ってきなって」
「でも……」
「どうせ明石って人間を見つけられる気もしないし。息抜きだって大事だと思うのアタシ」
そういう諦め半分の態度はどうかと思うのだが実際殆ど手詰まりの状況ではある。公平はついさっき学校に行ってしまったが、追いかけてみようかと思った。
「びっくりしたあ。急に裂け目が開くから何事かと」
「えへへ。まあ、たまにはいいかなってさ」
公平は人間世界の適当なところに出て、そこから徒歩で通学をしている。急に大学構内に現れて誰かに見つかったら怖かった。
「どうするかなあ。この後ずっと授業で退屈かもよ?」
「ふふふ。公平と一緒だったらそれでもいいさ」
隣に歩くエックスをチラリと見つめる。彼女はこう言っているけれど。このまま代数の授業に一緒に出ても、やっぱり退屈なだけではないかと思ってしまう。
「あーそうだ。『人類の進化』に忍び込んでみるか」
「なにそれ」
「いや田中から聞いたんだけど」
彼の情報を話してみる。完全秘密主義の授業。受けられる人間も限られている。後から入ることは不可能。彼の通う大学のブラックボックスだった。
「へー。ちょっと面白そうだね」
「だろ?魔法使えば侵入できるし。いっそ田中の奴も連れて行ってみるかな」
「『人類の進化』かあ……」
どこかで聞いたような言葉だとエックスは思った。
公平は田中を連れ出し、適当に使われていない教室に入る。
「いやあ。あの講義を聞きに行けるなんて嬉しいな。でも公平は代数に行ってくんねえかなあ。ノートが」
「別にお前を連れて行かなくてもいいんだけど」
「ちぇ」
二人のやり取りをニコニコとエックスは見つめていた。何だかこうやって、ちょっと悪いことをするのは心が弾む。
「授業開始から五分後くらいに行こう。それくらいにはもう施錠されていて、メガネ野郎の監視もないはずだ」
田中は手慣れた様子で話す。なんらかの手段で忍び込もうとしていたらしい。その為調査はある程度行っていた。
10時半になり、チャイムが鳴る。二限の授業が始まった。この部屋は二限では使われない。隠れていて魔法を使っても問題はないと思われた。
「じゃあ公平。そろそろ」
「分かった。『開け』」
公平は裂け目を開く。行先は『人類の進化』が行われている講義室。こっそりと裂け目の向こうを覗き込んだ。
講義室には百人前後が入ることが出来る。扇のように机が何段にもなって並んでいる。机の下から入り込むことが出来そうではあった。
「よし。ここは誰もいなさそうだ」
言いながら公平は音をたてないように進んでいく。一番上層にある机には誰も座っていない。その下を四つん這いになって進んでいく。次いで田中。エックスと。三人が忍び込んだところで裂け目を閉じ、顔を出した。
「へー。あの人が教授かあ。教授にしちゃあだいぶ若いな。なあ?」
田中の言葉に公平もエックスも答えられなかった。答えられるはずもない。目の前の光景が信じられない。
「明石……」
「……四恩」
探し求めた人物。それがどうしてこんなところにいるのか。知らないうちに首筋に冷たい刃を押し当てられたように公平は感じた。
明石は公平たちをすぐに視界に捕らえる。そしてニっと笑った。
「オヤオヤ。見慣れない顔が三つ」
瞬間、学生たちが殆ど同時にこちらを振り返る。「ひっ」と田中が声を上げた。咄嗟にエックスは公平と田中を両脇に抱え、そのまま一気に下まで飛び降りる。施錠されている扉を蹴り破り、そのまま逃げだした。一人の学生が外を覗き込むも既にその姿はない。
「フフ。まあいいや。何も問題はない。さあ。授業を始めよう」
何事もなかったかのように。明石四恩は学生に向き直った。
大学の外まで逃げ出す。エックスは抱えている二人を下した。田中は腰を抜かしてしまい、激しい運動もしていないのに息切れしている。
「はあはあ……。なんだよアレ。ホラーかよ」
「公平。吾我クンに連絡」
「うん」
「大分余裕だな!?」
「今更って感じもするけど、盗聴されるかもしれないから念のため時間と場所だけ指定して。後で直接会って話そう」
「分かった」
「と、盗聴!?」
公平はあーだこーだと騒いでいる田中を無視して吾我の番号にコールをかける。繋がったら相手の反応を待たずに一方的に告げる。
「今日。十一時。エックスの部屋」
それだけ告げて電話を切った。前に吾我がやったのと同じような形。これで彼は分かるはずだった。
「な、なあ。俺もう帰っていいかな?」
「ダメ。危ないから」
そう言うとエックスは目を閉じた。立ったまま俯いてしまい喋らなくなる。同時に上空から空間を裂いて伸びてくる巨大な手に田中は捕まった。彼を掴んだまま裂け目を通り抜けて消える。そしてエックスは目を覚ました。
「田中クンはボクの部屋に避難させた。暫く外に出さないほうがいいよね。出来れば事態が収まるまでは」
「アイツ大丈夫かな」
エックスは両手を合わせて公平に見せる。何か大事なものを隠すようにしている形だった。
「こんな風にしてるから出られないよ。ボクの手の中にいるんならまあ大丈夫でしょ」
「……早く帰ってやった方がいいな。いっそ今からでももう一度あそこに乗り込んでみないか」
公平の提案にエックスは首を横に振る。
「やめておこう。あそこにいた全員、何か様子がおかしかった。出来れば今日中に決着をつけたいけれど、出来ればあそこで戦いたくない」
「そうか。そうだね」
学生らの目が一斉にこちらを向いた瞬間、田中の言うようにホラー映画にでも迷い混んだように公平も感じた。異様な空気があの場には流れていた。
彼らは精神に何かしらされた可能性があった。エックスは他者の心を完全に操る魔法を知らない。魔女の世界には相手の心を眠らせた状態で動かす魔法はあっても、心を支配する魔法はない。魔女の魔法の基礎を築いたエックスだからこそ、それが言える。
だが、明石四恩が独自に開発した魔法であれば。精神操作の魔法も成立しうるのかもしれない。或いはそもそも魔法ですらない、別の技術で彼らを洗脳している可能性もあった。
どちらにせよ、彼らを巻き込んでしまう恐れがある以上、あの場では戦えないというのがエックスの結論だった。
「じゃあ。俺が授業の終わりくらいにもう一回入ってみる。そこで明石を捕まえれば……」
エックスはそう語る公平をじいっと見つめる。魔法使いとして実力のついた今となっては殆どあり得ないことだろうが、彼まで明石四恩に操られたらと思うと怖くなった。
「いや。ボクが行くよ。念には念を入れておこう。この身体なら最悪何があっても本体に戻るだけで逃げられる」
何より、魔女である自分にはそんな魔法は通用しない。そういう確信があった。
「……公平は先に帰って、ボクの手の中にいる田中クンを出してあげてほしい。さっきからもうずっと叩かれている。出してほしいみたいだ」
「ああ……。了解」