Project "WW" ⑥
特技。特技。特技。
特技ってなんだろう。公平はふらふらと街を歩いていた。
結局今日一日心を傷つけただけだった。後期の授業が始まった初日からどうしてこんな目に遭わねばならないのか。
気が付くと日が暮れていた。時間を確認すると19時43分。何だかすごく長い時間を彷徨っていた気がする。
「ははは。馬鹿か。教員になろうとするなんて時間の無駄か。なぜなら中身がないからか」
もう教職なんてやめようかなと思った。田中のように面白そうな教養科目を取って暇を潰してもいい。或いは卒業に必要な単位だけとることにしたっていい。そうすればエックスとの時間を長く取れる。それでいいような気がした。
「ああ。いたいた。おーいっ!」
背後から声が聞こえる。振り返るとエックスが手を振って駆け寄ってきている。なかなか帰ってこない公平を心配して、魔法の身体で出てきたのである。彼の顔を窺える距離まで近づくと、その表情にギョっとして思わず立ち止まってしまった。
「え……。何?どうしたの?なんか顔色悪いよ?」
五年くらい老けたように見える。公平は「ああ……」と空返事をする。
「まさか……。うう……ゴメン!冗談のつもりだったんだよ!そんなに傷つくなんて……」
「いいや……。いいんだ。色んな人に聞いて分かっちゃんだ。俺は教師に向いてないんだ」
「あの。その。……とにかく。帰ろう?ね?」
彼の肩に手をかけ、どうにかこうにか励まして部屋に戻ってくる。一体何があったのか。本体に戻ったエックスは彼の話を聞いてみた。
「……えーっと。取り敢えず」
エックスは頭を抱えたどこからどう話したものか。酷過ぎてなんと声をかけていいか分からなくなる。こんな事ならからかい半分で変な事を言うんじゃなかったと後悔した。
「そもそも……。公平は根本的なところに気が付いてないというか……」
「馬鹿だから?」
「いやいや!違う違う!そういう事じゃなくて!」
想定外の自虐にエックスは慌てる。こういう言葉が出てくるということはよっぽどダメージが深いようだった。
「えーっと、つまり。要するにそもそも。公平は別に学校の先生になりたくなんかないんじゃない?」
「え?」
公平は少し考える。実際そういうところはあるのだ。数学を勉強しているのでそれを活かした仕事が出来ればいいかなと思っていたくらいで、本気で教師になりたいと思ったことはない。そういうことをエックスは見抜いていた。
教職の授業は前期からあった。エックスも公平がそれを受けているのを知っている。だが家に帰っても特別に予習・復習・自主学習をしている様子はなかった。本気で取り組んでいるようには見えなかったのである。
「まあ向いてないって思ったのは本当だよ。だって別になりたいとは思ってないわけじゃない?」
「そ、そうだけど……。結局それだと中身がない問題に行き着くわけで」
「中身ねえ。そんなの分かり切ってると思うけどなあ」
「へ?」
「公平の特技は魔法で、なりたいものは世界最強の魔法使い。それがキミの中身じゃないの?」
「……あ、そっか」
「学校の先生を目指してみてもいいと思うけどね。ボクは向いてないと思うけど」
「向いてないとは思うのか」
「でも実際やってみなくちゃ分からないわけだし。なんだかんだでお金はいるし。やる気のある人以外は先生になっちゃいけないなんてことないでしょ?」
「そっか。エックスが言うなら。きっとそうなのかもなあ」
「そうそう」
エックスの微笑みを見ていると、彼女が全部正しいような、そんな気がしてくる。
エックスはその後すぐに今後の魔法修練のプランを話した。
「ここから先は大きく二つのメニューを行います。一つは、魔力操作。基本に立ち返りましょうってことだね」
「え?魔力操作?今更?俺もうランク97なんですけど?」
魔力操作なんて地味な事、これ以上やる意味はあるのだろうか。正直気が乗らない。そんな公平の態度にエックスは何だか意地悪気な笑みを見せる。
「ふうん。なるほどねえ。じゃあ公平クン?一つ魔法をボクに撃ってきなさい。何でもいいよ。『炎の雨』でも。『裁きの剣』でもいい」
「……じゃあ遠慮なく」
公平は裁きの剣を構える。サイズは公平が手に持てるくらいの大きさ。魔力操作の特訓の説明なのだから、恐らく還元するつもりだろうと読んでいる。素直にやられても面白くないので、公平の方も意地悪く還元されないように魔法を強くし、投げつける。
エックスは人差し指を立てると、それを公平の剣に向けた。直後、剣の進行は止まる。かと思えば180度くるりと回転し、切っ先は公平の方を向いた。
「あ、あれ?」
操作ができない。エックスはニコニコしながら指をくるりと動かす。剣は公平に向かってきて、当たる直前で消滅した。こんな指示を公平は出していない。つまりこれは。
「これが『魔力の掌握』。魔法を魔力に還元して、奪って、自分の魔法として撃つなんて、正直ボクに言わせれば無駄な工程が多すぎだ。こうやってコントロールを奪う方が全然スマートだと思わない?」
「こ、こんな事出来るのかよ……」
「うん。魔女の世界で魔法を教えていた時は応用な技術として指導してた。ワールドとかヴィクトリーくらいなら使える技術だよ。ああそうそうローズも使えたはずだ」
「え!?俺こんなの教わってないよ?え?じゃあ、コレをアイツらに使われてら負けてたんじゃ……」
「そこはまあ。心理的な作戦かな」
曰く。自分が自信満々に連れてきている人間であれば、『魔力の掌握』くらいは当然使える、と、他の魔女は思い込む。だとしたら相手はそれを戦いには使わない。『魔力の掌握』まで使いこなせる相手ではいくらやっても魔法を奪ったりできないからだ。となれば『魔力の掌握』を教えること自体時間の無駄なのである。
「……だいぶ綱渡りじゃない?」
「まあ、そこは認める。でも多分大丈夫だろうなって根拠もあるんだ。公平も無意識にだけど『魔力の掌握』は使ってたからね。ワールドと初めて出会って、あの子の手から抜け出した時とか、あとは……ナイトと戦った時もそう。あそこで使ったお陰でもう使いこなせるものだと勘違いしてくれたわけだね」
一応『魔力の掌握』が使えずとも生還できたわけは分かった。だが彼女の言う通りならますます分からない。どうして今になってそれを教えようと思ったのか。
「……ここから先はナイショだよ。吾我クンにも隠しておこう。面白いから」
エックスは大きな顔を近づけてコソコソと話す。誰もいないのだからこんなことをする意味はないのだが、彼女は内緒の話をしているという雰囲気を楽しんでいる。同時にここで大声出したら公平の鼓膜が破れるんだろうなとも思った。絶対にやらないけど、ちょっとやってみたい悪戯心が湧き上がる。
説明を聞いた公平は目を丸くした。
「嘘ぉ!?そんなわけ……!あ、でも。あーそうか。あの時もそうだったもんな」
「正直ボクも盲点だった。向こうはその気じゃなかったと思うけど、結果的にボクたちもさっき言ったような勘違いを起こしていたわけだ」
魔法は魔力とキャンバスの二つの要素からなる。それ故キャンバスの操作と同じくらい、魔力操作技術は魔法使いの基本技能だとエックスも公平も考えていた。
だが。人間世界の魔法使いは違う。魔力操作についてはそこまでに重視していない。実際吾我も相手の魔力を奪うという技術を会得していなかった。何故なら必要なかったから。
「それが本当だったら、アイツと最初に戦った時からあっさり勝てたことになるな……」
真正面から打ち合う事なんてせずに、相手の魔法を魔力に戻してしまえばそれだけで良かったのである。
エックスがこれに気付いたのは東という魔法使いと戦った時。思いのほかあっさりと還元することができたし、向こうも魔力に戻されたことそのものに驚いていたような様子だった。そういう技術の存在そのものを、恐らく知らないのである。
「今度吾我クンに会ったらビックリさせてやろう。正直還元だけできれば十分なんだけど、でも掌握まで使えればもっと一方的になるはずだ。全然連絡してこない罰だ。……あと、いい加減教えておかないとまずい。そろそろ実は使えないってバレてもおかしくない」
「な、なるほど。それは確かに命取りだ」
「まあ。これはそんなに難しくないから大丈夫だよ。問題はここからだから。安心してほしい」
言いながらエックスは『白紙の世界』を構築する。それは即ち、特訓を開始するという事だ。恐らくは、昨日から聞いていた大変なことになりそうな方の特訓である。
「あ、念のため。こっちの特訓はご飯の前にやるから」
「……念のため。聞いておくけど。何でかな?」
「食べた後だと吐いちゃうかもしれないからね」
「一体何をやらせるんだよ……」
自分の心の中心を再確認し、改めて世界最強を目指す。そう決めた公平でもこれから先起こることは不安であった。「死」とか「問題」とか「吐く」とか物騒なワードがいくつも転がっている。
「やることは簡単だよ。延々と実践訓練。魔女の魔力を鍛える時よりもうちょっと本気を出す。公平のおかげでキャンバスも少し戻ったしね」
「あ、あれをやるのか……。あの時点でも何回か死ぬかと思ったんだけど」
前回はギリギリまで追い込むことで魔女の魔力の使い方を見出すのが目的であった。だがここから先は目的が違う。基本の魔法に関していえば一度見せればその場で使えるくらいには成長している。そちらに時間をかけるよりはキャンバスを広げ、公平自身のより強力な魔法を開発させる方に時間をかけたい。その為には結局実戦訓練が一番手っ取り早いのである。
「これ以上強力な魔法なんているのかなあ。レベル3でも十分……」
エックスはかぶりを振った。
「いいや。レベル3には致命的な欠陥がある」
「え?」
「あれは敵の魔法攻撃に依存してる。一度でもその性質を見破られたら、魔女には通用しない。ボクだったら一切魔法を使わずに物理的に潰すかな」
「……なるほど。確かにそうかも。もしかしらソードだってどこかで俺とウィッチの戦いを見ていたかもしれない。もしそうだとしたらアイツにはレベル3は通じない」
「なにより。ボクの見立てだとレベル3はキャンバスのリソースを結構使うはずだ。あれを使っている間は『裁きの剣』くらいの魔法は使えないんじゃない?いいとこ『炎の雨』くらいかなあ?」
「……バレたか」
公平の今のキャンバスの広さでは、『レベル3』を使っている間は空を飛ぶ風の魔法とか炎の雨、あるいは近距離間での移動魔法くらいしか使えない。空間構築魔法や『裁きの剣』のような規模が大きかったり強力な魔法までは発動できないのだ。
本当ならばもっともっとキャンバスを広げてから実践投入するべき状態である。相手が魔法を使ってこない場合は他の手段で迎撃する必要があるのにそれが出来ないからだ。
「でもワールドのキャンバスを使えば、他の魔法も使えるぞ」
それを言うとエックスは鋭く睨みつけてきた。何だか背筋が凍る。
「そんなズルは認めないよ。公平が強くなったわけじゃないでしょ」
「はい……」
どうやらエックス的には他人のキャンバスを使うのはあんまり好ましいことではないらしい。ソードはいい度胸している。
「最低限ある程度強い魔法と『レベル3』を併用できるくらいにキャンバスを広げる。ついでに敵の魔法に依存しない、公平だけの攻撃魔法も考えよう。『最強の刃・レベル4』だ」
「『レベル4』か……!うんっ!やってみるか!」
エックスはうんうんと頷いた。公平はさっそく構える。それを手で制するエックス。
「ちょっと待って。今ワールドになるから」
「は?なんて?」
突然訳の分からないことを言い出すエックスを見上げる。彼女は少し顔を赤らめて言い直した。
「……つまり。素のボクだとどっかで手加減しちゃうから。ワールドっぽくふるまうことにする。付き合い長いからモノマネくらいはできる」
エックスはそう言うと右手で顔を隠した。説明されなおしても意味不明である。少なくとも公平にはよく分からなかった。その手が開かれ、指と指の間から彼女の瞳が覗くまでは。
「……っ!」
見つめられた瞬間に、その威圧感に思わず全身が震えた。ウィッチの時のような根源的な恐怖ではないが、それでも気を抜けば身体を動かすことすらできなくなりそうだった。これが、本気に近づいたエックスの圧力だった。
「……フン。全く。人間如きが、ボクの視界に入ってくるなんてね」
ワールドそのものではなく、それらしく振舞っているだけだ。公平は裁きの剣を構えた。エックスは冷たく彼を見下ろし、続ける。
「本当に。不快だ。こんな、む……」
そこで。エックスの言葉は止まった。動きも止まった。フリーズしたパソコンのように突然に。
公平は暫く気を抜かずに見上げていた。やがて何か様子がおかしいことに気が付く。
「……む、む、む」
「む?」
エックスは目を閉じ、そして両手で顔を完全に覆い隠した。
「な、何だよ!?何がどうしたんだよ!?」
「できなかった……」
エックスの震え声が聞こえる。
「はあ?」
「なんかもう。ダメだね。演技でもワールドみたいにはできない。む……にゃむにゃ……なんて言えないや」
「何だそのむにゃむにゃ」
「……だから!」
エックスは裂け目を開いて紙とペンを取り出す。床に四つん這いになって紙に何かを書く。それから「ム」と言った後に紙を広げて公平に見せてきた。
「シケラ?」
「ム!」
「シケラ?ああ。虫けら。虫けらね。魔女って大体そういう事言うよね。そういえば」
人間好きのローズですら演技とはいえ言っていた。それがエックスには言えなかった。
「ダメだ。ちょっと前なら言えてたと思うんだけどなあ。もうワールドのモノマネは止める。こんなことしていたら却って本気出せないや。ボクはボクのままでやることにする」
そう言ってエックスは立ち上がった。その目から威圧感は消えていないが、さっきまでのようにこちらを視線だけで殺してくるような感じではない。まだ柔らかい。
「うん。じゃあ始めようか」
二人の魔法がぶつかり合う。
エックスは、知らず知らずのうちに変わっている。何だか釈然としない様子だが。公平にはその変化がどこか嬉しかった。
翌日。公平は十時半からの必修の授業に出るために大学に来ていた。その時間帯に『人類の進化』の講義のガイダンスが始まっていた。
「レジュメは全員にまわったかな?……うんうん。いったみたいだね。よろしい」
白衣のまだ若い女性が多くの学生の前に立っている。
「『人類の進化』。人類は進化の過程の中で多くの能力を手に入れた」
彼女はペンを持つ手を掲げ、器用に回して見せた。
「ペン回し。やったことのある人も多いだろう。後ろの方まで見えるかな。こうやって器用に動く指先もその一例。こんなしょうもないことに使うのが勿体くらいに、素晴らしい能力だ」
白衣のポケットにペンをしまう。
「ペン回しにも使える指を獲得したのと代わりに、残念ながら進化の中で失われてしまった機能もある。それを今。お見せしよう」
彼女は生徒に背を向ける。そして手を頭上に上げ、一気に下ろした。
学生たちの間でどよめきが起きる。空間に裂け目が開き、彼女はそれを悠々と通り抜けていく。直後、学生たちの背後から声がした。
「コレこそが!人類が忘れた能力、『魔法』!この講義は、諸君に魔法をお教えするものである!」
カツカツと音を立て、学生たちの背中を通って、優雅に歩いて行く。歌うように彼女は声を上げた。
「キミたちも知っているはずだ。巨人の侵略。あれは異世界から来た魔女。今のままでは人類は、私たちはアレらに嬲り殺されるだけの獲物だ」
教壇の前まで戻り、振り返る。
「ワタシはそれを許さない!人類は魔法を取り戻し、侵略者に立ち向かわねばならない!」
講義室はシンと静まり返った。学生たちの視線が彼女に集まる。目の前で起きたことを手品か何かと言い切るには、あまりにもリアリティのある現象だった。非現実的なことが現実になってしまい、それ故に目を離せない。
「フフフ。改めて自己紹介をさせて頂こう。『人類の進化』を担当する、明石四恩です」