Project "WW" ④
「……帰らないの?」
一日ずっと。ローズはエックスの部屋にいた。そろそろ眠ろうという時間になっているのに未だに。
「どこに帰るっていうのかしら。向こうではワールドに部屋を借りていたわ。あの子がいなくなった今帰る場所なんてないわよ」
「ワールドの家は残ってるよ。……まあ一部壁壊れてるケド」
壊したのはエックスだが。ローズは顔をしかめる。
「じゃあここにいるわ。アタシの部屋はあるのかしら!」
「ないよっ!」
エックスは、彼女の感覚で十畳くらいのリビングにキッチン・お風呂・それから寝室があるだけ。トイレはこの部屋にはない。魔女は娯楽以外で食事をとる必要が無い。何か食べたり飲んだりしても100%跡形もなく分解されて吸収してしまうので排泄もしないからだ。
リビングには棚があって小物が色々と入っている。その上に公平の住む家があった。魔女の感覚ではミニチュアの家。スペースは取らない。
エックスの部屋は魔女が一人で暮らすには十分だが二人では狭いくらいだった。相対的に小人の公平はともかく、ローズが暮らすスペース的な余裕はないのである。
「だいたいローズがいたら公平と……一緒に寝られないだろ!」
「なっ……そんなズルいことをしているの!?」
「いいだろ!夫婦なんだから!」
窓の向こうから巨人の口喧嘩が聞こえてくる。公平は諦めて自分の部屋の布団にくるまっていた。電気を消して、カーテンも閉めた。エックスの部屋からの灯りをシャットアウトする。目を閉じても外の喧騒が眠りを妨げる。
「うるさいなあ……」
スマートフォンが音を鳴らす。セットしておいた目覚まし時計が午前7時を知らせていた。エックスの部屋は人間世界と魔女の世界の境目にある。その為、外から日差しが差し込んでくるなんてこともない。どうしたって時間の感覚が狂う。時計は必需品だった。
部屋の外に出る。
「あれ?」
知らない扉があった。一つ一つを確認する。まずはキッチンへの扉。これは知っている。それから寝室への扉。これも知っている。お風呂へ通じる扉はキッチンにある。この部屋から見える扉は本来二つだけのはずだった。ではもう一つの扉はどこに繋がっているのか。
寝室からエックスが寝ぼけまなこを擦りながら出てくる。
「おはよー」
「おはよう。……なあ。アレ何?」
「んう?」
エックスは欠伸を噛み締めながら公平の指さす方を見る。一瞬無言になって。目を丸くして。それから大きく足音を鳴らしながらその扉に向かう。派手な音を立てて扉を開けると大声で叫んだ。
「ローズ!勝手に部屋を作るな!」
「うるさいわよ!今何時だと思っているの!?」
「もうとっくに朝だよ!大体キミにそんな文句を言う資格はない!昨日ようやく帰ったと思ったら……!」
「貴女を人間世界に送り届けた代わりとして部屋を作らせてもらったのよ。どうせ魔法で作ったんだからいいじゃない。それよりもう少し寝かせてほしいんですケド!?」
「出てけーっ!」
エックスのそんな様子がおかしくて、公平は思わず笑ってしまった。
「ったく。あんな強引だったかなあの子」
「まあ面白かったけど」
エックスは公平と二人で街を散歩していた。昨日まで買い物もたくさん行って、映画も見て、色々と遊んで回った。だから今日はゆっくりしたいとエックスと決めたのだ。
右手には静かに流れる川が見える。夏休みが始まる少し前、ほんの数か月前にこの川でエックスとワールドは戦い、その間に公平はヴィクトリーに立ち向かっていた。ずいぶんと遠い昔のような気がしてくる。
「けど意外だったよ。ローズとエックスは、もっと仲がいいと思ってた。住み着くのはともかく泊めてやるくらい許すもんだと」
「……そりゃ普段だったら許してたけどさ」
公平は不思議そうにエックスの顔を眺める。その表情はどこか不満げだった。歩みを止めずに、その顔がこちらを向く。
「今日で公平の夏休みは終わり。明日からまたキミは学校だ。……一日ずっとってわけじゃないけど。公平といられる時間はずっと少なくなる。だから。本当は二人でゆっくりしたかった。タイミング悪いよ、ローズのやつ」
それを聞いてきゅっと胸が締め付けられる。
「そっか。……ゴメン。まだまだ時間あると思って、気付いてあげられなかった」
「……時間はそんなにないよ」
エックスの言葉の後にさあっと風が吹いた。公平から目を離し、前を向く。怪訝な顔でその横顔を見つめる。
「魔女と人間じゃあ寿命が違うんだよ。公平だって百年したら死んじゃってる。でもボクは違う。……きっとこれからもずっと」
エックスは早足になって前へ前へと進んでいく。公平は急に足を止めた。何だか怖くなって、咄嗟に振り替える。公平は笑って言った。
「俺死ぬつもりないけど?」
「……は?」
「魔法を極めて死ぬことだって克服するつもりだよ。最後なんてないけど、最後までエックスと一緒にいるつもりだ」
「……そんなことできるもんか」
「最強の魔法使いならそれくらい出来る、と思う」
それを聞いて暫くエックスはきょとんとしていた。その自信満々な表情に硬直し、それから思わず噴き出した。
「あはははっ。何それ、おっかし」
「ほ、本気だよ!」
「分かってる分かってる」
エックスは大笑いした。笑い過ぎて流れた涙を拭いながら公平の元へと歩んでいく。
「まあ。そういうつもりなら。待っててあげよう」
「うん」
「はあ。なんかバカみたい。勝手に落ち込んだりしてさ。……ローズに悪いことしたかもなあ。素直に泊めてあげればよかった」
空を見上げて、独り言のようにエックスは言った。その直後、地面が大きく揺れた。その発生源はすぐ近く。揺れの原因もすぐに分かった。魔女が現れたのだ。──本当にすぐ近く。川を挟んで向こう側に彼女はいた。
エックスは空を見上げたまま、呆れた声で呟く。
「……前言撤回。なにやってんだよあの子はさ」
スーパー小枝のあたりである。ローズがどや顔で足元を見下ろしている。
「お願いだからもうこういう事しないでね」
「だって……!」
ローズは椅子に座ったまま、腕組みして立っているエックスを上目遣いで見上げていた。ばつが悪そうな表情である。二人の様子を公平は机の上で見ている。巨人を説教する巨人というのはなかなか迫力があった。
「あそこが人間世界でのエックスの拠点なんでしょう!?だったらアタシが出て行ったって受け入れてもらえるんじゃないの!?」
「そういう事なら素直にそういう風に言えばいいのに……」
エックスはため息を吐いた。
人間世界に現れたローズは開口一番に宣言した。
「今日からここいら一帯はアタシのものよ!文句のある奴はかかってきなさい!」
それを見上げるエックスはうんざりした表情で本体に戻った。ローズはスーパー小杉の駐車場で地面にしっかりと足を下ろし偉そうにしていた。その後ろに裂け目を開き、そのまま自分の部屋に引き込んだのである。
「だいたい何でウソついたの?誤解されるだけだよ?」
「むー……。最初から友好的にするよりは、一見悪い奴に見せかけたほうが魅力的だと思ったんですケド」
「そんなの分かってもらえるわけないだろ」
「じゃあエックスはどうしたのさ」
「え?そりゃあ……」
最初にあの街に出て行った時のことを思い出す。あの時はまだ魔法を取り戻していなかった。外に出たのは公平が外出しなくてはいけなくなったからである。
彼だけを人間世界に送っては、エックスの部屋を行き来する手段がなくなる。そうなればもう魔女とは戦えなくない。魔法を教えることもできない。そうなっては困るのでスーパー小枝で待機していたのだ。
結局騒ぎになって警察が来た。明らかに危険視されていた。公平と自分とが何かしらの関係を持っていると知られたらきっと迷惑がかかるとエックスは考えた。そこで自分は公平とは何の関係も無い存在だと思わせるために──。
「人類の敵のフリをしたような……」
誰にも聞こえないような小声で呟く。
結果オーライで上手くいっただけで自分もやっている事は変わらないのでは?そう気付いたエックスは無言になってしまう。
ローズは怪訝な顔でその表情を窺った。
「ねえ。……どうしたのよ。そんなに怒ってるの?」
「そ、そう。怒ってる。ボクはすっごく怒ってる!ボクの事なんかどーでもいいだろ!今はローズの話をしているんだから!」
「うう……」
怒ったふりで無理やり誤魔化した。公平は必死に笑いをこらえる。エックスがキッと睨む。
「と、とにかく。人間世界に行くんならいくつか注意。まずはこっちに敵意が無いってちゃんと伝えること。ワールドやウィッチの件があってみんなナイーヴになっているからね。後は出来る限り足を地面につけないで。ボクたちは人間に比べてずっとずっと大きいんだからね。どれだけ気を遣っても怪我させる可能性は常にあるんだから」
「はぁーい……」
暫くローズはしょんぼりしていた。
何だかエックスは申し訳ない気持ちになる。彼女も別に人間と仲良くなるのが得意なわけではないのだ。だからローズに言った事だって絶対ではない。もしかしたら万に一つくらいの確率であのままで人間と仲良くなれていたかもしれない。
「……それでエックスはどうやって人間と仲良くなったの?」
「……え。なんで?」
「アタシだってみんなと友だちになりたいわ。参考にさせてよ」
冷や汗が流れる。本当の事を言うとローズは結局同じことをやらかすのでは。
「えーっと……」
公平を見つめる。人ごとだと思ってにやにやしている。大好きだけど憎たらしい顔だ。
「あっ。そうだ」
「うん?」
「公平。ボクは最初に公平と仲良くなった。そこから色んな人と仲良くなれたんだ!うん。そう。そういうこと!」
ローズは公平に視線を向ける。不思議そうに二人は見つめあった。
「何だかよく分からないのだけれど」
「つまりね。最初にどうにか頑張って一人友達を作るんだよ。その子がきっと道しるべになってくれる」
「でももう友達ならいるわ」
ローズが公平を指差した。
「こ、公平はダメ!それ以外で!」
「えー。なんで」
「いや。それは。あの街の人以外にはまだまだ怖がられているし。公平がいないとボクだって困るから……」
エックスはぶつぶつと続ける。そんな様子をきょとんと見つめていたローズ。釈然としていない様子のまま立ち上がる。
「分かったわよ。しょうがないな」
ローズはそう言って人間世界への裂け目を開く。行先は空の上。どこかの街を見下ろしていた。
「まずは一人。友達を作ることから始めようかしら」
「あ……。ああ。そう?うん。それがいい。あっ。だけど」
「分かってる分かってる。さっき注意されたことは気を付けるわ」
手をひらひらと振って。彼女は裂け目をくぐっていった。そのまま空に駆けていき、裂け目を閉じた。
エックスはそれをぼんやり見つめている。
「アレで良かったのかな」
「まあ良かったんじゃないかな」
「そっか。公平がそう言うなら。きっとそうなんだろうね」
それから。二人はスーパー小枝へ晩御飯の材料を買いに行った。本当は昨日しっかり買い物をしていたので不要なのだが、ローズの事があったので様子を見に来たのである。
店長と話ができたが、やはり彼女の襲来に不安だったらしい。
「すぐにどこかに行ってくれたから良かったけどねー」
「あはは。ちょっと変わった友達でして……」
「ええっ!?友達だったの?」
「あははは……」
分かっていたことだが。この街でも受け入れられている魔女はエックスだけだった。ワールドに街を壊され、ナイトに攻め入られた経緯がある中で、彼女を受け入れてくれているだけ懐が深いと言える。他の場所ではエックスだって恐れられているのだ。
魔法で作った人間大の身体が、大きさの違いのせいで、本来の自分と同一人物だと認識されていないお陰でエックスは外でも行動できる。それが無ければきっと自分の部屋とこの街とを行き来するだけの生活になっていただろう。他の街に遊びに行くなんてできなかったはずだ。
「うーん。ローズの夢を叶えるのは大変だなあ」
エックスは料理の本を開いて言った。今日のメニューはハンバーグだ。本当はまた肉じゃがを作ろうと思ったが、それよりレパートリーを増やした方がいいと公平は言う。
「エックスの場合は料理に慣れてないだけだから。同じモン何回も作るより色々なものを練習したほうがいいと思うよ」
「ふうん。そういうものかなあ」
「……ところで。練習で思い出しただけど」
「うん?」
「魔法の練習って、しなくていいのかな?」
「……うーん。それについてはボクも悩んでいたんだけど」
エックスは本を閉じて公平に向き直る。
「公平のランク。もう97なんだよね。今更教えることがないというか」
「97?へー。もうそんなに」
最大値は100だったはず。頂点がもう見えてきた。
「実際自分で新しい魔法を思いついては使ってるし。この域になるともう何を教えてもすぐに使いこなせちゃうから逆に教えることがない。だから今後どういうメニューにするか昨日まで考えていたんだけど」
「昨日まで?もしかしてもう思いついたのか?それなら初めてもいいんじゃない?」
「え?いいの?あー良かった。そう言ってくれたらボクも安心して本気を出せる」
「……うん?本気……?」
「そう。まあ流石に死にはしないと思うけど。ちょっとハードなメニューかなって」
「死?いや。お、おい。ちょっと待て。お前俺に何をやらせようって」
「ふふふふ……」
「おいったら!」
ハンバーグを食べている間も風呂に入っている間もどこか不安であった。今後の特訓内容を結局聞けていない。エックスは何をやらせるつもりでいるのか。
上の空の公平を、エックスは自分のベッドまで連れていく。その様子がおかしくて何だか可笑しかった。
「恐いんだ?」
「恐いよ。何をやらされるんだろうって」
「まあ。公平なら大丈夫だよ。本気って言ったってまあ死にそうになったらやめるし」
「死にそうにはなるのか……」
そう言うとエックスはけらけら笑った。彼女の笑顔を見つめる。もう一つ確認したかったことがあった。
「ところで。ソードの事だけど。本当に放置してていいのかな」
「ん。うーん。そうねえ」
彼女の表情はころころ変わる。笑っていたかと思えば困り顔。
「本当はよくない。でもこっちからちょっかい出して、人間世界に被害を出したくないんだ」
それで公平は納得する。ウィッチが殺害されたときは今にも飛び込んで勝負を仕掛けそうな勢いだったのに。どういう心境の変化か気になっていた。
「行くならその一回で決着をつける。その為にしっかり準備をしておきたい。明日からの公平の特訓もその一つだよ」
「そういう事なら頑張らないとなあ」
腕を回して気合の入っているアピールをして見せる。そんな公平の姿をエックスはとろんとした瞳で見つめる。
「ふふ。ちょっとだけウィッチの気持ち分かっちゃったかも」
「え?どういうこと?」
公平を摘まみ上げて右手に乗せた。
「ふふ……。小さくて可愛くて。……食べちゃいたいかも」
その唇が迫ってくる。公平は彼女の発言に慌てた。
「ま、待って待って。食べないでって!」
その手の動きが止まったかと思うと離れていった。顔を真っ赤にして照れた様子で公平に言う。
「冗談だよ!食べないって!キスしようと思ったの!」
「あ。そうか……。いや冗談に聞こえないから……」
「ったく……。ボクのこと何だと思ってんのさ……」
「怪獣?」
「こらっ」
そして再び。彼女の唇が近づいてきた。今度は公平も受け入れる用意がある。二人は目を閉じて、そしてその時が──。
「ただいまーっ!」
「にゅ!?」
突然の声にびっくりして。エックスの唇は想定よりずっと勢いよく公平にぶつけてしまった。彼から「くぴっ」という何かよくない声が漏れる。
「あーっ!?公平!?死んじゃあダメだよー!」
「い、生きてるよ……」
震えながら手を振る。反射的に身体を強化したおかげである。
安心した後に怒りが湧いてくる。公平を枕に下ろして立ち上がった。
「ロォーズゥー……!」
寝室から出て、リビングの椅子に腰かけているローズに歩み寄っていく。
「出て行ったんじゃないの!?」
「誰がそんな事言ったのかしら」
「だってそういう感じだったじゃん!」
「でもそんな事言ってないわ!ちょっと夜まで友だちになってくれそうな子を探していただけよ!」
きゃあきゃあと声が聞こえてくる。ローズが来てから二日連続でこんな調子だ。まさかこれからもこんな事が続くのではないだろうか。先の事を思うと何だか不安にしかならない。
「はははは……」
乾いた笑いが殆ど無意識に出てくる。もう笑うしかない公平だった。