「魔女」の世界⑭
──ばかだなあ。怖い想いして、危ないことして。そんなに心配させちゃったんだ。ああ本当に。ばかだなあ。
不思議そうにしている公平。その目はエックスの着ている服を見つめていた。その視線に気がつく。
「ああ?これ?うん。やっぱりコレがいいなって思ったんだ」
「いや、だって。ほら、そのあれだよ」
怪訝な表情で見下ろす。代名詞しか使わないので言いたいことが分からない。
「ほら、その。その服の時にさ、ウィッチと……」
「え?ああ。もしかしてヴィクトリーから聞いたの?いやあ色々考えたけどさ、アレ別にボク悪くないし気にするだけ損かなって」
エックスはけらけら笑った。そんな彼女の姿を公平はぽかんと見つめている。
「なあんだ。そういう事ならよかったよ。いやほんと」
明るい声で返す。
「ゴメンゴメン」
そうしてエックスは椅子に腰掛けると魔法の身体を作り出す。人間大の大きさのエックスが公平の目の前の現れ、目蓋を開いたのと同時に、巨人のエックスは意識を失った。服装は基本的に本体に依存する。その手で公平の手を握ってきた。
「じゃあ!今日はドコ行くんだっけ?」
「ああうん。映画見に行こう」
公平は人間世界への道を開いた。
映画を見た後、近くのレストランでランチをし、晩御飯の材料や日用品を買って帰ってきた。今日のエックスはずっと明るくて、元気そうに見える。
「いやー!面白かったねー!まさか犯人があの人だったなんて……」
「アレは俺もビックリした!あんないい奴だったのに」
晩御飯の準備を二人でしながら、外ではネタバレを気にして話せなかった映画の内容で盛り上がった。どんでん返しがスゴイと評判になっていてエックスが観たがっていたのだ。
魔法で作った身体に意識を移している時は、棚の上に置いてある公平用の家で料理をし、食べることにしている。簡単なものではあるが人間が使える大きさのキッチンもある。火なんかは魔法で起こせるので不自由ない。
ウィッチに関するアレコレが終わって、ようやく落ち着いた日常が帰ってきた。時間があるのでエックスに料理を教えてあげようとしたが彼女は断った。
「ボクにはこの本がある!公平は何も言わず手伝ってくれればそれで十分!」
ウィッチが一度人間世界を離れ、世界がその恐怖から多少解放された時、新潟から帰る前に公平の母がくれたものだ。彼女もこれで料理を学んだと言っていた。
ウィッチの対策を考えている間はあれこれ忙しくて、開くことはなかったのだが、今日遂に手に取った。今回は肉じゃがを作ると張り切っている。
男の喜ぶ彼女の理想の手料理に挙げられることもある肉じゃが。ちょっと料理をする人なら分かるだろうが、割と簡単に作れる。なんなら公平も作れるのだが──。
「え?ら、乱切り?乱切りってなにさ!公平!」
「さあ?」
黙っていることにする。
「うー……」
晩御飯の後、エックスはずっと料理の本とにらめっこしている。自分で思っていた以上に上手にできなくて悔しそうだ。公平はそんな様子を横目に実家から持ち帰った小説を読んでいた。彼女は普段以上に感情豊かに見えた。
「こうなったら明日も肉じゃがを作るしか……」
「美味しかったけどなあ」
決して出来が悪いわけではないのだ。調味料やら火の加減など本に書いてある通りにやったのだから味が悪くなるわけがない。料理そのもの慣れていないだけで、下ごしらえに手間取ったり、ちょっと焦がしただけだ。経験を重ねればどうとでもなる部分である。
それよりも公平にとっては大きい問題がある。
「まあご飯は俺の方が上手く炊ける」
「えー!?そんなわけないよー!」
「ふふん。なら今のうちに明日の朝のご飯を炊いてやろう。で、味見するといい。もしも俺の方が美味しいと思ったら炊き方を教えてやる」
新潟出身の公平はご飯の味に結構うるさい。エックスの炊いたご飯はおいしかったけれど、少し柔らかすぎだった。水が多すぎたのである。慣れていない証拠だ。
一方で公平は測らなくたって適切な水の量が分かる。これもまた経験に依るもの。炊飯器が無くたって美味しいご飯を炊き上げることができるのだ。
──上手くできているだろうか。自分の姿は元気に見えているだろうか。もう心配なんてかけない自分でいるだろうか。
──大丈夫。きっと大丈夫。今みたいに元気な自分でいればいい。きっと公平は安心してくれる。笑ってくれる。それでいいじゃないか。
「参りました」
エックスは素直に公平のご飯に負けを認めた。早速明日のお昼に炊き方を教えることにする。
教える、と言えば。ウィッチを倒してから魔法の修業をしていない。身体や魔法の腕が鈍ってしまうのでないか少し心配だった。
本体に意識を戻し、寝間着に着替える。公平は自分の部屋から出た。エックスがそれを摘まみ上げる。
公平の部屋にも寝具はある。だが最近はエックスのベッドで二人一緒に就寝することが多くなっていた。
自分の枕の隣に降ろすと、ベッドを揺らさないように静かに布団の中に潜る。巨大な瞳がじいっと彼を見つめていた。
「今日は楽しかった。なんか久々に。ありがとね」
「うん。俺も楽しかったよ」
「ふふ。おやすみ」
そしてエックスは灯りを消した。暫く公平の方を向いていたがやがて寝返りをうって背中を向ける。すうすうという呼吸の音が公平には聞こえた。
「あのさ」
そんなエックスを公平は見つめて言った。反応はない。眠っているのかもしれないが、構わず続ける。
「もしかしたらさ。気にしすぎかもしれないけどさ」
エックスは反応しない。
「もしも。つらいことがあったらさ。頼りないかもしれないし、出来ることなんてあんまりないかもしれないけど。それでも話は聞くからさ」
今日一日ずっと。心のどこかで思っていたこと。エックスは元気そうで、きっと問題ないのだと思うけど。だけど。もしも本当は、ただ無理しているだけだったとしたら。
エックスは静かに振り返る。ああと声が漏れる。暗闇に慣れた目では灯りの無い中でも彼女の表情が分かってしまった。思わず公平も泣きそうになってしまう。
「……ああ。ボクは……ダメだな。心配させたく、なかったのに」
やっぱり、と心の中で思う。今日のエックスは元気だったけれど。だけどどこかで違和感があった。何故だか分からないけれど、見ていて何だか辛かった。ただ彼女は悲しいそぶりを見せなかったので。公平も何でもないふりをしていた。
「エックスは悪くない。俺のせいだよ。……もっと早くエックスの所に行けば良かったんだ」
「ボクがそうなるようにしたんだからしょうがないよ。ボクのせいでみんな……」
「俺がもっと強かったらこんなことにならなかったんだ。だから俺のせいだって」
「いやだからボクの」
「いやいや俺の」
互いに責任を感じていて。互いに相手を気遣っていた。始めのうちは静かに、互いに自分が悪いと言いあった。
だが。それは段々とエスカレートしていって。
「俺のせいだって言ってるだろ!この分からずや!」
「ボクだって言ってるだろ!このばかー!」
何故か口喧嘩に変わっていた。泣いていた二人は泣きながら怒り出した。それから暫くの間、訳の分からないことを言い合いながらわんわん泣き続けた。
この部屋の隣に誰かが住んでいたらきっと怒鳴り込んできただろう。それくらい大きな声で、泣いて怒って、それから泣いた。
いつしか公平の身体はエックスの涙でびしょびしょになっていた。彼自身の涙が何処にあるのかもう分からない。それでも泣いた。その日は眠ることなくずうっと泣き続けた。
そうして泣きつかれるまで泣いて、涙が枯れるまで泣いて、不思議と二人の気持ちが落ち着いていた。エックスは公平を手の上に乗せてベッドに腰掛ける。彼の身体を指で撫でた。
「あのさエックス。俺……」
「うん。うん。分かった。分かったよ。ううん。分かってた。ボクには公平がいるんだから。これからはもっと頼りにする。もっと何でも話すから」
ああよかった。公平は目を閉じる。そしてそのまま眠りに落ちた。そんな姿を、巨人の女の子はいとおしげに見つめる。
「ばかだなあ。本当にばかだよ」
それがどうしようもなく嬉しくて。その身体を暫く撫で続けていた。
吹っ切れたわけじゃない。これからもこの傷は痛み続けるのが分かっていた。だけど、彼が一緒に痛いと言ってくれるなら。それはそれでいいかななんてぼんやり考えていた。
ウィッチ編のエピローグも終わりました。
次回のエピソードも近いうちに投稿開始いたしますのでまたよろしくお願いします。