「魔女」の世界⑬
「……今日は青のパーカーか」
「うん。……それがどうかした?」
ウィッチとの戦いは終わった。人々は恐怖から解放され、普段の暮らしに戻りつつある。
夏休みの終わりが近づいたある日のこと。公平はエックスと一緒に買い物に来ていた。少し前から気が付いていたが、彼女は普段着ているお気に入りのワインレッドの服を避けている。
「うーん。まあ……。ちょっと気分転換?」
邪推かもしれないが、心なしか元気がない気もする。怪しい。
翌日、公平は一人で魔女の世界に来ていた。ヴィクトリーの元で暮らしている朝倉に会うためである。彼女はウィッチとの戦いの開始時点でエックスと一緒にいた。その時に何かあったはずだ。
ヴィクトリーの屋敷に来るのは二回目だった。他の魔女に出くわしても負けるつもりはないが、それでも魔女の世界に長居するのは危険である。ウィッチのように気配を消して入ってきたつもりだが、それでも自分がこの世界に入ったのを既に気付いている魔女もいるはず。出来れば手早く済ませたい。
だがこの巨大な門からどれだけ頑張って呼び出しても出て来てくれる気がしなかった。ここでまごまごして、時間をかければかけるほど危険度は増す。
「……アレしかないのか」
公平は足に魔力を送った。かつてエックスがやったように、門を蹴って──。と、その時公平の身体を巨大な影が覆った。
「そこで何をしている」
「げっ」
魔女が見下ろしている。公平は恐る恐る見上げた。
「……なんだナイトか」
「なんだとはなんだ」
ナイトはしゃがみこんで公平を摘まみ上げる。そしてまじまじと見つめた。
「また強くなったな……」
「そっちは進歩がなさそうだな。今この状況でも戦いになれば勝てる気がする」
ナイトは息を吐いた。図星である。暖かい吐息が公平の髪を揺らした。
「残念ながらそうらしい。ところで貴様ここで何をしていた。ヴィクトリーに何か用でもあるのか」
「いやここに用はあるんだけど、ヴィクトリーって言うか、アイツの家にいる奴に用がある」
「ふうん」
ナイトはヴィクトリーの屋敷の門を開けてくれた。
「私も丁度此方に用があるのだ。ついでに中まで連れて行ってやる」
彼女の鋼の手甲の上に載せられる。道中彼女は公平の事を反対側の人差し指で突っついてきた。押し返そうと抵抗してみせるも力では敵わない。簡単に押し倒され、そこから先はされるがままである。ナイトは不思議そうな顔をした。
「……随分油断しているな。どうして身体を強化しないんだ。その気になればこの場で捻り潰せるぞ」
「だってそんな感じじゃないし」
「うん……そうだけど。……まったく私も甘くなったな。以前ならこんなふざけた態度の人間が目に着いたら構わず潰していただろうに……。こんなに優しいなんて自分でもびっくりだ」
言いながら手甲にぐりぐりと押し付けてくる。潰されはしないが苦しくないわけではない。
「これのどこが優しいんだテメー!」
「ふふん。そういえば前に勝ったのは私だったな。敗者をどうしようが私の自由さ。ホラぐりぐり」
「けど今やったらもう負けないし!」
「そうだな。だからもう戦わないさ」
「ヴィクトリー。客人です」
「客?」
ヴィクトリーの部屋にナイトが入ってくる。ヴィクトリーは机に向かい合い椅子に座って何かを書いていた。彼女の目の前にやってきたナイトが手を差し出してくる。それに合わせて手を出した。その上に彼女がこの部屋に来る間ずっと玩具にしていた公平が置かれる。
ぴくぴくと震える公平にヴィクトリーは目を丸くした。
「え?なに?どういう事?」
「外にいたので拾ってきました。この家にいる誰かに用があるとか言っていました」
公平を突っついてみる。「大丈夫かー」と呼び掛けてみるも反応はない。
「あの……。人間だけど一応客だからさ……」
「……申し訳ありません。つい面白くて」
ヴィクトリーはクスっと笑う。手のひらの公平をコロコロ転がしてみた。
「まあ気持ちは分かるよ。コイツなーんか生意気で苛めると面白いんだよねえ。エックスが気に入る理由が分かるかも」
「では私はあの子の所へ行きますね」
「いってらー」
部屋を出るナイトに手を振って見送る。それから手の上で意識をなくしている公平に視線を向けた。魔女の世界に人間一人で来るなんて無茶だ。誰かが侵入したのは気付いていた。すぐに見に行くべきだったかもしれない。最初に見つけたのがナイトだから良かったが、他の魔女なら間違いなく戦いになっていた。魔法では負けることはないだろうが身体の大きさの差で容易く踏みつぶされる可能性だってあったはずだ。
ヴィクトリーから見て、公平という人間は決して勇気のある方ではない。危ないことは極力避けるし、恐い想いはしたくないと思っているように見える。そんな彼が心の中にある全部の勇気を振り絞って恐怖と立ち向かえる瞬間はヴィクトリーの知る限り片手で数えても何本か指が余るくらい僅かしかない。そのうちの一つがエックスに何かあった時である。
魔女の世界にエックス抜きで来るというのは危なくて恐くて、公平からすれば一番避けたいことだったはずだ。それでも一人でやってきた。きっとエックスには話せない、エックスに関わる何かがあるということなのだろう。
けなげな姿がかわいらしい。人間相手にこんなことを思うようになった自分の変化に驚いた。
つんつんと突っついてみる。「うう……」とうめき声が聞こえた。
「……何でみんな俺の事突っつくんだ」
「あ。おはよー。また強くなったみたいじゃない」
「……おはよう。朝倉に会いに来たんだけどアイツどうしてる?」
「あの子ならまだ寝てる。最近は大人しいわよあの子」
「寝てるのかあ。起こすのも悪いし、一旦帰るかなあ」
「あら。せっかく来たのに帰っちゃうの?何かあったんじゃない?アタシに出来ることなら協力するけど?」
「いや、大したことじゃないんだけどさ。最近エックス元気がないんだよね。多分ウィッチと戦った後からなんだけどさ。なんかあったかなって」
ヴィクトリーはそれを聞いて「うーん」と唸った。
「もしかしてだけど。最近エックスのヤツお気に入りの服着てなかったりする?」
「え?なんで分かるの?」
「ああやっぱり」
「なんだ知ってるの?教えてくれない?」
ヴィクトリーは困ったように頬に手を当てる。言うべきか言わざるべきか。エックスはきっとその事を隠している。公平には知られたくないのだろう。そういうことをペラペラ話すのは友人としてどうだろうか。
自分を見上げる公平に目を落とす。エックスの様子がおかしいというだけで危険を承知で魔女の世界にやってきた人間。彼を手ぶらで返すのは可哀そうだ。それに、彼は信頼してもいい。きっとエックスが一番恐れている最悪の結果にはならないだろうと。
「一つ、約束して」
「え?うん」
「今から言う事を聞いても、エックスの事を嫌いにならないで」
「う、うん。いやなるわけないけど?」
ヴィクトリーは小さく笑った。きっと問題ないと分かっている。だけどそれでも彼の言葉に安心してしまう。
「エックスはさ。自分が人を殺しちゃったって悩んでるんだよ」
「え」
「勿論あの子が人間を殺すわけない。そんなことができる魔女じゃない。でもね。あの子が意図しなくてもあの子の身体で人間を殺すことはできるんだよ」
ウィッチはエックスとの戦闘の最中、強引に彼女を後ろから押し出した。無理やり呼び出した戦闘機隊をエックスの身体で破壊させ、彼女の心を傷つけるためにだ。
あの時、ヴィクトリーとエックスの心は魔法で繋がっていた。それ故あの場で何が起きたのか彼女は知っているのだ。
「あそこで助けに行けなかったのはアタシのせい。あそこで人間が死んだのはウィッチって魔女のせい。エックスは何にも悪くない。だけどあの子は優しくて、あれで繊細だから、きっと暫く引きずるだろうなって思ってたんだ」
公平は無言でヴィクトリーの話を聞いていた。知らなかった。そんな事があったなんて。
「と、まあ、そういう事。アタシはこれ以外知らないわ。けど多分これが原因じゃないかな」
「そっか。……ありがと」
公平まで暗くなってしまった。落ち込んで俯いている姿を見て、ヴィクトリーはばつが悪くなる。気持ちは分からないでもないのだが。
「まあ……せっかく来たんだしコーヒーでも飲んでいきなよ。今日はサービスしたげる」
「いや……今日は帰るよ」
そう言って公平は人間世界に戻る裂け目を開いた。何でもいいからエックスに声をかけてあげたかった。
その時ヴィクトリーの手が机を思い切り叩く。とんでもなく大きな音に驚いておそるおそる彼女を見上げた。明らかに不機嫌な顔だ。
「いや……これから予定が」
「このアタシが。人間相手にコーヒー淹れてやるって言ってんのよ?アタシったらなんて優しいのかしら。それなのに、飲まずに帰るって?ふうん。ずいぶんいい度胸してるじゃない」
どこが優しいんだ。コイツら優しいという言葉の意味を履き違えている。これは殆ど恫喝に近い。
空気が震えている気がする。この場から逃げ出したくなるが、逃げ出せば殺される気がした。公平は裂け目を閉じて「いただきます」と言った。それに対しヴィクトリーは笑顔になる。
「よろしい」
上機嫌で言った。
「少しゆっくりしていくといいわ。急いでいる時ほど少し落ち着いた方がいいのよ」
公平がエックスの部屋に帰ってきてすぐの事。それは最初に彼の目に映ったものだった。
「あ、おかえり」
お気に入りの、ワインレッドの服を着たエックスの姿
「あれ……それ……?」
聞いていた話と違う。エックスは不思議そうに公平を見下ろしていた。
次回でウィッチ編エピローグおしまいです。
更新頻度は落ちるでしょうけど次のエピソードも近いうちに投稿を開始します。