「魔女」の世界⑩
ウィッチの炎が迫りくる。公平は柄の先に装飾されているリングを引っ張った。連動して縫い付けられた鋼鉄の糸が引き抜かれ、ひび割れが解放される。直後、世界全体に響くような甲高い嗤い声を刃が発する。ひび割れの正体は敵を嘲笑う口。一瞬ウィッチの顔が歪んだ。
「いくぜ」
公平は風の魔法で空に上がった。相対するは巨大な炎の球。真っ直ぐに地獄の業火に近づいていく。少しずつ身体が熱くなっていく。喉が渇いていく。それでも前に進む。視界に映るそれが大きくなるほどに目を開けているのが辛くなる。それでも構わずに公平は業火の中に飛び込んだ。
次の瞬間、炎は完全にかき消される。服が少し燃えても、公平は健在であった。変わったことと言えば彼の持つ『刃』が銀色に発光しているくらいだ。その目は未だウィッチを見つめている。その身体は視線の先にいる標的目がけて進んでいた。
「ウィッチーッ!」
「嘘!?」
あり得ない。アレを受けた人間が生きていられるはずがない。本当なら今ので消し炭になって死んでいるはずなのに。その笑顔が一瞬引きつった。
「──っ!『ギラマ・ジ・ヒュラゴルト』!」
ビルより巨大な氷の矢をウィッチは放つ。公平は刃を氷に振るう。ぶつかりあった瞬間に、氷は魔力に変わって刃の口に吸収された。そしてウィッチは先ほどあったことを理解する。魔法は食べられていたのだ。銀色に輝く醜悪な『刃』に。
「『魔法』を食べる『魔法』……!?」
「そう!コイツは魔法という概念に定義された生態系の頂点!」
ウィッチというこの世界における最強の生物。着想はそこから得た。最強の形は一つではない。絶対的な捕食者の性質を持つ魔法。公平が見出した新しい最強の姿である。
「どうだ!お前そっくりだろ!」
「っ!だからなあにっと!」
ウィッチはなりふり構わず魔法を放つ。所詮人間の魔法。無限に食べ続けることは出来ないはずだと自分に言い聞かせ顔だけは余裕なふりをして。
だがウィッチは気が付いていない。この連続攻撃の裏にある本心は恐怖だ。自分の魔法を越える魔法。そんなものが目の前にあることが恐ろしく、必死に否定をしているのだ。
だがそれでも。『風』も『雷』も『炎』も『氷』も。その『刃』は全てを喰らいつくした。
「そんな……!」
「喰らった魔法の力を全部ぶつけてぶった斬ってやるよぉ!」
公平の持つ『刃』の嗤い声はどんどん大きくなる。一つ魔法を喰らうごとに輝きを増す。これを受けてはならない。受ければ──。
一瞬その未来を考えてしまった。ウィッチはその想像を振り払いニッと笑う。負けることだけは許されないのだ。まだ使っていない力がある。いかに魔法を喰らい進み続ける魔法だろうと、触れた瞬間磔にするこの魔法なら。
「『ハリツケライト』!」
杉本の魔法。公平はハッとした。巨大な杭が迫る。この『刃』であっても、喰らえばきっと磔にされる。
そう思った刹那、公平から見て右方向、遥か遠くから矢が放たれ、杭の側面に当たる。それにより杭は光を失い、代わりに矢を磔にした。この矢の形を公平は知っていた。誰が撃ったのか見なくても分かる。
「吾我……!」
「くっ……。死んでろよ鬱陶しいなあっ!」
ウィッチは狂ったように大量に杭を放った。だがそれら全てを公平に当たる前に吾我の矢が迎撃する。吾我は残された力全てで勝利への道を切り拓いた。
公平が『刃』を振りかぶった。魔法は『刃』に食べられる。物理攻撃をしたところで先に『刃』に当ってしまう。そうなればどうなるか分からない。ウィッチは後ろに下がり逃げようとする。
「あれ?」
だが、ほんの一瞬だけ、身体を動かせなかった。
「……これ」
その気配のする方に視線を向ける。ぜいぜいと息切れしながら、杉本が杭をウィッチに向かって投げた後だった。本家本元の最後の意地だった。
「っ!あの虫……」
杉本に意識を向けてしまった直後。『刃』がウィッチに振り下ろされた。一瞬遅れて腕でガードする。だが公平の一撃は、それすら突き抜けて、ウィッチの全身を切り裂いた。
血の雨が降った。地面に降りた公平を、ウィッチの血が濡らす。
見上げると上空でウィッチが悲鳴を上げ、必死に傷を押さえつけている。
「ああああ……!く、あ、『ゲアリア』!」
彼女の手が光を放ち、その傷を塞いだ。
「は、ははは。ははははは!どう?こんな傷簡単に治せるから!必死こいて色々頑張ってたけど残念でした!ぜーんぶ無駄に終わっちゃった!」
その笑い声を見上げていた。公平は可笑しくて仕方がなかった。笑いをこらえながら空にいるウィッチに大声で声をかける。
「無駄かどうかわからねえぞ!よぉーく耳をすまして、足元見てみろよ!」
「ははは……はあ?」
そして気が付いた。人間の悲鳴が聞こえる。魔力で聴力を強化する。彼らの逃げ回る足音すら聞こえてきた。本来ならば、自分に対する恐怖で身体を動かすことなんてできないはずなのに。自分の中から何かが失われた。喪失感がウィッチの心を支配していた。
一方で公平の心はすっきりしている。はっきり分かった。ウィッチの恐怖が消え去ったと。ようやく。あの笑顔を完全に崩すことができた。
本気の魔法を幾度となく破壊され、自身を傷つける一撃を受けてしまい、回復魔法を使わざるを得ない状況に追い込まれた。その結果恐怖の力が失われたのだとウィッチは理解できた。認めたくはないが認めるしかない。人間の一撃に、人間という種族が獲得した底力に、彼女は心のどこかで敗北を認めてしまったのだと。
「……だからなにさ」
ウィッチは地面に降りたつ。最早そこには恐怖で支配していた人間はいない。足元にいるのは公平だけだった。
「アタシに勝てそうなのはアンタだけ。アンタを殺していつかまた。アタシが絶対の存在になればいい」
最早公平の刃からは輝きは失われている。今の一撃で喰らい続けた力の全てを出し切ったという事だ。ここから先は一切魔法を使わず、殺せばそれでいい。ウィッチは公平の真上に足を上げた。公平を巨大な影が覆う。
「潰れろよ」
冷たく言い放つ。血に濡れた足が空になって公平目がけて振ってくる。それをただ見上げて一歩も動かない。動く必要なんてなかった。
ウィッチの身体が数百メートル後方に吹き飛ぶ。前方から何かが来た。苛立ちながら視線を上げる。
「あ……」
その視線の先で、エックスは弓を構えていた。既に杭の効果は消えた。足元にいた人間も逃げ去ったので自分が動けば彼らが死ぬということもなくなった。最早彼女を縛るものはない。しっかりとその緋色の瞳が怒りと共に自分を見つめている。ウィッチの背筋が凍った。慌てて空に逃げ出そうとするも身体が動かない。
「……これじゃ、まるで」
「蛇に睨まれた蛙かな?」
エックスの放つ威圧感がウィッチを押さえつけていた。
エックスは悠々と歩いてくる。公平を彼女の影が覆う。足元の小さな旦那を拾い上げた。その手の上で彼は妻に笑いかける。
「俺はもうすっきりした。疲れたから後は任せていいかな。勿論今戦っても俺が勝つけどな」
「ふふ。うん……ありがとう。ゴメンね、公平」
そう言ってエックスは公平に頬ずりした。最初から彼を頼っていればよかったのかもしれない。魔女の世界で戦っていた頃とは違って、今は一人ではないのは分かっていたのに。最初に力になってくれていた一番大事な人の協力を仰げなかったなんて。結局公平や他の人に頼りっぱなしだった。頬から離して肩に乗せる。
「さて」
空気が重くなったのをウィッチは感じた。エックスの敵意全部を受け止めてしまった。
「『未知なる一矢』」
淡々と呪文を唱え、弓を構える。弦をいっぱいに引いた。詠唱は更に続く。
「『完全開放』」
エックスの背に真っ白な羽が生える。肩の上から見上げるその表情は凛としていた。弓が緋色の光を放ち変形する。形を変え強化された弓の魔法。その神々しい姿全部が空間を歪めているような気がした。その威容が矢を放つ瞬間をウィッチは何もできずに見つめていた。
取り敢えず重たいところが終わったので更新頻度を週一以上に戻します。