「魔女」の世界⑨
ほんの少し、『杭』の使い手に意識を向けただけ。それだけで十分に効果がある。足元の二人への影響は多少薄れたようだが問題ない。魔法で恐怖を克服した人間よりも、魔女になる兆しがあるために他より恐怖への耐性がある人間よりも、容易く崩せるのが杉本であった。
「けどあのピカピカけっこー使えそー!なんだっけ。『ハリツケライト』?」
ウィッチは簡単に杉本の杭を再現する。彼女の魔法はこの世界における全ての魔法のルーツ。それ故吾我はウィッチの魔法が使えた。逆にウィッチは自分の魔法の派生形である全ての人間の魔法が使えるのだ。
ウィッチはエックスに向き直り言った。
「避けちゃダメだよー」
彼女に向けて杭を投げつける。避けることは出来なかった。逆らえば杉本を含める人々がどうなるか分からない。だがやられるつもりもないので、突き刺さる直前に杭を掴む。ウィッチはそれを無言で見つめていた。
「避けてないよ」
「ま、いーや!アンタに動かれたら面倒だからねー」
結果的に磔にされたことになる。ウィッチが使ったためか魔女であるエックスですら完全に動けなくなる。効果がいつ切れるか分からない。吾我たちを信じるほかない。
「次は……『ワーグイド』!」
魔法陣がウィッチの目の前に浮かび上がる。同時に吾我とミライの真上にも。その魔法陣に手を突っ込んだ。それに合わせて上空の魔法陣から二人を押しつぶさんとウィッチの手が降ってくる。『裂け目』に相当する魔法。二人は潰される刹那ギリギリで躱す。
「外れかあ」
二人は慌てて走り出す。魔法陣の範囲から逃れてしまえば問題はないはずだ。少しして上を見上げた。
「なんだと!?」
上空の魔法陣は無慈悲に二人を追跡していた。その範囲内には先ほどミライが吹き飛ばした人たちがいる。
「マズいです!」
遥か上空でウィッチは上機嫌である。
「ハイ次ぃー!」
再び魔法陣を通り抜けて降ってくる巨大な平手。ミライは跳びあがり迎え撃つ。
「『宝剣/鳥海』!」
彼女の魔法がウィッチの手をぶつかり合ってくい止める。
「吾我さん!頼みます!」
「……っ!すまない!」
ミライに従って吾我は地面に裂け目を開き、その場の人たちと一緒に落ちる。ビルの屋上に逃げた吾我はそこからミライを見下ろした。ウィッチの上機嫌な笑い声が聞こえる。魔法陣から伸びる手はミライを彼女の魔法ごと握りしめた。最初に魔法が砕ける音がして、いくつか骨の折れる音がして、少し遅れてミライの叫び声が内部で響く。魔法陣から手を引き抜く。ウィッチの顔の前で開かれた。
「はぁい。いらっしゃーい」
ウィッチの笑顔がミライの目に飛び込む。これだけ傷ついても、その眼はまだ負けを認めていない。
「生意気だなあ」
折れたミライの細い腕を指で押してみる。痛みに響く金切り声がウィッチには愉快だった。面白いので手の平の上で弄んでみる。
「ウィッチーっ!」
裂け目を開き、吾我が飛び出す。直後、彼の眼前に巨大な手の甲が衝突した。
「後でね」
ミライのいる手を握り、裏拳で吾我を殴り飛ばす。
エックスは動けなかった。ウィッチの杭の力はまだ消えていない。必死に身体に力を入れるも動けない。情けなくて涙が出てくる。人間を守るために戦うと決めたのにこのざまだ。
「ふふ。あーあ。今ので潰れちゃったかもー」
手を開く。さっきよりも折れた骨の数は増えているがそれでもミライは生きていた。最後の力を振り絞り、魔力で身体を強化したのである。だがそれも限界が近い。
「よかったよかった。まだ生きてんじゃーん」
ウィッチはミライを少し舐める。ミライの小さな身体が少し震えた。
「生きてる方が美味しいもんねー」
巨人の口が大きく開かれ、手のひらの獲物に迫る。
動け動けと必死に叫ぶ。心が絶望で罅割れそうだった。その暗闇の中でエックスは気付いた。思わず「うそだ」と声が漏れる。だってここに来られるはずがない。それなのにその気配を感じたのだ。
「『怒りの』」
ビルの中に吹き飛ばされ、身体中血まみれになっていながら、吾我はその気配に思わず笑ってしまった。「遅い」と誰にも聞こえない文句を言う。
「『剛腕』!」
鋼鉄の拳が、ウィッチの頬を殴りぬける。ミライはそれを見つめて微笑んだ。「遅いです」と小さく微笑む。同時に彼女の真下に裂け目が開く。自由落下のその先で、彼はミライを受け止めた。
「遅くなってごめん」
ミライは彼を見上げる。その腕はまだ震えていたけれど、それでもしっかりと受け止めてくれていた。ゆっくりと彼女を下ろしてウィッチを確かに見つめる。
「ワタシを前座にしたことは許しましょう。その代わり、絶対勝ってくださいね公平サン?」
ウィッチが空からその人間を見つめる。その姿は彼女にとっては信じがたいものだった。一度恐怖に負けた人間だったはずだ。それがどうしてまたここに立てるのか。不思議で、それ以上に不愉快であった。
「……誰かと思えば。アタシが恐くて倒れちゃった子かあ」
それでも表情は笑顔を保ち、口調は余裕なふりをする。公平はそれを鼻で笑った。
「記憶力のねえヤツだなあ。テメエに最初に一発入れた人間だよ俺は」
公平の態度に、ウィッチの笑顔が少しゆがんだ。
エックスは焦っていた。確かに公平は来てくれた。だがまだ『刃』を使って磔にされたエックスを助け出していない。本来ならば最優先するべきことを放棄している。考えられる理由は一つだ。
「……それじゃあダメだって言ったのに」
きっと自分の魔法を捨ててしまったのだ。ワールドのキャンバスだけで戦うつもりなのだろう。
「『バララ・ジ・メダヒード』!」
「『裁きの剣』!」
ウィッチの炎の魔法による連続攻撃を裁きの剣で切り裂きながら進んでいく。風の魔法で宙に浮き、宿敵に向かって駆け抜けていった。
炎の連撃を躱し、斬りつけ、目の前に迫る火球の影で裂け目を開く。その先はウィッチの背後。
「うらあっ!」
巨大化させた『裁きの剣』でその背を斬りつける。痕は残ったが傷にはなっていない。ウィッチは余裕の笑顔で公平に振り返る。その頑丈な身体に思わず舌打ちする。公平は裂け目を通り地面に降りた。同時に周りの人たちを魔法で離れた場所に移動させる。そして。敵の笑顔を見上げた。
「いつまでも笑ってんじゃねえぞ」
今の一撃は魔女の魔力で作った魔法だ。無傷であっても無痛ではないはず。その巨体から目を逸らさない。あの表情を必ず崩す。
一方のウィッチもはっきりと公平を視界に捕らえていた。彼の想定通り、今の一撃に確かな痛みを感じていた。頭の中で警鐘が響く。危険だ。この人間はここで殺さなくてはいけない。その表情と裏腹に余裕はなくなりつつあった。
恐怖のオーラが公平に向けられる。彼の心が恐怖が塗りつぶされていく。
「うぐ……っ」
思わず声が漏れ出た。片膝を落としてしまう。
ウィッチはわざとらしく音を立て、公平のすぐ目の前に降りる。彼に向かって足を前に出した。迫りくる足裏をキッと睨む。
踏みつぶす直前に足が止まった。『剛腕』が彼女の足を掴んでくい止めている。
「うあああああ!」
腕を振り回すのと連動して、『剛腕』はウィッチを投げ飛ばした。魔法で宙に留まり姿勢を整える。
「どういうこと?」
完全に恐怖で動けなくなっていたはず。磔の魔法なんかよりずっとずっと強い束縛だ。それなのに。どうして恐怖が消えたのか。ウィッチには理解できなかった。
理解が追い付いていないのはエックスも同様だった。キャンバスを捨てたのだと思っていた。だが先ほどウィッチに見つめられた時の様子。恐怖が抜け切ったようには見えない。だとしたら公平はどうしてここに立っていられるのか。
ウィッチの心に何か漠然とした焦りが込み上げてきた。大量の魔力を練り上げる。この魔法は人間相手には使いたくなかった。これはウィッチの本気の魔法。これを使うということは敵を対等の存在と認めたことと同義だ。これで殺せなければ自身の恐怖の力が薄れる。
どくんと。心臓が鳴った。「殺せなければ」そんなことを一瞬でも考えてしまった自分が理解できない。焦りはなおも大きくなり不安に変わっていく。それを振り切るかのように叫んだ。
「『ギラマ・ジ・メダヒード』!」
巨大は炎の魔法が今まさに放たれようとしている。公平の身体は震えていた。相手はエックスを焼いた魔法。怖くないわけがない。だが、だからこそ公平は笑ってみせた。ここで折れるわけにはいかない。あの魔法だけには何としても勝たなければならないのだから。左手を前にかざす。
「『最強の刃』」
公平の魔法が発動し、銀色の壁が現れる。
その魔法の発動でエックスはようやく確信する。彼は魔法を捨ててなどいない。ただ恐怖と戦い、打ち勝ち、そしてここに立っているだけだ。
公平は目の前の壁を見つめている。ここまでウィッチには『最強の刃』を見せずにいた。全てはこの瞬間の為。
この壁を通り抜ければ、ウィッチの炎をしのぐことができる。あの炎から生き延びるだけで多少彼女の恐怖を軽減できるはずだ。
「けどなあ」
それで納得するつもりはなかった。魔女は本来何も食べなくても生きていける。ウィッチは必要もないのに多くの人々を喰らったのだ。遊びで多くの人々を殺したのだ。かつては敵として戦い、時には同じ目的で共闘した者たちを傷つけたのだ。許せはしなかった。
「違う」
だがそんなことはどうでもいい。それ以上に許せない者がいるからだ。
「俺がエックスを泣かせた」
二度とエックスを泣かせないと誓ったのに。何より自分が、その弱さが許せなかった。何のために最強になると誓ったのか。自分で自分が情けなくて腹立たしい。エックスの涙を思い出すたびに怒りが湧く。それが恐怖を上回り、今ここに立っている。
公平は手を力強くゆっくりと握っていく。銀色の壁はそれに合わせて徐々に形を変えていく。
「『レベル3』!」
手が完全に握られ、壁は完全に新たな形になる。巨大で歪で、柄の少し上に入った大きなひび割れを、鋼鉄の糸で無茶苦茶に縫い付けられた銀色の『刃』。公平はその柄を右手で掴み、振り下ろす。刃が大きな音を立てて地面を割った。