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未知との出会い  作者: En
第二章
50/109

「魔女」の世界⑦

 身体が、震える。

 公平は全身を包む悪寒に目覚めた。これを公平は知っている。これはウィッチの恐怖だ。自分が恐怖に包まれている理由はすぐに分かった。エックスが、自分のキャンバスを返したのだ。それ以外にこの身体が再び恐怖に震える理由はない。


「ちくしょう……」


 絞り出すような声。戦う意思がないわけではない。だが身体も心も動くことを許してくれない。



 以前の攻防でエックスが人間を守っていることをウィッチは知っている。この世界に帰ってきたときに適当な大国の軍隊を動かせるようにしていた。恐らくエックスが邪魔しに来ることを想定して。タイミングを見計らい、魔法でここまで連れてきて、攻撃させたのである。


 エックスの身体のあちこちで小さな爆発が起こった。相変わらず痛みはなかった。傷一つつくことだってない。ウィッチにだってそんなことは分かっている。人間の兵器でエックスを倒そうなどとはもとより考えていない。その目的は彼女の心への攻撃。実際、ウィッチの策は彼女が考えている以上に有効であった。守るべき人間からの攻撃。かつて魔女の世界でもあったこと。その過去が残した心の傷が抉られていた。


 エックスもこの展開は想定していた。この世界の人間の絶対的な支配者たるウィッチであればこういう手段も取ってくるだろうと。そうなった時のことも考えてヴィクトリーに協力を頼んだのだ。二人がかりでならウィッチを魔女の世界に移動させ、逃がさないで無力化することもできた。だが今、ヴィクトリーはこちらには来られず、逆にエックスが抵抗できなくなっている。


「さあて、と」


 ウィッチは炎の魔法を右手に発動させている。エックスとウィッチを結ぶ直線の間には、戦闘機の隊列があった。


「ゴメンねー。アタシ真剣勝負の場に余計なゴミを呼んできちゃった。いま、掃除してあげる!」


 ウィッチが火球を放つ。エックスは反射的に跳びあがり、戦闘機たちを越えて回り込んだ。ウィッチの攻撃を背中で受け止め、最初に戦った時と同じように彼女の攻撃から人間を守る。彼らは逃げようとせずに同じ場所に留まっている。少しでも動けば自分の身体で戦闘機を破壊してしまう。足に力を入れて必死にエックスは耐えた。


 その時、背後から自分の首元を掴まれる。エックスは咄嗟視線を向ける。


「ほうら!優しいお姉さんが抱きしめてあげるってさ!」


 ウィッチはエックスの身体を掴んだまま、一気に前に踏み出す。前方には人間の軍隊。このまま進めば──。


「やめっ」


 言葉より先に、戦闘機たちはエックスの胸に、おなかに、身体中のあちこちと衝突して、爆ぜた。「あ」と声が漏れる。彼女のワインレッドの服にほんの少しの黒い跡だけが残る。対処のしようはあった。裂け目を開いてどこかに逃がすことだって、平時なら可能だったはずだ。それが出来ないくらい落ち着けていなかった。

 無力感や怒り、何より深い悲しみで感情があふれ出す。それは涙に変わって緋色の瞳から落ちた。


「あーあ。かわいそ。まあ弱っちいのが悪いんだけどねー」

「おまえ―っ!」

「きゃあ。こわあい。もっと気楽に楽しもうよって」


 ウィッチの進む先に巨大な魔法陣が出来ている。エックスごとそれを通り抜けた。どこかの街を見下ろす空。そこで後ろ首を掴む手が離れる。エックスは振り返り、涙は振り切って、矢を向ける。


「殺すっ!」

「その前に」


 ウィッチはあさっての方向に魔法を放った。ぎりっと歯を食いしばり、矢をウィッチの魔法に向けて放つ。街を狙う攻撃を撃墜するとウィッチに振り替える。だが、そこに彼女はいない。慌てて下方に目を向ける。既に彼女は地上にいた。


 そこは高層ビルの立ち並ぶどこかのオフィス街。既に地上は人で溢れていて、ウィッチの足元は赤く染まっている。建物や人に気を遣うことなく彼女はそこに聳え立っていた。


「ほら。おいでよ。決着つけるんでしょ?」


 エックスは目を閉じた。諦めて降りていく。ここに連れ込れては反撃できない。恐怖でこの街の人を操り、外を出させたのだ。これだけでエックスは彼女に攻撃することができなくなる。下手なことをすれば地上の人がもっともっと死んでしまう。


 彼女の片足がやっと入るくらいの広さの道に、ギリギリ地上に足をつけない程度まで降りて行った。ウィッチは頬を膨らませる。


「その上から目線気に入らなーい。ちゃーんと降りなよっ!」


 エックスは足元に視線を落とす。そこには大勢の人がまだいた。


「ほら。気にせず下りちゃいなって。こんなチビどもなんかに気を遣ってどうすんの?」


 ウィッチはこちらの心を傷つけるのを目的としている。空間の裂け目を開き、足元の彼らを安全に逃がして、それで済むだろうか。


「……ごめんね」


 エックスは彼らを風の魔法で吹き飛ばした。恐らく死ぬことはないけれど、身体中傷つけてしまっただろう。きゅっと心が締め付けられる。ケラケラ笑うウィッチを睨む。彼女の嗜虐心はこれで解消されただろうか。自分で作った足場に降り立つ。


「あーおっかし。アンタあんなに強いのにねー。ふふ。どうして遊ぼっかなー。チビどもにアナタの身体を登らせたりしてみよっかなー。あっ!そうだ!一匹でいいからさ。食べてみてよ!そうしたら今日は帰ってあげてもいいかも」


 エックスは少し悩んで、視線を落とす。足元から悲鳴が上がった。エックスは地面に手を下し、一人の女性を捕まえる。アリスのような見た目の彼女は巨大な指から逃れようと必死にもがいている。エックスは「ごめんね」とつぶやいて、口に放り投げ、コクリと飲み込んだ。


「……ほら。食べたよ」

「ふーん……。そんなんで騙されると思うわけ?」


 実際には飲み込んでいない。喉に裂け目を作って、嚥下した瞬間に外に逃がしただけ。これで騙されてくれればと思ったが考えが甘かったらしい。


「もういいや。アンタそこで人間が死んでいくのを見てなよ。面白い反応だったら帰ってあげる」


 そう言ってウィッチは足を上げた。


「やめ──」

「なーい」

 ウィッチの巨大な足がゆっくりと人々の上に落とされる。エックスはそこに視線を向けた。その時「それ」が目に飛び込んできた。新たな魔法の矢を構え、巨大な足に対峙する一人の男。


「『ガガガ・オレガアロー』!」


 放たれた矢は一瞬ウィッチの足を止めた。その瞬間に彼は裂け目を開いて、ウィッチの足が落ちる地点にいた人ごと適当なビルの屋上に逃げる。開かれた出口の方にエックスは視線を向ける。


「はあ……はあ……。ぎりぎり間に合ったか……」

「……吾我クン」


 エックスは思わずつぶやいた。止まったと思った涙がまた溢れてきた。


「へえビックリ。アタシのこと怖くないんだ。……けどお。これはどうかな?」


 ウィッチは吾我に意識を向ける。彼女の発する威圧感が吾我に襲い掛かる。汗が流れてきた。思わず息が乱れる。それでもその眼差しを睨み返した。ウィッチは怪訝な表情を見せる。


「吾我クン……。他のみんなは?」


 吾我は小さくかぶりを振った。


「俺だって、キングの力がなければここには立てなかった」


 吾我たちも例外なくウィッチの恐怖に飲み込まれていた。だがそれでも使命があった。キングは恐怖を無力化する魔法を開発していた。だが自分には使えなかった。使えばウィッチと対峙することになる。それが恐ろしくてたまらなくて、吾我にその役割を託すことしかできなかった。


 そんなことを吾我は言わない。ここにいる以上やるべきことをやるだけ。事情をあれこれ話すのはそのやるべきことではない。斧を構え、ウィッチと向かい合う。


「この世界の生き物がウィッチを倒せば、アイツの絶対性は崩れる!恐怖から解放されるはずだよ!」


 エックスは吾我に自分の考えを託す。吾我は苦笑いした。


「やってやるさ」


 そして、ビルから飛び出す。屋上から屋上へ裂け目を利用して跳んでいき、標的に迫る。


「ふうん。でもお」


 ウィッチは手近なビルを引っこ抜く。彼女の腰くらいの高さの建造物を軽々持ち上げた。


「一人でアタシに勝てるかなあ?」


 吾我に向かってビルを投げつけた。


「だれが一人と言った」


 その言葉と同時に、ウィッチが投げたビルに光の杭がいくつも打ち込まれる。完全に空間に固定され、吾我のすぐ目の前で硬直する。端を掴んで登ると斧を手に持ち、窓ガラスの道を駆け抜けていく。下を見ると中に人のいる様子はなかった。ウィッチの恐怖に支配され、みな外に飛び出したのだろう。自分自身がウィッチの恐怖に中てられたから分かる。斧を握る手に力が入った。スピードを上げ、射程距離に入る。


「喰らえ」


 ウィッチの顔を正面に見据えて、斧を投げ飛ばした。クルクルと回転しながら巨大化していき、その顔を切りつける。再び吾我は別のビルへの裂け目を通って離れた。


「一人だけいたんだよ。魔女に殺される恐怖と、魔女に友を殺される恐怖にずっと戦い続けた男が」


 ウィッチの顔は傷ついてはいない。だがその表情からは隠しきれない苛立ちが見える。彼女の視線の先には吾我ともう一人の男が立っていた。吾我はその肩を叩く。


「俺たちの新しい仲間さ。お前の恐怖なんか何でもないとさ」


 かつて公平と戦った少年。杉本優がそこに立っていた。


 魔法使いたちの奮闘を、エックスは見つめていた。戦いに参加できないのがもどかしい。だがウィッチはこちらから意識を離していない。最も、そして唯一警戒されているのは自分であり、少しでも動けば足元にいる人々が危険であると分かっていた。

 もどかしさの他にもう一つ。エックスの心を満たす感情がある。自分で来られないようにしたのだけれど。この場に公平が来ていないのが、どうしても寂しかった。自分でもズルいと分かっていて嫌になる。



「はあ、はあ」


 身体は動きたくないと言っている。心は戦えないと叫んでいる。ならばどうして自分はここにいるのだろう。


 公平はエックスの戦場から数キロ離れたところに来ていた。彼女はこちらには気づいていない。ここからでも巨大なエックスと、ウィッチの表情を見上げることができた。空中で静止しているビルも見える。公平の知る限りあんなことを出来るのは一人しかいない。


「……杉本優か?アイツここに来ているのか」


 同時にそのビルから放たれる巨大な斧。あれは分かる。吾我の斧だ。二人はどうにかしてこの恐怖を乗り越えて戦場に立っている。なのに自分はどうだ。


 公平はエックスの顔を見上げた。何があったのか公平には分からないが、酷く悲しい顔をしている。あそこまで届く道を開いて、今すぐ声をかけてあげたい。ここからだって大声を上げて彼女の名前を呼んであげたかった。


 だがそのいずれもできない。そんなことをすればウィッチに見つかるような気がして、それが恐くてたまらなかった。


 できることは一つだけ。震える足を無理やり引きずってほんの少しずつ前に進むことだけだ。身体は動きたくないと言っている。心は戦えないと叫んでいる。それでも前に進める理由を公平は目に焼き付けた。


 それだけやって出来ることがこの牛歩だけ。そのせいで大切な人に悲しい、辛い思いをさせている。自分でも最悪だと分かっていて嫌になる。

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