「勝利」の戦場②
魔女の攻撃を、公平は躱し続けた。魔女の眉がピクリと動く。振り上げた右足は公平には落ちてこずに、左足に並んだ。
「どうした……。疲れたか?」
「馬鹿を言うな」
魔女は公平を観察している。足元の男は、対峙から五分で疲労困憊の状態である。半分遊んでいるとはいえ既に五回は殺せているはずだ。が、この生き物は未だに生きている。ぜえぜえと醜く呼吸をしている。理由は分かっている。
「お前、少しずつ奪える魔力が増えているな」
「バレたか。はあ、このまま続けて、一発殴ってやるからな」
「無理だな」
一瞬、魔女の身体が光ったように感じた。今まで見たことのない現象。魔法を使い続けたことで、自分の眼に何らかの変化が起きているとして、魔女の身体に起きた事は何か。考えられるのは身体強化である。
目にもとまらぬ速さで、公平に向かって鎧に包まれた拳が叩き込まれる。土煙が立ち上がり、巨大な穴が開いた。そこに公平の身体はない。
「……何」
「身体強化は止めとけ。魔力が奪いやすくなったぞ」
何故なら公平は大きく飛び上がり、電柱の上に登っていたからである。
「どうやら、エックスが見込んだ人間なだけはあるようだな」
「当然だ。こんなところで終われるかよ」
魔女が電柱を殴りつける。魔力を再び奪い取り、公平は飛び上がって躱した。そのまま魔女の腕に降り立ち、走りだす。
「うおおおおお!」
魔力を奪い、身体を強化。奪い、強化。奪い。強化。繰り返し繰り返し、時に飛び上がり、時に腕をくるりと一周して、公平を叩き潰そうとする手を躱し続ける。やがて公平は、鋼鉄の鎧の右肩まで辿り着いた。思いっきり蹴り込み魔女の顔に向かって飛び上がる。
「くらええええええ!」
魔女は相変わらず涼しい顔をしていた。公平の身体から力が抜けていく。その瞬間、何をされたのかに気が付く。公平は魔女を殴る事ができた。魔力を奪われた、ただの人間の力で、だが。
「おめでとう。宣言通り私を殴れたな」
魔女はとうとう、公平を捕まえた。冷たい鉄に包まれた掌に載せられる。そう思ったら鎧の手の部分が消失し、柔らかい掌の上にいた。
「魔法の鎧か?」
「褒美に直接握りつぶしてやろう」
魔女の巨大な指が迫る。終われない。まだここでは終われない。まだ魔法が使えるほどの魔力は奪えていない。だがやらねばならない。出来なければ死ぬのだ。公平は手に直接触れた。魔力を奪うと、何度も何度も頭の中で唱える。死の淵に立たされたからか、より多くの、それでも魔法一回分の魔力が流れてくる。
「開けえええええ!」
手が握りしめられる。だがそこに、公平はいない。
「……ここまでとは」
魔女は足元の公平を見つめる。冷静を装いつつも、困惑していた。あの一瞬、魔力を奪わせる気は欠片も無かった。たった一度の移動の魔法も使えないはずだったのだ。故に息も絶え絶えの状態で、倒れ込んでいるその人間が気味悪く見えてくる。彼女は自分がここに来た意味が理解できた気がした。魔女の足が公平に向かって持ち上がった。
「だが、これで終わりだな」
こいつはここで殺しておかなくてはならない。生かしておけば絶対に、厄介な何かをしでかす。巨大な足が公平の頭上に構えられた。
公平はボロボロの身体で考えていた。何故さっき、たった一回分とはいえ普段以上に魔力を奪えたか。頭の中で唱えただけで何が変わるのか。エックスの言葉を思い出す。『大事なのはイメージだよイメージ』
なんだ、と公平は呟いた。簡単なことだったのだ。ただ強く、具体的なイメージを思い浮かべればいい。
公平がぼそりと何かを呟いた。それと同時に魔女の眼が見開かれ、その背筋が凍った。さっきまで魔法一回分の魔力を奪うのが精一杯だった男に、その何十倍もの魔力が奪われたからだ。公平は強くなった片手で、魔女の足を支えた。
「……よし。コツは掴んだぞ」
「何を……した?」
「決まってるだろ」
手を強く握り、魔女の鎧を指が貫く。そのまま力の限り引っ張った。100mの鎧を纏った巨体が倒れ、地面が揺れた。
「うあ……!」
「魔力を奪ったんだよ」
魔女が身体を起こし、片膝をついて公平を見下ろす。冷静な顔は消え、焦りが見えていた。
「虫けらの分際で……」
「俺の名前は公平だ!覚えとけ!虫けらは虫けらでもお前を転ばせた虫けらだぞ!」
魔女の顔がかあっと赤くなる。「黙れ!」と叫びながら公平を殴りつけた。が、魔力を大量に奪った公平は移動魔法であっさり躱して、彼女の膝の上に立った。
「お前の名前を聞かせてみろ。世界で初めて人間に負けた魔女として語り継いでやる」
「黙れ!」
魔女の手の平が公平に向かって振り下ろされる。彼女が膝を叩いた時、すでに公平は消えていた。鎧の魔女に向けて右腕を突き出す。今なら、何でもできる気がした。
「魔力を奪う!」
公平がさっきやったのは単純で簡単なこと。より強いイメージを持つために、ただその行為を言葉にしただけだ。それだけで、魔力を奪おうと漠然と見えない何かを引っ張ろうとしていた時以上の力になった。もはや対象に触れる必要もない。集めた魔力を右手に送る。やるべきことを、ただやるのだ。
「開け」
思えばこの呪文も同じこと。魔力を魔法に変えるために必要な具体的なイメージを形作るために唱えているだけだ。魔法が発動し、公平の身体が落ちていく。右手が描く軌跡が空間に裂け目を作った。彼女がどこにいるのか、公平には分からない。それでも必ず、彼女へ続く道は開くと信じた。彼女の笑顔は何より簡単にイメージできるからだ。だから、公平が切り開いた道の向こうに彼女の笑顔が在るイメージも言葉にするまでもなく構築できた。地面につくと同時に、裂け目が開いて穴になる。その向こうに、ずっと会いたかった彼女がいる。
「公平」
ああ、と声が漏れる。会えなかったのはたったの一週間だ。それが永遠に感じられるほど長く感じたのは、人生初めてだったと思う。自然と涙が零れた。それは、エックスも同じであった。
「早かったね。正直一ヶ月はかかると思ってたよ」
「冗談言うなよ」
公平は天を指さす。自分の答えはもう出ていた。
「エックスを助ける事くらい速攻でやってやるさ。何故なら、俺は世界最強の魔法使いになる男だからな」
エックスを絶対に悲しませない強さを手に入れる。即ち、誰にも負けない世界最強の魔法使いになる。それが公平が出した答えだった。
「世界……」
「…最強?」
二人の魔女が困惑気味に言う。対して、エックスは大笑いした。
「アハハハ!世界最強とは大きく出たね。フフッ、そんなこと、君ひとりで出来るのかな」
「当然だ。まあ?手伝ってくれる人がいれば?もっと確実になると思うけど?」
「……うん。じゃあ、手伝ってあげないとね」
エックスが一歩前に出る。外の世界、公平のいる世界に向かって歩いていく。
「待ちなさい。そんなこと許さない」
穴の向こうにいる魔女が構える。エックスは顔だけ向けて言い放つ。
「ワールドは出たければ出てもいいと言っていた。で、今出ようと思った。問題はないでしょ?」
「関係ない。ナイトを行かせたのは私。この道を開いてしまった責任は私にある」
「そう。でも、ボクももう決めちゃったんだ」
エックスは構わずに進んでいく。
「例え傷ついても、ボクは公平と一緒にいるんだって」
魔女は黙ってその言葉を聞いていた。やがて、構えていた腕を下げていく。
「ナイト」
「……はい」
「帰ってきていいよ。この子どうしたって止まりそうもないし、その人間も思っていたより強い、というか強くなっちゃったし」
「……いいえ!それでは私はこの人間から逃げたことになります!それだけはできません!」
鎧の魔女が立ち上がる。公平を見下ろして言った。
「私はナイト。お前を殺す魔女の名だ。覚えておけ」
彼女の魔力がその右手に集まっていく。ナイトは手を掲げて叫んだ。
「裁きの剣!」
巨大な魔法の剣が生成され、ナイトの手に収まる。バチバチと弾ける音がした。強い魔法だと公平はすぐに理解した。
「関係ないね」
だからこそ公平はこれを打ち破らなければならないのだ。何故なら──。
「俺は、決めたんだ」
公平は右手を前に突き出し、次の瞬間のイメージを浮かべる。魔法を魔力に戻すイメージ。その魔力を自分の魔法に変えて攻撃するイメージ。その先の、エックスの笑った顔を。ナイトが踏み込み、公平に切りかかる。
剣は公平の手の平のすぐ目の前で止まった。魔力に還元する力と、公平を切ろうとする力とがぶつかって、反発する。だが、それも一瞬であった。ナイトの腕は一気に下まで振り下ろされる。当然のことだ。
刃が消失したのだから。
はっと顔を上げたとき、公平はすでに攻撃の用意を完了していた。
「──裁きの剣」
公平の掲げられた腕の先、その魔法はナイトに刃を向けて、虚空に浮いている。公平の意思ひとつで、彼女を襲う。
「くたばれえ!」
公平が腕を振り下ろす。流星のような輝きを連れて、刃はナイトめがけて走った。
「くっ!」
腕を胸元で交差させ防御の構えを取り、同時に魔力への還元を開始する。自分がされたことをやり返すだけ。それだけでいいのだ。負けるはずがないと、必死に自分を冷静にさせた。大丈夫大丈夫と、何度も頭の中で繰り返す。
言葉にならない叫びが、公平の口から溢れ出した。刃と腕が連動しているようで、強い力のせいで振りぬくことができず、刃はちょうどナイトの鎧にぶつかっていた。ビリビリと手のひらが痛い。全身が軋み、悲鳴を上げる。最初に奪った魔力で身体を強くしていてもこれだけ痛い。それでも、公平は止まらない。
「俺は、もう決めたんだよ!」
その誓いが公平を動かし続ける。その足を支える。その腕に力を与える。その魂を燃え上がらせる。腕が、振り抜かれた。
ぎゅっと、ナイトは目を閉じていた。鎧は溶けた。剣は僅かに揺らぐ事もなかった。つまり、自分では公平には勝てないと、ナイトは悟ってしまったのだ。
「ナイト?ナイトォ?」
どこかでヴィクトリーの声がした。申し訳がなかった。最初に遊んでいたがために人間に倒されたのだから。
「目ぇ開けなさい!」
そういえば、何時まで経っても裁きの剣が当たらない。ナイトは恐る恐る目を開けた。まず視線の先に、ヴィクトリーが見えた。公平が開けた時空の穴の奥で、少し怒ったような表情でこちらを見ている。地面に視線を落とすと公平が倒れている。腕を振りぬいた勢いのままに転んでしまったような格好だ。
「体力の限界超えてぶっ倒れたのよ。まあ最初に散々やられてたし、当然といえば当然だけど。って事で最後まで立ってて、今も元気なアナタの勝ち」
「まあ、しょうがない。十分ボクの期待以上の頑張りだったよ」
「……勝ち?私の?」
公平を拾い上げようとするエックスにヴィクトリーが待ったをかけた。
「だから、ナイトの勝ちだって言ってんでしょ!そいつ渡しなさい!」
「何でだよ!そんな話してないじゃんか!」
わいわいと騒ぎ立てる二人の魔女。それに対してナイトは抑えきれずに叫んだ。
「私は!私は勝っていません!経過はともかく、最後は完全に……」
「私はその最後の結果だけを見て評価した。さっきも言ったけど、最後に倒れているのはそこの人間で、最後に立っていたのはあなた。事実はこれだけでしょ」
「しかし、しかし……」
ナイトがエックスを見る。さっと公平を胸元に隠した。「絶対あげないから」
ナイトは、自分がどうしたいのかが分からなかった。勝ったのは事実だろう。確かに彼女は勝ったのだ。しかし、何かが納得いかなかった。俯いて、何だか悲しくなった。
「ふざ……けるな」
ナイトが顔を上げる。公平は、エックスの手の中から這い出てきた。
「まだ終わってない……。今なら俺の方が強いんだ。絶対、絶対!」
エックスが呆れ顔で公平を見つめる。軽く押さえつけるだけで、少しも動けなくなるくらい弱っているのにまだ戦う気でいる。
「ばかだなあ。本当に」
エックスが優しく笑う。その姿を見てナイトの心が急にすっきりした。もやもやしていた想いの正体が分かった気がした。スタスタと歩き出し、ヴィクトリーのいる穴の向こうに歩いていく。エックスとのすれ違いざまにナイトは言った。
「今日はお前の勝ちだ。公平。だが、次は私が勝つ」
そうして、ナイトは自分の世界に帰り、穴は閉じられた。公平はふつふつと沸いてくる怒りを感じた。
「俺の、勝ちだとぉ……?ふざけんなぁ!一人だけすっきりしたような顔しやがってえ!ああ。痛い痛い痛い……」
エックスはハハハと笑った。いとおしげに、手の中のそれに触れる。彼女も一つ誓った。必ず、彼を世界最強の魔法使いに導くことを。公平は色々と納得いかなかったが、エックスの笑顔と笑い声に、全部がどうでもよくなって、つられて笑った。
「申し訳ありません。ヴィクトリー」
「いいよ別に。アレがあそこまでになるなんて想定してなかったし。……だからこそあそこで駆除しておくべきだったかもしれないけどね」
「……そうですね。そのとおりです」
「悔しかったんだ?」
ナイトが顔を上げた。ヴィクトリーは少し怒った顔である。
「謝ることはないって。私とあなたの間に上下関係はないし、好きにしていいのに」
ナイトは目を背ける。その通りだ。結局、人間の世界を襲うのもこれも、ただのお遊びだ。長い時間を、退屈と惰性の中で生きるだけの一人の魔女が、ヴィクトリーという魔女に仕える真似事をしてみたいと思って、それを演じている。それだけのことだ。
「けど面白いなあ。あの人間、まだ強くなる。そういう意味では、次はないかもね。ナイト?」
分かっている。公平と次に戦うことがあれば、多分負ける。そんな気がするのだ。
「なので、次は私が出ます」
「え」
ナイトはその言葉に面食らった。ヴィクトリーがフフフと笑っている。
「これはもう『狩り』じゃない。久しぶりに楽しめそうな『戦い』じゃない。五人の魔女同士で戦うことなんかないし退屈してたんだあ私」
五人の魔女の一人、ヴィクトリー。彼女もまた永遠に続く退屈の中で娯楽に飢えた魔女である。