「勝利」の戦場①
「ふうん。裏切り者を入れておく牢屋にしては綺麗じゃないか」
「勿論です。あなたは特別な魔女ですから」
エックスはワールドを無言で睨む。ワールドは微笑みながら牢を開けた。中は掃除され、一通りの家具がある。
「どおぞ」
エックスはそれに従い、牢の中に入っていく。奥まで進んでいったのを確認して、ワールドは鍵を閉めた。
「当然、出たければ出ても構いません。その牢屋は物理的には壊せないけど、魔法は使い放題だもの」
笑いながら言うワールドを見つめ、エックスはスタスタと彼女に近づいていく。そして牢の鉄棒を握った。
「出ていいんだね」
思い切り力を込めた。鉄格子がゆっくりとゆっくりとくの字に曲がっていく。ワールドは唖然としている。魔力を用いた身体強化の技術が向上しているのだ。エックスは息切れしながら言う。
「その気になれば簡単に出られるさ。けどボクはここにいる。必ず助けが来るからね」
「……そうですか。ではその時を楽しみにしています」
そう言ってワールドは去っていく。その姿を牢屋の中から見送った。
「待ってるよ。公平」
公平は家でチャーハンを作っていた。ご飯を炊いて卵を炒めて混ぜてチャーハンの素を入れるだけで出来る簡単なモノだ。誰が作っても同じように出来る。このチャーハンの素は例のイオンで買ったものだ。皿に盛りつけた完成品を作業的に口に運びつつテレビを点ける。画面の奥では先日の惨劇が報道されていた。チャンネルはどこを回しても同じことをやっている。ショッキングな映像が流れますなんて注意書きをしながら、ワールドがイオンを踏みつぶしていた。よく分からない肩書の専門家たちから『迎撃』・『和解』・『降伏』とああだこうだ言っている。その対象はワールドだけではないのだろうと何となく分かった。
「どっか違う事やれよな」
誰にも聞こえない軽口でも吐かずにはいられなかった。
負けた。完全に負けた。その結果がテレビの向こうに映る惨状だ。どうごまかそうと揺るがない現実であった。ここで人が死んだ。瓦礫にのまれて死んだ。巨人に潰されて死んだ。一週間前に起こった現実だった。どれもが絶望的な最期で想像するだけで心の奥が痛くなる。
エックスはワールドに連れて行かれた。どこに行ったかも分からない。魔法が使えない公平では救う事も出来ない。どうして魔力を使えないのか。この魔法は何のためにあるのか。自分の無力が嫌になる。
目的もなく外に出た。どうせ大学は休みだ。行くあてもなく、それでいてイオンからは離れるように公平は歩いていく。こんな時でも働いている人がいる。走っている車の中のスーツの男性。モスバーガーで接客している女の子。彼らは今どんな想いで働いているのだろう。公平には分からなかった。
歩いて、歩いて、何となく目に入ったコンビニに入る。ここでもちゃんと店員がいて、店として機能していた。よくよく見れば店員は見知った顔だ。友人の田中である。公平の姿を見ると露骨に嫌そうな顔をして挨拶してきた。
「らっしゃい」
「お前マジか。すげえな。こんな時に」
愛想が悪いのは置いておく。何故なら公平は田中という男をいたく尊敬したからである。知り合いはみんな傷ついていて、精神的に潰れているのではないかと思っていた。きっと自分がそうだからだ。田中は自分の思っていた以上の男である。
「いやだってヒマだったし。誰も来ないっていうからじゃあ行きまーすって」
「まあ誰も来ないだろうね。また巨人が来るかもしれないし」
「おかげで今日超ヒマだぜ。誰も来ないし店員俺だけだからマンガ読んでても誰にも怒られねえの」
彼の手には確かに漫画雑誌があった。よりにもよっていかがわしい本である。
「お前は最低だと思う」
さっきまでの尊敬は宇宙のかなたに飛んで行った。何を考えているのかこの男は。
「いいんだよ。どうせ客なんか来ねえんだ」
「いるだろここに」
「オマエは客じゃないと思う事にした」
公平は愕然とした。どうして一瞬でも尊敬していたのか分からない。あの過去をなかったことにしてほしい。それくらいの屈辱である。ある種のカルチャーショックを受けて何も言えず立ち尽くす公平を見て、田中は本を広げながら言った。
「だってお前何も買わないじゃん。なんでそんなのを客だと思わなきゃいけないんだ」
「なっ……!」
田中の言う事は概ね正しい。公平は何かの目的を持ってコンビニに入ったのではない。何かを買う気はない。トイレを借りる気すらない。細かい経緯は分からないだろうが、ともかく落ち込んでいてなんとなく入っただけなのは間違いないしそれをしっかり見抜かれていた。ロクデナシだが鋭い男である。少し見直したが尊敬はしない。それはそれとして今の発言の中に一つ間違っている部分がある。公平はツカツカ歩いてサケのおにぎりを手に取り、レジに置いた。
「これで俺は客だ。今すぐそのエロ本を閉じろ」
「イヤな客だね。お前」
公平は、サケのおにぎりを食べながら家に帰っていく。一緒にお茶も買っておけば良かったと思った。次の交差点を右に行けば家に着くがまっすぐ行けば小枝というスーパーがある。エックスとの待ち合わせに使っていた店だ。公平の足は自然とまっすぐ前に進んでいた。
店内にはやはり人はいない。小枝の女店長が一人でレジに立っている。公平はニヤニヤしながら彼女に近づいた。店長は露骨に嫌な顔で迎えた。
「なんでみんなして俺の顔を見るとそういう顔をするんだ!俺は客だぞ!」
「君は出禁だと言っただろ。帰れ帰れ」
しっしっ、と言いながら手で追い払うそぶりを見せる。公平はカッとなってペットボトルのウーロン茶を取ってレジに乱暴に置く。
「俺は客だ。コイツをよこせ」
「はいはい。108円ね」
バーコードを読み取り、公平に投げつけてくる。公平は無言で受け取り110円を渡した。
「ありがとうございましたー」
「お釣りをよこせよ!」
田中はまだマシだったのではないかと思われる接客態度である。バイトではなく店長のくせにコレだ。ネットに書き込んで悪い噂を流して店を潰してやりたいくらいだ。
「俺が何したっていうんだ。出禁になるようなことは何もしてないぞ」
「えっちゃんがいるとお客さん一杯来るからね。君が来ない方がうちにとっては都合がいいんだ」
「えっちゃんて」
エックスも随分好かれたものだと感心する。一体何が原因が思い起こす──。
「そのえっちゃん連れてきたのは俺だろうがっ!」
「いや、もちろん君には感謝してるよ。それはそれ。これはこれ」
「そんなことしてたらマジで潰れるぞ。悪い噂なんか今の時代簡単に広まるんだぞ」
「最大の商売敵が物理的に潰れちゃったしね。まあ大丈夫でしょ」
そう言われて公平は押し黙ってしまう。別に忘れていたわけではないが、忘れたいとは思っていたからだ。
「ああ、ごめんごめん。嫌な事言っちゃったね」
「いや……。というかよくこんな時に店開けたな。客なんて来ないだろ」
「んー?まあ……君と同じだよ」
「同じ?」
公平は聞き返す。店長は少し俯いていた。
「忘れられないけど、出来る事なら忘れたいから店を開けたんだ。何かやっていれば気も紛れると思って。けど、駄目だね」
誰もいない店内を見回して彼女は言った。その視線を公平も追う。誰もいない事が、あの出来事を忘れさせないのだ。
「はい、お釣り」
「ん、ああ」
伸ばした手には110円が置かれている。枚数以外何もあっていない。
「ちょっとは気が紛れたよ。ありがとう。これはお礼だ」
「や、けど」
「出禁のキミは客じゃない。そんな君には物は売れない。だからお金も受け取れない。そのお茶はただのプレゼント」
公平は無言で握ったペットボトルを見つめた。蓋をあけて一気に飲み干す。
「もう返さねえぞ」
「というかもう返すな」
その時大きな音が外で聞こえた。公平は外に出る。見た事のない、鎧を着こんだ魔女がいた。その姿が目に飛び込んでくる。胸が高鳴り自然と笑みがこぼれる。待ち望んだ瞬間がついに訪れた。
「やっと来たか。おせえよ」
「嘘嘘。また?逃げないと」
「そうだな。アンタは逃げなよ」
言いながら公平は魔女に向かって歩き出す。店長が慌てて公平の腕をつかんだ。
「いやいや、君も逃げるんだよ!」
「俺は戦う」
「馬鹿か君は!死ぬぞ!」
その言葉が却って公平の心を動かす。そういえばエックスに何度も「ばかっ」って怒られたな。もう一度怒られたいな。公平は無理やり店長の腕を振りほどいた。
「俺は馬鹿なんだ」
そう言って公平は走り出した。後ろから店長の声が聞こえるが、振り向かない。今やるべきことはそんな事ではない。やるべきことは分かっている。
魔女に向かって走りながら公平は叫んだ。
「お前の目的は俺だろ!ここにいるぞ!来てやったぞ!」
魔女は冷たく公平を見下ろす。
「逃げずによく出て来たな。褒めてやる」
公平は必死に息を整える。二回深呼吸して落ち着いてから、魔女を睨んだ。
「逃げる?冗談言うなよ。ようやくチャンスが来たってのに」
その言葉に魔女が訝しんだ。
「どうしたって魔力が欲しいんだよね。で、今目の前には都合よく魔力を持ったてめえがいる。逃げる理由がどこにある」
魔女の足が持ち上がる。公平に向けて構えられる。
「なら死ね」
公平は魔力を奪うイメージを浮かべた。強く、強く。生き残るために。僅かな魔力が両足に力を送る。
「やああっ!」
強くなった身体で、鋼鉄をまとった巨大な足を躱す。酷く息切れしているのはさっきまで走っていたからではない。ワールドに握りしめられた痛みが頭によぎる。これは紙一重で生きている現実への安堵と、すぐ傍にあった死への恐怖のせいだ。どれだけ蛮勇を奮おうとも、身体や心を全部誤魔化すことは出来ない。それでもやらねばならない。
「やるな。虫けら。そら次だ」
「くっ!」
魔女にとっては簡単な作業である。ただ足を持ち上げて、足元の公平に振り下ろすだけ。命がけで必死の形相で走る公平に対して、魔女は涼しい表情である。それでも魔女を見上げた。その顔、その涼しい表情。必ず歪めてやる。
「あら。本当に牢屋へし曲げちゃったんだ」
眠っていたエックスの耳に明るい声が聞こえてくる。その主を知っていた。顔だけ向けて声をかける。その向こうには金髪ツインテールの魔女が腕組して立っていた
「やあ。久しぶりヴィクトリー。悪いけどアレを返してくれないかな」
「いや」
そう言ってヴィクトリーは空間を繋いで椅子を取り出し、牢屋の前に座った。金色の瞳が妖しく光った、ように見えた。
「その代りいいもの見せたげる」
「いいもの?」
「向こうにナイトが行ったのよ」
ヴィクトリーは魔法で映像を投影する。そこには鎧姿の魔女と交戦する公平の姿があった。
「へえ」
「あらら。思ったより軽いリアクション」
「今のボクにはどうしようもない。公平を信じるしかないさ」
「ナイトに勝てるわけないでしょ」
「……どうかな」
本当は助けに行きたかった。公平には攻撃の余裕なんてまるでなかった。何度も何度も振り下ろされる巨大な足に弄ばれて、辛うじて生きているだけだ。ナイトが本気になればもう死んでいるだろうと思った。
「ワールドのウソツキ。ボクが帰ってきたらあっちに手を出さないんじゃなかったのか」
「ナイトに命令したのは私。ワールドは関係ないわ」
「けどワールドから大体の話は聞いていたんだろう。じゃなきゃ人間一人殺すのにあの子が出ていくもんか」
「まあね。けどしょうがないじゃない。普通の魔女ならやっつけちゃいそうな人間なんて放置できません。逆にこっちに攻撃してくるかもしれないしね。これは害虫駆除よ」
公平をただ見守る事しかできない事が悲しかった。好き勝手言われている事が悔しかった。それでもエックスは公平の勝利を信じていた。だから、ただ見つめる。誰かに祈ったりせず、ただ信じた。