魔女の「世界」⑮
あとがきを追加しました。(2020/3/15)
次回の話に入れても良かったのですが、今回の話に入れたほうが良さそうだったので。
更新したばかりの話を更新してすみません。
「こんにちは」
暗闇の向こうから現れたのは中学生には見えない女性だった。
「どうしたんですか。そんな物騒なものを持って」
ぼんやりとした柔らかい雰囲気。武器を構えているこっちがバカみたいだ。
「アンタ……教師か?」
「はい。昨年から教員になりました。朝倉美緒と申します。英語を教えています」
違和感があった。普通すぎる。この状況下では普通であることは異常だ。仲間のために命を賭けて戦うものがいた。悪意に取りつかれ、力をふるうものもいた。彼女は今のところどちらでもない。そこらの道であいさつしているようだった。
それにもう一つ。恰好が教師らしくない。真っ赤なドレスに同じく真っ赤なハイヒール。ワールドが駒扱いしていたにしては綺麗な服装である。
「……朝倉サン。確認したいんだが」
吾我が弓を構えたまま言う。
「はい。なんでしょうか」
朝倉は笑顔で答えた。
「アンタの学校の生徒とさっきまで一緒にいた。白川って子だ。彼女やけにアンタに怯えていたよ。一体何をしたんだ」
「うーん。何でしょう。みんなには優しくしていたつもりなんですが」
口元に手を当て、何事かを思い出すようなポーズで返答する。
「……一応僕たちは貴女を助けに来たつもりでいる。一緒に元の世界に帰りたいんだが」
「ああ。それは困ります。ワールドさんを裏切ることになりますから」
わけが分からない。ワールドは彼女を含めて多くの人間を攫って行ったのだ。裏切るという行為が成立する関係性ではないはずだ。
彼女の反応の全てが不安を煽る。何か悪い予感がする。
「お前……」
公平はいつの間にか声を上げていた。
「初対面の人にお前なんて」
朝倉は少し不愉快そうである。
「うるさい!お前は一体何を……」
「目的なんて決まっています。蹂躙です。殺戮です。世界を全部ぐちゃぐちゃにして、私は自由になるんです」
戦う理由はこれだけでいい。公平は剣を握りなおす。分からないことだらけだが、敵であることは間違いないから。そんな思いが朝倉にも伝播したのだろうか。彼女は笑顔で口を開く。
「さあ。そろそろ始めましょうか。とは言っても私とあなた方では勝負にならないので」
朝倉は両手を開いて前に出す。
「今から十数えます。その間に出来る限り逃げていいですよ。特別サービスです。でも、戦う意思を見せたらこちらも反撃させていただきます」
いーち、にーと朝倉は数えだす。それに合わせて一本一本指を倒していく。
「行きましょう」ミライは言う。
「もちろん」ジャックの槌を握る手に力がこもる。
五人は同時に駆けだした。
「ろーく、なーな」
朝倉は目を瞑りながらカウントを続ける。隙だらけの今この瞬間に倒してしまえばいい。
「『魔剣/雷』!」
ミライが先に、距離を詰める。刀がもう一息で当たる。その刹那、朝倉は目を開いた。
「戦うんですね?」
直後、朝倉の姿が消えた。同時に公平たちを深く暗い影が包む。空気が変わった。公平のよく知っている、圧倒的な強者の気配。咄嗟に上を見上げる。さっき見たハイヒールがそこに広がっていた。
「ではさようなら。……あ、ハイヒールなので、運がよければ助かるかもしれませんね」
当然のようにそれは落ちてきた。大きな音を立てて、それは地面を踏みしめる。巨大な足だけがそこに残った。
「……おや?」
「はああああああ!」
公平は彼女の身体を駆けのぼる。すぐ隣にはミライが付いてきている。二人はほぼ同時に朝倉の眼前に至り、魔法を唱える。
「『裁きの剣』!」
「『秘剣/天龍』!」
巨大な剣と炎の龍。躱すそぶりはなく、攻撃は命中した。だが。
「……はっ!」
「くっ!」
「ははははは!やっぱりこの程度!所詮虫けらですね!」
彼女の平手が迫る。公平は反射的に魔法を唱える。
「『怒りの剛腕』!」
下から付きあがる巨大な鉄の腕が朝倉と公平たちの間に割って入る。公平とミライは同時に剛腕を蹴り後ろに跳ぶ。朝倉の手は『剛腕』を破壊した。二人は地面に降り、彼女を見上げる。どう崩すか。
「……何が起きた」
吾我が後ろからやってくる。公平は朝倉が巨大化したのに気づいた瞬間、地面に裂け目を開き全員を逃がしたのだ。巨体から目を離さずに答える。
「見てわかるだろ。アイツは魔女になったんだ」
「アレでも有効打にならないとは。なかなか頑丈ですね」
「待て」
「どうするかなあ。ミライだっけ、アンタいい作戦あるかい」
「うーん、今のところないです。けど大丈夫です。私もう一人魔女を倒してますから」
「待て」
「まあ頑張るしかないな。やるだけやろう」
「そうですね」
「待てと言ってるんだ!」
公平もミライも、無言になった。朝倉から視線を離さず、耳だけそちらに向ける。
「この場にエックスがいない以上撤退するしかない。これは想定外の事態だ。魔女相手に勝ち目はない」
公平はそれに答えず走り出す。朝倉に向かってただ前へ。
「『勝利の鎧』!」
彼の腕に連動し、黄金の鎧が朝倉に殴り掛かる。朝倉は笑いながらそれを受け止めて投げ飛ばす。公平はそれを予期したように脚に魔力を送り、朝倉の傍に走っていく。
「何故だ……。何故戦う」
「私には、公平さんの戦う理由は分かりません」
公平の攻撃は通らず、公平の身体は軽く腕を振るっただけで吹き飛ばされる。戦いになってすらいない。
「私にも戦う理由があります。それはきっと誰かに理解してもらえるものじゃない。だから言いません。勝手に戦うだけです」
そして、ミライはほんの少しだけ。吾我に視線を向けた。
「邪魔だけはしないでくださいね」
そして彼女も駆けだしていく。死地に飛び込んでいく。
吾我はただ見送るだけだった。思わず地面を殴りつけていた。
「人間を魔女にしたんだな!?」
エックスはおそらくワールドの魔法の力で公平たちと別れた空間にいる。それでも、彼女はその力を感じた。突然現れた未知の魔女の気配。思えば、ワールドは最後の一人だけは特別に扱っている態度だった。他の人間とは違う。対等に近い存在として。判断材料は揃っていた。エックスの緋色の瞳は、ワールドの蒼い目を見つめていた。
「ええ。ええ。正直私も想定外でした。あの世界に、魔女になれる人間がいたなんて」
「ふざけんなっ!」
炎の矢を放ち、牽制する。ワールドは難なく槍で弾いた。
「そんな事許されていいはずがない。その子の人生が滅茶苦茶になるぞ!」
「ええ。貴女と同じことをしました」
その瞬間、背筋が凍った。ずっと思っていたことではあった。魔法使いは見た目で言えば人間と何も変わらない。それでも人間を超えた力を手に入れてしまう。普通の人間ではないのだ。そして、自分は公平を命がけの戦いに巻き込んでしまった。彼の人生はとっくに壊れている。
思考に一瞬身体を固まった。そこでワールドは槍を地面に突き立て、持ち手を中心に回転し、エックスを蹴る。
「うあっ!」
蹴り飛ばされたエックスは床に倒れこむ。立ち上がる力が出ないのはダメージのせいではない。
「いずれ人間は魔法使いに、そして魔女に進化するでしょう。私も貴女も、そのスピードを速めただけです。あの世界を発見したアクアには感謝ですね。魔女が増える可能性を示したのは喜ばしいことです」
「……どうして槍で直接攻撃しなかった。それで止めを刺せただろう」
「貴女は私と同じ魔女。30人にも満たない僅かな仲間です。そしてすぐに貴女を殺す理由は消失する。ですから、これくらいにしました」
殺す理由。消失する。公平がいなくなれば、そう思っているのだろう。
「おや」
エックスはようやく立ち上がることができた。自分が情けない。もう決めたじゃないか。
「キミの言う通りさ。ボクは公平を魔法使いにして、自分の戦いに利用した。やっていることはキミと何も変わらないよ」
真っ直ぐにワールドを見つめる。公平がエックスのために戦い続けることを決めたあの時に彼女もまた決めている。公平を守る。公平が望む、世界最強の魔法使いになるまで導くと。
「……貴女のお気に入りはもうすぐ死にます。もう戦う理由は──」
「どうかな。公平は一人でも負けない。そこに更に4人いるんだ。きっと誰一人欠けることなく勝つよ」
朝倉美緒
ずっとやめようと思っていた。大学を出て、一年勉強して、ようやく叶えた教師の夢はすぐに苦痛になった。
溢れるような業務に溺れた。部活動の顧問を押し付けられて、お金にならない残業もした。寝る時間もあまり取れず、休みもなく。それだけやっても新米教師の自分にはうまくいかないことばかりだった。一年目はまだ何とかなった。先輩の先生が付いてくれたから。今年は全然だ。受け持ったクラスの授業では毎日誰かが騒いでいる。最初は注意していたけど、効果はなかった。いつの間にか私は黒板に向かって授業をしている。
彼女が現れたのはそんな毎日の中。後ろから聞こえてくる騒ぎ声を無視して、私は黒板にあれこれ書いている。どうせ誰も聞いていない。授業なんかやめてラクガキしていたってバレないんじゃないか。なんて思っていた時だ。後ろのざわめきが消えた。振り返ると、そこに彼女はいた。教室の真ん中机の上に立つ、蒼い瞳の女性。その机に座る男の子が困惑気に言う。
「誰?」
至極まっとうな疑問。彼女は視線を落とし、彼に向ける。空気が冷たい。誰も声を上げない。時間が止まったみたいだ。
女性は机から飛び降りるとツカツカと歩いてきた。私の横に立って突き飛ばしてくる。軽く押されただけだというのに、私は簡単に倒されてしまう。やけに力が強い。教卓の前に立つ彼女は教室の中を見回す。
私は動けなかった。怖い。この人は一体何なんだろう。生徒も困惑と恐怖の表情である。お調子者の男子もマドンナ的な女子も誰も何も言えない。
廊下への出口に一番近い二つの席。そのうち教卓から一番遠くに座る女の子。私の授業もちゃんと聞いてくれた田宮さん。言葉を選ばずに言えば、暗い性格の彼女が、きっと精いっぱいの勇気で立ち上がって、扉に手をかけた。
「たす──」
声が終わるより早く。今この教室を支配している女は駆け抜けていき、田宮さんの後ろに立った。そして彼女を思い切り蹴り飛ばす。扉ごと廊下に吹き飛んで行った。響く悲鳴を無視して女は廊下に出て行く。そして、血だらけになって動かない田宮さんを教室の中に投げてきた。窓にぶつかり、窓際の子の机の上に落ちた。
「うるさいな」
女はそう言って近くにいた男の子を捕まえた。坂上という子だ。必死に逃げ出そうとする彼は柔道部だったはず。中学生でも体が大きく力も強い。女はそんな坂上くんを涼しい顔で捕まえ、抑え込んでいる。
「静かに」
そう言うと女は坂上くんの右腕を引き抜いた。彼の叫びが響く。女は舌打ちして、左腕に手をかけた。そこで私は目を閉じた。耳もふさいだ。口も堅く閉ざした。顔に何かがかかっても何も見ない。僅かに聞こえてくる悲鳴が小さくなっていっても知らないふりをした。私は何も言わない。うるさくしない。だから助けて。
「先生!先生!」
誰かが私の身体を揺らす。うるさい。都合のいいときだけ、先生呼ばわりしないで。
「こんなもんか」
誰かが私の首を掴んで持ち上げる。きっとあの女だ。次は私の番なのかと思った。そう思っていた時身体に何か温かい力が流れてきた。それを感じた時彼女は命じた。
「私の言う通りに、魔法を使え」
従う事しかできなかった。彼女の言ったとおりに言葉を出し、彼女の言うとおりに手を動かす。それが終わると急に解放された。さっきまで首を絞められたせいで何度もせき込んでしまう。落ち着いてから恐る恐る目を開けると、そこは巨大な部屋だった。もう訳が分からない。周りには私たち以外にも校内の先生・生徒が全員揃っていた。とにかく、分かったことはあの女の人はここにはいないってこと。安心したせいか、私の意識は遠くなっていく。
地獄の終わりの後に待っていたのは次の地獄だった。あの女はワールドという巨大な魔女。彼女は私たちを、人間を殺す道具、魔法使いに育てるのが目的だと言った。彼女の望む成長ができなければ罰が与えられる。運が悪ければ何もしてなくても罰を受ける。どうやら殺されはしないようだが、精神的には殺してくれた方が余程マシな仕打ちを受ける、らしかった。私は一度も罰を受けたことがない。どうやら私には魔法の才能があるようで、幸いワールドの目に付いたこともない。それでもワールドに立ち向かえるわけもない。街を、人を、壊し殺すワールドの道具になる運命は何も変わっていない。なのに私の心はどこか穏やかだった。
そんなある日。その日のワールドはどこか不機嫌であった。普段より苦しい特訓。同僚だった国語の男性教師が倒れてしまった。優しく、生徒にも人気のあった人だ。けど魔法使いとしての出来は悪い方だったので、ワールドの折檻の常連であった。
「使えない。……はあ、一人か二人なら問題ないかな」
ゾッとしたのは、彼女と目が合ったからだ。
よりによってどうして今日?普段なら殺されないけれど、今日は何かが違う気がする。彼女は元凶の男を手に取った。そして次に、私に向かってその手が伸びてくる。嫌だ。嫌だ。だって今日まで頑張ってきた。彼女の要求を裏切ったことはなかった。なのに、あんなしょうもないカスのせいで私まで?嫌だ。嫌嫌嫌。
「いやぁあああ!」
悲鳴と一緒に私の身体は光に包まれる。ワールドの手が止まった。
「これ、は」
彼女は私を手に取り、放り投げた。離れていく。私がさっきまでいた机の上から。落ちていく。嫌。まだ死にたくない!
「いたい!」
思い切り床にお尻を打ち付ける。痛い。けど、不思議だ。私は生きている。恐る恐る目を開けると、私と同じ背丈になったワールドがいた。思わず小さく悲鳴を上げる。
「……そんな、まさか魔女になれる人間がいたなんて」
「……へ?」
周りを見る。巨大な部屋が小さくなって、私にもちょうどいいサイズになっていた。もう一つ不審な点。どうして私は裸なんだろう。……いいや。私はどこかで答えにたどり着いている。部屋やワールドが縮んだんじゃない。ワールドが伸ばした手を取り立ち上がる。机の上には、多くの小人たちが。
突然ワールドが抱きしめてきた。
「ああ……。今日はなんてすばらしい日。千年以上かかってついに、魔女が増えた!」
ワールドが離れる。その目は普段見たこともない優しいものだった。
「今この瞬間より私は貴女の味方です。けど……これまでの仕打ちに思うところもあるでしょう。殺したいと思われても仕方ありません。ですので」
ワールドは手を大きく広げた。そして言い放つ。
「貴女の全力で殺してくださいな。今この時点では不可能でしょうが、少しでも気を晴らしてくださいな」
私の腰のあたり。机の上から感じる期待の気配。私は、少し考えて言った。
「それよりも……殺す代わりに一つお願いを聞いてもらえませんか」
「ええ。どうぞ」
ワールドの笑顔に、私も笑顔で返す。
「貴女の手の中にいるソレ。私にください」
「あら。こんなものでいいのかしら」
小人たちにとっては異様な光景だろう。ワールドから逃げ出すことも言わず、さっきまで一緒にいた同僚が消しゴムの貸し借りでもするみたいに受け渡しされているのだ。
「アナタのせいで私はとても恐い想いをしました。──だから、罰を与えないと」
手の上の小人が怯えた表情で私の顔を見上げる。心が躍る。私はゆっくり、ゆっくりと手を閉じていった。小さな小さな悲鳴が手の中に包まれて聞こえなくなっていく。ほんのわずかな震えを感じ取る。
「どうしたんですか先生?力なんて入れてませんよ?」
無意識に笑みがこぼれる。そのままに私は卓上の小人に目を向けた。彼らの恐怖は今、私にも向けられている。
「ねえワールド?これ、今日から私も管理してもいいかしら」
「え……。うーん、どうしようかな」
「大丈夫よ」
私はワールドに顔を向ける。
「私一人いれば。人間の世界なんて簡単に蹂躙できるじゃない?」
それを聞いたワールドは一瞬目を丸くした。けどすぐにほほ笑む。
「ええ。そうね。貴女だけで十分。残りはどうでもいいですね」
小人たちの絶望を感じる。ああ面白い。そしてこれから、もっともっと面白いことが待っているのだ。だから手の中の小人は死ぬほど怖がらせるくらいで許してあげよう。今すごく晴れやかな気分なのだ。これから全部壊せる。気に入らない物・人・場所。何もかも全部。こんなにも私は自由になれたのだ。
「ああ。教師になって良かった」
初めて、心の底からそう言えた瞬間だった。