魔女の「世界」⑫
「……そういうことか」
エックスの声が頭の中で聞こえた。杉本の言葉の意味は分かった。奥歯を強く噛み締める。悔しいが分かったところで現時点ではどうにもならない。だが諦めるつもりもなかった。そんな公平の頭の中で、別の声がする。
『なら仕方ない。その10人だけ救助することにしよう』
それは吾我の声だった。
「ふざけんな!」
頭の中で会話しているのに思わず声に出てしまう。杉本の動きが一瞬止まった。公平は慌てて距離をとる。
『他にも何か手が』
『あるなら今言え。作戦会議をしながら戦わせてくれるほどお前の相手は弱いのか』
言葉に詰まる。そんな余裕のある相手ではない。あらゆる面で優秀な魔法使いである。レベル2のおかげで攻撃は受けなくなった。だがこれはいつまでも使っていられるほど消耗の少ない魔法ではない。
『けど、けど……』
『……キング。お前はどう思う』
吾我は彼の仲間に尋ねる。一拍おいて、彼の声がした。
『僕は、コウヘイに賛成したい』
『え?』意外な言葉であった。てっきり全員の
『と、言っても何か策があるわけじゃない。だけど何も考えずに思考停止するのもよくないさ。各々30分だけ考えよう。それだけ考えて何も思い浮かばないなら諦める』
30分とは相当長くないだろうか。そんなに考えながら、相手を倒すことなく生き延びていられる自信はあまりなかった。公平は杉本の事を思い出す。仲間のために必死に戦う姿。どうにかして助け出してあげたかった。
『分かった』公平は答えた。
『やるだけやってみるか』ジャックの声がする。後は、吾我だけ。
少し時間をおいて、『仕方ない』という声が聞こえてきた。安堵の笑みが思わず零れる。
公平はレベル2を解除した。長期戦になる以上、消費の激しい魔法は使えない。裁きの剣を発動させ、構える。
「行くぞ」公平は自分を奮い立たせるように呟いた。
エックスが目を開ける。ワールドは水の魔法で手を洗っていた。彼女に殺された子供たちの痕跡はあっさりと消えてなくなる。
「作戦会議は終わった?」
「ああ。みんな頑張るってさ」
「そう。なら私も状況を確認しようかな。……あら」
ワールドがにっこり笑ってエックスを見る。嫌な予感がする。
「よかったですねエックス。少なくとも9人は生き残れそうですよ」
「どういうことかな」
必死に冷静なふりをして聞いた。そんな様子も見抜かれている気がした。
「貴女の連れてきた人間ですが、一匹死んだそうです」
「っ!?」
エックスはもう一度仲間に声を送る。
『みんな無事だよね?ねえ!?』
一人の声が返ってこない。それが誰か分かってしまった。
「眼鏡の男の首を切断したそうですよ」
ワールドの声が耳に入ってくる。
「キングくん……」
呟いた言葉は、仲間にも頭の中で共有されていた。
「死んだ……?嘘だろ。だってまだ5分も経ってないだろ……」
絶望感で胸が一杯になる。奥歯を噛み締め、何とか戦意を保つ。エックスの魔法により全員は心の声を届けあうことができる。公平は吾我に言った。
『吾我……こうなったらここを脱出してワールド本人を倒そう。それしかない』
『他に手はあるはずだ。30分考えろ』
『だってもう一人死んだんだぞ!?』
脱出する手段はある。現時点でワールドに勝てるかどうかは分からない。だがエックスと一緒なら或いは……。必死に杉本の攻撃を避けながら一つの答えだけを深堀していく。そしていつしか公平はその答えに固執していた。
『アイツは30分考えろと言った。だから考えろ』
『俺の答えはもう出ている!』
『ならその答えが本当に正しいのか残りの時間全部使って考えろ』
『はあ!?』
これ以上の議論は無駄だと思った。元より自分の生存を優先する吾我とは考えが合わなかった。始めから一人でもやれるだけのことをやるつもりで来たのだ。公平は裁きの剣を握りしめ、この世界からの脱出の準備を始める。
『刺し違えてでもワールドを倒す……!』
『ワールドに挑むのは自由だ。もしかしたら勝てるかもしれない。……ワールドと戦えるならな』
『何わけわからねえことを……!』
『残りの72人はまだ人質にされているんだぞ』
『あ……』
人質。頭の中でその言葉が反響する。一瞬動きが止まった瞬間、杉本は『杭』を握った手を公平の顔目がけて突き出してくる。咄嗟にそれを躱した。一瞬反応が遅れれば貫かれていた。彼を蹴り飛ばし距離を取る。杉本は既に相当のダメージを受けている。これだけで十分時間が稼げた。
『エックスの話を忘れたのか。ワールドはいつでも彼らを殺せるんだ。戦いになる前に人質を盾にされる。それでもお前は戦えるのか』
『それは……』
それは出来ない。それができるのならばもとより30分も時間をかけて作戦考えようなんて案には乗らない。吾我は正しい。始めから現状では勝ち目がなかったのだ。
『時間を無駄に使うな』
公平にはもうどうしたらいいのか分からなかった。必死に次の手を考える。残りの時間は20分前後。それが過ぎてしまえば、吾我はきっと相手を殺してしまうだろうと思えた。
『公平』エックスの声が聞こえる。
『公平。もう少し、考えよう。きっと何かいい手がある。最後まで諦めちゃだめだ』
公平には『ああ』と返事をするのが精いっぱいだった。
隣の檻の中からみんなが消えた。さっきまで励ましあっていた美咲も優愛も消えた。次は自分たちの番だろうか。同じ檻に閉じ込められた緑が声を出して泣いている。彼女を励ます自分も、涙が止まらない。
「僕はみんなを死なせない」
戦いに赴いたのは杉本優の言葉を思い出す。体の小さい、どちらかと言えば気の弱くていじめられていて、そんな自分を変えたくて柔道部に入った優しい男の子だった。学校でも目立たない彼だったが、ここに来て初めて魔法の才能があることを知った。そして、そのせいで彼は今も苦しんでいる。
「お前の担当はこの8人。死なせたくないなら死ぬ気で強くなることです」
遥か高みから聞こえる巨人の声が杉本に言った。檻の中に閉じ込められた遥たちの姿。それを見た彼は震えていた。どんな思いで戦いの中に身を投じたのだろうか。
たとえ今、生き残れたとしても、次は故郷の世界を攻撃しなくてはならない。─お母さんもお父さんもおばあちゃんもおじいちゃんも、殺さなくてはならない。そんな事はしたくない。したくないけど、そうしなければ殺される。あの巨人に潰される。どうしてこんなことになったのだろう。誰か、助けて。
──構造把握開始──。誰かの声が聞こえた。同時に突然知らない男の人が姿を現す。
「ああ。僕のことは気にしなくていい。夢か幻だと思ってくれ」
眼鏡をかけた外人さんが言った。
『お前はどう思う』
吾我はこんな事聞いてこない。彼はリーダー。必要なことは全部自分で判断し、決定し、指示を出す。だからこれは意見を求めたのではない。裏にある本当の言葉は『お前に任せる』だ。ワールドに聞かれる可能性も考慮して遠回しな言い方をしたのだろう。
キングはそれに対し答えた。『30分考えよう』と。即ち『30分時間をくれ』という意味だった。魔法で自分を暗闇で包んだ。ぼんやり明るいままでは逃げにくいからだ。次にダミーの身体を用意し、倒させた。その後戦っていた空間を抜け出す。魔法開発のスペシャリストである彼は他人の魔法の構造を把握する能力にも長けている。魔法で作られた空間を抜け出すことは時間さえかければ容易いことである。暗闇の中に身を隠していたこともあって、見つからずに作業ができた。
外側は巨大な屋敷であった。まずは魔法のキャンバスを探す。捕まっている人の位置をとらえることができる。数十のキャンバスが、一つの空間に固まって存在している。恐らくはここにいる。念のため光学迷彩を魔法で再現し、姿を隠して移動した。部屋に入ると思った通り。部屋の中の机の上には人間が閉じ込められた檻が9個と空っぽの檻が1個あった。ここまでで20分使ってしまった。残り10分で救助を行う。
キングは一つの檻を握る。薄々分かってはいたが、この檻は魔法だ。ちょっとやそっとじゃ破壊はできない。ならば。「構造把握開始」同時に迷彩を解除する。見つかったところで問題はない。それより作業に意識と魔力を集中させたかった。
中の子たちは戸惑っているだろうな。キングはそう思い声をかけた。
「僕のことは気にしなくていい。夢か幻だと思ってくれ」
残りの時間は7分。それまでで檻の構造を完全に把握できた。別の檻にも触れて簡単にチェックする。同じ構造だ。これなら纏めて破壊できる。
「問題もあるにはあるが──仕方がないな」
残り4分。新たな魔法を作り出す。『ワールドの檻を破壊するためだけの』魔法だ。
残り3分。9つの檻に対し魔法を発動させる。「『ブレイクロック』」容易く檻は崩壊し消滅する。
歓声を無視して空間の裂け目を開く。行先はエックスの部屋。残りは2分。
「この向こうに行くんだ。どっちにしろ巨人の部屋だけど、この部屋の主は優しい子だから大丈夫」
彼らは巨人の部屋ということで少し戸惑いの表情を浮かべた。それでも行くしかなかった。どこにいても地獄なら、目の前にいる助けに来てくれたこの人を信じたい。理由はもう一つ。この部屋の扉を開けて銀髪の魔女が現れたのだ。
全員が逃げ終えたのを確認し裂け目を閉じる。魔女が近づいてきているがまだやるべきことがある。残りは一分。戦えずにいる吾我たちにエックスの魔法を通じて連絡する。『うまくいったよ。後は思う存分戦え』
キングの声が聞こえた。眼前に迫る『杭』を『刃』で縦に両断する。杉本の苛立った表情対して公平は笑顔である。
「アイツ……」
「……なんだよ。大人しくくたばる気になったのかよ」
「いいや。なんか、君の友達助かったってさ」
「デタラメを言うな!」
『杭』が無数に杉本の周囲に展開される。
「……俺は信じるよ。仲間のつもりはないけど、目的は同じだからさ」
杉本に向かって走り出す。レベル1・レベル2、どちらの『刃』も発動させている時間がない。だからそれらは使わない。ここまでの攻防で『杭』の攻略法は掴んでいるから問題はない。
「いけえ!」
『杭』が放たれる。
「『炎の雨』!」
おおよそ同じ数の炎の矢を公平も放つ。
──本来なら『炎の雨』では『杭』には勝てない。魔法の強さ・格が違う。使用者がエックスなら話は変わるだろうが、公平では正面からぶつかれば押し負けてしまう。
だから、正面から戦わない。これまでの戦いで見極めた『杭』の性質。重要なのは二つ。破壊力があるのは先端だけ。そしてもう一つ。『杭』はどこに触れようとも対象を磔にし、力を失うということ。
「え……?」
杉本はその光景から目を離せなかった。炎の矢たちは『杭』の側面にぶつかった。それにより『杭』は矢を固定させて消えていく。
ともすれば幻想的なその光景に一瞬、本当に一瞬だけ杉本の心を奪われた。そしてハッとして視線を前に戻す。公平がいない。咄嗟に探知を開始する。
「あ──」
後ろにいる。
「どりゃあ!」
魔力で強化されたパンチだ。受ければ当然気絶する。杉本は2メートルくらい吹っ飛んで、沈黙した。
「悪いな、こうでもしないと止まらないだろお前」