「未知」との時間⑩
「いい天気!でもちょっと暑いね!」
「夏だからなあ」
一晩寝たら昨夜のことなど忘れてしまってご機嫌のエックスである。公平と一緒にバスを待っていた。中断してしまったあの日のデートを出来る限りやり直したいと思った。
午前中に買い物を済ませ、お昼ごはんを食べて、あとは映画でも見に行こう。公平はそんな風に考えている。
時刻表を見る限りではあと五分でバスがやってくる。今日は誰にも邪魔されず、楽しみたかった。のに、電話が鳴った。
「吾我……?」
嫌な予感がする。彼から電話があるときは大体呼びつけられる時だ。
「公平?出なくていいの?」
「ん。ああ。そうだね」
通話ボタンを押す。本当は出たくない。
「もしもし?」
「俺だ」
「誰だ」
名前を名乗らないなんて失礼な奴だ。公平はわざと意地悪してみせる。
「……吾我だ。ちょっと今日会えないか。できればエックスも一緒に」
「ごめん。今日は忙しいんだ。明日にしてくれ」
「時間がないんだ。魔女の世界に行く日は近づいている」
「……言いたくねえけどさあ、いい加減にしろよ毎日毎日。急ぎの要件なら一回で済ませておけよ。今日は忙しいの」
「できれば俺の仲間には聞かれたくない話だ。だから……」
「ああもうわかったよ。じゃあいつものところで昼に。じゃあな」
そう言って公平は電話を切った。ちょうどバスが来る。
「さあ行こうか」
「え。いいの」
「いいのいいの。後で謝っておくさ」
「それで何でここにいるんだ……」
「適当なこと言っていると思ったからだな」
吾我は駅にいた。まるで自分たちを待ち伏せているように。こちらの魔力の動きを追ってきたのだろう。厄介な男だ。
「悪いが付き合ってくれ。時間がない」
吾我がエックスに言う。公平は無視してエックスの手を取り吾我の横を通り抜けた。
「それはこっちも一緒だ。明日にしろ」
そう言い残して公平は二人分の切符を買いに券売機に向かう。そんな彼をエックスが引き留めた。
「ね、ねえ?ちょっとくらいならいいんじゃないかな。吾我クンの話を聞いてもさ」
「……うう」
公平は振り返り吾我の方に向かって歩いていく。
「エックスがいいっていうから。聞いてやる」
吾我はふうと息を吐き、エックスに「ありがとう」と言った。
市内中心にあるこの駅には多くの飲食店がある。吾我はその中の一つの喫茶店に入った。喫茶店と言っても簡易的なもので駅の構内との仕切りはない。
「何か頼むか」吾我がメニューを見せてくる。
「頼まない。早く要件を言え」
「ボクはアイスと……あったかいコーヒーにしようかな。お店の中涼しいし」
「じゃあ俺も同じの。吾我はどうする?」
「お前は一体何なんだ」
注文を終えて、公平は周囲を見回す。夏休みということもあり大勢の人がいる。まだ午前中だというのに喫茶店の中にもいくつかのグループがいた。こっちの話を聞かれてしまう気がした。
「こんなとこでいいのかよ。聞かれたらマズい話じゃないの」
「別に。聞かれたところで本気にする奴なんかいやしないよ」
吾我はエックスを見つめた。エックスは駅の構内をきょろきょろ見回している。
「エックス。貴女に聞きたいことがある」
「え?はい。なんでしょう」
「なぜ、貴女は俺たちの味方をしようと思った」
「はあ?」
公平は困惑した。もしかしたら聞いていなかったのだろうか。元々は五人の魔女に取られたキャンバスを取り返すのに都合がいいから人間の味方をしているのだ。
吾我は公平には構わず更に続ける。
「キャンバスを取られたのはいつだ」
エックスが小さな声で答えた。
「せんねんくらいまえかな……」
「千年。それだけの時間、魔法を取り返すために何もしなかった。何で急に取り返す気になったんだ」
「そ、それはアレだよ。キャンバスを持っている人間がいないと戦えないからで」
「間抜け」
「まっ……!」
絶句する公平に吾我は更に捲し立てる。
「いいか。彼女ほ魔法を使えない状態で、自分の家に閉じこもっていたんだぞ。魔法も使えないのにどうやってこの世界に来た?」
「あ!」
今まで、気が付かなかった。吾我が残念なものを見る目をした。
「魔法を使える協力者がいるに決まっているだろ。その気になれば魔法を取り返すためにいつでも戦えたはずなんだ」
公平は右隣に座るエックスに視線を向ける。彼女は黙って俯いていた。公平も何も言えない。そのまま無言の時が流れる。店員がアイスクリームとコーヒーを運んでくるまでそのままであった。
「いやけどそんなのどうでも」
「よくない」
吾我が公平の言葉を遮る。「俺は99%彼女を信用している。同時に1%信じ切ることのできない部分がある。それが埋められなければ一緒に戦うことができない」
「一緒に戦おうって言いだしたのはてめえだろうが」
「この際協力者のことはいいから、何故急に魔法を取り返そうと思い、人間の味方をしようと思ったのかは聞かせてほしい」
公平に構わず質問を続ける。徹底して無視をし始める吾我にい加減腹が立ってきた。
「会話をしろよ!」
「公平。ありがとう」
エックスの声に公平の言葉が止まる。彼女は観念したように顔を上げていた。
「ごめん。ちょっと言い出しにくかっただけなんだ。けど、もう大丈夫だから」
「エックス……」
彼女はまっすぐと吾我の目を見つめる。そしてエックスは口を開いた。
「ボクが魔法を取り返そうと思ったのも、この世界を守ろうと思ったのもどっちも同じ理由が根底にある。確かに吾我クンの言う通り協力してくれた魔女はいる。というかボクが協力しているんだ。彼女がこの世界を助けたかったみたいだからね。……それで、ボクが手伝おうと思ったのは魔女と戦おうと思ったのは……」
公平が小さく唾を飲み込む。コーヒーの湯気が静かに揺れていた。周囲の音が一瞬亡くなったみたいに静かになって、エックスは続けた。
「助けたいと思ったから。そういう気分になったからだ」
「……あ?」
「……うん?」
ふうとエックスは息をつく。何やら満足げだ。吾我は目を閉じ顔に手を当てる。公平はぼうとしている。頭がフリーズしたかのようだった。そんな二人のように気づきエックスは顔を真っ赤にしてつづけた。
「そ、そういう気分になったから……」
「待て待て待て待て」
吾我がエックスの言葉を制し、続ける。
「気分でこっちの味方しているのか?気分しだいで裏切るってことか?」
「そ、そういう意味じゃないよ!ボクは公平と結婚してるんだから!公平を裏切るようなことはしません!」
「エックス……!」
ちょっと嬉しい公平である。一方の吾我はとうとう我慢の限界が来たらしい。
「気分でこっちの味方してるんだったらそういう意味だろ!」
「うう……公平助けて」
公平は唖然とした。今初めて聞いた事実だというのに何を話せと言うのか。それでも、公平は断れない。エックスの目を見たら、そんな選択肢は頭から消えてしまう。「ちょっと待って」
公平は頭をフル回転させた。考えろ考えろ。何でもいいから筋を通せ。エックスの今までの発言。目的。さっき話した事。記憶の海から引き出して、体裁を整える。──よし。色々とツッコミ所はあるが一応説明がついた。公平は咳払いをして口をひら──。
「お前は黙ってろ!」
それだけで公平は何も言えなくなった。数秒してから「まだ何も言ってない」と反論したが、吾我は構わず捲し立てる。
「お前何も知らないんだろ。そんな奴がこの場で何を言えるんだ?勢いで考えた矛盾だらけの口から出まかせの嘘八百がせいぜいだ。そんなもん聞いても時間の無駄だ。黙ってろ」
開いた口が塞がらない。ここまで的確に正確に発言を潰されては何も言えない。
しばらく硬直した後「参りました」と頭を下げた。
「ま、負けていいのか!世界最強になるんじゃないのか!?」
「いや……これは魔法使いの強さとは何も関係ないし……」
「ううううう!」
バンッと机が叩かれる。吾我の鋭い視線がエックスを貫いた。店員や客すら一瞬こっちを見た。
「答えろ。今のじゃ全然納得いかん。なんかあるだろ」
「うううう!ないよそんなのっ!」
エックスは立ち上がって叫んだ。まだ熱いコーヒーを手に取り一気に飲み干す。流石エックス。涼しい顔で飲み干してしまった。
「これ以上言えることはないよ!だってホントのことしか言ってないもん!それにボクは公平の奥さんなんだから、この世界はちゃんと守るって決めたんだ!そ、それで信じてくれないならもう良いよ!」
エックスは、少し震えて言った。怒っていて、それでいて悲しそうで。公平はいたたまれなくなった。
「なあ吾我……」
「もうわかった」
そう言って彼は一万円札を置いて立ち上がった。そして公平の目を見る。
「大変だな」
「は?」
そして吾我はすたすたと店を出て行った。
「なんだアイツ。訳分かんねえ事言いやがって」
エックスは無言である。心なしか、どこか落ち込んでいるようにも見えた。それが何だか苦しかった。
公平は一切口を付けられぬまま置いて行かれてすっかり冷めた吾我のコーヒーを手に取り一気に飲み干す。カップをテーブルに叩きつけ、吾我の置いて行った一万円札を乱暴に掴む。
そのままレジに直行した。
「これ忘れ物です」
「あ。ありがとうございます」
「ざまあみろ。アイツの置いて行った金なんか誰が使うか」
「……ごめん」
謝るなよ。公平はそう言いたかった。だけどそれを声に出す事は出来なかった。最後に吾我が言ったことの意味もそれを受けてエックス何を思っているかも、何とかなくだが分かったから。
だから代わりにエックスの隣に座って言った。
「ほら、アイス食べようよ。急がないと全部溶けちゃう」
公平はそういって溶け始めているアイスを食べていく。エックスは小さく笑ってスプーンを手に取った。