「未知」との時間⑥
吾我に呼びつけられて公平は大学近くの喫茶店に来ていた。右隣でエックスがメニューを見ながら目を輝かせている。
その吾我は公平の左隣の通路側に座っていた。
「いや何でだよ。お前がそこにいたんじゃ話しにくいだろ。向かいに座れ。向かいに」
「今日は会わせたい奴がいるんだ。ちょっと遅れてるみたいだ」
この男は腹立たしい事に店の前で待ち合わせて中に入り席に座るという本来なら数分で終わる動作の間にファンとの握手やらサインやらをし、倍以上の時間をかけていた。そんなキャラじゃないくせにと言いそうになる。
怒りを込めて吾我を睨みつける。それに彼も気が付いた。
「いや、本当に悪かった。お詫びに何でも好きな物頼んで待っててくれ」どこかズレているが。
「誰がお前から……」
「いいの!?じゃあねえ、このパンケーキと」
「エックス!」
「いーじゃん別にさー。おごってくれるって言うし、ご馳走になろうよー」
「ぐぬぬぬ。俺はいい。コーヒーくらい自分で頼む」
「ふーん。じゃあねー。ボクはパンケーキーと、チョコレートパフェとー」
エックスは運ばれてきたパンケーキを幸せそうに食べている。公平はコーヒーを飲みながらその横顔に見とれていた。その視線にエックスは気が付く。
「うん?公平にも一口あげようか?」
「いや、いい。しかし吾我の奴帰ってこないな。電話しに外出ていってもう十五分くらいじゃないか」
なかなか彼が会わせたいという人物が現れない。先にエックスの頼んだものが来てしまったのでしびれを切らして連絡を取りに行ったのだ。
テーブルいっぱいのスイーツをエックスは一皿一皿片付けていく。緋色の瞳がいつもより輝いて見えた。
「公平も食べればいいのに。おいしいよーコレ」
「うーん。吾我におごってもらうのは癪だからなあ」
「そんなの気にしなくったっていいのに」
「いや気にするって……。あ、帰ってきた」
若干バツが悪そうな顔である。吾我のくせにこんな顔も出来るのかとおかしくなった。
「どうした?」
「すまない。アイツ一時間間違えていたみたいだ。もうすぐ着くはずと思う」
「いや、良いけど。どうせ夏休みだし。それで誰なんだよソイツ」
吾我は席に座り「実は」と話し始める。公平は彼の言葉に耳を傾ける。エックスは構わずチョコレートパフェをニコニコしながら食べている。
「俺の仲間だ。魔女との戦いを経験していないから、彼女に実践訓練を付けてほしい」
「ねえ吾我クン!おかわりしていいかな!」
「ああ、どうぞ」
暫くしてその人は現れた。驚いたのは日本人ではないということ。公平は目をぱちくりさせて見つめる。青い目に金色で背の高い女性。
「よろしく。私はアリス。アナタがレイジをやっつけたウィザードのコウヘイ?」
「ああ……はい。よろしく。公平です」
アリスと名乗った女性は笑顔で握手をしてくる。彼女が吾我の仲間のいうことか。
アリスは一見友好的である。だが公平の事をあまり気にしていない。眼中にないともいう。興味があるのは公平の隣でニコニコパフェを食べているエックスの方だと、その視線で分かる。
「……レイジ。彼女がそうなの?」
「ああ。俺たちの味方の魔女。エックスだ」
「……へえ」
公平はエックスの腕を人差し指で突っついた。それに気が付き公平を見る。彼の指さす方に視線を向けると向かいに知らない人が座っている事に気が付いた。
「え……だれ」
アリスが苦笑いしている。吾我が咳払いした。
「ああ!吾我クンの友達だ!よろしくー」
「え、ええ。よろしく。アリスです」
「アリスちゃんね。それで今日は何の御用だっけ」
「公平には話したんだが、彼女は今回の作戦に参加する仲間だ。ただ魔女との戦闘経験がない。それで貴女に手伝ってもらいたい」
エックスは眉を顰める。
「うーん。ボク出来れば公平以外の魔法使いとは戦いたくないんだよね。怪我させたくないし」
俺は怪我してもいいのか?そういう疑問が頭に浮かんだが口には出さない。
「いや、大丈夫。彼女は怪我なんてしないさ。勝てなくてもいいんだ。本気の魔女がどれほどのものか経験させたくてね」
「……本気?」
「ああ。本気でやってくれていい。それでいいだろ」
アリスは自信ありそうな表情で頷く。公平はエックスの表情を窺う。いつになくニコニコしている。
「そういう事なら、やってみようか」
何か悪い予感がした。
「ふっふーん」
本体へと意識を戻したエックスは魔法で訓練用に空間を構築した。アリス・吾我・公平もそちらへと移動する。普段は自分が対峙する側なので意識が薄くなっているが人間対魔女と言うのはやはり絶望的な体格差である。仲良くエックスと談笑していたアリスも本体が出てきた途端に無言になった。
公平と吾我は離れたところで二人の練習試合を見守る。第三者の視点で見ると余計に勝ち目がなさそうに見える。互いにそれは分かっているので、エックスは魔法を使わないという制限を課すことにした。
「しかし、本気でって結構無茶だな。魔法なしって言ってもさ。あの子そんなに強いのか」
「若干俺の方が強いってくらいだ。確実にお前よりは強い」
「俺お前に勝ってるんですけどー。俺の方が強いんですけどー」
「あんなインチキで自分の方が強いなんてよく言えるな」
吾我の言い方で悔しがっているのが分かって嬉しい。今後リベンジマッチを要求してきても絶対断ろうと思った。
「……とにかく。実力は申し分ない。聞いているかどうか知らないが前に俺もエックスと戦った。あのレベルだったら勝てはしないにしても大怪我はしないだろう。魔法は使わないという条件付きだしな」
なにか、公平の中で引っ掛かるものがある。吾我は自分が戦った時のエックスをアリスの仮想敵としているらしいが。
「なあ吾我。それって」
「始まった。お前もよく見とけ。今度の作戦で協力するアリスの戦い方を。彼女の魔法、場合によっては対魔女戦では俺より強いかもしれないぞ」
「あ?ああ」
「ラビル・ラ・ガーズ!」
アリスの呪文により巨大な魔法の銃が生成される。照準を合わせ、サイドのレバーを引き、魔力を弾丸としてため込む。そして引き金を引いた。銃口から光弾が連続的に放たれた。毎秒二十発の連続攻撃が眼前の巨体に命中する。時間にして十秒程度。計200以上の攻撃を全て叩き込んだ。煙がもうもうと立ち込める。
一つ一つの威力は吾我の攻撃に劣る。命中精度もよくはない。だがその連射性能は誰にも負けない。多少悪い精度でも相手があれだけ大きい巨人ならば全て当てる事ができる。全弾当ててしまえばその破壊力は吾我の攻撃を大きく上回──。
ずうん。という音がして思考が途絶えた。一歩一歩、煙の向こうから歩いてくる。攻撃を受ける前と変わらないにこにこ顔で彼女は迫ってきた。
「ふうん。沢山出るんだね。人間の魔法もなかなか面白いじゃないか」
楽しそうに巨人は言った。その声のその音の一つ一つが耳に届くごとに心臓は大きく鼓動していく。有りえない。あれを受けて平気でいられるわけがないのに。というよりさっきの攻撃の感想が『沢山出るんだ』だけとは。
「じゃあ次はボクの番だ」
アリスは咄嗟に銃を構える。止まれば死ぬ。そんな気がした。
「……何であれを受けて平気な顔してられるんだ」
「エックスだしなあ。あれくらい平気だろ」
あっけらかんと言う公平。吾我は語気を強めて反論する。
「以前戦った時には俺の攻撃をまともに受けないようにしていた!警戒したからだろう!?」
「ンな訳ねーだろ。あんまり完膚なきまでにコテンパンにしたら悪いから気を使ってくれたんだよ」
「……よせよ。そんな冗談。そんなに頑丈なわけが」
「まあ一部の魔女は特別なんだろう。ヴィクトリーも後で分かったけど実は俺相当ハンデ貰ってようやく勝ててたみたいだしなあ」
「まずい……」
「は?」
吾我の顔色が悪い。公平まで不安になってくる。
「あの時が本気だと思っていた。それならアリスでも十分相手できるだろうと思っていた……。話が違うぞ」
それを聞いて、公平はエックスの方に視線を向ける。魔法は使っていない。徹底的に肉弾戦。魔法の使用は制限するという約束は守っている。エックスは楽しそうだ。本気出していいと言われたからにはある程度思い切りやっているのだろう。対するアリスは防戦一方である。ここからだと彼女の表情は見えないが、それでもどんな状態かは分かる。
「……助けに行くかあ」
「……手伝ってくれるか。助かる」
「『オレガアロー』!」
「『裁きの剣』!」
公平は宙から、吾我は地面からエックスの背後に向かってそこからの同時攻撃を試みる。だがまるで効いてない。傷一つついてない。それでも気付いてもらえればいいのだ。エックスは少しだけ振り返って二人を見つめる。
「なに?」
地面を張ってくる大蛇のような声。思わず「こっわ……」と言いそうになった。公平は地面にいる吾我を見る。彼はその視線に気付き、首を左右に振った。視力を強化しているお陰で何かを訴えるような顔をしているのが分かった。
なんて役に立たない男だろう。肝心な時に全く役に立たない。誰のせいでこうなったと思っている。今こそ自慢のオレガアローが火を吹く時ではないのか。そういう事を言ってやりたかった。罵倒してやりたかった。ただ彼の気持ちも十分分かる。どうにか頑張ってエックスを落ち着かせよう。公平は魔法を解除し地面に降りる。魔力の強化も解除して完全に無防備の状態だ。
「なんのつもり?」
エックスが冷たく見下ろす。何でこんなことになったのだろう。別に怒らせるようなことをしたわけでもないのに。
「何のつもりも何もないよ。ここでお仕舞い」
エックスは暫く黙っていたやがてしゃがみ込み公平に顔を近づけて小声で言う。
「ここで止めたら魔女戦の訓練にならないよ?ワールドなんかもっと怖いよ?アリスちゃんだってその為に本気のボクと戦いたいって言ってるのに」
いつもの雰囲気のエックスだ。さっきまでが演技だと分かってはいたがそうであってくれてよかったとも思った。公平は苦笑いしながら答える。
「そのアリスちゃんをよく見てみろよ。このままだともう怖くて戦えなくなっちゃうぞ」
「え?」
エックスは振り返り、四つん這いになってアリスに近づく。その顔を見るよりも先に、彼女の「ヒッ」と言う恐怖の混じった声と身構えた様子を見て色々と察したようである。
「なんで!?ちょっと吾我クン!?」
その姿勢のまま方向転換するエックス。その真下で公平は彼女の怒りを煽る。全部向こうに押し付けたかったのだ。
「吾我が悪い!全部奴が悪い!怒れ怒れ!」
「……っ!うるさい!」
エックスは平手を公平に叩きつけた。咄嗟に身体を強化して耐えたが意識が飛びそうである。無駄に怒らせただけであった。
「吾我クン!」
エックスは立ち上がりズンズン吾我の元に近づいていく。身の危険を感じた吾我は慌てて逃げ出した。だが所詮人間のスピードである。魔力で強化していようが何だろうがエックスの歩幅には敵わない。あっさりと彼の身体を掴み顔だけ外に出して糾弾する。
「コレはどういうことかな。聞いていた話と違う気がするんだけど?」
「いや、実は色々誤解があって」
吾我はどうしてこうなったのかを説明し始めた。その一つ一つを聞いていくうちにエックスは目を丸くしたり、顔を赤くしたり、怒りで震えたりした。
「……と、言うことだ」
「『だ』!?」
「です」
それで吾我の説明は終了した。エックスは目に涙をにじませて「ばかっ!」と叫んだ。吾我にはもう「キーン」という音しか聞こえない。それ数分続いた。聴力が回復してから鼓膜が破れてなくてよかったと思った。
「アリスちゃんもう口きいてくれないよ……。せっかく友達が出来ると思ったのに……」
エックスが机に突っ伏して嘆いている。その巨体を公平は見上げている。
「ちゃんと謝って許してくれたんだからいいじゃないか。もうやっちゃったことはしょうがないよ」
「うう……」
エックスの頭を撫でてみる。彼女の茶髪はサラサラと滑らかであった。自分の手を、自分の存在を、彼女は感じてくれているのだろうかとちょっとだけ気になった。大きさが違いすぎる。
背後からエックスの手が近づいてきて、公平の身体を握ってくる。どこにいるのか分かってくれていたらしい。
エックスは顔を横に向け、その前に公平を連れてきた。緋色の目が悲しく彼を見つめている。
「そうかな?」
不安な声が公平の耳に聞こえた。
「俺はそうだと思う。けど人の気持ちって分からないから、また会った時に聞いてみるしかないんじゃない」
「うん……」
エックスの視線が公平から外れた。下の方を見つめて何かを考えているようである。
「ねえ」その状態でエックスは言った。
「うん?」
「練習がしたい」
「練習?何の?」
「人と戦う練習」
嫌だ。とは言えなかったが嫌だった。容赦なくアリスを追い詰めて傷つけてしまったのがショックなのだろう。適度に手加減しつつ人と戦えるようになるために練習がしたいのだと思う。その練習台になれと言うのである。絶対嫌だが断れない。エックスから頼み事をしてくることはないし普段から彼女には助けてもらっている。やりたくはないけど、力になりたいと思う気持ちもあるのだった。