魔女の「世界」⑨
ただのナイフ。そうとしか思えない。だがそのナイフが目の前で自分の矢を切り裂いてしまった。その正体は何かを考える。例えば裁きの剣を圧縮し力を集中させたものではないか。力を小さく凝縮させ、密度を高めることで威力を高めた。だがそれならば問題はない。こちらも同じように力を集中させれば容易く打ち崩せる。吾我は弓を引き魔力を収束させる。さっきの十分の一まで小さく細く研ぎ澄まされたこの一矢。精神を極限まで集中させなければ放てないこれは、その小ささゆえに物理的に触れることさえ困難なはずだ。一撃必殺の矢。こんなものを使う事になるとは思わなかったが出し惜しみはしない。
「悪いが、死んでもらう」
矢が放たれる。どれだけ動体視力が良くなっても見えてすらいないはずだ。そう、見えてもいないのに、まるで磁石に吸い寄せられるように公平の手は動き吾我の矢を切り裂いた。
違う。この一手で思い違いに気が付いた。根本的に、これは裁きの剣のような単純な攻撃魔法とは質が違う。
「なるほど」
公平がつぶやく。ぞくりと背筋が凍る。嫌な予感がした。公平が顔を上げ走りだしてくる。
「くっ!」
『蜻蛉』を多重展開し、公平の周囲360度を覆い尽くす。四方八方からの攻撃は、あのナイフでもさばききれないはずだ。
公平は立ち止まって周囲を見回す。ナイフを持つ手がピクピクと動いている。まるで魔法そのものが自分の意志で動き出そうとしているようだった。公平はナイフを手放し再び吾我に向かって走りだす。だんだんこの魔法の事が分かってきた。
「馬鹿か貴様!」
吾我の合図で蜻蛉は一斉攻撃を始める。ナイフも何も持たず突撃して何になるというのだ。だが、公平に一つの攻撃も届かない。何かが彼の周囲を飛び回り、蜻蛉を破壊して行く。位置的・威力的に危険な攻撃を撃ってくる蜻蛉を優先的に破壊していく。結果的にさほど有効ではない攻撃だけが残った。その正体は何か。吾我は目を凝らした。
「アレは……!さっきのナイフ!」
公平を守るかの如くナイフは駆け巡る。何が起きているのかは分からない。だがこれはチャンス。ナイフは手放している今、公平は無防備の状態。吾我は斧で裂け目を開いた。行く先は公平の真後ろ。そのまま斧で切り付ければこちらの勝ちだ。
「死ぃ……!」
振り下ろした斧は、公平に当たることはなかった。背後に回した公平の手にはナイフが握られていて、まるでそれに吸い寄せられるかのように斧の刃はぶつかり、そのまま消滅していった。まだ、ナイフは飛び回っているというのに。
「なーんか勘違いしてるっぽいな」
「くっ!」
「オラァ!」
公平はそのまま後ろに向けて蹴り込む。強化された一撃を腹部にもろに受ける。胃液が上がってきて酸の味が広がる。呼吸が出来ない。咳が止まらない。
「宣言通りだなあ。地面に這いつくばる事になったのはてめえだ」
「……黙れ!」
呼吸は未だ荒い。それでも吾我は立ち上がった。相手の魔法の性質は既に理解した。攻撃を自動で追いかけ、あらゆる魔法を破壊する刃。それがあの魔法。恐るべきはその防御能力。蜻蛉の波状攻撃を完全に防ぎきってしまった。──だが、その完璧さ故に攻略法はある。吾我は手を天に掲げ、再び蜻蛉を多重展開する。そして、先ほど同様の波状攻撃だ。
「無駄だって分からねえのか!」
「無駄ではないさ!そのナイフのリーチは笑える程に短い!そしてその高い防御能力と破壊力故に、お前の魔力消費は莫大なはずだ!」
「……!」
「ならば、この波状攻撃を続けていれば!いずれお前の魔力も体力も尽き、自動的に防御も出来なくなる!」
「……それはお前も同じこと!こんなもん、いつまでも続けてられねえ!」
「関係ないな!俺の方が強い!ならば最後に立っているのは俺のはずだ!」
公平は奥歯を噛み締め、吾我に向かって走り出す。今もなおナイフは攻撃から公平を守ってくれている。だが、確かに吾我の言うとおりこのまま続けていれば、どちらかが倒れることになる。正直言って自信はない。総合的に判断して吾我の方が強いのは事実なのだから。だからこそ、接近戦を挑むほかない。それだけが吾我を確実に倒しうる最後の可能性だった。
だが、それは吾我も分かっている。距離を取り、徹底して組み合わない。接近戦になればナイフと剣との二刀でこちらが倒される可能性が高い。
「くっ……そぉ!」
公平は片膝をついた。これは好機。吾我は魔力を一気に蜻蛉たちに送り、最後の攻撃を仕掛ける。波状攻撃の勢いは激しくなり、前も見えなくなる。
「う……うわあああああ!」
彼の断末魔が響く。直後、吾我の蜻蛉はすべて消える。維持もコントロールも限界に近かった。土煙がやがて晴れていき、その向こうで公平が倒れている。
「……やはり、最後に勝つのは俺だったな」
吾我は息を整え、公平の元へと向かう。
「これで最後か……。『オレガブレイク』」
ようやく出せた一本の斧。本調子の時と比べれば全く弱い。だがそれでも十分首を落とすことは出来る。
「確かにお前は強かった。だが──」
その時何かが斧に向かって飛んできた。見ると斧が消えている。吾我のすぐ後ろにナイフが落ちてきた。慌てて公平に目を戻す。炎の矢を引き、構えている。
「じゃあな」死んだふり。頭の中にその単語が浮かぶ。
「貴様ああああああああ!」
炎の矢が炸裂し、吾我の身体は大きく吹き飛んで転がっていく。やがて仰向けの状態で倒れて、ピクリとも動かない。
公平は右手を握って掲げた。
「俺の勝ちだああああ!見たかああああ!吾我あああああ!」
有言実行。宣言通り。『どんな手段を使ってでも』勝ってやった。
「……酷い決着ですね。時間の無駄でした」
そう言ってワールドは裂け目を開いて出て行く。同時にこの世界も崩壊を始めた。
公平はわざと片膝をついて体力の消耗したように見せかけた。そうすれば蜻蛉の攻撃は勢いを増す。それを全て捌ききれるかは賭けだ。あれだけの蜻蛉の維持もコントールも難しい。全力の攻撃は長時間続けていられない。少しでも耐え抜けば全て解除されるはずだと分かっていた。後は止めを刺すのに近づいてきてくれるのを待つだけだ。
エックスには『酷い』というワールドの言葉は分からないでもないが、この死んだふり作戦は彼女の連れてきた魔法使いも使っていた。なんなら多分それを受けて思いついたのだと思う。だがそうとは言えない彼女だった。
「ボクは素晴らしい勝ち方だったと思う。一皮むけた感あるね」
「この間の時よりは頭を使ってたと思うけど」
エックスとヴィクトリーはそんな事を言い合いながら公平の元へ歩いていく。まだこの世界が完全に壊れるまで時間があるはずだ。
足元の公平を見下ろし、片膝をつく。そしてそっと彼を拾い上げた。
「お疲れ様。結構疲れたんじゃない?」
「ははは。つら~い」
また公平は傷だらけだ。せっかく治ったばかりだというのに。それはとても悲しい事だったけれど、誇らしげな彼の表情を見て、まあいいかとも思った。
「今回はボクが治療してあげよう。ずっと看病してあげよう。勝ったご褒美だ」
「い、いいって」
「いいからいいから」
二人の様子をヴィクトリーは少し離れて見つめている。この二人の間には強いつながりができている。後から入りこむことは出来ないほどに強く。仲間にはなったけれど、二人とは少し離れているのだ。
「さあて。これからどうしようかな」
魔女は自由に生きる生き物。それはワールドにも譲れない部分だ。だからこっちに付いた。それについて後悔はしていない。ただもう少し自由に好きな事をしてみようと思った。
「痛っ!……あのさ一つ気になる事が痛ってえ!」
公平はエックスに薬を塗られながらぽつりと漏らした。
「なあに?」
「いやほら、今までやっつけた魔法使いってさ、痛え!もっと優しくしてよお」
エックスはちょっとムッとしながらそれでも優しく薬を塗ってあげる。こんな小さい体ならさっさと塗り終わりそうなのに、公平が痛がるせいでなかなか終わらない。
「で?」
「ああ。今までやっつけた魔法使いってさ。なんでみんな大人なんだろうな」
「……うん?」
「だって子供の方が多いはずだろ。なのに出てきた魔法使いって大人しかいなかったじゃないか」
「……うーん。うん。そうだね。そういう事か」
エックスが悲しい瞳で公平を見つめてくる。「な、なんだよ」
「今までの魔法使いたちはねワールド的には。負けてもいいんだ。勝てない事を承知の上でキミの実力を測るのが目的だったんだろう。どうりで毎回毎回大人しく帰ってたわけだよ。子供の方が強い魔法使いに育てやすいからね」
「……え?そうなの。え?つまりどういう事」
「ここからが本番だってこと。まあ、いつか世界最強になる魔法使いがいるなら大丈夫だろう。残りは90人。頑張れ」
気が遠くなる。その先兵に一回負けかけたんですけど。