魔女の「世界」③
「何か飲む?水なら用意できるけど」
「サービスの悪い奴だ。ボクならコーヒーくらいは出すのに」
「急にきてそんな貴重品出すわけないでしょ!水を飲ませてもらえるだけありがたいとおもいなさいよ!」
公平とエックスはヴィクトリーのテーブルの上にいる。エックスの家の物よりも広く、赤く細かい装飾の入った敷物が敷かれている。なんだか落ち着かない。ヴィクトリーは魔女用のコップに魔法で水を注いでエックスたちの前にドンと置いた。公平は一瞬身構えてしまう。ヴィクトリーは湯気の立つカップを口に運ぶ。コーヒーのにおいがした。エックスは深く息を吐き呆れたように言う。
「ほんっとうに気の利かない奴だな。飲めるわけないだろ。こんなの置かれたってさ」
公平は引いた。エックスの言動一つ一つにドン引きである。どういう神経しているんだ。気が利かないのはお前の方だ。ヴィクトリーを怒らせたら死ぬかもしれないのに。
「はいはい飲ませてほしいのね」
ヴィクトリーはそう言うとエックスを摘み上げて、コップの真上に持って行く。「やめろー」とエックスが騒いでいた。流石に助けに行った方がいいか。公平は魔力を身体に送る──。
「おっと」
それを見てヴィクトリーはエックスを机の上に降ろした。「あんまり変な事させないでよ。勘違いされちゃうじゃないの」
「ごめんごめん。まあでも分かってあげてほしい。ボクらが敵対していたのは本当の事だったんだから」
公平は目をぱちくりさせる。意味が分からない。
「それじゃあ、まるで今は敵対してないみたいじゃないか」
「そうだけど?」
「道中言ったじゃないか」
当たり前のように二人は言う。開いた口が塞がらないのは今日何回目だっただろうか。
エックスとヴィクトリーが敵対していたのはエックスのキャンバスの一部をヴィクトリーに奪われたからでしかない。それ以外に戦う理由はない。つまりそれが解消されれば敵対する事もない。
「だって、ずっと前に戦ってたんだろ!お前ら!」
「まあね。ボクはこの世界の人間を守るために戦った」
「私たちはこっちの人間を滅ぼすのにエックスが邪魔だったから戦った。けどもう終わったこと。そして私はわざわざそっちの世界まで滅ぼす気はない。ホラ、エックスと戦う理由が無くなったじゃない?」
分からない。そんな理由で戦いをやめてもいいのだろうか。ワールドが怒り狂いそうなものだが。
「で?何しに来たの」
「うん。実はね……」
エックスはここに来た事情を語る。ヴィクトリーは一口コーヒーに口をつけた。
「正直ボクが行っても返してくれるとは思えない。キミの方がまだ可能性はある」
「……うーん。保証はできないなあ。やるだけやってみるけどさ」
ヴィクトリーはワールドの屋敷の扉を勝手に開けて、そのまま中に入って行った。彼女の住居もまたヴィクトリーのものと同様に巨大である。エックスから魔法を奪った五人の魔女は一様に高い力を持っている。この家も魔法で作られたものだが、力が大きければ大きいほど良い家が作れるのである。
「さあてどこにいるかな」
ワールドの家には十五の部屋がある。元々は仲のいい魔女と同居しておりこの部屋も彼女たちの為に使っていたのだが、一人また一人とここを離れていき、今ではワールドともう一人が住んでいるだけだ。
ヴィクトリーはワールドのキャンバスを探知した。果たして、彼女の居場所はすぐに特定できた。だが見つけたという事は見つかったという事でもある。とはいえヴィクトリーはそんなことは気にしない。テクテク歩いていく。やがてワールドのいる部屋、かつて『ローズ』という魔女の使っていた部屋の前に立つ。ドアノブをひねり、そのまま入っていく。
「やっほ」
椅子に座って木製の円卓に向かっているワールドの蒼い目と目があった。机の上には大勢の人間といくつかの赤色があった。ヴィクトリーはワールドに何か言われる前に部屋に入り、椅子に座って机をなでる。
「ローズったらずいぶんいい家具を持ってたんだ。けどちょっと地味かも」
「もうっ。勝手に入ってこないでください」
「いいじゃない」
ヴィクトリーは机の上の人間たちを見つめる。「私さあ」
「はい」
「あっちに行こうかなって思うんだよね」
「あっち?」
「エックスの味方をしようかなって」
ワールドは答えない。ヴィクトリーも何も言わず相手の言葉を待った。少しの沈黙の後に「やっぱり」とワールドが言った。
「そんな気はしていました。貴女はきっとそうするし、そろそろそれを言いにやってくるだろうと」
「うん……。分かってくれてちょっと嬉しい」
「当然ですよ」
そして沈黙が包む。ワールドは、納得したわけではないけれど、ヴィクトリーの「やると言ったらやる」性格を分かっているので諦めてしまった。
「……貴女にも手土産くらいいるでしょう」
ワールドは卓上の人間を一瞥し、冷たく「整列」と言った。
彼らは必死に動いて10の列を作る。短期間で随分と訓練されている。こういう所もワールドらしいと思った。それぞれの列に並ぶ人数はまちまちである。几帳面なワールドのことを思えば、元々は同じ数だけいたのを、何らかの原因で減らされていったのだろう。
「番号」
ワールドの言葉に従い、人間たちは1から順番に自分の数字を必死に叫ぶ。それが何だかおかしくて笑ってしまいそうだ。
「239!」
「奇数か」
ワールドは最後の番号を叫んだ少年に手を伸ばした。半分渡すならきっかり半分渡してくる。余りがあるなら、潰すだけ。少年が悲鳴を上げて逃げ出した。だが、それで逃げ切れるわけがない。このままいけば死んでしまうだろう。とはいえ、奇数になった時点でワールドがそういう事をするのは分かっていた。
「いいって。一人はもう貰ってるから」
少年に触れる直前で指が止まる。
「エックスのお気に入りが助けた一人がいたでしょ。それを足したら240人。偶数番号の人間だけもらえればぴったり半分。むしろそれを潰したらまた割り切れなくなっちゃう」
ワールドはそれを聞いて、偶数番の人間だけを魔法で浮かせた。ヴィクトリーもまた、それを魔法で受け取る。
「それだけエックスに渡せば十分でしょう。満足……はしないでしょうが」
ヴィクトリーは少し考えた。半分。助けられたことは助けられたが全員ではない。それに、ワールドが素直なのも気になる。そんな様子を、ワールドは見抜いていた。
「残りを返してほしいなら、ゲームをしましょう」
「ゲーム?」
「人間同士を戦わせるんです。私はこの120人を魔法使いに育てます。貴女たちも好きにしたらいい。互いに育てた人間を戦い合わせて、それで私が勝ったら、……貴女にもエックスにも戻ってきてもらいたい。改めてみんなで、人間世界を侵攻するんです」
「……なるほどね」
ヴィクトリーはそれで納得した。彼女の優先順位は、人間世界を滅ぼすことではない。それは分かっている。
「この勝負受けなかったらどうなる?」
「どうにも。私が持っている120匹の事なんてどうでもいいことですから」
卓上に残っている人間たちが怯えている。正直な事を言えばどうでもいい。ただ人間の味方をすると決めた以上、そういう考えではいられない。
「分かった。勝負を受けるよ。だから……」
「ええ。貴重な駒を減らすようなことはしませんよ」
苦渋の選択ではあった。最善の結果ではない。それでも最悪の結末でもないだろう。