魔女の「世界」①
なんでこんな時に。公平は走りながら考えていた。魔法の発動は一瞬だけ。特定できたのは大まかな場所だけだった。移動魔法で向かった先はどこかにある中学校の前。
魔女が現れたのなら、それに伴う破壊の跡があるはずだった。だがしかし、そんな痕跡はどこにも無くひたすらに穏やかである。それが却って恐ろしい。エックスと公平と二人で感じた以上、何かが起きているのは事実のはずだった。二人は校内に走っていく。
二人の足音だけが響いていて、それ以外に音はない。部屋の一つ一つを覗くたびに、嫌な汗が流れてくる。ついさっきまで誰かがいたようなのに。
「誰もいないぞ!今日休みじゃねえよな!?」
「……とにかく、とにかく探そう。何かあるはずだ!」
上の階へ駆け上がると、嫌な匂いがした。廊下に出て周囲を見回す。すぐ近くの教室の前で、その匂いの発生源が見つかった。
「……血?」
壁には血の跡がある。エックスはつかつか歩いていく。公平はその後を恐る恐る付いていく。何か叩きつけられたように血が付いていた。ただ肝心の血を流した何かが無い。エックスが教室の扉を見つめている。公平もそれに合わせて目を向け、同時にヒッと声をあげてしまう。扉には外の様子が見えるようにガラスが付いている。ただ、そこから教室内部の状況を窺うことは出来ない。ガラスは真っ赤に染まっていたからだ。
エックスが赤いガラスを撫でた。その後手の平を見てみる。赤色が付着するようなことはなかった。乾いたという肌触りでもない。
「中か」
唾を飲む。この奥で何が起きたのか。エックスが扉に手をかけ、視線だけ公平に向けて言った。
「公平は見なくていいよ。多分、酷い事になってるからさ」
「い、いや……、俺も行く。こんなのエックスだけにやらせておけないって」
「そう。……なら」
がらっと言う音と一緒に扉が開いていく。エックスに聞こえるほどに心臓の音が大きくなった気がした。
内部は少したくさんの事が起きていて、すぐに情報処理が出来なかった。まず、部屋が一面真っ赤だった。何人か倒れている人がいる。学生服を着ているから生徒なのだろう。ただ腕や脚や、首が離れていたり潰れていたりしていて、もう死んでいるのだろうという事は容易に分かった。そして、教壇で楽しげに足をぶらぶらさせて座っている女が一人──。
「遅かったですね、エックス」
「……ワールド!」
咄嗟に、公平は炎の矢を構えた。この状況から、何が起きたのか全て判断できなかったが、誰がやったのかは分かった。
「ころ……」
言い切る前に、エックスが公平を突き飛ばす。壁に当たって倒れてしまう。その様子を見てワールドがくすくすしていた。
「なにするんだよ!」
「落ち着け!これは今のボクと同じで、魔法で作っただけの身体だ!これを倒したって本体に意識が戻るだけで何も分からないんだよ!」
歯ぎしりして床を叩く。その様子を見て、ワールドが大笑いし始めた。
「そういうこと。だからお前は黙って座ってなさい。私はエックスと話したいのです」
「ボクを呼ぶために、こんなことを?」
「半分はその為」
「……何を話したいの」
「一つはここで起きた事。もう一つはこれから起きる事」
ワールドはニッと笑った。
「一言でいうなら、今日私はここにいた人間を何人か殺して、残りは全部私の屋敷に転送しました」
胸の鼓動が早くなる。頭が熱い。公平は無意識に歯を食いしばっていた。
「何の為に?キミがわざわざ人を殺しに来たり、攫いに来る意味が分からないのだけれど」
「殺したのは結果的にそうなったというだけのことです。そうでもしないと逃げ出したりうるさかったりで仕方なかったので。本来の目的は人間を捕まえる事」
コイツは殺す。頭の中でそんな言葉が駆け廻る。結果殺した?その為にこんな酷い事をしたのか。そんな事が認められていいのか。ワールドが公平を一瞥する。
「エックス。それ、私の事を睨みつけていて不愉快なのですが」
「だから?いいから話を進めなよ。ここにいる人を連れて行って何をしようっていうのさ」
一瞬の静寂の後、ワールドは口を開いた。
「虫けらの駆除は、虫けらにやらせようと思うのです」
公平もエックスも、その言葉に目を見開く。
「ここの人たちを使って、俺たちの世界を攻撃しようって言うのか?……その為に、魔法使いに育てるつもりか?」
「エックス。あなたはこれから、あなたが守ると言った人間と戦う事になるのです。この世界を守るためには避けられないことです」
「ふざけんな!てめえ攫った人を返しやがれ!」
「優しいあなたは、これから沢山辛い思いをするでしょうね」
ワールドは徹底して公平を無視する。思わず殴り掛かりそうになるが、エックスの視線を受けて必死に耐えた。
「……だから、今の内に帰ってきてください。あなたが見えない場所で全部終わらせますから」
「いやだ。キミがそういう事をするなら、ボクは全力で戦うよ。攫われた人だって助け出して見せる。絶対に」
「……あの時だって、そうやってあなたは戦って、それで全部を失くしたでしょう」
エックスは俯いて、それでもすぐに笑って公平を見つめる。「あの時とは違うよ」
それを受けて、公平は立ち上がった。エックスがそう言うのならば答えなくてはならない。
「あの時ってのが何時かも、何があったかも知らねえけどさ。エックスが戦うって言うなら俺も戦う。お前が攫った人を全部助け出してみせる」
ワールドはエックスを見て、それから公平に視線を向けた。
「そう。なら精々頑張ってください」
そう言い残してワールドは消えていく。同時に公平は空間の裂け目を開き飛び込んだ。
外にワールドの本体が現れる。その指先には、攫われたと思われる生徒が一人。
「けど、全部は……」
彼女が言葉を言い切るよりも前に、公平はその生徒の前に移動していた。そして、抱きかかえて再び移動魔法を使って校内に逃がし、自身は地面へと移動する。ワールドはあっけにとられたように、地上に移動した公平を見つめる。
「全部は無理かもしれないけど。それでも、目の前にいる人は絶対助ける。お前なんかに殺させるもんか」
「生意気な……!」
ワールドめがけて真っ直ぐに炎の矢が放たれる。それを払い落とす。視線の先には本体に戻った彼女がいた。「エックス……!」
「調子に乗って出てきたのが失敗だったかな。さあ、今ここで決着をつけようワールド。キミをここで倒してしまえば誰も死なせずに済む」
公平はワールドの方に向き直り、魔法を唱えた。「勝利の鎧」
巨大な黄金の鎧の肩に乗り、エックスの横に立つ。ここで倒す。それで解決する。
「……確かに失敗ですね。だから」
ワールドの背後で裂け目が開く。エックスは咄嗟に駈け出した。地面を揺らして土煙が舞う。彼女は腕に魔法を発動させた。怒りの剛腕を纏い殴り掛かる。対するワールドは矢を構えている。「光の雨!」
公平は勝利の鎧をワールドとは反対方向に走らせた。彼女の狙いは読んでいる。光の矢の雨を受け止めて、町への被害を防ぐ。同時に、公平自身は裂け目を開きワールドの背後に回っていた。既に『怒りの剛腕』の準備はできている。
「逃がすかよぉ!」
「ワールドォ!」
挟み撃ちの形。鎧が光の雨を受け止めて、計画通りに消えていく。エックスの剣と公平の腕。ここで倒すという思いが乗って、最大限の力を放っていた。
「……の世界」
エックスはハッと息を呑む。その表情の変化はワールドの身体に隠れていて公平には見る事ができない。
「くっ!」
エックスは空間の裂け目を開いた。公平の進行方向に向けて。当然公平は魔法ごと穴に飛び込んでいく。
「はあ!?」
公平の魔法は地面に当たってしまう。「何を……!」見上げるとそこには、ワールドは居なかった。
「……何があったんだよ」
「厄介な魔法を使われそうになった。あのままだと公平が巻き込まれて、多分殺されていた」
「……そんなにヤバいのか」
「正直ボクも頭に血が上ってた。ワールドと戦うには早いって分かっていたのに」
「……それならもっと強くなるさ。残りの人も絶対助け出す」
助けられたのは一人だけ。決して良かったとは言えない結果だが、最悪では無い、はずだ。