エックスと公平②
『ですから。魔法は人間がみな持っている普遍的な力でして』
テレビに映るのは吾我レイジ。魔女の侵略を防ぎ、魔女との和解を導いた英雄である。公平は友人の田中と一緒に学食で昼食を食べながらその映像を眺めている。
「すげえな、あの人。あんなでっかい魔女と戦ってさ。『薔薇の女神』から魔法を教わってたって本当かなあ」
田中は呑気に言った。『薔薇の魔女』。ローズという名前の魔女である。街中で一度、空を飛んでいるのを見かけた。目と目が合った時、彼女は手を振ってきた。だが周りには他にも人がいたので、きっと自分に向けたわけではないだろうと思って無視した。彼女の寂し気な顔を公平は見ていない。
「最後には魔女と共存しようってんだから。俺らとそんなに歳変わらねえのに」
公平は昼食のカレーを食べながら答える。
「戦ったのは吾我レイジだけじゃねえだろ」
「いやそりゃミライちゃんとかもいるけどさ。リーダーはこの人なわけで」
公平は空になった皿を置いた。顔を上げてテレビに目を移す。吾我レイジが何やら長ったらしい肩書の中年に何ごとか言われている。彼は魔女との共存に反対しているらしい。世間一般ではそちら側の方が多い。共存派はマイノリティである。
『確かに、魔女が起こした惨劇の傷は未だ残っています。ですが……』
そこまで聞いて公平は立ち上がった。
「じゃあ俺もう帰るわ」
「お前はどっちなんだよ?」
「何が?」
「魔女を受け入れるか」
言いながら握った右手を顔の横に上げる。
「排斥するか」
続けて左手の拳も同じようにする。公平は左を指差した。
「へえ。なんで?俺は共存でもいいと思うけどな。『薔薇の女神』キレイだし?」
公平は再びテレビに目を向ける。画面に映る吾我レイジを何となく眺める。
「俺がアイツ嫌いだから」
「多分ソレお前だけだよ」
食器を返して食堂を出る。田中が後から追いかけてきた。
「お前なんか変わったなあ」
「そうか?こんなモンだよ」
「去年のお前はもうちょっと明るかった」
「いやいや。こんなモンだよ」
笑いながら答える。だが、自分でも分かっていた。何かが違う。何かが欠けている。大事な何かが、欠落している。
銀行の口座には一億円が入っている。いつ買ったのかも覚えていないスクラッチと宝くじがそれぞれ一等に当たっていた。合計で六億一千万円の当選である。うち五億円は実家に送った。一千万円を使ってきれいなマンションに引っ越して、PCを買い替えて、車を買った。とんでもない宝くじの当たり方をしたという噂が広がったせいか、女の子の友達も増えた。
それでも。心に開いた穴は埋まらない。何かが欠けている。結局今現在付き合いのある相手は田中だけだ。一度自分の現状を相談したことがある。彼は苦々し気に『知らねえよ』と答えた。
もっともな言い分だ。金も家も手に入れて、その気になれば彼女も作ることが出来る。ここまで揃っていて何かが足りないなどとほざく男にかける言葉はない。
「俺何がしたいんだろう」
分からない。『ばかだなー』って誰かに笑ってほしい気持ちはある。
「先生さ。彼女いたことないでしょ?」
「……イヤな事言うねー」
高校生の女の子は思いのほか鋭い。公平は少し怖くなった。
教育実習で新潟の母校に戻ってきていた。両親には実習は大学付属の高校でやるとウソを吐いた。今は新潟の駅近くのウィークリーマンションを借りている。どうせ金ならあるのだ。
実家には昨年の夏以来帰っていない。年末年始はインフルエンザに罹ったことにして戻らなかった。その後も忙しいふりをして顔を出していない。その理由は喧嘩中の弟、一馬とのことである。
今帰れば彼と仲直りするか、或いは致命的に関係性が悪化する予感があった。どちらにしても決着はつく。ただ、何故だか分からないけれど、その決着は先送りにしたかった。何かが『早く仲直りしろー』と言っている気がする。公平にはその『気がする』という感覚が不思議と大切だった。永遠にその何かに叱られていたい。
二週間の実習はもうすぐ終わる。この期間はびっくりするくらいあっという間で、それでいて楽しかった。
「だからここは整数になるわけだ。そして──」
初日は酷く緊張していた。生徒に授業しているんだか黒板に授業しているんだか分からない状態だった。今では落ち着いて生徒と接することが出来る。ある程度授業のスキルも上がった。
「んで、ここはさっきの公式を使うと──」
数学の問題が分からなくて質問に来る生徒もいた。授業が分かりにくかったのだろうか、と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だから精一杯丁寧に教えてあげた。それで分かってもらえると心が温かくなる。欠けている何かが埋まるような気がした。
「そしてこれを忘れちゃいけない!魔法のキーワード!しつこいようだけどまた言うぞー!二つのベクトルは並行ではなく──」
最後の授業は教育実習全体の試験のようなものである。数学の教員が何人か見学に来て、授業の採点をする。緊張はしていたが、これまでの経験を全部ぶつけることが出来た。今の自分に出来る最高の授業になったと思う。
「あ、はい。ははは。そうですね。いや、ありがとうございます」
その後、数学の教師と他の実習生とで振り返りを行う。最初に評価を受けたのは公平である。厳しい声も多々あった。確かに上手くできなかったところもある。ただそれ以上に満足していたので、受け入れることが出来た。彼は笑顔で実習を終えた。
「──え?」
終えてしまって、そして打ちのめされる。他の実習生はまるで違った。一つ一つ指摘を受け止めた結果涙を流し、もっと上手くやれたはずだと猛省していた。
公平は胸の中に冷たい風が吹き抜けたのを感じた。何が最高だ。こんな結果でどうして満足できるんだ。理由は簡単だ。真剣ではないからだ。ただ何となくここにいるからだ。涙を流すほどの情熱がない。こんな男にモノを教える資格なんてない。自分は教員には向いていない。
『やめとけ。時間の無駄だ』
『教員には向いてません。中身が空っぽだから』
そんな事分かっている。ウィークリーマンションに帰ってきてようやく涙が溢れてきた。そんな自分に腹が立つ。みじめな気持ちでいっぱいになって、潰れてしまいそうだ。いっそのこと潰してくれと心が叫んでいる。
新潟から帰ってきて、マンションの一室のベッドの中で天井を見上げた。何かが欠けている。欠けているものは考えても分からない。考えれば考えるほどに頭が痛くなる。寝る前に考え出すと眠気が飛ぶ。そういう時、公平は外に出る。
四度目の春が終わろうとしていた。桜はとうに散っていた。
卒業後は大学院に進むことにした。お金はあるから両親も許してくれた。もう少しだけモラトリアムを続ければ、欠けているものが分かるのだろうか。
マンションを出たはいいが目的がない。とりあえず適当に歩いてコンビニまで行くことにする。雲一つない星空が上空にあった。昔は星が好きだった。地球に近づいている宇宙人は本気でいると思っていた。彼らの姿や遠い星の文明を想像すると頭の奥が痛くなった。
「宇宙人来てもいいんだぞ……」
そんな事を呟いた。
気が付くと以前住んでいたアパートの前に来ていた。生協に紹介された狭くて古くて、だけどどこか愛着がある部屋。次の入居者は決まっていて窓から光が零れている。あの部屋にすら置いていかれたような気がした。
マンションに帰ろうとしたとき、何か予感がして空を見上げた。もしかしたら穴が開いていたりしないかと。星空は何も変わらない。雲一つない暗闇に小さく眩しく輝いている。思わず噴き出した。
「ばかか俺は」
誰も言わないから自分で言う。帰路を歩き出す。空に穴が開いているわけがない。分かり切ったことなのに。
息を切らして必死に走った。違う。違う。違う。思わず声に出していた。
マンションも帰ってきた公平は、先ほどの予感に呼び止められて引き返してきた。もう一度空を見上げる。そこに穴なんて開いていない。開いていないけれど。
星を掴むように手を伸ばす。この瞬間を逃せばきっと二度と届かない気がする。自分でもバカだと思う。だが自覚できるくらいにバカなのだから賢いふりをしても滑稽なだけだ。大きく息を吸いこんだ。何かの力が右手の先に流れてくるのが分かる。
魔法の使い方なんて覚えていない。それでも星空の向こう側にあるはずの何かへの想いが力をくれる。
次に叫ぶべき言葉は、分かっていた。
「『開け』!」
右腕を上から下へと大きく振り下ろす。その軌跡をなぞるようにして、空に大きな穴が開いた。向こう側には彼女がいる。膝を抱えて横を向いて、大きな身体を出来る限り小さくして。緋色の瞳が涙で潤んでいる。彼女はこちらに顔を向けずに口を開いた。
「……何で来ちゃうんだよお」
「……ごめん。分からない」
そして。手を伸ばす。名前も分からない彼女はきゅっと涙目を閉じた。
「俺にはお前が必要だ!お前がいないと俺はどう生きたらいいか分からないんだよ!」
情けない顔で。情けない声で。情けないセリフを吐く。ここにいる自分は情けない自分だ。だけどそれが彼の全部だった。
彼女の閉じた目から涙が溢れて落ちていく。
自分が戻れば、彼は苦しむ。だけど自分が居なくなっても彼は苦しそうだった。どっちにしろ苦しませてしまうのなら、どっちを選んだっていいのではないか。
自分を甘やかす自分の声が聞こえる。彼の元へ戻る理由を無理やり作っている自分を第三者の視点でに見つめている自分がいた。
ここにいるのはズルい女だ。こんなやつ嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。我儘な自分が嫌いだ。身勝手な自分が嫌いだ。自分の事が何もかも大っ嫌いだ。
「ボクは最低だ」
そう呟きながら。目を開けて、彼を見つめる。自分は最低だ。自分の事が大っ嫌いだ。ずっと前から分かっていたことだ。彼はそんな自分を必要だと言ってくれた。同じように彼女にも彼が必要だった。だから手を伸ばす。あれこれ理屈で組み立てた理由ではなく、ただ彼と一緒に居たいから。だから精一杯に彼を求める。
この答えを選んだことを知ったら、他の魔女はどんな顔をするだろう。どんな顔をして会えばいいのだろう。
「その時にはキミが一緒に居てくれるよね」
だから大丈夫だ。きっとほんの少しだけ自分の事を好きになれていると思う。平気な顔で開き直ることが出来る。「悪い?魔女は自由な生き物だろ?」って得意げに胸を張れる。
大きな手が小さな手と触れあう。彼は目を大きく開けて、涙を流しながら微笑む。取り戻した一番大切な言葉は声になった。
「エックス。帰ろう」
エックスはこくりと頷いて。
「ありがとう。公平」
一番大切な言葉と共に笑ってみせた。
今までお付き合いいただきありがとうございました。
エックスと公平のお話は5年前にも書いていて、だけど完結することなく終わってしまったものでした。
それを今度こそ終わらせてあげたいと思って一からやり直したのがこの作品です。
今回はちゃんとゴール出来てよかった。
やっていて嬉しいことはたくさんありました。悔しいこともたくさんありましたけど、それもいい思い出です。
本当にありがとうございました!