「最強」の刃⑦
ユートピアの魔法は、敵のランクに依存する。そのことに公平は気付いていた。だが気付いたことはそれだけではない。ユートピアの魔法にはもう一つ、致命的と言える弱点がある。公平の魔法は公平のキャンバスでないと使えないように、ユートピアの魔法が影響できるキャンバスの広さは彼女自身のキャンバスの広さ99までだということだ。
気付いたきっかけはエックスを奪われて闇雲に飛び出していった時のこと。キサナドゥがユートピアの呪縛から解放されたトリガーを倒した後。どうして彼女は洗脳されなかったのか。
ソードの屋敷で、トリガーに与えた『レベル4』の傷は、次に現れた時には消えていた。公平も吾我もソードも、『ゲアリア』が使える者はトリガーの元へは行かなかった。では誰が回復させたか。ユートピア以外にはいない。
ユートピアも他者の傷を回復することが出来るはずだ。キサナドゥに与えられたダメージを回復させて、再度洗脳することも出来たはずなのだ。だが彼女はそれをしなかった。その理由を考える。ユートピアの洗脳魔法はキャンバスの広さに依存することから更に思考を深める。
エックスに4つ目のキャンバスを返した時点で、ユートピアが使えるキャンバスの広さはおおよそ40。そのうち約半分がエックスのものだ。対してトリガーのランクは97。キャンバスの広さは34弱。
ユートピアの魔法が、「彼女が所持する全てのキャンバスの広さ」に依存するのならトリガーを洗脳できていたはず。それが出来ないということは、即ち他者のキャンバスは洗脳魔法に影響しないということだ。
そこまで考えて、ユートピアからエックスを取り戻すのに一番手っ取り早い手段を考える。思いついた答えは自分のキャンバスを彼女に譲渡すること。そうなればエックスが持つキャンバスはユートピアのキャンバスの広さを大幅に上回る。
確証はあった。最初にトリガーと戦った時、彼女はエックスのキャンバスを持っていなかった。キャンバスの広さを計算すればその理由はすぐに分かる。ヴィクトリーのキャンバス49とトリガーのキャンバス34、そこにエックスのキャンバス20を足し算すれば、ユートピアのキャンバス99を上回る。洗脳できなくなってしまうのだ。
「いける。これなら、きっと上手くいく」
だがすぐには実行出来ない。ユートピアはエックスの最後のキャンバスを持っている。それを奪い返さなければならない。これ以上彼女の力を悪用させるわけにはいかない。ここで全てのキャンバスを取り戻し、その上で確実に倒すのだ。
だから公平はユートピアが他の魔女を倒し、自分の元へ来る瞬間を待った。その直前に『悪魔の腕』を使えばエックスのキャンバスが奪われたと勘違いする。そうなれば最後のキャンバスを自ら返すはずだと。
相手をこの場で確実に倒したいのはユートピアも同じ。そのために二人がかりで来るはずだ。公平がキャンバスの綱引きを放棄して、ただ力を奪わせただけだとも知らずに。
キャンバスを掴むことは掴まれることと同義。こちらが力を入れなければ自然とエックスの元に自分のキャンバスが届く。そうなれば。
「……あ」
水晶の中で、エックスは光を見た。キサナドゥが苦しみながら消えていく。水晶に罅が入っていった。そして、光の向こうから。
「エックスー!」
「公平!」
公平は思い切り水晶を殴りつける。罅が全域にわたっていき、そして砕けた。大きく伸ばされた手に、エックスも手を伸ばす。二つの手と手が触れた時、エックスはエックスに戻っていた。無意識で手の中に包んだ公平の存在を感じる。
「あ……」
ぽかんとした表情で彼を見つめて。
「……うん」
彼に託されたキャンバスの意味を理解し。
「いくよ」
それからニッと笑う。きっとアレは夢。だけどきっと現実だった。
そして。万全の状態に戻ったエックスはユートピアに向き合う。
「そんなバカな。だって、気付かれるなんて」
「気付くに決まってるだろ」
公平の声に気付いたエックスは手を広げる。彼はその上で、ユートピアを指差す。
「エックスを絶対取り戻す。死ぬ気で考えたんだ。いくら俺みてーなバカでも、あれだけお前の魔法を見たら分かるさ!」
ユートピアは小さく歯ぎしりした。
「ま、まだだ。まだ『ボク』は負けてない。まだ同じ土俵に立っただけ……」
「なら試してみるかい。『星の剣・完全……』」
「『禁ぜよ。BAN』!」
エックスの手の中の光が弾き飛ばされる。『星の剣』は発動しない。
「ふ、ふふふ。残念だったね。エックス。キミの切札はコレで封じた」
「……切札はまだある」
「『未知なる一矢』かい?アレもいい魔法だけど、『ボク』にだってまだ」
エックスは頭を振った。そして、手を前に出す。
「ねえ。ユートピア。キミのその封印。同時に封じることが出来るのは一つだけ。それに任意のタイミングで解除できない。一定の時間が経てば勝手に解除されるんだろう」
ユートピアはギクッとした。エックスの言う通りだ。『BAN』は自由に解除できない上に複数の魔法を封印することも出来ない。それが出来るのならば、先ほどのワールドたちの魔法を同時に封印するか、攻撃の瞬間にそれぞれ順次封印してさっさと倒している。
公平もそれを分かっていた。万が一、『悪魔の腕』を先に封印されないように『レベル5』を見せたのだ。そうなればユートピアは真っ先に『レベル5』を封印する。確認の意味で『レベル4』も見せた。当たりさえすれば彼女を仕留めることが出来る魔法。封印できるならやっているはず。それをしないという事は、即ち出来ないこと。
「だ、だから?『未知なる一矢』を封印出来ないってだけで……」
「ボクには公平のキャンバスがある。そして、ボクは完全な、ランク99のキャンバスを取り戻した」
「……あ」
そこでユートピアは気付いた。
「条件は揃った」
エックスの右手に魔力が集まる。
「『最強の刃・レベル5』!」
彼女の手に緋色の刃が握られる。刃がエックスのキャンバスを『箱庭』の街へ、そして現実の世界にまで広げる。これでユートピアは逃げられない。魔女の世界への裂け目を開こうとも先回りされて潰される。
「あ、あり得ない。いくら彼のキャンバスがあるからって。こんな強い魔法を簡単に」
ユートピアは狼狽えている。彼女の言う通り、他の人物であればランクの問題を無視しても『レベル5』を発動できなかったはずだ。だがエックスは例外である。彼女は自分であれば簡単に『レベル5』を使いこなせると確信していた。緋色に輝く刃を見てクスっと笑う。
「これってもしかしてボクの剣?」
「バレた?」
彼女の左手で公平は頬を掻く。緋色はエックスの色。これは、ただ公平が作っただけの、エックスの魔法だ。彼女の為だけに作った魔法。送ることのできなかった結婚指輪の代わり。彼女が使えない理由はない。
「く、く……!」
ユートピアは小さく震えて顔を上げた。
エックスは『レベル5』を彼女に向ける。
「さあ。お望み通り。最終決戦といこうじゃないか」
「……舐めるなァ!」
指鉄砲を向ける。標的はエックスではない。その手の中にいる公平である。彼はキャンバスを放棄している。今なら容易く操ることが出来る。彼を捕えてしまえばエックスは手出しできない。
「『起動せよ。UT……』」
「『BAN』!」
エックスの『レベル5』から光の一閃が走り、ユートピアの指鉄砲を弾く。
「……あ」
彼女の切札、『UTOPIA』が封じられる。
「ここから先。キミに出来ることは何もない」
「くぅ!」
ユートピアは背を向けて逃げ出す。しかし彼女を前後上下左右六方向を包むように魔法陣が展開される。
「あれは……!」
スタッグを押さえつけながら杉本が驚嘆した。
「『ハリツケライト』!」
光の杭がユートピアの身体を拘束する。顔だけ振り返り、怯えた瞳でエックスを見る。しかし彼女にはもう容赦はない。
「逃がさないって言っただろ!『ギラマ・ジ・ガガガ・オレガブレイク』!『神剣/金剛』!」
「なにっ!」
「えっ!?」
吾我とミライはその魔法に驚愕する。二人がいずれ至る、彼らの魔法の更なる進化形態を手に取り、ユートピアを斬りつける。
吾我はローズの手の中で違和感を抱いた。エックスが『レベル5』を握っているのは分かる。その魔法の発動中、公平は彼の知っているありとあらゆる強力な魔法を使えるという。しかし彼女はまだ存在していない魔法を振り回している。聞いていた『レベル5』とは、何かが違う。
「さあ!決めるよ公平!」
「ああ。これで決まちまえ!」
エックスの手に緋色の弓が握られる。『未知なる一矢』を構え、『レベル5』を矢の代わりにして弦を引く。
「な、な、何で!何でアンタばっかが勝つのさ!ワタシが勝ったっていいじゃん!」
ユートピアが叫ぶ。目が大粒の涙があふれ出した。エックスは狙いを定める。
「何でって?愛とか絆とかの力のおかげじゃない?」
そして、指が離された。『レベル5』がユートピアに向かって放たれる。
「いや、いやあああああ!」
叫び声を上げる魔女が爆発に包まれた。くるくると回りながら、『レベル5』がエックスの手に戻ってくる。ユートピアの巨体が『箱庭』のビルを押しつぶして、地面に落ちた。
「なんで……。なんで……!」
地面を拳で叩きながら、傷だらけで泣いているユートピアを見下ろす。
流星のように何かが飛んでくる。倒れているユートピアに近づくと『悪魔の腕』でソードのキャンバスを奪った。
「アイツ……!ファルコ!?」
ファルコはソードの元へと降りると彼女に奪い取ったキャンバスを返上する。
「キサマ……何を……?」
「決まっています。僕の母さんの子供。僕の命は母さんの所有物。母さんのために全てを尽くすのが僕の生きる理由です」
「く……くそっ!」
ソードは震える膝を支えながら立ち上がり、裂け目を開いてどこかへと逃げる。ファルコは振り返り、ローズの手の中で疲労困憊となった吾我に言った。
「まだ二回負けただけだ。次は……、僕が勝つ」
そしてソードが通って行った裂け目を潜る。穴はそのまま閉じられた。
「逃げられちゃったわね……」
ローズは吾我に言った。彼女を見上げて答える。
「構わないよ。今回は俺も一歩間違えたら負けていた。次が本当の勝負だ」
そう言って笑う吾我に、ローズは微笑んだ。
「貴女の弟は、まだソードを慕っているみたいですね」
「……そうだな」
杉本はスタッグの拘束を解除した。彼もまた、魔人化を解除する。最早二人には戦う理由がない。
駆け足の音が聞こえた。目を向けると二人の元へ高野が走ってくる。
「杉本クン!」
「高野さん」
息切れしながら彼の傍による。スタッグはバツが悪そうにした。
「……ゴメン。アタシ、ファルコを。弟を……」
「まだ納得できていないでしょう」
「え?」
高野は杉本に目を向けた。殆ど同じ背丈の二人。同じ高さで見つめ合う。
「納得?」
スタッグが聞いてくる。杉本は彼を見上げた。
「納得なんて僕にも出来ていない。この力を得た意味だって分からない。だけど、納得できるまで向き合って、戦い続けたい」
杉本は高野に視線を戻した。
「手伝いますよ。貴女が納得できるまで」
「……ありがとう」
微笑みながら、彼の手を握る。
ワールドとヴィクトリー、そしてトリガーがユートピアの元へと歩み寄る。ユートピアは倒れたまま、視線だけ三人を見上げた。
「何のつもり?」
「貴女の魔法を預からせてもらいます」
「相手の心を操るなんて危険な魔法、野放しには出来ないものね」
「悪く思わないでよね」
今ならキャンバスをフルに活用できる。『UTOPIA』は相変わらず封印されているが、それでもこの三人が相手ならば負けることはない。問題は。まだエックスがいるということ。その手には未だ緋色に輝く刃がある。今の彼女には絶対に勝てない。身体より先に心がそう叫んでいる。
「……好きにしなよ」
それを受けてワールドたちはそれぞれ、ユートピアから魔法を奪う。
「貴女は私の屋敷に勾留します。構いませんね」
「いいよもう。好きにしたら。……ワタシの負けだもん」
ワールドはユートピアの腕を自分の肩に回し、立たせる。ヴィクトリーとトリガーに振り返った。
「それではここで。帰りましょうトリガー」
「ええ。またね。ヴィクトリー」
「うん。また」
ワールドは裂け目を開いた。通り抜ける前にエックスを見上げる。
「……まあ。いいかな」
そして彼女たちは魔女の世界へと帰っていった。ヴィクトリーは手を振って二人を見送る。
「終わりましたね。お母さん」
「そうねえ。これからどうしよっか」
未来の事はよく分からないね、とミライに笑いかける。
「いやあ。いい魔法だねえ。ボク、公平がこんなに面白い魔法考えるなんて思っていなかったよ!」
「そうかな?俺ってスゴイ?」
「スゴイスゴイ。流石世界最強!」
「いやあ」
公平はそうやって褒め称えるエックスに照れる。『レベル5』は相変わらず輝いていた。
「俺は五分ともたなかったのに。エックスはすごいや」
エックスならば『レベル5』いつまでもいつまでも維持できそうだ。彼女は少しだけ怒ったような表情で公平を諭すように言う。
「そうだ。公平、この魔法あんまり使っちゃダメだよ?ボクは大丈夫だけどさ。人間の身体じゃあ負荷が強すぎる」
「うん……。それはまあ、薄々分かってた」
「ボクだから良いものの」
エックスは楽しそうにぶんぶん『レベル5』を振る。何だか危なっかしい。
「ぶ、物騒だからもうしまえよ。あと俺のキャンバスも返して」
「ああ。そうだった。ゴメンゴメン」
彼女の手から『レベル5』が消える。
「……あれ」
その時、ほんの少しだけエックスの表情が強張った。
「うん?どうしたの?」
「あ、いや。うん。何でもないよ」
彼女はそう言って笑った。人間世界では冬が近付いている。