「最強」の刃②
ソードはキサナドゥを連れて屋敷に戻った。壊された壁や天井は既に魔法によって修復されている。ユートピアはそこの一室で待っていた。
「おかえり。ソード。随分やられたねえ」
彼女と目を合わせることができない。何を言えばいいかも分からなかった。人間と真っ向からぶつかり合い、敗北し、ウィッチのキャンバスも奪われた。言い訳のしようがない。完膚なきまでに負けてしまった。
しかしユートピアの反応は思いのほかあっさりとしたものであった。
「まあ。いいよ。負けちゃったけど。けど最悪の負け方じゃあない。70点あげてもいい」
全てのキャンバスを奪われたわけではない。『レベル5』という魔法の情報まで手に入れた。
「次は『ボク』のタイミングで行く。彼は『ボク』でないと相手にならないよ」
「……済まない」
そう言ってソードはキサナドゥを連れて下がろうとする。
「あ。ちょっと待った。キサナドゥだけ残ってもらえる?」
キサナドゥは自分を指さして首を傾げた。とてとてとユートピアの元へ向かう。
「ああ。ソードはいいよ。お疲れー」
「……ああ」
どこかぞんざいに扱われている。ソードはそんな風に感じた。ユートピアの興味が自分に向けられていないような。そんな気がした。
「さて。キサナドゥ?ちょっといいかなー?」
魔女にしては小柄なユートピアは少し背伸びしてキサナドゥの額に手を伸ばす。そして、一度目を閉じる。次に開いたとき、彼女の目の前には水晶に捕らえられたエックスがいた。
「……ユートピア」
「面白い子を育てたねー。他の弟子はポンコツばかりなのに」
「ぽ、ポンコツ?」
「そ。だってさあ。千年だよ?『ボク』はね、こっちに帰ってくる時少し不安だったんだ。きっとみんな強くなっている。下手したら千年前のキミ以上に。ランクだってみんな99か、もしかしたらそれ以上に到達している子もいるかもしれないって思っていた。ビクビクしながら気配を消して魔女の世界に戻ってきたよ。……だけど。拍子抜けを通り越して、ひっくり返りそうになったくらいびっくりした。千年前から、この世界の魔女は一ミリも進歩がない」
それはエックスも思っていたことである。ユートピアの言う通り、魔女たちは千年前から殆ど強くなっていない。外敵が居なくなったことで強くなる必要がなくなったからだ。
「これだけの時間があってなお停滞しているのは、『ボク』に言わせれば劣化に等しい。急に興味が失せたよ。あの瞬間にこの世界は『ボク』の手の中に収まった気がする」
事実、彼女は既に魔女の世界を手に入れたに等しい。キサナドゥやソードがいなくともランク99の魔女というだけでこの世界を丸ごと支配できる力があるのだ。
「だけど。彼は違った。ちょっと。いや、とても驚いたよ。キミのお気に入り。公平クン。最後に良い弟子を育てたね」
エックスはキサナドゥの視界を借りて外の様子を見せられていた。当然、公平が何をしたのかも知っている。
ユートピアの言う通り、公平は本当に強くなった。文句なしに最強と言える。魔法使いも魔人も魔女も、誰も彼も含めても、スタミナ切れを考慮しなければ今の公平に敵う者はいないはずだ。
「正直に言おう。『ボク』は今少しだけ後悔している。あの時、無理をしてでも彼を手に入れておくべきだった。まだランク98の頃だったからね。見誤ったよ」
ユートピアは本当に、心の底から残念そうにした。彼女の指が五つ首の龍のように水晶に絡まってくる。その声からは、いつにない熱を感じた。
「ねえエックス。白状するとさ。『ボク』はあの子が気に入ったんだ。あの子が、欲しくなった」
「……は?」
エックスは言葉を失った。唖然とした表情でユートピアを見上げる。視線の先の巨人は頬を赤らめ、恥ずかし気に視線をそらしている。本当の本当に本当の事を言っているみたいで気味が悪い。
「きっと気が合うと思うんだ。だって『ボク』とあの子は似ているから」
「に、似てるだって!?い、言いたいことはいっぱいあるけど!これだけは言える!公平はキミなんかとは全然似てないよ!」
水晶が軋む音がした。黙れと言わんばかりの無言の圧力。しかしエックスは負けなかった。これだけは譲れない。
「こ、公平は……キミとは全然違う!キミみたいに誰かをむやみやたらに傷つけたりしないんだ!」
「ぴーちくぱーちくうるさい小人だ。そんなに捻り潰されたいのかな」
一瞬エックスはビクッとする。それでもその視線は真っ直ぐにユートピアを見つめていた。その強さを秘めた眼差しが気に入らない。何も出来やしないくせに。
「……まあいいや。そんなに言うなら説明してあげよう」
彼女の口から垂れ流されたのは想像以上に理解不能の理屈であった。
「あの子と『ボク』は想いの強さが似ている。彼はエックスのことが大好きだからランク99に至り、『ボク』はエックスのことが大嫌いだから、ランク99にまで至った。ほら。そっくり」
「ま、待った。それはでも、方向性がまるで逆じゃないか」
「『ボク』が言いたいのは想いの大きさ。ベクトルじゃなくてスカラーだよ。魔法は想いを現実に変える力。愛と絆なんて無力なものに意味を与えるくらいに公平クンはキミを想っている。……『ボク』もそれだけ強く、不可能を越えるくらいに強く、想われてみたい」
エックスは背筋が凍りついたような気持ちになる。ユートピアは他者の心を操る魔法が使える。その気になれば公平の心を手に入れることができる。
「やめ、やめてよ!それは、それだけは」
「ふふ。安心しなよ。『ボク』の魔法は万能じゃない。任意の対象を自由に操れるわけじゃないんだ」
「え?」
「だけど。たった一つ。ある条件さえクリアすれば、どんな相手であろうと操ることができる。何だと思う?」
エックスには分からなかった。押し黙っている彼女にユートピアは告げる。
「それはね。相手に『ボク』の魔法を受け入れてもらう事。その条件、『ボク』には一つだけ簡単に達成する手段がある」
エックスはすぐにその答えを察した。何も言えないまま、世界が終わった時のような表情で、力なく首を左右に振る。
「キミを解放する代わりに『ボク』の魔法を公平クンに受け入れてもらう。彼を奪うことができれば『ボク』はきっと満足だよ。本当にキミを解放してもいいくらいだ」
「やめて!お願い!公平は、公平だけは……!」
ユートピアの指が、ちょんと水晶を突っついた。軽く小突かれただけで水晶は縦に何周も回転して、エックスの目が回る。
「だぁーめっ」
クスクスと笑いながらユートピアの姿が消えて、代わりにキサナドゥが現れる。取り残されたエックスの瞳から涙がこぼれる。
「いや……いやだよ。公平……」
もしも彼を奪われたらエックスには取り返すすべがない。キャンバスはユートピアに奪われ不完全なまま。現状ではまともにやっても不利。その上きっと公平と戦うことになる。特訓ならともかく、本気の戦いなんて絶対にできない。だがユートピアのものになった公平は、きっと本気で向かってくる。あの『レベル5』が牙を向くことになる。本当になすすべがない。
エックスは必死に水晶を叩く。この小さな身体でも水晶の檻を脱出してキサナドゥをやっつけて、自分を取り戻そうとする。そうでもして公平を守ろうとする。だけど、それだけの想いでも手が痛くなるばかりで結局何も変わらない。
「いや……。いやだ……。いやだよお……」
万策尽きて、最後には泣くことしか出来なくなった。
公平は大学図書館に立ち寄った。机の上でノートを広げて鬼気迫る表情で計算式を書いていく。ガリガリとペンの動く音が静かに響いた。それは以前エックスから教わったランクとキャンバスの面積の関係だ。夢の中で得た閃きを確認している。
ランク100に至ることは無限の広さを持ったキャンバスを手に入れることに等しい。この数式は一切の誤りなく正しいのだと確信した。そして。もしそうなら。
「ランク97ではおよそ34。ランク98では49。ランク99では99。ランク99を5つに分けるなら、20が4つに19が1つ」
解は得た。絶対の確証があるわけではない。だが。
「いける。これなら、きっと上手くいく」
公平は自分に言い聞かせるように言った。