「理想郷」が動き出す⑤
エックスの部屋で待機していたナイトと朝倉。二人の眼前で空間の裂け目が開いてぞろぞろと魔女が出てくる。一様に傷ついており息も絶え絶えと言った感じだ。
「これは一体……。ああっ!?ヴィクトリー!大丈夫でしたか!?」
「ええ……。なんとか。でも疲れちゃったから少し寝かせて……」
そう言うとそのまま倒れるようにして眠りにつく。ナイトはそれとワールドたちを交互に見た。
「こ、これは……?エックスはどこに?」
「……ごめんなさいナイト。私も少し休ませてくれませんか。説明はこの人間にしてもらってください……」
言うとワールドは机の上に吾我と杉本を置いた。その後トリガーを連れて、ローズに案内されるままにエックスの寝室に入っていく。部屋の主がいないのに勝手に使って申し訳ないが、今はそうも言っていられない。ローズも自分の部屋に入っていった。どこか落ち込んだ様子で「ごめん」とだけ彼女は言った。
ユートピアに打ちのめされた後では戦うのもやっとの状態だった。またいつ敵が襲ってくるか分からない。少しでも身体を休めておきたかった。
ナイトは困惑しながら吾我を見下ろす。公平は気を失ったままでローズに連れられて彼女の部屋にいる。ミライはヴィクトリーと一緒に眠っていた。元気そうなのは彼ら二人だけだ。
取り敢えず、床に眠ったままではいけないので、ヴィクトリーのために魔法で簡単な布団を作って彼女をそこに運ぶ。その間全く目覚める様子はなかった。そして改めて、吾我たちに目を向ける。
「一体何があった?」
「俺もその場にいたわけじゃない。だが、聞いたところによると……」
X04……ユートピアの存在。その圧倒的なまでの力。彼女の力でエックスが敵に操られた事などを話す。一つ一つを話すたびにナイトの表情は曇っていき、最後には逆に乾いた笑いが零れてしまった。頬を一筋の冷や汗が伝う。一緒に話を聞いていた朝倉は引いた表情だ。
「じょ、冗談でしょ?一個くらいウソ吐いてませんか?」
「俺もそう思いたいが……。すまない……。俺たちも休ませてほしい。色々と整理がつかないんだ」
「……ああ。そうだな。美緒も休め。この場は私が守るよ」
ナイトの言葉に甘えて仮眠をとることにした。人間世界では日本時間でまだ夕方ごろ。それでも彼らはすぐに寝付いてしまった。疲労はさほどない。これは殆ど自棄になった末の現実逃避のようなものだった。
彼らにとって、エックスの存在は心の支えでもあった。彼女さえいれば最悪どうとでもなると思っていた。それがたった一人の魔女により覆されてしまった。次の一手も思いつかない状態。これ以上考えても何から始めればいいのか分からない。だから身体を休めるという言い訳で眠った。目が覚めたら全部夢であることをどこかで祈っている。
ナイトはそれをどこか分かっていた。だがそれでも希望の通り寝かせてやることしかできない。
静かな時間が暫く流れた。いつしか人間世界・日本では日が変わり朝日が昇り始める時間になっていた。エックスの部屋には時計が無いので感覚的にしか分からないが。
それから少しして、吾我と杉本は殆ど同時に目を覚ました。二人ともある気配を感じ取ったからだ。間借りしていた公平の部屋から飛び出してくる。
「バカな……。奴らもう来たのか?早すぎる……!」
「この感じは……ソードと、エックス……!?」
人間世界に二人の魔女が現れた。吾我は覚悟を決めたようにして裂け目を開く。あの気配を受けても魔女は未だ目を覚まさない。戦える状態ではないのだ。どれだけ逃げても現実は変わらない。やるべきことが分からないなら、目の前の問題を一つずつ片付けていくしかない。杉本と顔を見合わせ互いに頷く。
「行くぞ」
「はい!」
「ま、待った!」
ナイトがそれを止める。吾我たちは彼女を見上げた。
「無理だ。お前たちでは勝ち目がない」
「関係ない。このままやつ等の好きにさせてたまるか!」
「……分かっているさ。だがダメだ」
言うとナイトは吾我たちを払いのけ、彼が開いた裂け目を更に広げる。
「ローズの見ていないところで、アイツの弟子を死なせるわけにはいかないからな。ここは私がいくよ」
「……っ!待て!勝ち目がないのはお前だって……!」
「それでも時間稼ぎくらいはするさ。これだけの魔女が揃っているんだ。みんなが目覚めれば、きっとどうにかなる」
その時自分は何もできない。そう思った。全然力不足だ。だから戦えるのは今しかない。皆が戦えない今この時。
「じゃあな」
そう言ってナイトは裂け目を潜りぬけていく。直後、裂け目は塞がった。吾我は咄嗟に手を伸ばしたが届かない。小さく震えながら拳を握りしめる。
「何を言われようと関係ない……!行くぞ優!」
もう一度裂け目を開こうとする二人を魔法の光が妨害した。吾我は咄嗟に振り返る。
「何をする!朝倉美緒!」
「何って?邪魔ですよ?」
ワールドと一緒にエックスの部屋で休んでいた彼女はナイトの意をくんだ。この拠点も、ここで休んでいる者も守る。その役目は自分が引き継ぐ。ただし自分なりのやり方で。朝倉は二人を見下すようにして笑ってみせた。
「行きたければどうぞ?私を倒して行けばいい。私に勝てない状態では行ったところで邪魔なだけですし?」
「いい加減にしろよ……!」
吾我は斧を構えた。倒さなければ先へ行けないなら倒すまで。
だが朝倉は倒される気も倒す気もなかった。目的は時間を稼ぐこと。ナイトがやり切るまでここに引き付けておくことだ。
「キサナドゥのテストがしたいね」
公平を仕留めることが出来なかったのは、恐らくエックスの心が邪魔をしたから。
ではどこまでの事ならやれるのだろうか。確認しておく必要がある。
「ワールドたちは疲弊している。今なら邪魔されないだろう。今のキサナドゥにはどれだけの事が出来るのか。逆に言うならどれだけの事ならエックスが妨害出来るのか。確認しておこう」
ユートピアは手を右から左へ払うように動かした。それと連動して空間上に裂け目が開く。行先は、人間世界。
「ソード。キミも着いていってあげて。まだ動けないと思うけどそれでももし、ワールドかヴィクトリーが来たらキミが抑えるんだ」
「ああ」
裂け目の向こう側はどこかの国の真夜中の街。明かりはなく人通りも全くない。
ユートピアはエックスの心と記憶を覗き込んでいる。彼女が拠点としている街も知っている。そこを選ばなかったのは、エックスがどこまでの相手であれば邪魔をしてくるのか確認するためだ。ここを上手く蹂躙できれば、次は彼女の街を襲わせる。
「……えー。面白くないなー。小人が一匹もいないなんて」
キサナドゥは周囲の探知を始めた。少し歩いた先のマンションに近づいていく。キサナドゥは足元を気にしない。進行方向にある建物は全部踏みつぶして進んでいく。地面の揺れと何かが砕ける音に住人が外に飛び出す。そして、皆がその原因となる巨人を見上げた。
「ここにいっぱいいるね……。ふふっ……」
一番たくさん人が住んでいる集合住宅。キサナドゥはその屋上に足を載せた。
「さあ。始めようか……!」
そのまま一気に踏みつぶした。ガラスと破片の雨が降って、砂糖菓子よりも容易く砕かれる。ガス管でも砕いたのか炎が街を包んだ。そこで初めて彼女の足元で悲鳴が上がる。巨人から少しでも離れようと他の者を押しのけて逃げようとする。その姿にキサナドゥの巨体が快楽に震えた。
「そう……。そうだよ……。そう来なくっちゃあ」
彼女の目についた人間には巨大な足を踏み下ろされる。地を這う小人には足は無軌道に下ろされているようにしか感じられない。だが神のような高次元の視点から見ればキサナドゥの意図はすぐに分かる。逃げ惑う人の集合がどんどん大きくなるように足で追い詰めている。ある程度まで人が集まったところでまとめて踏んだ。
「ああ……最高……」
キサナドゥのその姿を、ソードは上空で見つめている。
「な、なにをやっているんだアイツは……?」
キサナドゥは気付いていない。確かに彼女は、街や建物を破壊することはできた。長期的に見ればこの被害で人が死ぬこともあるだろう。だが今この瞬間に限って言うなら話が違う。彼女が踏み潰そうとした人間は、実際に潰されるより早く他の場所に移動させられていた。キサナドゥの蹂躙の影響を受けないくらいに遠くへ。結果的には誰一人殺せていないことになる。
では、実際に彼らを逃がしたのは誰か。それは他でもないキサナドゥ自身。もっと正確に言うなら──。
「……誰も。死なせるもんか」
心の中で必死に抵抗しているエックスだった。
公平への攻撃を止めた時のように。彼女はがむしゃらに必死に、操作できない肉体をそれでも動かそうと抗っていたのだ。
この状況は面白くない。ソードはキサナドゥに声をかける。
「……おい。キサナドゥ。足で踏み潰すのも飽きたんじゃないか?」
「ええ~?うーん。言われてみれば?」
「指で磨り潰してやれ。間近でムシケラの潰れる顔が見れて愉快だぞ」
「おおー。面白そう!」
巨人の会話。自分たちを覗く緋色の瞳。足元を逃げ惑う人々の叫びが大きくなる。キサナドゥの巨大な指が一人の小人を捕えた。
もしもこれでもなおエックスが抗ったとしても、キサナドゥは人間が離脱する瞬間を目撃することになる。そうなれば内なるエックスの反抗にも気づくはずだ。ソードはそう考えた。
親指と人差し指の間で必死にもがいている。緋色の瞳がその姿をよく見ようと近づいてくる。小人は自分を嘲笑うような巨大な目に悲鳴を上げた。
「さあて。どこまで耐えられるかなー?」
少しずつ力が強くなる。それに伴って叫び声も大きくなっていく。だが。実際に押し潰してしまったり、骨を折ったりする前に、彼は別の場所へと移動させられる。そこまではソードも想定できていた。問題なのは。
「クスクス。もう潰れちゃったんだあ。よっわあ」
キサナドゥ自身がそれに気づいていないということ。
『……ユートピア。ダメだ。キサナドゥはまるで使い物にならない』
念話で語り掛ける。返ってきた声も困惑している様子であった。
『正直驚いたよ。こんなの初めてだ。エックスのヤツ、そこまで抵抗するなんてねえ』
『一体どうなっているんだ』
『まあ、こうなった原因は想像がつく』
『愛とか絆とかの力、とか言うなよ』
『……ふふっ。まあいいや。ここまでにしておこう。そのままそっちで遊んできてもいいし、撤収しても……』
その時、キサナドゥのすぐ目の前で空間の裂け目が開いた。ソードは一瞬身構えたが、そこから現れた気配の正体に気付くとすぐに緊張を解いた。
「おお。ナイトじゃないか。何の真似だ?まさか私たちと戦うとか言わないよな」
「そのまさかだ。自分でも何をやっているんだか分からないよ」
ナイトは『裁きの剣』を構えた。ソードたちが現れてからそんなに時間が経っていない。それでももう既にいくつも建物は踏み荒らされていた。真夜中の街は炎に包まれ赤く照らされている。人間が死んだ様子が無いのは、エックスが抵抗したからだと分かった。これ以上彼女を苦しめるわけにはいかない。少しでも時間を稼ぐ。目の前にいるエックスの身体を奪い取った仮装人格の魔女、キサナドゥを見る。彼女は視線に気づくと虚ろな瞳で微笑みながら手を振ってきた。
「初めましてだねナイト。『ワタシ』と遊んでくれるのかな?」
「いやお前は下がれ」
言うとソードが空から降りてきてキサナドゥの前に立た。キサナドゥが正しく動作しないのはエックスの心が邪魔しているから。彼女の心を砕かなくては、キサナドゥは不完全なままだ。ではどうすればいいのか。ソードにもユートピアにもその答えは分かっている。
『あの人間。エックスのお気に入り。アイツをキサナドゥに殺させるんだ。あの子の身体で潰してしまえばそれでいい。無理やり握りつぶさせてもいい。強引に踏みつぶさせてもいい。それできっとエックスの心が死ぬ。キサナドゥがあの身体の支配者になる』
ソードの目的は公平を捕えることに切り替わった。その為にはここまで来てもらわなくてはならない。適当な街をいくつか破壊すれば、その場にエックスがいれば必ず現れる。
それにもう一つ、公平をおびき寄せようとするのには理由がある。油断していたとは言え一撃でやられてしまった屈辱。それを何としても晴らさなくてはならない。ユートピアは止めたが、ここは譲れなかった。
「私の身体もうずいてしまったよ。ここから先は譲ってくれ。ついでにナイトも粛清するさ」
「えぇー。今日は『ワタシ』の好きにしていいんじゃないのぉー」
「ははは。まあ許してくれ。私だって少しくらい遊びたいんだよ」
「貴様……!舐めるな!」
幸いキサナドゥが暴れたお陰で周囲に人はいなくなっていた。『裁きの剣』を携え地を鳴らしながら駆けだす。ソードはその姿を鼻で笑った。
「そんな模造品でどうにかできると思うか!」
『断罪の剣』は『裁きの剣』のオリジナル。その刃が容易くナイトの剣を破壊する。
「まだだ!」
ぶつかり合えば敵わないことなど分かっている。ナイトに出来ることは手数を増やすことだけ。破壊された傍から次の剣を発動させソードを突く。
「……!」
「だから。無意味だ」
だがしかし、ソードもまた二本目の剣を手に取りナイトの一突きを防いだ。そのまま彼女を斬り飛ばす。鎧に身を包んだ巨体が崩れかけた建物をいくつも押しつぶしながら倒れ込む。
「さて。まだやるかな?」
「勿論……!」
ナイトは両手を広げて『裁きの剣』を多数同時に発動させた。ソードは呆れ半分のため息を吐く。一気に放たれる剣の雨は全て捌き切られてしまった。
「……む?」
ソードは気付いた。その一瞬でナイトはある魔法の準備を完了していた。深く息を吐き、呪文を唱える。
「『宵闇の衣』」
彼女の身体が漆黒のローブを纏う。夜の闇に溶けていって姿が消えた。
「ほう……。そんな魔法があったか」
ナイトはこの魔法を嫌っていた。夜の闇に紛れて暗闇から敵を討つ。この魔法を纏っている間は魔力による探知からも身を隠すことができる。ヴィクトリーのように正々堂々と戦う魔女とは真逆の戦い方だ。だからずっと隠してきた。だがこの状況になればもう手段を選んではいられない。一番得意な魔法がこれならばこれで戦うまでだ。
ナイトはソードの死角から連続で切りつける。ほんの少しずつだが傷を負わせることが出来ている。これで少しでも粘る。倒せずともいい。ワールドかヴィクトリーが来てくれればきっとどうにかしてくれると信じた。
「……うっとおしいな。『断罪の剣・完全開放』!」
上空に剣を投げ、完全開放が発動する。13本の剣が創りだす球状のネットワークが小さな太陽のような輝きを放った。そしてそれによってナイトの姿が露わになる。
「なにっ!?」
街が燃える炎程度の灯りならば問題はない。だが完全開放が秘めるエネルギーの光を前にしては魔法が維持できない。背後から斬りつける直前に、ソードの回し蹴りに剣を弾き飛ばされた。
「くっ!」
そのまま首を掴まれ持ち上げられる。四肢を必死に動かして逃げ出そうとするもソードの腕はビクともしない。
「は、離せ……っ!」
「ここまでだ。じゃあなナイト」
言うと剣のネットワークに向かってナイトを放り投げた。痺れるような魔力場が近づいてくる。
(ここまでか)
ぎゅっと目を閉じた、その時。二つの『怒りの剛腕』が彼女を受け止めた。
「……え?え?」
困惑するナイトをゆっくりと地面に下す。ソードは一瞬目を見開いて、足元で近づいてくる気配に視線を向ける。天に掲げた手を下ろしながら、燃える街の中を彼は歩いてくる。
「来たなァ……。ムシケラ」
「来てやったよ。クソザコ」