「未知」との時間①
結婚した二人は何をするのか。その命題に、公平もエックスも答えを出せないまま一週間過ぎた。二人の時間は公平が大学から帰ってきてから、やる事は基本的に魔法の練習かおしゃべりか食事。夜になったら他愛のない話をして、眠くなってきたら寝る。──本当に寝るだけ。これが中高生のカップルなら健全で初々しいお付き合いだろうが、夫婦であると考えると何だかまずい関係性のようにも思えた。
(……セックスか?とどのつまりセックスすればいいのか?)公平はベッドの中、エックスの隣で考えた。
(や、けどどうやってやるんだよ!?ボクと公平って大きさ全然違うじゃん!こんな言い方したくないけど人と虫くらい違うじゃん!)エックスもまた悶々としている。
──二人を悩ませているのは、結局この体格差である。普通の男女なら出来る事がこの二人には出来ない事が多すぎた。一応エックスには解決策があるにはある。それが出来ない理由もあるが。
(……けど、このままは嫌だな)
エックスはその夜大いに悩んだ。悩んで悩んでその末に、眠ってしまった。
公平は眠い瞼をこすりながら目を覚ました。今日は金曜日。午前中はシラバスで発見したヘンテコな授業がある。今日はそれだけだ。極力金曜日には授業を取らない事にしているが面白そうだったので取った。そんな金曜2限の授業、「カレーとスパイスの歴史等」は「教授の趣味」と呼ばれている。実際はそんなことないのだろうがそうとしか思えない。ちなみにスパイスの歴史だが、公平は既に飽きていた。本格的にスパイスの歴史を勉強させられるのは思いのほか退屈である。教養の単位は充分取れているので捨ててしまおうかとも思った。そうなると今日はエックスと1日一緒か、そう思いながら彼女のいる方を見る。
第一に、エックスはすうすう寝ている。実に気持ちよさそうだ。いいことである。……第二に、隣で女が寝ている。公平と同じくらいの背丈の綺麗な女。エックスによく似ている。というよりもエックスの寝顔そのものにも見える。
「おい……おーい……?」
恐る恐る女の肩を揺する。ここにいるという事は魔女かその関係者、なぜエックスの生き写しかは分からない。色々と、可能性を考えてみた。例えばこの女がエックスの本体なのではないか。普段のエックスは実は巨大ロボのようなもので中でこの女──暫定的にエックス(小)とするが、彼女が操縦しているのではなかろうか。だとしたらこの巨大な方は?明らかに呼吸をしている。生きている。なのにロボ説はつじつまが合わないのでは?
「やめてー。もうちょっとねかせてよー」
では、このエックス(小)は実はワールドあたりが作ったニセモノでは?例えば、前の廃墟の時にもニセエックスが出てきた。可能性はある。しかし問題は大きいエックスと小さいエックスがいたらどっちが本物でどっちがニセモノか一瞬で分かるという事だ。そんな愚行をワールドがするだろうか?
「やめてって。もう起きたよ」
いや、もしかしたらそれすら作戦かも……。あえて大きいエックスのニセモノを作り、本当のエックスを小さくすることで仲間割れを……。
「……やめっやめろ!起きたって言ってるだろ!」
「ああ、ゴメン。ところでお前は本物のエックスか?」
「何だ本物って。ああ、やっぱりダミーを作ってたんだ……。変な事考えながら寝るもんじゃないね」
エックス(小)は寝息を立てているエックスを見上げながら言った。
「ダミー?」
「この小さい魔法で作った体の事。今はこっちに意識を持ってきてる」
「つまりエックス(小)は」
「何(小)って」
「便宜上区別をつけただけだから気にしなくていい。エックス(小)は本物ではないけど本物だってことだな」
「……うん、まあそんな感じ」
エックスはちょっと困りながら言った。決して間違っているわけじゃないが公平の言い方のIQが非常に低かったからだ。
「まあ、エックスの魔法でこうなったならすぐに戻れるんだろ。よかったよかった」
「え。うーんまあ、そうねえ」
なんだか煮え切らない様子である。気になる。
「どうかした?何か思う所でも?」
「え?うん、えーっと」
エックスは少しの間もじもじして、それからおずおずと口に出す。
「ボクも学校行ってみたいなあって……」
公平は目をぱちくりさせる。スパイスの歴史を聞きに行く理由が出来てしまった。
「え?授業にも出るのか!?」
「あ、ダメだよねやっぱ……」
「や、多分大丈夫だと思うけど」
スパイスの歴史はその退屈な内容に反して人気があり、出席率も高い授業だ。理由は簡単。出席さえすればあとは寝ていようが携帯弄ってようが問題なく単位がもらえるからだ。アウトなのは私語だけ。聞いている人の邪魔になるとのことだ。しかしこの授業を真面目に聞いている変わり者なんて存在しないので、学生の間では教授が不愉快になるからダメなのだという事で共通理解が出来ている。そんな授業だから仮に生徒じゃない人間が一人紛れ込んでも誰も気にしない。エックスが行っても問題はないと思われた。
「けどつまんねえぞ。正直家で寝てた方がいいぞ」
「そんなことないよ。面白いところだってあるはずだ」
「……ま、いいけどさ」
言いながら公平とエックスは坂を上っていく。徒歩で行きたいと言ったのはエックスだった。
「せっかくの初デートなんだから、過程も楽しまないとね」
「そうか……これデートだったのか」
そんなつもりは無かったのだがデートと言われればデートかもしれない。
「おー、きれい!」
道に咲いてる花を見ながら言った。楽しそうでなによりだ。
「もうちょっと早かったら桜も咲いてたよ。それも綺麗だ」
「へー。じゃあ来年また連れてきてよ!」
「うん。来年。絶対」
教室に入ると思いのほか人が少なかった。
「こんなもん?」
「いや……。ああ、あれか橋だ」
「橋?」
「先週橋何本もぶっ壊れたろ?あれでバスの運行めちゃくちゃになってるんだ。俺だって近くの橋死んでるから、今日遠回りしてきたし」
「ウソ……」エックスの顔がさあっと青くなる。言われてみればワールドと戦っているとき何本も橋を踏みつぶした記憶がある。公平は今にも泣きだしそうな彼女に困った。
「いやいやエックスが悪いんじゃないじゃん!この程度で済んで良かったんだって!」
「ううっ……」
「ほらっ授業始まるよ!もうすぐ教授来るから!元気出そう?ねっ?」
エックスは無言で小さく頷く。余計な事言ったかなと胸が痛い。
教授は無事に現れた。酷い猫背が特徴的な痩せぎすのおじさんである。彼はいつものように世間話もなくレジュメと出席表を配り、スライドを写し、授業を始めた。幸いレジュメは大量に余っているのでエックスにも一部渡す。表題はスパイスの歴史(カレー⑤)である。現状この授業カレーの話しかしていない。これは1年目にこの授業を取った田中からの情報なのだが、スパイスの歴史は7月までずっとカレーの話をしていて、他の話はハイスピードで終わらせるとの事である。よってスパイスの歴史はほぼカレーの歴史なのである。
「公平公平」
エックスが小声で話しかけてくる。私語厳禁なのだがと思いつつ「何?」と返した。
「カレーって何?」
何かの冗談かと思った。前から思っていた事だがエックスの世界は変なところでずれている。
「カレーは……カレーは、子供に人気の料理。または簡単に作れる大学生の味方」
「ええ、これ簡単に作れるの?スパイスとかいっぱい種類あるけど?」
「こんなもん使わなくたっていいんだ。カレールゥって言って、えっと、カレーの素があるんだ。スパイスがどうとかそんなめんどくさい事しなくても作れるんだよ」
「ふーん。ボクでも作れるかな」
「余裕余裕。俺が作れるんだから」
「じゃあ今度作って……あ」
「うん?」エックスの様子がおかしい。公平の顔ではなくちょっと上を見ている。振り返るとそこには猫背の教授がいた。
「あ……おはようございます……」
「出席簿に○つけた?」教授は公平の挨拶には答えず淡々と言った。
「いえ、まだです……」
「そう。じゃあ出てって」
「……はい」
この教授はこういうタイプだ。怒鳴りつけたりはしないが、うるさい輩がいると即追い出してくる。何度か見た事はあるが、自分が追い出されたのは初めてだった。
「ゴメン……」
「いや、今回は俺が油断してたのが悪い。気にしなくていいよ」
追い出された二人はとぼとぼと大学構内を歩いている。エックスが落ち込んでいるのがかわいそうだった。彼女を連れて生協のコンビニに行きアイスを買う。
「はいこれ。ただのアイスキャンディーだけど」
「ありがと……」
エックスはぺろぺろとアイスを舐めた。どうしてそれの食べ方は知ってるのにカレーの事を知らないのか不思議である。
「ていうか、その身体でアイス食えるんだな」
「うん、まあね。味も分かるよ。冷たくて甘い」
「ふーん。なんか不思議な感じだな」
それから公平は自分のアイスを食べ始めた。だんだん暑くなってきた。もうすぐ夏が来る。
ふと、思いついたことがある。時計を見るともう11時。お昼には早いが店は開いてる。
「エックス。それ終わったらカレー食べに行こうか」
公平が通う大学の敷地内にはカレーショップがある。ちょっと分かりにくいところにあるので新入生はなかなかたどり着けない。扉を開けるとカレーの臭いがしてくるのだ。
「あ……すごいね。これカレーの臭い?」
「そうだね。まだ11時で人もいないしすぐに食べられるぞ」
公平はカウンターに行き、ポークカレーを注文した。エックスには同じものを頼んだ。ポークカレーは大盛りにしても650円。安い。初めて入ってから暫くは毎日ここでカレーを食べていたものだ。カレーはすぐに完成する。基本作り置きにしてあるので後は皿に盛るだけでいいのだ。安い代わりにセルフサービスである。持ってきたカレーに、エックスは目を輝かせた。
「これがカレー……」
恐る恐るスプーンを手に取り、一口分のカレーを掬い、まず匂いを嗅ぐ。
「これが辛いやつだよね?辛いからカレーなの?」
「困った事にそれは多分関係ないんだ」
言いながら公平はカレーを食べていく。それを見てエックスも一口食べた。
「……んっ」
「どう?美味い?」
エックスは無言で首を上下する。口を手で隠してはいるが沢山動かして味わってるのが分かる。心なしか目が輝いているようにも見えた。飲み込んでから暫くカレーの皿を見つめる。
「公平」
「ん?」
「最初に聞いておくね。これお代わりしていい?」
「……どうぞ」
エックスの顔がぱあっと明るくなった。
「おいしい!よーしっ次はシーフードだ!」
公平は唖然としていた。お代わりしてもいいとは言ったがメニューの端か端まで頼んでいいと言った覚えはない。幸いお金はある。だけどカレーの為に全部使うつもりではなかった。
「えーっと、エックスさん?あと何杯食べるおつもりで?」
「うん?ちょっと待ってね。……あと2杯!ああ!これも美味しい!次は何かな?ハヤシライス?木?ホワイトカレー?なにそれ!」
「……マジで全部食うのかお前」
所詮大学の食堂。メニューが少なくて良かった。どうやら本当に全部食べるつもりらしい。大学を出てしばらく行った先にもカレー屋はあるが、そっちに連れて行かなくてよかった。しかし、その身体のどこに入っているのか。あるいは部屋で寝ているエックス本体の胃袋に繋がっているのかもしれない。
「合計で10杯か。この店の新記録かもね」
「公平!ハヤシライス辛くない!」
「うん。そうだね」
公平は時間を確認した。11時45分。45分でカレー10杯。ちょっと驚きだ。大食いに挑戦させたらいいとこ行くかもしれない。
ホワイトカレーの一口一口を愛おしそうに噛み締めるエックスを眺めていると、食堂の戸が開いた。
「あれ、公平じゃん」
「うん?」
声の方に振り返ると田中がいた。「ホワイトカレー頼んでる人初めて見たわ。誰その子。まさか彼女か?そんなわけないか」
「否定が早い!せめて答えを待てよ!」
「友達?見たことないけど新入生?アレでもどっかで見たことあるような……」
「この子は俺のお嫁さんだよ」
「は?お前頭打った?」
エックスは公平たちの会話には入らず、もしかしたら聞こえていないのかもしれないが、ホワイトカレーを黙々と食べている。よくよく見たらその皿は既に半分以上処理されている。その傍らに積まれた大量の皿を見て、田中は言った。
「公平、お前食いすぎだって」
「俺じゃねえから!」
「じゃあそこのホワイトカレーさんがそんなに食ったっていうのか?お前仮にも嫁さんって言うなら気持ち考えてやれよ。大食いって思われたらかわいそうだとか思わないの?」
「コイツ……!」
田中は無駄に正論で返してきた。言われてみればその通りと言った感じである。言い返したいが何も言い返せなかった。
「お前のような女心の分からない奴に彼女が出来るわけがない。ましてやこんな綺麗な人が嫁さんになるなんて天地がひっくり返っても有りえない。よっし論破」
「……ちょっと待て。俺は一体何を論破されたんだ?」
「それが分からないからお前はダメなんだ」
「……どちら様ですか?」
ようやくエックスは田中に気が付いた。皿を見るとホワイトカレーが消えている。
「ああ、どうも。田中って言います。コイツの友達」
「ああ……田中さん……。話は聞いてます。ヨロシク……」
エックスがぺこりと頭を下げる何だか急に元気がない。というかいつもと雰囲気が違って緊張しているようだった。そんなキャラじゃないだろうに。
「あ、公平ごちそうさま。カレーっておいしいねえ」
そう言ってエックスは空になったホワイトカレーの皿を積み上げられた塔のてっぺんに乗せる。それを見て田中は目を丸くした。
「マジでホワイトカレーさんが全部食べたのか」
「ホワイト?」
「そんな名前じゃないわ。ほら、カレー食うんだろ?さっさと注文して来いよ」
「……いや、俺はここでは食わない。お前もう授業ないだろ?帰ろうぜ」
「お前は何しに来たんだよ?授業これからじゃねーのか?」
「どーでもいいのこの後の授業とか。どーせ教授の趣味だし。それより飯の方が大事なの」
エックスはきょとんとしながら田中を見つめる。
田中につれられた先はラーメン屋『富士』。
「ここの名物知ってるか」田中が聞いてくる。
「富士山ラーメンだろ」
『富士山ラーメン』は、通常サイズの3倍の大きさの丼に入れられたラーメンの上に山盛りの野菜を盛りつけ、上から雪のように背脂を振り掛けられた特大ラーメンである。一杯五千円。ただし一人で完食できればタダ。30分以内で食べきる事ができれば1万円がもらえる。公平も偶に挑戦者を見るが誰もが撃沈している。
「何も今日じゃなくたっていいだろ。アイツさっきカレー十杯食ってんだぞ」公平は小声で田中に言う。
「いや、ワンチャンあるって。あの子全然元気に歩いてここまで来たじゃん。本当に腹いっぱいなら動けないだろ」
「そうかなぁ……」エックスは呑気に店の看板を見上げていた。確かに、見た感じ元気そうではある。途中でお金を用意してきたのでダメでも払う事は出来る。だが、その前にエックスに無理をさせたくなかった。ここは、仮にも、いや精神的なエックスの夫として──。
「やっぱダメだ。帰ろうエックス……お?」
居ない。田中もエックスもいない。もう店に入ったのか。
「おい!俺を置いていくなよ!」
「親父!ラーメン並一つと富士山一つね!」
「勝手に注文するんじゃねえ!」
「あーもうぴーちくぱーちくうるせえ奴だな。要はアレだろ?ダメならお前が旦那さんとして払ってあげればいいだけの話だろ?たった五千円じゃねえかケチケチすんなよ」
「俺は金のこと言ってるんじゃ……」
「公平公平」
エックスが何処かを指さしながら呼んでくる。その方を見ると店主が不愉快そうに睨んでいた。大声を出しすぎたようである。今日はこんなことばっかりだ。公平は席について小声で言った。
「金じゃなくてさ、身体を心配してだな……」
「だから、お腹いっぱいになる前に止めればいいの。ねっ。別に無理して全部食わなくていいしさ」
エックスは目をぱちくりさせて何も答えない。こんな人見知りする子じゃなかったと思うのだが。
何も頼まずに席に座っているのは気まずいので、とりあえず半チャーハンを頼んだ。さっき食べたのに何をやっているんだろう。
やがて、ラーメン並よりもチャーハンよりも優先して、富士山ラーメンが運ばれてきた。今のエックスの顔より大きく盛られた野菜の山。呑気に「おー」等と言っているエックス。
「あのな。別に無理しなくていいからね。全部食べられなくっても構わないからさ」
「え、うん」
そして、エックスは野菜の山に箸を刺し、口に持って行く。これは、富士山ラーメン攻略における悪手である。この野菜の山を先に処理しては麺がのびてぐちゃぐちゃになってしまう。
彼女は野菜をもくもくと噛み締めている。一瞬大きく目を見開き、隠そうとしても隠しきれないように笑顔がこぼれた。ゆっくりしっかり味わって一口目を飲み込む。
「うん。……美味しい!」
そんなにこの野菜美味いか。確かにしっかり炒めて味付てあるようであるが。
この時点で完食も無理だろうと判断した。このペースで食べたって麺がのびて美味しくなくなるだけだ。五千円。ところで何で俺だけが払う事になったんだろう。そんなことを思いながら運ばれてきた半チャーハンを食べる。
半チャーハンが更に半分になったころ、食べ始めてから大体5分くらい。ふとエックスの方をみると野菜の山が消えていた。変なところにチャーハンが入ってせき込んでしまう。田中は呆然としていた。一部始終を見ていたのだろうが何が起きてこうなったのかは分からない。ちゅるちゅると麺をすするエックス。すする。すする。途切れない。すすっている麺がなくなる前に次を手繰り寄せて口に持って行く。
「やべえ。十分くらいで食いきっちまうぞ」
それを望んでいたはずなのに田中は若干引いている。正直な事を言うと公平も少し引いた。店主の顔を見るとぽかんと口を開けて気が抜けた顔である。
やがてエックスは麺を食べきりスープまで飲み干して丼を置いた。「ごちそうさま」と手を合わせる。正確なタイムは分からないが田中が言っていた通り十分くらいで食べきってしまった。
「は、ははっ。おい親父、見たか!新記録じゃねえのかこれ!おいちゃんと万札用意しとけよ!ピン札だぞピン札!」
田中がそんなことを言っていたその時、店内が大きく揺れた。
「地震か!?」
「いや……これ多分!」
そう言って公平は店内を飛び出した。揺れる直前に、何かの気配を感じたのだ。魔力が使えるようになった影響かもしれない。
そして外には、巨大な──。
「……トカゲ?」
道路を我が物顔で練り歩く巨大なトカゲ。車よりも大きいそれは竜のようにも見えた。意図して踏みつぶしたりしてこないためか、魔女が動いている時より被害は少なそうである。
「……まあトカゲ一匹くらいやっつけるけどさ」
公平は拳を鳴らしながら言った。後ろから「止めた方がいい」とエックスの声がする。
「なんでさ」
「あれを飼ってる子を知ってる。ペットを傷つけられたら怒り狂う子だ。下手に手を出すと後が厄介だよ」
「あのトカゲ飼い主さん居るの!?」
驚く田中の事を公平は無視するが犬の方はそうもいかないらしく、こっちに近づいてきた。
「おいおいおい。来るよこっち逃げようぜ!」
「ああもう。しょうがないな。エックス行こう……。なにぃ!?」
彼女の方を見やるとキラキラと輝く光の粒子になって消えていくところであった。「ホワイトさーん!?」田中は完全に混乱しているようである。そういえば田中には細かい事を説明していなかったなと思いだした。
二人が慌てる様をエックスは少し呆れたように見ている。
「そんなビックリしなくても……」
そしてそのまま、エックスは消えていった。同時に、空間の裂け目が開き、本来の大きさでエックスは帰ってきた。
「こっちに戻るだけなのにな」
そう言いながらエックスはトカゲをひょいと摘まみ上げた。別の空間の裂け目を開いてポイと放り投げ、そして閉じる。「なるほど」と公平は呟く。エックスは公平たちのいる方に視線を向けて近づいてくる。宙に浮いている状態なので建物を壊したりしないようにしている。
「うわああああ!?こっち来たあ!?」
エックスはスーッと近づいてきて公平と、彼女から逃げようとする田中を捕まえて掌の上に乗せた。頭を抱えて震える田中を見ながら、困った表情で頬を掻く。
「そんなにおっかないかなあ。ボクって」
「まあ、俺も最初こんなんだったからね」
公平は田中の傍に寄り、肩を叩く。「落ち着けって。お前を食べたりしないからさ」
「おまっ、無茶言うなよ」
田中は恐る恐るエックスの顔を見上げた。彼女はにっこり笑って手を振って返した。その顔は、よくよく見ると知っている顔──。
「ホワイトさんじゃんか!」
「どーもぉ。ホワイトでーすっ」エックスは楽しそうに言った。
ゆっくりと、田中は公平の方に顔を持ってくる。そして「マジで?」と言った。
「マジのマジだよ。さっきまで一緒にラーメン食ってた女だ」
「は、ははは……」
壊れたラジオみたいに暫く田中は渇いた笑い声を流し続けた。
公平と田中は『富士』の駐車場で降ろされた。エックスは泳ぐように空を飛んでいる。そんな姿を公平は見つめていた。
「じゃあ、俺もう帰るし。また明日な」田中はバス停に歩いて行く。
「おう。また明日」田中の言葉にそう返した。
「……色々大変だな」楽し気に空を舞うエックスを見つめながら、田中は小さくつぶやいた。公平に背を向けて離れていく。地面に視線を落とし歩いて行く。そうしていると突然地面の色が変わった。
「うん?」
田中は顔を上げる。目の前にはエックスの巨大な顔があった。
「うわあああ!?え、何すか!?」
「えーっと、言い忘れてたことがありまして」
「は、はい?」
何だろう。適当な名前で呼んでたことを怒っているのだろうか。だとしたらどうなるんだろう。ここから落とされるか握りつぶされるか、食べられてしまうか。悪い考えばかりが浮かんできてしまう。ジッと見つめるエックスの目が恐ろしい。ゆっくりとその口が開く。
「あの、ラーメン美味しかった、です。教えてくれてありがとう」
「へ、はい」
「うん。言えた。ごめんね。それだけだったんだ」
「……はい。え?それだけ?」
「うん。ごめんね?帰ってるところなのに捕まえちゃって。そういえばお礼言ってなかったなーって思っちゃってさ」
エックスはそう言って空間の裂け目を開く。「これくぐったらさっきの場所に帰れるよ」
「……はあ」
そう言って田中は裂け目を通っていく。「ばいばーい」という声が聞こえた。そして、さっきまで歩いていた道に帰って来ている。空の上ではエックスが手を振っていた。
「……本当に大変だなあアイツも」
そしてまた、田中は前を向いて歩いて行った。
エックスの部屋。彼女は目を閉じ、立ち尽くしている。後方から炎の矢が飛んできた。わずかな動きでそれをかわし、矢が放たれた方へ右手をかざす。巨大な氷の塊が降った。下から剣が放たれ、氷を砕く。その破片は水に溶け、集まり、網のように形を変えた。そして、下にいた公平を捕らえる。
「はい、ボクの勝ち」公平を捕らえた網を持ち上げて言う。他の魔女を相手にしてこんな風に捕まってしまえば、おしまいだ。
「こんなんありかあ」
エックスの魔法のレッスンは、戦闘訓練中心になっていた。公平は自分の魔力を使えるようになった。魔法も概ね自由にイメージして使えている。だから、ここから先は魔女との戦闘を意識したものになった。
「詠唱無しで使える魔法のレパートリーを増やした方がいいな。今だって使ってたのは炎の矢と裁きの剣だけじゃないか」
「いやでも難しいんだよ。何も言わずにイメージするのってさ」
「声で何を使うか相手にバレたら、対策とられるだろ。難しくても出来るようにならなきゃワールドとは戦えない」
「はーい……」
「よし、じゃあ休憩しようか」
網の魔法を解除し、公平を掌の上に乗せる。椅子に座り、公平を突っついたりして遊んだ。
「休憩にならないぞ」
「んー。そう?」
構わず公平のことを弄ぶ。諦めてされるがままにした。手の上でコロコロ転がされながら思い出した。
「そういえば、エックスって人見知りする方だったんだな」
「んー?そう見えた?」
「見えた」
エックスは公平を転がすのをやめて顔を近づけた。
「ちょっと恐かったんだよね。あの体で外でて知らない人と話すの。あんな小さな体じゃ、何かあっても何もできないし」
「なるほど」
初めてエックスと出会った時のことを思い出す。あの時怖かったのは、エックス相手に何かされても何も抵抗できないからだったと思う。エックスも同じように怖かったのだろうか。
「けど、なんかそんな恐いところでもなかったね。楽しかった」
エックスは笑いながら言う。それが公平には嬉しかった。「なら良かったよ。また今度遊びに行こう」
「うん。そうだね」
今度はエックスをどこに連れていこうかな。公平はそんなことを考えた。
今度は公平はどこに連れて行ってくれるんだろう。エックスはそんな事を考えている。