「未知」との出会い
何かが、欠けている。いつからかそういう感覚でいっぱいになっていた。公平は地方の国立大に通っている。地元を出て現在一人暮らし。生協で紹介された六畳一間のアパートを借りていた。隣の家のせいで日当たりは悪く何となくジメジメしている。このアパートもできる事なら出ていきたいのだが、それが出来ない。
欠けているのはお金だろうか。公平はそれは違うと思った。突如大金が湧いて出てくる妄想をしても、大したことは思いつかない。せいぜいこのアパートを出て、PCを買い替えて、車を買って──。
それで、満たされるとはとても思えなかった。金があってもなくても変わらない。住む場所がこのボロアパートでもイオンの近くのきれいなマンションでも同じように感じた。では何が欠けているのか。友人の田中の言葉。『彼女じゃねえの?』
そうかもしれないし、仮に彼女がいても疲れるだけで結局満たされないのではじゃないかと思う自分もいる。彼女を作ったことのない公平では分からない。欠けているもの考えても分からなくて少し頭が痛くなる。寝る前に考え出すと眠気が飛ぶ。そういう時、公平は外に出る。
こっちに来て三度目の春が過ぎ去ろうとしている。桜はもう散ってしまった。外は少し寒かった。卒業後のことを考えると憂鬱になった。まだ先の事、とは言えない。できれば進学したいが実家が許さないだろうなと思う。公平は目的もなくアパートの階段を下りて行った。とりあえず適当に歩いてコンビニまで行くことにする。
雲一つない星空だった。昔は星が好きだった。地球に近づいている宇宙人は本気でいると思っていた。そんな彼らの姿や遠い星の文明を想像すると頭の奥が熱くなったことを思い出す。
「宇宙人来てもいいんだぞ……」
そんな事を見上げながら言ってみる。真上の空は変わらずにいた。苦笑して視線を地面に落とす。途中で何か違和感を覚えて、もう一度空を見た。きれいな星空だった。ただ、一部星が何もない空間があった。確か何とかとかいう星座の一部分が欠けている。
それは穴だった。突如としてブラックホールでも出来たのかとも思ったが、それにしては地上に近い気がする。雲があれば位置関係もはっきりするだろうが、多分穴の方が地上に近いはずだ。
「なんだあれ」
穴から何かが落ちてきた。始めは何かわからなかったが、近づいてくるとそれが人型をしていると分かった。概ね人である。あえて違う点を挙げるならそれは──。
「……でかくね」
具体的な大きさは分からないが、大きい事だけは分かる。人間として常識的な範疇を超えて大きい。最悪なのは公平に向かって落ちてきている。公平は恐くなって走り出した。どこに逃げたらいいか分からないがとにかく逃げる。前だけ見てとにかく走る。運動不足の割には走れるな、と息切れしながら考えた。どれくらい走っただろうと上を見た。真上に巨人の足が迫っている。片足だけで視界がいっぱいになった。わああああと叫んで、そのまま転んだ。
ずずんと、地響きがした。公平はまず自分が生きているのを確認し、巨人の両足の間にいることを把握した。
「あっぶな……」
「あっぶな……」
二人分の声が重なる。公平が見上げると巨人の手が迫っていた。ヘンテコな悲鳴を上げながら、巨人のエレベーターに運ばれる。ジーンズみたいなものを履いた下半身を超えて。固まった血のような赤い服を着た上半身を超えて。そして掌に載せられて顔の前に連れていかれる。一瞬、恐怖を忘れて奇麗だと思った。茶髪のショートが風に揺れて緋色の瞳がパチクリしている。そんな巨人の目が近づいてきた。
「危ないだろっ。何でボクの足元に走ってきたんだキミは」
「な、なにがどうしてこうなったか分からなかったもんで」
公平の慌てぶりがおかしかったのか巨人はクスクス笑った。
「まあ無事でよかったけど」
巨人はそれからクンクンとにおいをかいできた。次は舐められて、そのまま食べられるのではないかと気が気じゃない。巨人の口は公平をそのまま一飲みに出来そうなほどに巨大である。半分泣きそうになって食べないでくださいと懇願した。
「食べません!」
巨人は顔を真っ赤にして言った。心なしか怒っている気がした。ただでさえ何をされるか分からないのに、機嫌が悪くなったらどうなるか考えるだけで恐ろしい。
「ま、いっか。そんなことより手を貸してよ」
巨人はそれからふたつの簡単な指示を出した。ひとつめ、右手を上にあげること。ふたつめ、開けと言いながら右手を下すこと。公平にはとっては逆らったら何をされるか分からない命令でしかない。言われるままに右手を上げた。
「開けっ」
公平は手を下す。右手に、何かの力が集まってくる気がしていた。そして、手の軌跡に沿って空間に裂け目が出来て──。
「穴開いたぁ!?」
「ハイありがと」
巨人はその穴を無理やり広げて中に入っていく。その向こうには、巨人サイズの家具のおいてある部屋があった。
「ごめん扉を閉じてほしいな。って、ありゃま」
公平は気を失っていた。彼の脳は目の前の現実にオーバーヒートしてとりあえずぶっ倒れることにしたのである。
--------------〇--------------
公平は夢を見ていた。巨人が出てきて食べられる夢だ。ぎゃああと叫びながら目を覚ます。
「……そうか。夢だ。夢だったんだ。昨日のは全部」
きっと自分は外に出なかったのだと思った。あのまま寝たのだ。そしておかしな夢を見たのだ。やけにリアルな夢だった、いやそうでもないな巨人がいるわけないしなどと自分に言い聞かせながら、公平は布団を出た。出て気付いた。この布団でかい。いやでかいとかそういうレベルじゃない。公平が使うようなものではない。このサイズはまさに夢に出てきた巨人が使うような……。
背後から、すうすうと巨大な寝息が聞こえる。おそるおそる振り返ると、果たしてそこには夢に出てきた巨人が気持ちよさそうに眠っていた。
「ぎゃあああああ!」
ううん、と巨人は声を出す。心なしか不機嫌そうな顔になった。公平はひいひい言って布団の中に潜った。頭を抱えて団子みたいに丸くなってぶるぶる震えた。布と布がこすれる音がする。布団が波を打った。助けて、そう思いながらぎゅっと目を閉じる。ずんと音がして、公平の身体は一瞬宙に浮いて、落ちた。想定外の痛みで苦しい。涙目で咳をしながらおそるおそる目を開いた。目の前には巨大な壁が出来ていた。巨人が寝返りをうって、今自分が腋のあたりにいるのだと理解した。
こんなところにいたらいつ死ぬか分からない。公平は布団の中であてもなく逃げ出す。巨人の身体が再び動き出した。巨人の掌が布団につく。さっきまでの半分無意識の動きではない。明確に何らかの意思で動いている。腕がピンと伸びて、巨体を支えて、持ち上げる。公平が潜っている布団まで持ち上げられて、姿が露になった。
「うーんっ。良く寝たぁ!」
巨人は体を伸ばして気持ちよさそうにしている。それから下を向いてキョロキョロしだした。俺を探している。公平は気付いて逃げようとした。せめて巨人の足のあたり、まだかけ布団が持ち上げられていないところまで隠れたい。地面が柔らかくて、ろくに走れない。「あ」と巨人の声がして、そのまま摘まみ上げられた。
「……どこも怪我してないね。良かった良かった」
巨人はにこにこしながら自分を見ている。その緋色の目には敵意や悪意はないように思える。恐ろしいは恐ろしいが、明るい中でその顔を見ると少し安心した。ただ下に地面が無いのは不安である。下を見ると思いのほか高かった。ただ、落とされても巨人の胸にぶつかるだけで着地点は近いようである。昨日の時点で分かってはいたが巨人は女性だと確認でた。
「どこを見てるんだキミは」
ギクッとして顔を上げた。巨人はジトッとした目で自分を見ている。返事に困ってまごついていたところ、巨人はクスッと小さく笑った。
「おはよう。目は覚めましたか?」
公平は一瞬遅れて答えた。
「お、おはようございます。バッチリでございます」
なにそれと巨人はケラケラ笑いだした。
巨人は起き上がり、とりあえずご飯にしましょうと公平を運ぶ。行先は机の上だった。巨人は鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。警戒レベルは一段階下がったが、それでもご飯にされやしないか若干不安である。部屋を見ると必要最低限のものしかなさそうだった。机にベッドに椅子。天井には部屋を照らす灯り。それだけ。貧乏学生の公平でもまだ私物がある。クルクル表情が変わる楽しげな巨人の部屋らしくない気がした。
巨人は両手に皿を持って帰ってきた。右手の方にはパンみたいな何かが五個くらいのっている。むろん大きさは巨人サイズである。公平の目の前に空の皿が置かれて、それから一個パンみたいなものが置かれた。
「これは君のね」
その存在感に押しつぶされそうだった。高さで言ったら自分の倍くらい。幅で言えば両手を広げて抱き着いても全然足りない。パンみたいな何かはパンみたいないい匂いをしているので多分パンだと思う。今から公平に食べられるものとして用意されたそれは、逆に公平を食べてしまいそうだった。巨人は椅子に座って、パンを食べ始めた。目の前にあるものと同じ大きさのパンは三口で巨人の腹に収まってしまう。やっぱり怖いな。
「ん。どうしたの。大きすぎて食べらんない?ちぎってあげようか」
言うや否や公平のパンを掴んで小さく、と言ってもバランスボールくらいには巨大なかけらに分けた。
「どうぞ」巨人はニコニコして渡す。
「あ、うん。どうも……」公平はドキドキしながら受け取った。
一口かじると、優しい甘さが口に広がった。うん、パンだ。どう考えてもパンの味だ。食べながらこの巨人は何がしたいのだろうと思った。巨人は立ち上がって部屋を出ていった。すぐに水の入ったコップを持って帰ってくる。とりあえず彼女はのどが渇いたのだと分かった。その一挙手一投足にどきどきした。巨人はニコニコしていたが、公平を見て真顔になった。
「……のど渇いたよね君も」
「まあ、正直……」
この巨大なパンは美味いパンだがどこまでいってもパンはパンなので口の中の水分は順次持っていかれる。口の中はパサパサだ。
「君が使えるようなコップはないんだよねー。どーしよ。この中入って飲む?」
「本気で言ってんのかそれ」
彼女が使うようなコップになみなみ注がれた水の中に入るのは嫌だった。何が嫌っておぼれそうで困る。コップの中で溺死なんて残念な死に方はしたくない。
「しょうがない。君の家に飲み物ある?」
「牛乳があるけど」
「その場所を強くイメージして昨日と同じことをやるんだ。『開け』って。それで持ってこれる」
そう言って巨人はその巨大な指で触れてきた。また、右手の先に力が集まってくる。昨日と同じことが出来る気がした。牛乳は冷蔵庫の中にある。ならば冷蔵庫の目の前に穴をあければ取り出せる。公平は自分の部屋の冷蔵庫をイメージした。
「……開け」
再び、穴は開いた。向こうには見知った冷蔵庫がある。公平は冷蔵庫を開ける。一昨日買った牛乳が昨日のままの状態で置いてあった。それを掴んでこちらに持ってくる。確かに公平の部屋から巨人の部屋へ牛乳は移動した。
「すっげー……」
「ああ、ごめん穴を閉じてほしいな。逆の動きをしながら閉じろーって言って」
公平は言葉に従い、下から上へ右手を上げる。
「閉じろ」
巨人の言う通り、穴は閉じた。
「あの、完全に聞きそびれたけど、これ何」
「魔法だよ」
「いつ魔法使いになったの俺」
巨人は頭を抱えてうーんと唸る。難しいことを聞いたのだろうか。巨人の答えを公平は待った。
「えっとね。この世界の人はみんな魔法の……元?みたいなのを持ってるんだ。ただ、現実にするためのエネルギー……魔力が使える状態じゃなかった。今のはボクの魔力を貸して、使い方を教えただけ。だから君はボクと会う前から何にも変わってない」
「じゃあ自分でやればいいのでは」
「いや、実はボク、魔力はあるんだけど魔法が使えないんだよね。だから君にやってもらってたんだ」
はあ、とだけ公平は答えた。正直何が何だかよく分かっていない。何となく詳しく聞いても理解できると思えなかったのでそうなんだ、と続けた。その反応に巨人は安心したような表情になってそうなのです、と答えた。
「そういえば君は何て名前なの?」
ボクはエックスっていうんだけど、そう巨人が言ってきたので、公平は自分の名前を名乗った。パンは結局一切れしか食べられず、残りは巨人──エックスに食べてもらった。エックスはニコニコしながら公平を見ている。何が楽しいのか公平には分からなかった。
「公平クンはさ、魔法使えるようになりたくない?」
エックスは言った。公平はその巨大な顔をじっと見つめる。叶うなら、魔法が使えるようになりたい。もしかしたらそれは心を満たす何かかもしれないと思った。
「できるの?」
「できるよ。君の中にもちゃんと魔力があるからね。今は使えないってだけだ。使えるようになれば、自由に魔法が使える。ボクが教えたらすぐだよ」
「じゃあ教えてくれ。俺魔法欲しい」
その直後、エックスの顔が若干怖くなった。相変わらず笑顔だが、どこか邪悪な笑顔というか。あ、失敗した。頭の中でそう思った。
「おっけー。その代わり手伝ってほしいことがあるんだけど」
「ごめんやっぱ今のなしで」
公平は逃げる場所を探す。周囲をキョロキョロ見回すも机の上には隠れられそうな場所はない。舌打ちして走り出す。エックスから離れるべきだと判断した。が、彼女はそれを許さず、すぐ目の前に巨大な掌が壁として立ちはだかった。
「ダメです。もう僕からは逃げられません。公平は魔法の修行をするのです」
掌は公平を優しく握りこんで公平を運んでいく。必死に暴れるがびくともしなかった。
「いやだー!何をやらせる気だー!」
「もうっ、覚悟を決めなさい。どうせ戦いは避けられないんだから頑張るしかないでしょ」
「戦い!?てめー俺を何と戦わせる気だ!」
「魔女だよ」
「魔女?」
「ボクと同じ世界から来て、この世界を侵略しようとしているおっきな魔女だ。ボクは君たちを守るために来た。一人じゃ心細いから手伝ってほしい」
応援くらいならやるから何とか一人で頑張ってくれないかな、公平はそう思った。
エックスはニギニギ言いながら公平を握りしめる。
「やめてほしかったら手伝わせてくださいと言いなさい。ニギニギ」
公平は何も言わなかった。というより言えなかった。心の方はもう半分くらい折れているので手伝わせてくださいと言う用意はできているのだが、あまりに強く圧迫されているので声が出せないのだ。
「あっ。やばい」
エックスの拘束が突然消えた。公平は即座に手伝わせてくださいと言ったが、聞こえていないようである。せき込みながらエックスを見上げる。
「どうしたんだよ」
「魔女が来た。この感じはアクアかな」
エックスは公平を握ったままスタスタ歩いて、昨日開けた穴まで向かう。穴は昨日に比べて大分小さくなっていた。
「大分修正されちゃったな。公平。開けて」
「やだっ!開けてほしかったら俺を解放しろ!」
「大分強情だねえ君も。またニギニギしてあげようか」
言っている間にちょっとずつ手が握られている。
「開け開け!ほら行こう行こう!」
「初めからそうすればいいのに」
エックスは公平の作った穴を通って、外に出ていく。
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巨大な少女が聳え立つ。その存在を足元の小さな生き物に誇示するように胸を張っている。少女が現れたのは早朝の高校のグラウンドであった。そこに人間がいるのを確認した彼女は全員外に出させた。まずは、これを壊そう。中にいた人間は全部潰してしまおう。この場所から私たちの侵略は始まるのだ。
「そろそろ三分経つんですけどー」
少し苛立ちを含めた言い方をする。わざとそういう風に言った。その方が人間たちはおびえてくれる。その反応にゾクゾクした。これから始める殺戮にワクワクした。
「三分で全員出てこいって言ったんだけどなー。まだ何人か残ってるみたいだねー」
足元の人間の慌てる様子を見れば分かる。全員出てこなければみんな踏みつぶすと言えば必死こいて走ってくるのだ。アクアは今までの経験で、ここから三分で全員出てこられないことは分かっていた。分かって言った。
「これで全員ってことですかー。じゃあもうコレ潰していいよねー」
アクアは足元の人間を跨いで、校舎に近づいていく。どこに生き物がいるかアクアには分かった。人に居る場所の真上を蹴り壊す。破片が雨になって降り注いだ。駐車場に置いてある車を押しつぶす。
「あれー?まだなんかいるじゃーん」
中で震えている人間を摘まみ上げる。外の集団に冷たい視線を送った。
「どーいうこと?」
人間たちは泣きながら謝って命乞いをしている。ああ、気持ちいい。指先の女生徒を改めて見つめた。
「あんた見捨てられたんだね。そとのみんなは自分が助かりたいから、もう中には誰もいないよー、壊しちゃっていいよーって言ったんだよ。カワイソーだね」
女生徒は泣きながら意味の分からないことを叫んでいる。顔がくしゃくしゃに歪んで不細工だった。この後、この惨めな生き物を気まぐれで助けてあげると言うのだ。他の人間は全部殺すけど、あんたは可哀そうだしって。そして宣言通り、全部踏みつぶした後にこれを気まぐれで捻りつぶすのだ。生き残れる希望が、一瞬で奪われる絶望の表情が見られるのが大変楽しみだった。
「ねえ」
アクアは指先の人間に集中していた。
「可哀そうだしさ」
だから、気づかなかった。
「あんただけは──」
「ああああああああえっくすぜったいゆるさねええええええええええ!」
上空から降ってくる頭のおかしい人間の存在に。
--------------〇--------------
「悪趣味だなあの魔女……」
「まあ、魔女なんて大体あんな感じなのしかいないよ」
校舎の中から女生徒を捕まえるのを見ていた。エックスの指示で姿を消す魔法を使っている。お陰でアクアにはまだ見つかっていない。
「あの子を助けないと……」
「おお、よく言った。じゃあボクも手伝ってあげよう。作戦があるんだ」
なんだか嫌な予感がした。エックスの顔が若干いじわるな風に見えたからだ。露骨に嫌そうな顔で
「どういうやつ?」と返す。
「まず、君に魔力を少し分けてあげます。移動の魔法なら五回は使える」
「うん」
「で、ボクがアクアの指先に向かって君を投げるから」
「うん?」
「経路をいい感じに調整しつつあの子を助けて、最後にさっき使った『開け』でボクの掌まで戻ってくるんだ」
「うん……」
公平はとにかく抗議した。いやだ。やりたくない。危ない。死ぬ。怖い。人権尊重。暴力反対。エックスは暫く公平の喚き声を聞き流していた。視線をグラウンドの人の集まりに向ける。
「そろそろ動かないとあの人たち殺されちゃうかもな……」
「人命第一!」
公平の抗議に喚き声が、同時に自分に刺さってきた。ああー!と叫んで顔を覆った。
「やるよ!結局そういう事だろ!」
「そういうこと。じゃあ時間もないから行くね」
「え?はや」
くない。そう言い終わる前に、エックスは思いっきりジャンプして、アクアの指先向けて公平を投げつけた。
「ああああああああえっくすぜったいゆるさねええええええええええ!」
開け開けと叫んで道を作る。使える魔法は合計で五回。うち一回はエックスの手に戻るために使う。そして今二回使ってしまった。後二回。死ぬ。これ以上間違えたら死ぬ。
「はあ!?」
アクアが公平を見ている。気付かれた。公平は彼女の指先にとらえられた女の子を見つめる。あそこだ。あそこに行くんだ。
「開けえ!」
落下のスピードがこれ以上早くなったらうまく受け止めてもらえないかもしれない。だから直接女の子の目の前に穴をあけた。その向こうに、彼女はいる。腕を伸ばした。必死に彼女に届くように。届け。公平はそう呟いた。
「おっと」
アクアは指を上にあげて公平を避ける。ああと声が漏れた。残念でしたと上空から声が聞こえた。奥歯を噛み締める。まだ、魔力はある。
「開け!」
もう一度、穴を開ける。位置は確認できなかったが、彼女の姿はよく分かる。恐怖と絶望で、自分の胸が苦しくなってくる顔だった。二度と忘れられないし、その姿なら簡単にイメージできる。もう一度アクアの指先の前まで。一度ならとっさに躱せたかもしれない。けれどその状態から、また避けるのは難しい。
「なっ!?」
「わああああああ」
公平は女生徒を押して、アクアの指から解放した。が、捕まえられなかった。このままでは彼女を助けられない。
「畜生開けええええ!」
いつしか、手の動きは必要なくなっていた。魔法を使う感覚に慣れ始めていたのかもしれないし、なにより手を使って穴を開けていたのでは、彼女を救えない。公平は彼女の後ろに穴を開けていた。地面に向かってだ。今なら大してスピードは出ていないはずだからそれで安心だ。思い通り、彼女は公平が開いた穴に落ちていく。これでいい。俺は死ぬけど。エックスは呪う。
「よしっ。偉いぞ公平クン!」
その時、突風が吹いて、少しだけ巻き上げられる。エックスが猛スピードで動いて目の前にいた。受け止められても叩きつけられて死ぬだけだ。手に移動する時も上へ進む向きに穴を開けて、重力でスピードを落としてから受け止めてもらう手はずだった。このままでは死ぬ。
エックスは足を大きく上げて、思い切り地面を踏みつける。空気が持ち上がり、発生した上昇気流が公平を大きく巻き上げた。
「うわあああああ」
どっちにしろ死ぬんじゃないかと思うくらいに痛い。死んでないのが不思議だった。空中でぴたりと動きが止まる。と、同時に目の前に巨大なエックスの顔が口を開けていた。
「え」
そのままパクリとエックスは公平を口に含んで落ちてきた。下を見ると、パニックになってはいるが怪我した人とか人間大の血痕とかはなさそうで一安心である。口の中に指を突っ込んで公平を取り出す。
「お疲れ様。無茶言って、ごめんね?」
「いいから。もういいから……」
エックスは公平を優しく手に包み、アクアを見た。
「さて」
「エ、エックス……」
エックスはずんずんとアクアに近づいていく。足元の人たちは二人の巨人から逃げ出していたが、アクアは何も言わなかった。エックスは初めは足元に注意していたが、やがて人がいなくなったのでしっかりとアクアを睨んだ。
「なんであんたが……ゲェッ!」
言い終わる前にアクアの首を掴んで彼女を持ち上げる。公平を握った手を開いて、彼に目を向けた。
「公平。人がいない場所ってどこ?」
「ええ……砂漠?」
「じゃあそこに移動して」
「どこにあるか分からないし……」
「自分の世界の地理くらいちゃんと勉強しなさいよ……」
あきれ顔で呑気に言った。このやり取りの間もアクアは暴れていたが、エックスの身体はびくともしなかった。このままだとアクアが死ぬんじゃないかと公平は怖くなった。
「じゃ、じゃ、じゃあ、じゃあ北極!北に行けばいいんだろ北に!」
開け!の言葉と共にエックスの足元に巨大な穴が開いてそのまま落ちていく。暫くすると穴は閉じて、後には半壊した高校だけが残った。
--------------〇--------------
降りた先は真っ白な世界だった。重い音とともに着地し、氷が舞う。日本ではもう春も終わろうとしているところだ。北極に対応した服装はしてきてはいない。ガチガチと震えている公平を見てエックスは言った。
「炎よ、って言ってごらん。火の玉が出てきて暖かいよ」
「うううう。ほほほ、炎よぉ」
ポンという音とともにサッカーボールくらいの大きさの火の玉が現れる。公平の周りをクルクル回
って暖めてくれた。なんだかかわいい奴である。このまま持ち帰ってペットにしたい。寒さで若干おかしなことを考える公平だった。
「はな、はにゃぜえええ……」
「はいはい」
言ってエックスはアクアを極寒の海に向かって投げた。ぴゃあああと叫びながら落ちていく。
「エックスゥウウウウ。なんであんたがここにいんのさぁああ」
「前の時と同じだよ。君らの敵になって、人間を守るためだ」
「ぐにゅうううう」
前の時って、と公平は聞こうとしたが、エックスは彼に目も向けず、上がってこようとするアクアを引き上げて投げ飛ばした。巨体が氷の大地に激突し、世界が少し揺れる。地面には少しだけヒビが入っていた。
「こういうわけだからさ。さっさと帰った方がいいよ」
「舐めんなぁ!」
アクアの右手が光った。これはきっと魔法。名前から察するに──。
「炎の雨!」
「水じゃないの!?」
公平は文字通り雨のように降ってくる炎の矢に思わずツッコんでしまった。エックスは公平を握って炎に当たらないようにすると、思い切り息を吸ってふうと吐き出した。炎の矢は殆どかき消される。体にはいくつか命中したが弾かれた。アクアが愕然とした表情で声にならない声を出す。エックスは一歩、強く、踏み込んで前進した。
「で?」
「ひっ、開いてえええ!」
アクアは自分の後方に穴を開けるとそのまま飛び込んで逃げ出した。「覚えてろぉ……」と遠くから聞こえて、穴が閉じた。エックスは安堵の溜息をこぼす。
「ようやく帰ってくれたよ」
エックスはにっこりして公平を見つめた。優しくありがとう、と声をかける。
「正直あなただけで勝てましたよね?」
「うーん無理だったかな」
怪訝な表情の公平に対してエックスは答えた。
「普通にボクが出て言ったらあそこの人たちを人質にされたりして、何もできなかったと思う。公平の力がなかったら、きっと誰も助けられなかった。みんなを助けられたのは、全部公平のおかげだ」
エックスは改めて公平に声をかけた。
「ありがとう」
その時、公平は自分の心臓が大きく動き出した気がした。心の中が熱くなって、目の奥がじーんと痛くなった。自分の存在が多くの人を守ったという事実が、単純に嬉しかった。
「じゃあ帰りましょうか」
「……うん」
公平はエックスの部屋に続く穴を開けた。エックスはずんずんと穴の向こうに入っていく。
暖かい室内で、エックスは黒い、コーヒーみたいな匂いのする飲み物を入れて持ってきた。
「公平の分のコップも用意しないとね。今度コーヒーをいれてあげよう」
「ああそれやっぱコーヒーなんだ」
エックスは暖かいコーヒーをこくこく飲む。さっきまで寒い場所にいたからうらやましい。
「なあ、手を貸してくれよ。俺もコーヒー飲みたいし家帰らせてよ」
「え?ダメ。公平がいなくなったら出られなくなっちゃうでしょ」
確かに昨夜開けたこの部屋に続く穴は時間経過とともに小さくなっていた。公平だけ出て言ったら魔法の使えないエックスはここから出られなくなる。魔力を持たない公平はエックスを出してあげられなくなる。
「なるほどね。じゃあしょうがないね」
「そうそう」
「……うん?じゃあ俺ずっとここにいなきゃダメなの?
「そうだけど?」
「出せっ!ここから出せっ!これは拉致監禁だぞ!」
「いいじゃん。どうせ魔法使いの修行で暫くここにいるんだしさ」
「まだやるなんて言ってねえ!」
「ああそうだったね」
言いながらエックスは公平を手に包み込んだ。
「まだニギニギの途中だったね」
やめろーという公平の声は外に漏れることなくエックスの手の中で響いた。