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妖法番  作者: 深山真人
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第二話

 時は少し戻り、三十分前。尊瞑家総本山の妖力室では、若き頭首「尊瞑御琴」と選抜された七人の尊瞑家術師が集結していた。

 最近になって存在が明らかになった、巨大カルト教団。名前も所在も不明だったが、ようやく彼等の目的が判明しつつあった。このカルト教団は単なる狂信者の集団でなく、世界中のあらゆる魔術組織から追放された者達、禁忌を犯した者や、魔に囚われた者が集まった危険な組織であった。

 ただのアウトロー集団ならば、妖法番が気にかけることはない。だがこの組織に迎えられたのは、それぞれが平均的な術師や退魔師、霊能力者を先天的および後天的に大きく上回っている、いわば天才と呼ばれた者達なのだ。中にはかつて、妖法番の十家だった人間もいるという。

 そして彼等の目的は、現存する全ての魔術を、禁術種すらも退ける新術の完成。だが、それは教団が持つ目標の、ほんの一部であるという見方が強い。むしろそれ以上の何かを掲げていると推測したほうが、正しい判断と言えよう。

 単なる術の研究ならば、それほどの面子を揃える必要も、揃えられる道理もない。個人研究でも、可能といえば可能なのだ。だがそうはなっていない。

 多くの強力な人材を確保でき、それらを統率できる資質と目的を備え、尚且つその全てを秘密裏に隠し通せる人物。そういった人間を野放しにしておくのは、ある意味で妖という存在以上に危険だ。

 妖法番の情報統括である、鴉麻家。彼等からこれを聞かされた御琴は、すぐに尊瞑家の精鋭術師を選抜し、禁術“月の兎”の補助を担当させていた。そして今日で、この禁術は十一日目を迎える。

「ふぅ…」

 肩まである白い髪と、それに負けないほど色白の肌。染み一つ無い、尊瞑家伝統の巫女服を着た御琴は、大きく息を吐くと胸元のペンダントを握った。まだ先代の頭首、御琴の父が活躍していた頃、ある女性から貰ったものだった。

 御琴はこれに余程の思い入れがあり、着替えや入浴以外で外すことはない。軽く丈夫な金属製で、黒色のリングの中に銀の十字架が埋め込まれている。十字架には、御琴の知らない異国の文字が彫られ、これ自体が強力な魔除けとなっているという。

「頭首、準備は整いました」

 御琴の側近である尊瞑皇馬(そんめいこうま)が、いつもの落ち着いた様子で言った。

 元は尊瞑の分家出身であるこの男は、今年で六十になるというのに全く衰えを見せなかった。この総本山にいる人間で、御琴に次ぐ実力を有していた。多少の白髪が混じった黒髪は整えられ、それまでに彼が生きた人生を物語るような火傷跡が、細く鋭い右目に残っている。

 御琴はこの男に近寄るのが、あまり好きではなかった。彼のことが嫌いというわけではない。御琴が生まれたときから世話をしてくれるし、御琴が独りの時には進んで遊び相手にもなってくれた。感謝してもしきれないほどの恩を、彼女は感じている。

 しかし、十七歳の標準を遥かに下回って百六十センチ弱の小柄な御琴では、百八十を超える皇馬と並ぶと、どうしてもその差が強調される。ほとんどの事柄を気にもかけない御琴にとって、自分の身長はたった一つのコンプレックスだった。

「…では、始めましょう」

 言うと同時に、御琴の体は淡い蒼色の光を灯した。決して強い輝きではない。雲の無い夜、月が発する光によく似ている。静かで、神秘的な、それは妖艶だ。大自然が形成した洞を元に加工した、岩に囲まれているこの妖力室全体を照らす。

「“積雲の風、見ること叶わず。翼天の空、触れること無く”」

 妙に透き通る声が、詩典“月の兎”の一説を唱え始める。

「“芽吹く大地を高らかと見下ろし、されど干渉すらも許されず。猿は実を、狐は魚を、兎は其の肉を。捧げた身には、塵すらも無き……”」

 光は少しずつ、だが確かに強まってゆく。詩を読み上げるごとに、室内の温度は徐々に下がり、冬の夜に立つような感覚に陥る。

 やがて五分、十分と時は過ぎ、御琴は最後の一説を口にしていた。

「“……水面を凪いだ、白百合の香。思い出に残らず、存在として生を受け、虚無として還るのみ。今はただ、遥かな月へと、其の影を映す。”」

 ふわっと、光は御琴を離れ、宙に浮かんだ。瞬く間に光は収束し、一個の球体――小さく、淡く、それは輝く月となった。

「……これまでと同じく、干渉はしません。術の行使は情報収集が目的とします。…わかっているとは思いますが、今一度、肝に銘じておいて下さい」

 御琴を囲むように立つ七人は、静かに答えた。頼りがいのある彼等の声を聞きながら、創り物の月を見つめる御琴はふと思う。

 これが「月」なら、わたしは「兎」なの?

 ふっ、と短く笑って、御琴は悲しげに目を伏せた。

わたしが、そんな高尚なわけが無い。ただ狡賢いだけの、子供だ。

 御琴はまっすぐと月を見やり、静かに語りかける。

「観測せよ」

 言葉を持たない月は、ふわりと巨大化を始めてそれに答える。やわらかな球体が、御琴の小さな体を包み込んだ。

 重力から開放され、視認できない鎖が解かれる感覚。瞬間、彼女の意識はこの星を、地球を見据えていた。肉体は無く、精神だけがそこにある。

見つけないと。

 地上に降りようと、意識を集中した。瞬時に視界が切り替わり、空の上から大地を見下ろすようになる。それまでと同じく目標の妖力を元に、教団の本拠を見つけ出そうとする。再び集中を始めようとした、その時だった。

「ほう、これが彼の有名な禁術か」

 耳元で囁く、しゃがれた男の声。

「!?」

 ぞくりとする圧倒的な恐怖を感じ、御琴は術を瞬時に中断した。精神はあるべき肉体に戻る。だが強制的に終了したため、ずしりと何かが圧し掛かっている感覚と、瞬間的な激しい頭痛に襲われた。

「うっ!」

 苦痛に耐えられず、御琴は倒れこんだ。

「くっ…! はっ……!!」

「頭首!?」

 皇馬が素早く反応し、駆け寄ろうと――

「来ないで!」

 御琴が叫ぶと同時に、彼は硬直したように立ち止まる。そして、御琴の傍らに立つ者を見た。

「貴様…!」

「動くなよ、皇馬」

 名を呼ばれ、皇馬は生涯で数えるほどしか体験していない、恐怖を覚えた。いや、覚えたのではない。思い返された。彼は、この男を知っている。

 男は初老ほどで、白髪は老いによるものだろう。黒と見間違えるような藍色で統一された、かつての武士のような着物姿で、履物も足袋と草履だ。右手に携えた刀は、この男と同様に皇馬がよく知る名刀――真改(しんかい)である。

 鋭い刃先を御琴の首筋に突きつけたまま、男は言った。

「こんな形で再会するとは……運命(さだめ)とやらも存外、酷くはないな」

 皺のある顔の、細い口元がにやりと歪んだ。

「そして、久しいですな、御琴様。私を覚えておりますか?」

「くっ……えぇ、はっきりと」

 苦痛と疲労で青ざめた顔色になりながらも、御琴は一拍置いて続けた。

「霜霧…成光(なりみつ)……!」

 彼女に、成光は微笑んで答えた。

「流石、最年少で尊瞑を任されるだけある。その事情はよく知りませんが、貴女の父、辰人(たつひと)はどうなされたんです?」

「……殺されました。三年前の夏に」

「ほぅ、それはお気の毒に」

「ふざけるな!!」

 叫んだのは、それまで二人のやり取りを見ていた皇馬だった。

「貴様が殺したんだろうが! 頭首の、目の前で!!」

「……皇馬」

 冷淡で落ち着きを払った声音で、成光は言った。憎悪の込められた両目が、皇馬を見据える。

「唯一、己に与えられた役目さえ果たせない男が、ほざくなよ」

「っ! 成光!!」

 皇馬の右手が、成光を向いた。青白い光が収束し、僅か一秒という時間で言霊も無しにやってのけるのは、側近の座に付くだけのことはある。

 光は、皇馬の怒りに流されるように成光を射抜き――寸前で別の障壁に阻まれた。皇馬を阻んだのは、別の術師二人だった。

「落ち着け、皇馬!」

 皇馬の横に立っていた術師が言う。

「だが――」

「その男の言うとおりだ」

 成光の声。見ると真改の刃先が、僅かに首の肉に食い込んでいた。赤い血が、一筋の流れとなる。

「危なかったな。もう少しで脈を刺してたぞ」

 台詞とは裏腹に、成光は面白そうに笑っている。いい様に弄ばれたことで、皇馬はまたしても怒りを覚えた。それを抑えたのは、御琴だった。

「……成光」

 倒れて血を流しても尚、凛とした口調で御琴が言った。

「目的は、何ですか?」

 少し考えた後、刃はそのままに彼は答える。

「…どの目的のことで?」

「あなたが、此処に来た目的です」

 ほぅ、と成光は漏らす。どうやら彼の関心を引いたようだ。

「我々の目的ではなく?」

「それは、またいずれに。あなたを送り込んだ者に聞きます」

「…何故、私が送り込まれたと?」

 僅かに冷淡さを取り戻した成光に、今度は御琴が微笑んで返す。

「あなたは、人の上には絶対立たない。素質があってもそれを良しとせず、常に一人の、ただの霜霧成光で在り続けようとする。そう言う人間だと、知っているからです」

 一瞬、成光はその殺気を露にしたが、すぐに元の表情に戻って続ける。

「……全く、参った」

 苦笑してそう言うと、彼は皇馬を見た。

「本当は、この総本山陥落が目的だったんだがな。残念だ。ここを、妖力室を貰っておこう」

「なにを――」

 言いかけて、皇馬は続けられなかった。

 天井から生まれたように、それは降り立つ。醜いとしか言い様のない、崩れた姿。どこかの三流魔術師が、死体合成に失敗したような。哀れみすら覚える感じだ。昨夜、みずち達が同じモノと対峙し、勝利したことを知る者は、ここにいない。

 出現したのは、全部で十体。

「これは……魑魅魍魎!?」

 感じ取った妖力を元に、御琴は推測で叫んだ。だが驚愕する彼女に、変わらない口調で成光は答える。

「少し違う。アレは、いまあなたが言ったものを元に創った、人工物。よく働いてくれる、我々の手駒だ」

 笑い混じりに言うと、成光は何のモーションも無しに跳躍してみせ、部屋の奥に着地した。

「俺は手出ししない。だが、気を付けろよ。そいつ等は凶暴だ」

 それが言い終わるかどうかの内に、すでに魍魎の一体は動いていた。

「が…ごあっ!」

 不気味な叫び声とともに、術師の一人へと飛び掛った。

「くっ」

 寸前で回避したが、別の一体が更に襲いかかる。

「ひっ!」

「伏せろ!!」

 皇馬の叫びを聞き、その術師は瞬時に身を伏せた。いままで頭があった空間を、青い閃光が駆ける。光は吸い込まれるように真っ直ぐと魍魎に向かい、その身を貫いた。

「一体目だ」

 皇馬が呟く。それを皮切りにしたかのように、一斉に魍魎達が襲い掛かってくる。術式の最中だったために、いまはそれぞれが孤立していた。たちまち二人は、魍魎の餌食となる。

「固まって応戦しろ! はぐれるな!」

 皇馬が瞬時に指示を出せたのは、それまでに培ってきた経験からだ。尊瞑家は、妖法番でも管理者という立場のため、実戦経験のあるものが少ない。この場にも、皇馬を含めて三人だけしかいない。

「与一、皆を逃がせ! 勝雅、頭首を頼む! 俺が援護を――」

 ひゅん、と風を切る音。戦闘でそれなりの場数を踏んでも、皇馬のように避けられる者は少ないだろう。真改を振るった成光を睨んで、皇馬は殺意を剥き出しに叫ぶ。

「手出しをしないと言っただろうが!」

 続け様に三発、閃光を放った。しかしそのどれも、成光は老いを感じさせない動きで避ける。すっと、成光が前に出た。

「お前は規格外だ。俺と同じな」

 下段から斬り上げる斬撃を、二歩分後ろに下がってやり過ごした。だが息つく暇もなく、今度は上段からの斬り返しが皇馬を襲った。

「規格外同士、仲良くやろうじゃないか?」

 刃が身を裂く手前で、瞬時に横に飛んだ。だが、右手に痛みが生まれる。回避したと思ったが、掠っていたらしい。綺麗に裂かれた着物の下に、一直線の赤い線ができていた。

「ふざけたことを――」

「げぇっ!」

 喉笛を潰されたような、それは断末魔だった。同時に、生理的嫌悪を誘う鈍い音。見ると、御琴を任せた術師が、魍魎の拳を腹部に受けて吹っ飛んでいた。傍に別の魍魎が二体いるところを見ると、どうやら三体を同時に相手していたらしい。

「頭首!!」

 叫ぶより早く、皇馬は駆けていた。横凪の閃光が、魍魎二体の胴を裂く。僅かに閃光の逸れた残りの一体が御琴に飛び掛るが、それより早く皇馬の膝が頭蓋を砕いた。

「頭首! ご無事で?」

「は、はい」

「皇馬! 早くしろ! 長くは耐えられん!!」

 妖力室の出入り口で応戦を続ける術師が、二体の魍魎と対峙しながら叫ぶ。

「封鎖しろ! 俺達は転移する!!」

「! わかった!」

 皇馬の指示は正しかった。討伐者でない尊瞑家では、元霜霧の成光率いる妖を喰い止められない。別の家系、竜峰や弦、もしくは成光と同じ霜霧家の援軍が必要だ。皇馬の意図を察した術師は、すぐに部屋の扉を閉じる。

「頭首、少し辛いかも知れませんが、勘弁してください」

 言って皇馬は、空間転移のための妖力を収束した。だが、

「! 皇馬!!」

「!?」

 皇馬に反応する暇は無かった。成光が繰り出した真改は、皇馬の右胸を貫いて、御琴から数センチの距離で刃を止める。

「余所見をすべきじゃなかったなぁ、皇馬」

「…ぐ…お……」

 真改が引き抜かれ、支えを失った皇馬の体は御琴の足元へ倒れこんだ。息はあるが、致命傷なのは誰の目にも明らかだった。

「こう…ま…?」

 眼前の惨劇を、御琴は現実だと認識できなかった。

「こうま……こう、ま…」

 夢だと、ただの悪夢だと言い聞かせるように、御琴は名を呼び続ける。

 だが彼女ににじり寄る魍魎達にとっては、そんな行為に意味はない。無抵抗ならば、喰らう時に体力を無駄に消費せずに済む。それだけだ。

「…とう……しゅ…すいま、せん……」

 擦れた声で、皇馬は最期となる言葉を御琴に伝えた。同時に、再び自らの血で汚れた両手が、光を灯した。

「ほ…う、ぜん……たのむ…」

 皇馬の命を吸収した灯火が、御琴を包む。重力を無くしたような感覚の中、御琴は別の場所へと送られていた。

 ふっと、皇馬の視界に何者かの足が映った。声を聞かずとも、それが成光なのはわかっている。

「呆れたな、お前達には」

 そんな男の声を聞いたら、何故か笑いが込み上げてきた。

「…ふ……ふふ…」

 ひどく重い体を、皇馬はなんとか起こして肩膝を付く格好になる。成光を見上げると同時に、首筋には僅かな刃こぼれすらない真改が当てられる。

「何がおかしい?」

 興味を示したような声音で、成光は尋ねた。

「俺の、勝ち…だな…今度は……守り、きった…」

 最後の悪足掻きのつもりだったのか。瀕死の男に勝利を宣言されて、成光の口元が歪んだ。

「く…くくく……ははははは!!」

 刃を突きつけたまま、成光は狂ったように笑う。皇馬もまた、時折、その口から鮮血を撒き散らしてほくそ笑む。

 皇馬は、死を受け入れていた。なので、突然に成光の笑いが止まったことも、真改が喉元を離れて上段に構えられたことも、なんら不思議だと感じなかった。

「その通りだ」

 愉しそうな成光の声が聞こえた時、同時に神速で振るわれた刃が、皇馬の頭部を肉体から斬り離していた。

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