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妖法番  作者: 深山真人
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第一話

 人の無き、影の月。

 音無く蠢きし、異形の生。

 彼を収めし、人の子ら。

 妖の法と、自らを呼び。



 十二月。その日は珍しく、雪が降らなかった。

日付が変わってから、二時間と少し。月は満月に隠れて、そこを照らすのは人が造った街灯。閉じられたシャッターの続く、商店街。人間はおよそ寝静まったこの時間に、二つの影が滑るように移動した。

 片方は人。黒で統一した服に、灰色のコートを羽織った、それは男だ。無駄なく鍛え込まれた肉体の、追跡者。黒い影を追う男は、足音も無く駆ける。

男には左腕が無かった。そのため左の袖は、所在無しに風に吹かれて舞っている。軍人のように刈り込まれた黒髪が、男の屈強そうなイメージを更に引き立てている。

 彼が追う影。およそ人間とは思えない、歪んだ肉塊のような生物。思わず目を覆ってしまう醜悪な顔面に、素人の木彫りが適当に穿ったような一対の孔。目蓋の無い瞳は、常に血走っていた。切り傷のように細く、真一文字の恐らくは口から、シューと空気の流れる音。

 無意味に巨大な顔と、それに反比例するように細い体は、全身がぼろ布のような黒い衣服で覆われている。朽ち果てた亡者に、腐った豚の頭蓋を縫い合わせたら、多分よく似たモノができることだろう。最も、この不気味なほどの身体能力は再現できないだろうが。

 ふっと身を沈めたかと思うと、肉塊は七メートルほど跳躍した。

 次いで、追跡者も同じように跳ぶ。

 ヒュン――

 まだ生えている右腕を、男は何かを投げるように振った。そして、右手の先から出現した槍の穂先――ガラス細工のように透明で壊れやすそうな刃が、肉塊へと迫る。

 刹那、

「ご…ぼ……」

 声とも取れない音を発して、肉塊は消滅した。宛てをなくした刃は、真っ直ぐと突き抜け、消滅する。

 男は気にした風でもなく、アスファルトで塗り固めた地に降りると、数秒間立ちすくんで、歩き出した。

 同じ頃の数キロ離れた公園で、肉塊は現れた。明らかな疲労が見え、おぼつかない足でふらふらと公園内を歩く。だが少し歩いたところで、肉塊は立ち止まり、振り向いた。

 二メートルほど先には、先ほどの追跡者と同じ格好の男が立っていた。

違うのは、男の年齢と肉体だ。両の腕はあるべきところに存在して、精悍な顔には僅かな幼さが残る。青年と呼称したほうが良いだろう。長い黒髪は、首の後ろで一つ結んであり、そこから腰まで黒い流れが続いている。

 肉塊と青年は、互いに微動だにしない。夜風と、肉塊の口から漏れる呼吸音。彼らを気に止めない。辺りには、冬の冷えた空気が満ちていた。

 先に動いたのは、肉塊だった。

 滑るように青年へと迫ると、骨と皮だけのような手で拳を握り、細い首へと風を切って伸ばす。

 殺した。

 肉塊がそう直感する。が、鉄の硬質を持つ拳は、青年の首から十センチで遮られた。あの追跡者の刃と同じ、右手に握られている透き通った儚い剣。両刃の峰で、青年は必殺の技を防いだのだ。

 瞬時に肉塊は飛び退く。距離を保ち、青年の出方を窺った。

 青年は、無造作に剣の刃先を肉塊へと向ける。即座に対処できるよう、肉塊が身構えた時だった。

 ピシッ

 肉塊の立つ空間。何も無いはずのそれが、鳴った。窓ガラスにヒビが入ったような、静かな悲鳴。数瞬後、

 パキィィィ……ン…

 空間が割れる。

 肉塊を囲むのは、数十の剣。柄は無く、刃だけの武器。

 青年の持つものと同じだ。まるで鏡のような、いや、それ以上に一種の宝石に思える、透明な処刑道具。

 肉塊に反応する猶予は無かった。

 出現から約二秒。無数の刃は同時に肉塊の全身を貫き、消えていった。現れたときと同様に、それは唐突以外の何でも無い。

 崩れ落ちる肉塊は、醜い顔が地に着くと思われた瞬間に、灰のように消えていった。

「終わったか」

 言葉を発したのは、青年ではない。彼が振り返った先にいる男、先ほどの追跡者だ。どうやってここまで来たのか。青年と肉塊が対峙したのは、一分足らずのことだ。どれほどの速度で走っても、数キロ離れているこの場には来れないはずだ。

 この男も、あの肉塊のように空間移動が可能なのだろうか。

「あぁ、終わったよ」

 さして興味も無いように、青年が言う。吹き付ける寒い風に、髪が揺れる。

「今日で五体目だ」

「そうだったか」

「あぁ」

 へぇ、と青年は呟く。何故か、その顔は浮かない。

「……あまり、嬉しそうじゃないな。みずち、もう少し喜んだらどうだ」

「……」

 みずちは言葉を探すように、沈黙した。

「……また、一人殺したんだ」

「仕方無いだろう。奴を放っておけば、また犠牲者が増えるだけだ」

 あの肉塊は、これまでに四人の人間を殺していた。人では無い異形。彼等は何時の頃からか「(あやかし)」と呼称され、この世に生きてきた。多くの妖は、人里離れた住処で暮らすが、稀に人の世に出てきてはその営みを脅かす者もいる。

 妖に対して、普通の人間は無力である。

 そして、人間と妖の双方に対して調和をもたらす為、妖に対抗できる能力のある者、その内でも別段と優れた者達によって、「妖法番(あやかしほうばん)」と呼ばれる組織が誕生した。みずち達は、その妖法番の中核を務める「竜峰家」の人間だった。

芳禅(ほうぜん)……でもそれは、俺も(みずち)も望んでない。」

 俯いて、みずちは言葉を発した。

 彼が言った蛟とは、彼のことであり別人のことでもあった。俗に言う、二重人格者に近い。彼には、人間であるみずちと、妖である存在の蛟とがある。

 どちらも別人だが、同一人物でもある。

「蛟は、また泣いてるよ」

「……」

 自身の中に宿る意識の言葉を、みずちは芳禅へ伝える。意思があれば蛟本人と代わることもできるのだが、彼はそうしない。恐らくは、いま泣いているという蛟が、それを拒んだのだろう。

 芳禅はかける言葉も無く、ただ佇んでいた。

 微妙な沈黙が流れ、やがてどちらからとも無く歩き出した。みずちと芳禅、そして蛟。三人は夜の闇に溶け込むように、音も無く消えていった。



 妖法番の歴史は、人間の創った組織において群を抜いて古く、そして偉大なモノだった。鎌倉の時代には既に存在し、強力な十の家系を中心にその勢力を広げてきた。

 物質の具現と、独自の剣術を扱う竜峰(タツミネ)家。

 千里眼を持ち、妖との共存を願う風見(カザミ)家。

 風見に賛同し、槍術と妖の召喚術を得た宮慈(ミヤジ)家。

 規則に縛られず、自由に生き、そして死ぬとした鴉麻(カラスマ)家。

 陰陽道から派生した、強力な独自の術を駆使する汐凪(シオナギ)家。

 伝統の長刀と幻術によって、妖を一閃に伏す霜霧(シモキリ)家。

 共存より討伐を選び、風見から霜霧へと鞍替えした分家、風松(カザマツ)家。

 妖と交わった混血の吸血種、大東(ダイアズマ)家。

 様々な武具を扱い、対妖に特化した(ゲン)家。

 そして、全ての妖法番と封印された禁術の研究、会得を続けている尊瞑(ソンメイ)家。

 永い時の中で、大小様々な犠牲を出しつつも、彼等は生き残り、存在している。自らを妖の法呼び、戒めることでその調和を得ている。

 この十家には、決して犯してはならない禁忌が存在した。それは別段特別ではなく、十家ではなくとも彼等に多少の知識がある人間は、誰でも知りえる事。

 他の家系との婚約である。

 人を超えた力を持つ彼等にとって、異なるニ家が交わるということは、妖をも超える脅威に成りかねなかったのだ。

 そしてそれを犯して誕生したのが、今は自室のベッドの中で眠る竜峰和羽(たつみねかずは)であった。彼は竜峰と風見――妖法番の中で討伐派と共存派と称される勢力の、在るはずのない混血として生を受けた。

 千里眼こそ受け継がれなかったが、竜峰の具現術「龍の爪」とそれを用いた「無元流(むげんりゅう)」剣術、風見の「射断流(しゃだんりゅう)」弓術の血は、色濃くその肉体に流れている。

 異端児として捨てられた彼は、竜峰家元二十九代頭首候補「竜峰芳禅(たつみねほうぜん)」に引き取られ、妖法番の竜峰として育てられた。

 だが和羽が五つを迎えた日、事は起こった。かつては水神と称えられ、畏怖の対象となった大妖怪「(みずち)」が復活したのだ。

 眼前に現れた蛟を、芳禅は退けることに成功する。だが、消滅までには至らなかった。瀕死の蛟は肉体を捨て、幼い和羽へと憑依した。水神は、そのまま和羽を乗っ取るつもりだったのだろう。しかし不幸中の幸いか、規格外の混血の子供は、逆に蛟を捕らえる檻となった。

 芳禅との戦闘直後ということもあり、疲労した蛟には和羽を乗っ取るどころか、そこから抜け出すことも出来なくなってしまったのだ。諦めた蛟は、和羽を道連れに自害しようとするが、それより早く、芳禅は和羽ごと蛟を呪った。

 芳禅の呪いは、強力で解くことは不可能とされる禁術だった。和羽という名を消し、代わりに蛟の読みである「みずち」という名を与え、大妖怪を少年の人格の一つとする。つまりは、一人の二重人格者を生み出すということだった。

 呪いは成功し、竜峰和羽は竜峰みずちとしての人生を歩み始めた。そして和羽の名を捨てたと同時に、みずちは和羽であったときの記憶を失ってしまった。

 そして十歳の時、みずちは初めて龍の爪を発現させ、芳禅から全てを聞かされた。だが僅かな記憶すら無いみずちにとっては、和羽という自分は別人でしかなかった。事実、五年という月日の中で、みずちと蛟はある種の信頼関係も築けていた。

 芳禅の話に二人は気の無い返事を返し、改めてみずちとしての人生を決定した。別段に大したことでは無く、ただ当たり前に妖法番としての生活を歩むこと。しかし芳禅にしてみれば、どれだけ救われたことか分からない。声も出さず泣く隻腕の男を、少年は不思議そうな顔で覗き込んだ。

 それから、七年の月日が流れた。

 芳禅の隣に立つのは和羽ではない。妖の名を持つ、全く別の、もしかしたら人間ですらない存在だった。



 公園での戦いから時は経ち、時刻は午前の九時を回った。誰も気に止めないような、小さな屋台の居酒屋に、芳禅の姿はあった。

 木製の、カウンターとも呼べない台の端には、小型テレビが特別企画のカルト番組を放送している。自称心霊研究家やらUFO研究家が必死に熱弁するのを見て、芳禅は細く笑った。

「驚いたね」

 芳禅の向かいに腰掛ける主人――鴉麻秋光(からすまあきみつ)は煙草を咥えたまま呟いた。日焼けした額にタオルを巻いた格好は、今時珍しいほどの中年姿だ。

 彼に言わせれば、一種のカモフラージュらしい。それも真実といえば、そうなる。寂れた屋台の主人が、妖法番の重鎮などと考える人間がいるはずもないのだ。

 およそ腕が立つとは思えない細身。鴉麻家系を見分けるのに最も簡単という、一部のみの白髪はスキンヘッドに刈られている。優れた探査能力を得ていなければ、能力者でも気付けない。

「何がだ?」

「あんた、というか竜峰の人間が笑うとはね」

 皮肉とも取れる言葉に、芳禅は笑って返す。

「心外だな。俺達も人間だぞ? それにみずちはよく笑っているだろう?」

「あいつは混血だろ。お優しい風見の、あの白羽の血が流れてんだ。あんたみたいに無愛想なわけねぇだろ」

「確かに、な」

 良質の氷で割った焼酎を、一口体内へと流し込む。それを待ってから、秋光は続けた。

「で、そのみずちは?」

「寝ている。昨日の仕事が疲れたらしい」

「……そうでもないようだぜ」

 秋光は、顎で芳禅の背後を示す。振り返ると、みずちが立っていた。

「起きてたのか、みずち」

 驚いた口調の彼に、青年は呆れたように言った。

「年上には敬意を見せろ、片腕坊主」

「なんだ、蛟さんか」

 安心した、というより興味を無くしたように言って、芳禅はテレビに向き直る。

「連れないのう。おう、渡り鴉もいるな」

 言いながら蛟は席に着く。声は変わらないのに、口調だけでこうも雰囲気が変わってしまう。それも二重人格の特徴なのだろうか。

 彼に会うたび、秋光はいつもそんなことを考えた。

「いたらお邪魔ですかい?」

「まさか。ここはお前さんの店だ。言うなれば、それは儂の台詞じゃろう」

 無遠慮な妖の言葉に、秋光の頬が緩んだ。

「そりゃあどうも。ついでにご注文でも伺いましょうか?」

「焼酎を、氷で頼む。酒は任せるが、なるだけ安くて強いやつを」

「はいよ」

 数十秒して、芳禅と同じような液体の注がれたグラスが置かれた。

「あまり飲み過ぎんで下さいよ」

 芳禅が言い終わる前に、既に蛟の酒は半分となっていた。

「何故?」

「あんただけの体じゃないんだ。二日酔いで登校するのはみずちですよ」

「馬鹿だのう、芳禅。一昨日から冬休み言うもんが始まっとろうが」

「え?」

 秋光を見ると、彼も黙って頷いた。

「お主、普段は抜け目ないというのに、こやつの事となると抜けとるのう。じゃから毛も生えんのじゃ」

「……これはこういう髪型なんでね」

 ばつの悪そうな芳禅。蛟はほぅ、と冷やかすように呟く。

「そういえば」

 思い出したように、それまで二人のやり取りを見ていた秋光が言った。二人の視線が集中する。

「なんであんたが? みずちの許可があったんですかい?」

 秋光の指摘は最もだった。

 蛟は単なる人格に過ぎず、意思の主権はみずちの側にあった。彼の許可無くては、蛟は指の筋肉一つ動かすこともできない。

「寝とる人間とどうやって話す?」

「……なんだと?」

 芳禅の声音が、一瞬で変わった。同時に目つきも険しくなる。秋光も同じだ。

「蛟さん、どういうことだ?」

「ふぅむ」

 場が張り詰めても尚、蛟はのんびりと酒を含み、続けた。

「最近になってじゃが、稀に儂の意思だけで交代することもできるようになってのう。どうやら、こやつは余程、儂に気を許しておるようだ。試したことはないが、儂本来の力もある程度は使えるようじゃ」

「あんた、まさか――」

 反射的に、二人は身構えた。だがそれでも、蛟の態度は変わらない。むしろ二人に呆れ、馬鹿にするような顔をした。

「童が。身構えるでない。今更になって世の中ひっくり返そうとするほど、儂は執念深いもんでは無い。それに、稀にと言ったじゃろう。未だ主権はこやつが持っとる。恐らく、この先もずっとな。こやつの意思が無ければ、儂は今までと変わらんよ」

「……本当か?」

 探るように、秋光が言った。まだ、明らかな敵意が剥き出しとなっている。

「しつこいのう、秋光。お主、鴉麻の家系の割に五月蝿い奴じゃ」

「そいつは……どうも」

ようやく警戒心を解いた二人は、大きく息を吐いて酒を流し込む。極度の緊張が解かれたため、額には汗が滲んでいた。

「まったく、心臓に悪いですな」

 搾り出すような芳禅の言葉も、蛟は余裕の表情で嘲笑った。

「何がじゃ? 主ら二人の尻が青いというだけであろうが。特に芳禅。お前さん、仮にも元は竜峰の頭首候補であろう。それほどの男が、こんなもので良いのかのう?」

「ちょっと、俺は元頭首なんですが?」

「面倒だと、半日でそれを投げ出す男が、果たして言えたものかのぅ?」

「……そいつはどうも」

 力無くヘラヘラと笑い、秋光は酒を継ぎ足す。

「ときに――」

 蛟がまた切り出す。またしても二人に緊張が漲る。が、

「この番組はなんじゃ?」

「……」

「……」

 予想外の答えを、いつもよりも数秒遅れて理解してから、共に脱力した。

「おい、答えんか。このゆーえむえーとかいうもんは何なのじゃ」

 何故かはしゃぐ子供のように、蛟のテンションは高かった。

「……UMAって書いて、ユーマって読むんですよ。未確認生物とかいう奴等の総称です」

「未確認生物……妖の類いか?」

「そうそう。蛟さんとかね」

 今度は芳禅が嘲笑って、蛟を茶化した。がしっと、蛟の手が肩を掴む。

「すいません」

「よかろう」

 あっさりと手を放し、また新たなアルコールを飲みにかかる。

 それから談笑しながら互いに少しずつ飲み、三十分ほどの時が経った頃だった。最初に気付いたのは、蛟だった。

「秋光」

「ん?」

 四本目の煙草を咥えて火を点ける、寸前に声をかけられ、何気なし青年姿の妖を見る。芳禅も同じだ。

「また、鴉が増えおったな」

 その直後、

「ようっす」

「お、俊悦(しゅんえつ)じゃないか」

 暖簾をくぐった鴉麻俊悦(からすましゅんえつ)は、周囲を一瞥すると軽く会釈をして席に着く。自由で有名な鴉麻の生まれにして、拾った子ではないかと思うほどしっかりとしたこの男は、日本警察の捜査第一課において警部補、つまるところの刑事として活躍していた。

 前髪の右半分が白くなった比較的に筋肉質であろう俊悦は、いつも砂漠の砂色をしたトレンチコートを着込んでいる。一課に配属され、初めて容疑者を捕らえた時に、記念として上司から贈られたものとのことだ。

 水割りを注文してから、彼は芳禅と蛟に向き直った。

「久しぶりだな、芳禅。それと…蛟さん」

「いかにも。さすがだのう」

「全く、なんでわかるのかねぇ」

 カランと、四つのカップが打ち合う。

 芳禅は、内心舌を巻いて言った。言葉を交わす前に蛟と気付いた俊悦は、その探査能力もさることながら、刑事としての洞察力も侮れない。

「お前は戦闘に特化し過ぎなんだよ。空間転移術を身に付ける前に、まず妖探知能力を修行すべきだったんだ。禁術は強力だが、負担もでかい。特に転移術じゃあ、だいぶ限定されるだろう」

 まるで教師のように言い聞かせ、俊悦は疲れた体にアルコールを染み渡らせてゆく。

「それはそうと、昨日はご苦労だったな。相手は何だった?」

「タチの悪い魍魎(もうりょう)だな、あれは」

 彼等が言うのは、昨夜みずちが倒した妖のことだ。元々、あの妖は俊悦が芳禅達に依頼したもので、先月から続く無差別殺人事件の正体だったのだ。

「魍魎ね。多いな、最近」

「じゃが、解せん」

 低い声音で、うめくように蛟が言う。

「あの魑魅魍魎(ちみもうりょう)、転移しよったぞ。それも芳禅に引けを取らん、長距離を」

「本当か?」

 思わず身を乗り出す俊悦に、答えたのは芳禅だった。

「あぁ。それに姿も違った。奴等は普通、幼児に似た鬼の外見だ。だが昨日のは、見た目通りの化物だった。それこそ――」

 指でテレビを指す。

「これに出てくるUMAだな。最も、単に乗り移った死体が変化しただけかもしれんが」

「それにしたって、蛟さんほどの大妖怪はともかく、そこらの妖が禁術を使えるかね」

「無理じゃな。儂かて魂魄転移には百余年を費やした。芳禅、主は?」

「三十と五年ほどだ。それも、尊瞑家(そんめいけ)の妖力室に引き篭もってな」

 四人は、それぞれ唸って思考を始めた。それほどに、これは深刻な事態の可能性があるのだ。

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)というのは、力の強い妖ではないのだ。死体を喰らうと言われるが、人を殺すことは無い。妖力としても精々弱い幻覚を見せるのが精一杯で、禁術の域である高位妖術を使役できるはずもない。

「関連があるかわからんが――」

 秋光が言った。

「三日前、鴉麻本山からの情報が入った。なんでも東洋魔術と西洋魔術の併用、とういうか融合を行なって、新しい術式を研究しているカルト教団があるそうだ」

「新しい術式……」

「して、そやつらは何者じゃ?」

 質問に、秋光は首を振った。

「詳しくはわからん。本拠地はカナダの何処かにあるそうだが、確かなことは何一つ出てこない」

「遠いな……」

 呟くように、芳禅。

「遠い異国だ。尊瞑家は何も?」

「動いてはいる。特に御琴(みこと)の嬢ちゃんがな。選抜した術師と、自ら“月の兎”を使って状況を探っている」

「初耳だな」

 それまで黙っていた俊悦が、口を開いた。

「頭首自ら……それほど深刻とは」

 彼は件のカルト教団については、秋光と同様に多少の情報を得ていた。しかし尊瞑家現頭首、尊瞑御琴(そんめいみこと)までも気にかけているとは知らなかったのだろう。

「御琴……やつは元気でやっとるのか?」

「そりゃあもう。歳と不相応にしっかりしてるよ」

 御琴は、尊瞑家発足から三人目の天才と言われるほどの人物だった。芳禅と蛟――正確にはみずちのほうだったが、彼等も面識があった。二年前、ある事件にみずち達が時に、御琴本人と会って話したことがある。

 尊瞑御琴はみずちと同じ十七歳の少女だ。八歳で三種類の禁術を会得し、その際に色素が抜け落ちた白い髪をしていた。その純白の流れと同様に、色白で華奢な身体つきの、まるで端整な人形だった。ある種、人外の美しさを持った彼女を、そう簡単に忘れることはできない。

「まぁ、そうでなければ困るがのぅ」

 蛟は、ほくそ笑んで呟いた。だが他の三人は、依然として暗い顔つきのままだ。

「秋光、御琴が“月の兎”を始めたのは何時だ?」

「今日で十日ほどのはずだ。少なくとも、一週間は経っている」

 月の兎とは、尊瞑家頭首のみが会得を許される、最高位の禁術である。この世のあらゆる事象を覗き見ることができ、さらに術者が妖力を増やせば、それらに干渉することも可能となる。つまり、芳禅達が話すこの瞬間に、突如として御琴自身が出現することも、逆に彼等全員を尊瞑の本山へと転移させることも可能だ。

 それを十日間。無論、僅かな休憩を挟んではいるはずだが、心身ともにかなりの負担があるはずだ。そして、未だ大した情報を掴めないとは、

「でかいヤマ、だな」

「あぁ。でかすぎて嫌になる」

「だな」

 三人が再び頭を傾げたが、蛟だけは違った。

「面倒な話じゃ。儂は帰る」

「は?」

「え? おい、ちょっと、蛟さん!」

 呆気に取られている三人が呼び止めようとしたときには、既に蛟は屋台から数メートル離れていた。

「ったくもう。しょうがねぇ、俺も行くぜ」

「あ、あぁ」

 言って芳禅が立ち上がろうとした。その時だった。

「あ、ちょっと待て、芳禅」

「ん?」

 思い出したように、秋光が屋台の下を探る。取り出したのはほそ長い形状の、杖のようなものだった。

 全長およそ九十センチ。丁寧に編みこまれた、紅い布の柄。鞘は黒塗りで、一見すると日本刀のようだがその独特の湾曲は無く、計ったように真っ直ぐと平行に伸びていた。

「! 出来たのか!?」

「苦労したぜ。あれだけ原型を留めてなかったんだ。今のお前じゃ、具現術だけってのは辛いだろ」

 秋光はそれを引き抜くと、反転させ、柄を芳禅へ向けて差し出した。受け取った芳禅は、思わず感嘆の息を漏らした。

「なんだ、それは?」

 秋光に続いて出てきた俊悦が、芳禅に尋ねた。

大包平(おおかねひら)。平安に造られた刀だ。昔……左腕があった頃に、俺が使っていたものでもある」

 懐かしむように、芳禅は呟く。

 反りの無い、直線状の刃は銀に煌く。西洋の刺突剣を思わせる形状だが、それとは比べ物にならないほど強固で、堅牢そうな姿だ。刀身には細かく、何かの文字を綴ったような細工が施されている。

 秋光に背を向けた芳禅は、軽く大包平を振るった。剣は外見からは想像できないほどに軽く、夜の闇に銀の一閃を曳いた。まだ完全には手に馴染まないが、それもすぐに無くなるだろう。

 数分間、大包平を振ると、芳禅は礼を言って秋光に渡す。彼がそれを鞘に入れると、再び芳禅が受け取る。

「右手まで失うなよ」

「あぁ」

 それだけ交わすと、大芳平をベルトの左側に差し込んだ。ベルトはこの剣を使っていた昔と変わらず、大芳平を固定するための小型ホルスターに似たものが取り付けてある。

「ようやく、竜峰は復活か?」

「さて、どうだろうな」

 言って芳禅は、青年と同じ方角へと去っていった。

「ところで、秋光」

 男の姿が見えなくなるのを待って、俊悦はある事を切り出した。

「お前、酒の代金はいいのか?」



 家の扉を開けて、芳禅は気付く。秋光に代金を払っていなかった。

 しかし、今から引き返すのは面倒だ。それに秋光自身、何も言っていなかったのだから問題ではないだろう。

 同時刻に悲痛な叫びを上げて、俊悦の笑いの種になっている秋光のことなど知らず、芳禅は部屋に向かった。だが、

「む……?」

 ドアノブを回そうとして、異変を察知した。部屋から物音はしない。しかし、気配がある。

 妖か。

 狭い室内では、大包平の長い刀身は不利になる。龍の爪を放てるように、気を集中する。空間が僅かに揺れるのが分かった。

 いけると踏んで、ドアを開こうとしたとき、

「よせ」

 芳禅を制したのはみずちだ。彼は、自分の部屋の前に立っていた。

「うまく探れない。多分、やり手だ」

「どうする?」

口調からみずち判断して、芳禅は尋ねた。

「俺がドアから行く。開けたら奴の背後に転移してくれ」

 芳禅が頷いたのを見て、みずちはタイミングを計る。ドアの前に立ち、いつでも中の者を刃で包囲できるよう、集中してノブに手をかけた。

「三秒数える。…三……ニ……一…」

 ドン、と開け放ち、みずちは瞬時に標的を視認した。床に転がっている、というよりも倒れているような格好だ。同時に芳禅が空中に現れ、抜き放った大包平の刃先を向ける。が、

「! 違う!!」

「!?」

 僅かに紙一重で、刃は止まった。

「まさか!?」

 自分が殺そうとした者を認識して、芳禅は驚きの声を上げた。

「それより手当てだ!」

 言うや否や、みずちは素早くそれを抱き上げると、呼吸を確認する。息はあるが、浅い。顔は汗で濡れ、衰弱しきっている。

「どういうことだ……」

 か細い息をする巫女装束の少女を見て、みずちは唸るように言った。

 肩まで伸びた白い髪と、それに負けないほど色白な肌が、月明かりに照らされる。

「御琴……!!」

 みずちは少女の名を呟く。

 いま彼が抱きかかえているのは、尊瞑家頭首、尊瞑御琴(そんめいみこと)その人だった。


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