第五話 Eの怪 part 1
「はぁ~」とこれぞうはため息を吐いた。辺りは暗く、その中でもみさきの存在だけは感じることが出来た。
「まさかこんなことが人生の中で起きるとは……これは予想出来なかったなぁ」
現在彼はなかなか珍しい体験の中にあった。
「まさかエレベーターが途中で止まってしまうなんてね……ねぇみさきさん?」
ポイズンマムシシティに昔からあるデパートのエレベーターにはこれぞうとみさきのみが乗り込んでいる。原因が何か分からないが現在エレベーターは止まっていた。
「いやはやしかし、せめてもの救いなのがみすずちゃんがいないことだ。彼女もいたら気の毒だ」
一緒にデパートに来たみすずは、そこで偶然にも大学の友人と鉢合わせ、友人と一緒にデパート内喫茶店に行ってしまった。
「それに今が冬で、みさきさんと二人切りで良かった。これが夏で、おじさんが寿司詰め状態だったとしたら、想像するだけでも苦しい……」
これぞうはエレベーターの壁を背凭れにして三角座りしていた。
「まぁ警備の者がその内救出に来るだろう。みさきさん、こちらへどうぞ、寄り添って温まり、せっかくなのでお話しでもして交流を深めようではありませんか」
みさきは薄暗いエレベーターの中で黙ったままだった。
もしや狭く暗い場所での異常事態を前に臆しているのではないか。みさきも女性なのだからそうして怖がっても不思議ない。ならばここは自分が安心させてあげよう。そして男を上げよう。そう考えるとこれぞうの頬は緩んだ。
「みさきさん、怖がることはないよ。すぐに助けが来るし、むしろレアな体験をしたなぁ~と、後になれば楽しい笑い話に出来るってものだと思わない?」
エレベーターの操作パネルの前に立ったままみさきは動かない。こちらを向くこともしない。これぞうは立ち上がると薄暗闇の中を三歩前に進んでみさきの肩に手を置いた。
「みさきさん、僕がいるじゃないか。これから先は苦楽織り交ぜての長い未来を共にする僕たちさ。こんなエレベーターに閉じ込めらるような不運など些末なことだよ。さぁ明るく強く気を持とうよ。そうだ、さっき買ったお菓子があるし、ジュースもある。どうだろうか、エレベーターで一つ宴でも上げて救助を待つというのは?」
これぞうがへらへらしながらペラペラ語ってもみさきの反応がない。
「みさきさん……?」これぞうが呼び掛けて5秒ほどすると、みさきの体がぶるっと震えた。その震えはみさきの肩に置かれたこれぞうの手にも伝わった。
震えている。どうしようか、ここは男らしくギュッと強めのハグでもしてみるか。これぞうは暗い天井を見上げながらそんなことを考えていた。この時彼の顔はニヤついていた。
みさきの顔がゆっくりこれぞうに向いた。「これぞう君……私……」
「うん?どうしたの?」
みさきの肩はやや震え、声も少し震えているように思えた。
「みさきさん?……まさか……違ったらごめんね。……トイレ?」
「うん……」
勘の悪いこれぞうがやっとそれを察知した。
「……大?小?」
「……小」とみさきは返した。
これまでのこれぞうとの会話のやり取りの中で、今日程みさきがか細い声で話したことはなかった。
考えてみれば、そこらの男や泥棒を相手取っても容易に投げ捨てる程豪気な女性が、ちょっとエレベーターに閉じ込められたくらいで何を臆するというのだろう。これぞうは己の察しの悪さを反省した。
「そうか、そういえば朝に350mmlのマグカップひたひたに注いだコーヒーをガブ飲みしてたもんなぁ。あれによる尿意が今やって来たと……」
「暢気に解説してないでよ……」
「おおっとそうだった。みさきさん、その~我慢できる?」
「……結構きつい……」みさきは己の強き意志を総動員して、人が排泄するであろうそれを堰き止めている。その堰き止め板は少しづつひび割れ、決壊へと向かって行く。
これぞうは腕組みして思考をフルに働かせた。彼は考える人、それによって未来を切り開いて来た。
どうする?助けがすぐに来ると高をくくっていたが、すぐにそれが叶う保証などありはしない。我慢できる間は良いが、物事には限界がある。彼女が頑張って我慢しても10分……いや、それ以下かもしれない。なんにせよ我慢は体の毒、彼女を苦しませたくない。考えろ僕。彼女を楽にし、救うことだけを。彼女は僕の全てなのだから。
これぞうは考えている最中、目を閉じていた。それがゆっくりと開いた。結論は出た。
これぞうは買い物袋からトイレの消臭剤を取り出し、包装を破ってエレベーター床に置いた。その後みさきと向かい合うと、床に膝をついて屈んだ。そしてみさきの両方の腿を掴んだ。
「なに?これぞう君?」彼が何をしたいのか丸っきり分からないみさきは焦って問いかけた。
「みさきさん、脱ぐんだ」