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第四十七話 九死か一生か

 内野手の松野、ひより、外野手の水野姉妹、そしてベンチの五所瓦ファミリーがこれぞうに目を向ける。捕手の久松は投手である水野の父の手元をしっかり見ている。これぞうも久松も次はどんな球が自分に向かって来るのかと緊張して構えていた。

 間もなく第八球目が投げ込まれる。父は早くも次の攻撃の手を決めた。そして静かに投球フォームに入る。

 雫となった汗がこれぞうの顎から垂れ落ち、黄色がかった砂地の一点を黒く染める。これぞうがスイングすればその点はもう数個分増えることになる。

 父の第八球目が迫るのが分かる。これぞうの目も少しづつ慣れて来た。最初よりははっきりと動きが見える。だが、見えるのと打てるのとでは訳が違う。打ちやすい真ん中よりやや内側に寄ったコースに球が来た。これはチャンスと想い、これぞうはそこに狙いを定めてバットの芯を運ぶ。

 だが相手はやはり曲者。それはこれぞうを安心させるただの餌にすぎない。もうバットの照準を変えるには間に合わない段階へ来て、球は歪な軌道を描き、バットの芯を離れる。これぞうの予想したコースを大きく離れて球は内角をえぐって来た。

 何っ!これはまさか!

 これぞうはハッとした。その歪な軌道を描く変化球は前にも見たことがある。

「スパン!」これぞうには屈辱的なあの音が響く。軌道が変化しきった先で、球は久松のミットに吸い込まれた。

 ここへ来てまたまた痛恨の空振り。

 くそぉ!分かっていた。これがお父さんの決め球だ。なぜここまで投げてこないのだと思っていた。この球を意識して恐れ、僕は神経をすり減らした。十分な意識がありながらまた空振りした。また負かされた。前回僕にとどめを刺したシンカーに!

 このようにこれぞうの心中は穏やかではなかった。先程これぞうを空振りさせたのは父の得意とする変化球シンカーだった。これぞうは高校生の時にもこれを空振った。この半月、バッティングセンターでは特にシンカーを打っていた。にも関わらずこうもあっさりと空振りさせられた。

 たくさんの変化球を打ち返す特訓を積んだが、やはり実践と練習とでは違いがある。機械による機械的な変化球より、本物の投手が投げる生きた球の方が強力だと思った。人か機械かの差はあれど同じ投球、同じ変化球、なのに人のそれの方が攻略しにくい。これぞうは現場に出ないと分からない理屈を知る。この差はなんなのだろう。やはり、人の想いというやつか。スピリチュアルというのはあながち信用できるものなのかもしれない。これぞうはそんなことを考えていた。

 そして一番思ったことが「悔しい!」ということ。人が悔しいと想う内はまだ芯が折れていないことの証明となる。これぞうの胸には明確なる反逆の意志が宿っていた。


 これぞうはバッターボックスから大きく一歩はみ出すと声を発した。

「お父さん!」

 足先でマウンドを慣らしていた父は動きを止めてこれぞうを見た。

「これはフェアじゃないかもしれない。でも、よろしかったら最後の一球も今のと同じ球を下さい!」

 これぞうの意外な提案を聞いた一同は不思議な想いになってこれぞうに目を向けた。

「負けるとしても、勝つとしても、最後は思い出のその変化球で決着をつけたい。お父さんだって、後腐れなくとどめを刺すなら、その球がいいのではないですか?」

 これを受けて、父はニヤリと笑った。勝負師の魂に火がついた。

「そうか、そう来たか……良かろう。バッターが投球を要求し、投手がそれでいいと答えれば、それは問題なくフェアな交渉として片付くよ。分かった、私は最後の球もシンカーを放る。もしも嘘をついてそれ以外を投げたら、その時は即刻私の負けでいい」

 二人は頷きあった。

「ありがとうございます」礼を言うとこれぞうは再びバッターボックスに戻ってバットを構えた。

「君が負け方と勝ち方を選びたいように、私にも選びたい勝ち方がある。負け方のリクエストは何もないがね」父には最初から勝利しか見えていない。

 ここで父は口に封をし、決着のつくその時まで言葉を発することはなかった。

 これぞうは久松を見る。

「久松くん、ありがとう。そしてお疲れ様」

 久松は不思議そうにこれぞうを見上げて返す。「え、何が?」

「もう構えてくれなくて良いよ。だって次が最後、そして僕は打つ気でいる。君のミットはもう仕事をしやしないさ」

 久松は大きく目を見開いた。

「いや……だが……うん、きっとそうだろう。でもな、お前の最後の一振り、勝利を決める最後の一振りを最も近くで見たいんだ。俺の役目はもう終わりだとしても、やはりここで見させてくれ」久松はそう返すと再びミットを構える。

「ははっ、君ってやっぱり熱い奴なんだね。久松くん、君って格好良いよ。やはりお父さんに臨む時の相棒が君で良かった。じゃあ見ててよ。これで最後だ」

 勝負はまだ終わっていない。まだ途中だ。しかし、この段階で友人の勝利を確信していた久松は未来を見据えて早くも目頭を熱くしていた。

 これぞうはバッターボックスに戻った。勝負再開だ。

 父はシンカーを投げる準備に取り掛かった。もうカウントダウンは始まった。今すぐにも球は手を離れる。

 これぞうの心臓は高鳴り、汗は体中から滲み出た。しかし心は落ち着いていた。

 二人が対峙する丁度中間地点を白球が通過した。これぞうは目を見開いて軌道を読む。それは確かに歪な進路変更をすると約束されている。

 これぞうは全ての思いをこめて最後の一振りを放つ。ここだと信じたその場所にバットの芯を運ぶ。


 自分がここまで来たのは自分のため、そしてみさきのため。この一振りは、そしてこの一振りで打ち返すであろう球はみさきに捧ぐもの。


 僕のありったけの想いを込めたこの一振りは彼女に向け、そして打球は彼女を越えたそのもっと先に向けて!


 白球は歪な軌道を描いた先でこれぞうの想いを込めた一振りに捉えられた。

「カキン!」

 気持ちの良い金属音が辺りに響いた。

 これぞうは確信した。「入った……」と。

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