第三話 そこがお父さんの知りたいところ
大学の卒業も決まり、春からは高校教師として教壇に立つこととなっている。あとは卒業式を待つばかりだ。そんな五所瓦これぞうは現在水野家にお邪魔している。結婚式を挙げる報告を兼ねて水野家を訪ね、そのまま数日はここに泊まって過ごしていた。
「もうっこれぞうくん、そのお皿はこっちだって言ってるでしょ?」
「ああそうかい、なんだかどれもこれも似ていてすぐには覚えられないな」
昼食後、出来たて夫婦は仲良く台所に並んで家事を行っていた。
みさきの妹のみすずはそんな二人の背中を居間から眺めていた。
「二人は仲良しだよねー。まぁいつかはこうなると想ったけど、結婚となると……なんだか不思議な感じもするよね」みすずは誰に向けるでもなく想った言葉を発した。
「うん、そうだな。しかしああして台所に二人仲良く立っていると、夫婦なんだなと実感もできるよ」父はデザートのカステラを切り分けることなく一本丸々齧りながら言った。
「うぐっ、ちょっと前までおしめを替えてやったと想ってた可愛いみさきちゃんが……来月には完全によその男のものになるのか。お父さんショック」
ここで父はカステラを食うスピードを上げた。
初の娘が遂に花嫁になること。それは親としては嬉しくもあり寂しくもあった。父はどうしても感慨に浸らずにはいられなかった。
その日の晩、父とこれぞうはまた話し込んでいた。水野家の母は近所の奥さん同士の飲み会に参加して留守、水野家姉妹は現在二人仲良く風呂に入っている。
「これぞう君、大学の方はどうかね?」
「ええ、単位はバッチリ取得して、卒論も提出しました。学び舎と級友に別れを告げるのは寂しいですが、僕には次があるので、それに備えて卒業式を待つばかりです」
「ははっ、卒論か。懐かしいな。この私も過ぎ去りし日々にはそいつに手を焼いたなぁ」
「やはりあれは苦行ですよね。僕の書いたものは自分でもつまらなく感じるもので、今となっては一体何を書いたのか思い出せないくらいですよ。教授の指導も厳しく、神経をすり減らす作業でしたからね」
「ははっ、あれには忍耐力を養う目的もあるのさ」父はバリッと音を立てて煎餅を齧った。「君も一つおあがりなさい」
「では一つ」と言うとこれぞうは遠慮なく煎餅を齧った。
父はそれまでこれぞうの目を見て話していたが、次には目線をやや上げて話を続けた。「……式は卒業を控えたこんな時でよかったのかい?」
「ええ、まだ在学中ですけど、先程も説明した通り、学生としての任はほぼ終わって楽な時期にありますから」
「君の両親にこの話をした時にはどんなことを言われたかい?」
「両親は式はさっさと挙げれば良いと言いました。特に父ですが、みさきさんがまだ20代の内にウェディングドレスを着させてやらないと可哀想だと言うので、あっこれは別に30代以上の晩婚の方を悪く言うとかじゃないですよ」
「ははっ、そりゃ誰に対する言い訳だい?で、他には?」
「せっかくの結婚、それも学生結婚となれば更に思い出深いじゃないか。と父は学生結婚を面白がって、早くした方が言いっていうんですよね。あとは夏に礼服は暑苦しいとも言い、招待する皆様のことを考えれば3月なら動きやすくて良いだろうとも言ってました」
「ははっ、なんだかいかにも君の親って感じのことを言うね」
「ええ、間違いなく僕の親の意見ですね」
二人は談笑を続ける。
ここで父はわざとらしく「ゴホンッ」と咳払いをして次の話題に移った。
「で、これぞう君。君は私の娘を妊娠させてくれたわけだが……」
「はぁ、その節はどうも……」
「う~む」と言って父は次に言うことを考え込んでいる様子を見せるが、その実聞きたいことは昨晩から既に決まっていた。
「で、どうだったね?そのみさきとの……床でのコミュニケーションは……」
「床での……え!ちょっとお父さん、なんてことを聞くんですか。これは恋人のやり取りですから、いくら親だからといって気安く言っていい事ではありません」これぞうは頬を赤らめて返す。
「なんだね君!だったら、ウチのみさきとのことは全然良くなかったとでも言うのかい?」
このスケベな親バカは尚もこれぞうに詰め寄った。
「まさか、滅相もない!それはそれは良いものでしたよ。あの時の良さと言ったら、他の何かには例えられない……」魂の交渉を蜜に行ったあの時を思い出してのことか、これぞうは恍惚とした表情で答えた。
その時、これぞうの腰に衝撃が走った。彼は「いでぇ!(痛い)」と悲鳴を上げると床にうつ伏せに倒れた。痛みの原因はみさきの平手だった。彼女の平手は服の上からでもばっちり痛い。
「ちょっと、人がいないのをいいことになんて話をしてるのよ。いやらしい!」
熱い風呂からもらった熱気と怒りの感情が湯気となって彼女の頭上を登っていく。
「みさきさん痛いよ。君は人並み以上に腕力があるのだから、ボディコミュニケーションの加減をしっかりしてくれないと……」これぞうは痛む腰を押さえて言った。まだ立ち上がれない。
みさきは次には父に向かって怒りを口にした。「お父さんもよ!そんなことを聞くなんて非常識!」
「いや、お父さんはみさきちゃんの成長をね……確認したくって、それを近くで見た彼に話を聞いたまでさ」
「そういうのは聞かなくていいの!」
遅れて風呂から上がったみすずがやって来た。
「お姉ちゃん、暴れるのはお腹の赤ちゃんに悪いわ」
妹が宥めたことで姉の怒りは静まった。
「お父さん、今の叱りっぷりを見たでしょ?元気に叱る良いお母さんになりそうじゃないですか」これぞうは床に這いつくばった状態で父を見て言った。
「君って、結構逞しいんだね。あんまり怒らせて怪我しないようにね」
父は新たな夫婦に希望も感じるのであった。