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第三十二話 愛の運命論者これぞう

 校長は腹が出て太った丸い体型のおじさんだった。これぞうの脳内では、彼の姿と信楽焼の狸とがイコールされていた。だから彼は校長といえば狸、狸といえば校長をイメージするのだった。もちろん、人を見て狸と言うのは礼儀を欠いた言動なので、彼は喉まで出かかった「狸」のワードを押し殺し、校長室に臨むのだった。

「校長先生、お久しぶりです!いやーしばらく学び舎を後にしたままでしたが、息災でしたか、これは喜ばしいことです」

 これぞうが久しぶり見た校長は変わらず狸の見た目をしていた。

「僕にとってのザ・校長のイメージを持つ者は他でもないあなただけですが、対してあなたは優秀な生徒を何人と世に放った教育者だ。その中の一人に過ぎない僕のことなどは覚えていないかもしれませんね。申し遅れましたが僕は五所瓦これぞうと言って、あなたが卒業させた優秀な生徒の一人です。そして現在ここで、ただの子供を優秀な生徒へと教育して世に輩出している水野みさき教諭の夫になることを許された男でもあります」

 校長は椅子から立ち上がり握手を求めた。

「はっは。いや~圧巻の喋りと、再びの自己紹介だったね。確かに私は何人と生徒を世に放ってきたよ。その全部を覚えている自信はない。なにせ数が多いし、こちらの頭だってたくさんものを覚えるにはガタが来始めている。でもね、君程異彩を放つ生徒は忘れられないよ。有象無象だとか十把一絡げに含めるには、なんというか光りすぎる個性があったからね。安心しなさい、忘れてはいないよ五所瓦君。自己紹介は今さらな話だったね。ちなみに、ここにいくつかの伝説を残した君の姉さんとその従姉妹のことも忘れてはいないよ」

「ははっ、僕と違って努めて地味に生きるってことを全く知らないのがあの二人ですからね。僕共々まだ記憶してもらっているとは光栄の極みです。校長先生、そんな訳で僕たちは夫婦になったので、今後も益々我が嫁のことをよろしくお願いします」

 二人はがっちり握手をした。

「ふふっ、水野先生、これは頼もしい旦那さんですな。あなた自らが教えた生徒を、旦那としても逞しくなるように正しく導いたようですね。ほっほ!」校長はクセのある高笑いをした。

「はぁ……という訳でして、春からもまだ現場で活躍しますので、いずれ来る産休の時のことも含めてお願いします」

「ははっ、いくら休みを取られてもあなたの席はちゃんと確保しておきますよ。安心してここで働いて、それから休むといい。なにせ若手が全く足りてないのだもの。引退せずに帰って来るというなら大歓迎ですからね」校長が言うこれが学校経営の現状だった。

「しかし、思い出しますね~」と言って校長は遠い目をし、過ぎ去りしあの頃を思い出した。「あなたの気を引こうと思って、お菓子だとか弁当をせっせと作っては職員室に運んでいたあの子供が今では立派な好青年だ。こうして母校訪問をしてくれる生徒の存在は素直に嬉しい。でも、それだけに自分が年を取ったと知るきっかけにもなって、嬉しさが八割、残り二割は切なくなるんですよね。水野先生もベテランになる程これを思うようになりますよ」これが業界のベテランあるあるだった。

 人生を振り返って残した功績が多い程、そこまで歩いた距離が大したものだという証拠になる。これには嬉しさとちょっぴりの切なさが伴うものである。こればかりは、何も成し遂げない若い内には体験出来ないことである。

 校長が姉と従姉妹共々夫をしっかり覚えていたことがみさきには少し恥ずかしかった。その後もみさきはいくつか挨拶をし、自分の生活の変化が仕事の現場にも変化を来すことについての理解を求めた。それに対して校長は朗らかに受け答えをした。校長にとっては、自分から見て若すぎるこの女性教師もまた、教師でありながら生徒のように思えた。だから懇切丁寧に扱っていたのだ。


 みさきが話し終えて辺りを見ると、部屋にこれぞうの姿がないことに気づく。

「ああ、水野先生、あなたの旦那……いや、五所瓦君ならほらあそこ」

 みさきがこれぞうを探していることを察した校長は、これぞうがいると思しき方向を指した。

「あの人だかりの真ん中に頭が覗いてるでしょ?」と言って校長が指差しているのは窓の向こうの校庭。女子ソフトボール部の生徒が固まっていて、その真中にこれぞうがいた。女子達よりも背が高いから、これぞうの頭だけが飛び出て見えた。


 女子ソフトボール部員達はこれぞうを囲んで騒いでいる。

「水野先生の旦那さんって、先生の元教え子なんだ!え?じゃあ、在学中からお付き合いがあったのですか?」この手の話題が好物となるにふさわしい年頃の女子達の内一人がこれぞうに問いかけた。

「ははっ、そりゃ僕はみさきさんの生徒だったよ。でもね、師弟の間で手を出すだとか引っ込めるとかの関係は頂けない。安心しなよ、在学中には手も握ってないさ、多分……。とにかく卒業してから関係は深まったんだね。無論、僕の方は在学中から、それも入学式で一目惚れしてたんだけどね」

 この応答を聞いた女子の群れの反応は「キャー」の一言だった。運命的な恋に彼女達の胸もときめいていた。

「旦那さんは、水野先生のどこが良かったのですか?」というのが第二の質問だった。

「ははっ、どこが良いかだって?あんな素敵な人じゃないか。どこを見ても良し、駄目なところを探せって方が難しいよ。しかしそうだな~あえて駄目な点を上げるとしたら、7、8年の付き合いの中でただ一つ見つけたのが料理がちょっと駄目って点かな。まぁそれも可愛いもので、そこは僕の腕でカバーだけどね」

「へぇ~旦那さんは料理が出来るんですね」

「まぁね!大学ではひとり暮らしで自炊をしていたし、今の世の中なら、男児だって厨房を戦場にして駆け巡るべきさ。料理ってのは出来て損することは全く無いよ」これぞうは得意満面に返した。事実、彼の料理の腕は大したものだ。

「素敵!料理も出来る若い旦那さんを生徒の中から見つけるなんて!」引き続き黄色い声がこれぞうに飛ぶ。

「そうだよ。高校なんて人生の通過点と考えてなんとなく通う人もたくさんいると思うんだ。しかしね、人生のまだ早い時点のここで、一生を共にする仲の人に巡り合うこともあるんだ。そう想うと、君達もなんとなくでは通えないだろう?目を見開いて出会いの重要性を判断するんだね。どんな良縁が転がっているかわからないよ。無論それは生徒同士だけでなく、教員の中にだって見て取れるかもしれない。この僕がそうだったようにね」

 これぞうがこの素敵な運命論を説くと、女子たちは一層盛り上がった。女子は恋バナが好き。それも成功者の景気の良いものなら更に当てはまる。


「痛い!」これぞうは後頭部に食らった拳骨の痛みを口にした。

「もう、何してるのよ!デレデレして調子の良いこと言って。帰るよ!」

 これぞうはみさきに引きずられて校庭を退場することになった。


「ごめんよ。ああして若い子に囲まれることは滅多とないことだろう。そうなれば、さしもの僕も気が高ぶったっていうか……みさきさんもそのくらいの人の情動ってのは分かるでしょ?」

「そうね、若い子に囲まれると嬉しいわよね」

「いいや、問題は歳じゃない、人にある。僕はみさきさんに手を引かれる今の方がずっと幸せさ」

 結局その後もこれぞうはデレデレしたまま家までの道を辿った。

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