第二話 新たな一輪
今から時を遡ること二ヶ月前、これぞうは大学の卒業論文をやっと書き終えて一息ついている頃だった。
彼は故郷のソニックオロチシティから二つ向こうにある街ポイズンマムシシティでアパートを借りて大学に通っていた。
当時は年末で、みさきはポイズンマムシシティの実家に帰っていた。同じ地にいる二人は気安く会うことが出来る。みさきは恋人の住む場末のアパートを訪ねるのだった。
「やぁやぁみさきさん。お早い到着だね。連絡をくれたらどこへなりと迎えに行ったのに」
これぞうはスポンジでシンクを磨きながら恋人に喋りかけた。今は年末の掃除中であった。
「座っていてくれよ。すぐにこの泡を流して、それから君との交流を深めよう」
これぞうは掃除を終えると狭苦しい部屋に腰を落ち着けた。
「久しぶりだね。久しぶりに会ってもやはりみさきさんは綺麗だなぁ。どう?学校での仕事は?疲れてない?」
「うん」
「ん?どうしたの?何かこう、様子がいつもと違うというか……」
さすが恋人ということで、これぞうは久しく会ったみさきの様子が何か違うことにすぐに気づいた。
「ちょっとね、お話が……」
みさきは言葉を詰まらせる。
これぞうは穏やかな表情で彼女の目を見つめると「いいよ。話をしよう。なんでも言ってよ」と言った。
「実はね……私……」
みさきの言葉はスムーズには続かない。言葉が詰まって出てこないようだ。それでもこれぞうは彼女のタイミングで言葉が出るのをただ待つ。
「これ、見てほしいの」と言うとみさきは一枚の写真をこれぞうに見せた。
「は?なんだいこれは?現像ミスかい、こう白いのがぼやーと見えるばかりじゃないか。何を撮ったものなんだい?」
「もう、鈍いのね!それ、赤ちゃんの写真!」
「え?こんなぼや~とした赤ちゃんがどこに……あ!」ここまで喋るとこれぞうは写真を床に落とした。
「まてよ、これはまさか……」これぞうはみさきのお腹を指差して言葉を続ける。「そこにいるっていうのかい?」
「そう」とみさきは答える。
「誰の?」とこれぞうはとぼけた顔で尋ねた。
「私の」
「と、誰の?」
みさきはこれぞうを指差してこう言う。「あなたの」
この時、ボロアパートの窓に夕陽が差し込んだ。これぞうはみさきの報告を受けて時が止まったように感じたが、こうして陽光が伸びるのを目視すればそれは全く気の所為だと理解した。時は確かに流れ、以前そこになかった命が今ではしっかりある。
これぞうは両手を握りしめた。そして全身をぷるぷると震わせた。心臓も揺れた。
「な、な、な、なんと!僕とみさきさんの……あ、あ、あ、赤ちゃんだって!青でも黄でもなく赤ちゃんだって!」
動揺からか、彼はやや乱心しているようだった。
「あたりまえでしょ。青ちゃんや黄ちゃんなわけないでしょう」
彼のおバカな独り言にみさきはノリよく答えた。
「やっ、やった!やったー……でいいんだよねコレ?」ひとしきり喜んだ後、これぞうはみさきに問いかけた。
「うん。やったーでいいんじゃない?」
これぞうはみさきの手を取った。
「みさきさん、これから僕はパパで、君はママさんなわけだ。手を取り合って新たな生命の花を咲かせよう」
「うん……」
これぞうの目は真剣、でも変わったノリにやや引き気味のみさきであった。でもこの時、彼女の頬は夕陽のせいではなく、自発的に赤く染まっていた。
「こうしちゃいられない。さっさと式を挙げて、赤ちゃんも産んで、新生活スタートだ」
これぞうは立ち上がって意気込んだ。
「だったらまずは年末の大掃除を終わらせないとね。このボロアパートにも世話になった。もう少しの付き合いだから、綺麗にして後にしよう」
みさきは微笑んでこれぞうを見ている。
「あっ、みさきさん、晩ごはんはどうする?赤ちゃんのことを考えるとしっかりエネルギーをいれないといけないから、牛丼かカツ丼か天丼あたりがいいかな。どれにしよう?」
これぞうの腹はうるさく鳴っていた。