第一話 水野さんちは揚げ物王国
五所瓦これぞう青春の野望の一つは、必ず初恋を実らせること。過ぎ去りしあの春、運命のヒロイン水野みさきに出会って種巻かれた恋はやがては大きな実をつけ、その名を恋から愛へと変えて行く。師弟関係から恋人関係になった二人は、その後約4年かけて更なる愛を大事に大事に育てていった。
これぞうが高校を卒業して約4年の歳月が経ち、彼は現在22歳となった。彼より7つ年上のヒロインもまた、その間に4年分歳を重ねた。
今はこれぞうが大学の卒業を控えた2月下旬である。
時刻は昼過ぎ、空は曇りの無い晴天。ポイズンマムシシティのとある川辺には二人の男がしゃがんで穏やかな水流を眺めている。2月下旬の晴天のお昼なら川辺にいてもそれほど寒くはなかった。
「君もそろそろ卒業だね?」初老の男が口を開く。
「ええ、少し前に卒業して入学したと想ったら、また卒業ですよ。まったく青春ってのは高速再生なんですから。もう終わりとは名残惜しいですよ」我らが主人公青年は流れる水を見ながら喋る。
「ははっ、そんなことを言うがね君、青春を脱した後、歳を取ってからはもっと日々の終わりが早く感じるようになるんだよ。若い内からそれだったら、私の歳にもなればF1カーのスピードで一年が終わって棺桶まであっという間だよ」
「ははっ、お父さんたら~、それは言いすぎでしょ~、ほんと、言うことが詩人なんですから~」
「それが言い過ぎでもないんだな。実際、ここのところは時間の流れが早く思えてならんよ。昨日産まれたばかりと想った娘が、気づいたらよその男に嫁に取られるんだもの。寂しいものだよ」父は遠い目をして言った。この男こそヒロイン水野みさきの父親である。
「お父さん……お父さんを寂しがらせる気はないのですが、これは悪いことをしたかな~」これぞうはポリポリと後ろ頭をかいた。
「ああ、そうさ。君は私にとって敵だよ。娘との幸せな暮らしも、君の手によってピリオドが打たれるのだから」そんなことを言う父の顔は笑っていた。
「ひどい言われようだな~。愛するってことは戦うこととも言いますね。戦いの中では涙を流す者が必ず出るものです。すみませんが、僕の勝利のためには、誰かに泣いてもらわないと」
「君こそ、ひどい君主の言い分のように聞こえるぞ。そんなのじゃ民がついてこないよ」
「はは。いいですよ。僕にはただ一人、お姫様だけ味方してくれれば、つまりはみさきさんがね」これぞうはだらしなくにやけて喋った。
「まったく、なんて顔してのろけているんだ。普段はもう少し見られる男前が台無しじゃないか?」
「ははっ、そうでしたか。顔に幸せが出ちゃってるんですよ」
これぞうが破顔するのも無理はない。来月中旬には結婚式が待っている。自分が夢に見たその日が遂に来る、そう想うとにやけを止められないこれぞうであった。
「しかしね君、よくぞあの日の幼い少年がここまで漕ぎ着けたね。色々言っても、君の忍耐力には脱帽するよ」
「ははっ、お父さん、これが愛の力のすごいところですよ。僕も事がこうまで変わるとは思いませんでしたからね、それでも一心にみさきさんを想って走っていたら、こうして栄光のゴールテープを切る直前まで来れたのです」これぞうは嬉々として語った。
15歳の春から今日まで同じ女を想い、迷いの中でも必死に愛を育ててきた。その良い成果が出たのだから、これが嬉しくないわけがない。
「ははっ、嬉しそうだ。しかし、こうして第一話に男しか登場しないっていうのはどんなものだろうか?」
「え?一話?まぁ確かにこれまでも色々あったけど、また次のステップと言えば、今が第一話かもしれませんね。そこには是非華が欲しいってことですね。だったら、そろそろ彼女の声がするはずですよ」
「なんだねそれは、愛する者の勘ってやつかい」
「ええ、まぁそんなところです」
これぞうが予想立てた通り、まもなく女性の声がした。
「二人共、ご飯が出来たよ~」
二人は土手下に立って話をしていた。土手の上に立つ彼女は父と夫を呼びに来た。
「お見事だね。君の愛の勘ってやつは!」
「ははっ、まぁ愛には勘よりも確かな絆がものを言います」
「すると、みさきの近づくのは勘ではなく、確かな愛の絆から感じ取ったとでも言うのかい?」
「ははっ、まぁそれで良いと思います」
二人の男は緩い会話をしながらゆっくりと土手を登る。
「今日のおかずは何かな?」父が娘に尋ねた。
「冷蔵庫にあるあれこれを片端から揚げたものよ。じゃあ私は先に帰って準備しとくから、いつまでも喋って遅れないように」と言うとみさきは空を切って走り去った。
男二人は遅れてゆっくりと水野家に向かって歩き出す。
「ははっ、みさきは昔から走るのが好きなんだよ」父は遠ざかる娘の背中を見て言う。「それにしても、また揚げ物か、ウチの妻は揚げ物研究家だからな」
「ははっ、お母さんも変わらずですね。こないだの納豆の天ぷら、案外イケる味でしたよね」
「ああ確かに。まぁたまにはおかしな天ぷらも出てきて、マズイのもあるのだが、そこは夫と義理の息子の務めだ。大人しく揚げ物研究の実験体になってくれたまえよ」
「ははっ、そりゃ面白い。今日はどんな変わり種が出るか楽しみじゃないですかお父さん」
これぞうはその昼、揚げ物の可能性が広がることを感じて昼飯に舌鼓を打ったという。