姉と弟
ルルリエ=リベロンは困っていた。
夫に誕生日のお祝いにと、王都から少し離れた街の時計店にまで足を運んでいた。屋敷に出入りしている商人ではどこで主人の耳に入るか分からないし、誕生日のサプライズを成功させるために当日まではどうしても隠しておきたかったから。何故なら彼の誕生日に、もう一つのサプライズがあった。無理を押してでも自ら動く必要があった。
ところが店を出ようとしたところで事件は起きた。
暴徒が貴族の馬車を次々に襲撃していったのだ。
ルルリエはバッグをお腹に抱え、侍女と共に急いで店の中へと避難する。
暴徒の正体は分かっていた。数年前にラングロンド王国に国教とは別の新興宗教が入り込んできた。彼らは布教のためには手段を択ばない粗野な者達で、被害が出ると国も動き出し、きつく取り締まった。そんな時にハーネスト公爵が彼らを侮辱し、罵ったことで彼らの怒りは貴族に向けられてしまった。ターゲットを貴族に絞った彼らの愚行は度々事件になっていたが、まさか自分が外出した先でもこんな事が起こるとは思ってもみなかった。
ルルリエは恐怖で震えていた。ずっと鞄を抱えて何も出来ずに外から聞こえる音に恐怖した。確かにこの辺り一帯は高級店が立ち並び、一般市民は足を運ばない。やって来るのは王都に居を構える貴族ばかり。警備も王都とは違い手薄で、彼らが襲うには打ってつけだった。
ガチャンというガラスが割れる大きな音に複数の男性の悲鳴。大きな音が鳴る度に肩が跳ねあがり、外の御者は無事かと心配した。
襲撃は数時間で収まった。軍が出動し、現場を鎮圧していく。しかし外へ出ると異様な光景で足が震えた。散らばったガラス片に血を流し倒れている人々。ルルリエの馬車は粉々に壊され、御者も怪我を負っていた。いくら安全は確保されたとしても、一刻も早くここから逃げ出したい。もしこの身に何かあってからでは――。焦りと不安でお腹がきりきりと痛み出し、鞄を強く握ったその時だった。
「大丈夫ですか?」
声をかけた色白の少女はルルリエの顔を見ると肩を支え、自分の従者に慌てて何か声をかけていた。
「奥様!」
ルルリエは侍女の声を遠くに聞きながら、少女に体を預ける様にその場で意識を失った。
ルルリエが意識を取り戻したのは自分の部屋のベッドの上だった。
夫であるローリーが心配そうにのぞき込み、医者を呼ぶ。そこで初めて自分があの襲撃の後に倒れたのだと気づいた。
「奥様は暴徒に襲われた惨状を目の当たりにし、ショックで倒れられたようです」
医者の言う様に情けなくも倒れてしまった自分も、体が普通だったならばこんな事にはならなかっただろう。
「……お腹の赤ちゃんの事は聞いたよ。とても、とてもうれしい。僕を喜ばせようと考えてくれたのだろうけど、無理をして君と子供に何かあっては意味がない。分かってくれるね?」
「ええ。心配かけてごめんなさい」
ルルリエは妊娠していた。ローリーの誕生日にサプライズで子供を授かったことを知らせ、二重の喜びを味わわせたかった。
「失敗してしまったわ。それにローリーを怒らせてしまった」
それは彼が私を愛し、心配してくれたからなのは分かっている。
実家の家族達からも心配され、おなかの赤ちゃんも無事で本当に良かったと皆胸を撫で下ろした。それからベッドから起き上がれる許可がおり、落ち着いたころに失念していた少女の事を思い出した。ルルリエは慌てて侍女を呼び出す。
あの時、ルルリエに声をかけた少女は、倒れる自分を支え、下敷きになりながらも守ってくれたという。お腹を守るように抱えていた自分がもしや妊娠しているのではないかと思い、馬車が壊れてしまったようなので自分の馬車で王都まで送って行こうかと声をかけたそうだ。そして顔面蒼白のルルリエを見て遠くに止めていた馬車を呼び出した矢先、ルルリエが倒れた。
「あの時、奥様を支えていただかなければ、お腹の赤ちゃんも危なかったかもと思うと、あの方には感謝してもしきれません!」
ルルリエも息をのんで今まで自分がすっかり恩人の事を忘れていたことを後悔した。
それから少女の乗って来た馬車に乗せられ、無事屋敷へと戻ってこられた。
「申し訳ございません! 屋敷に到着するとすぐに去ってしまわれて、私も慌てていて一体何処の誰か、お名前を聞いていないのです」
「そんな……」
謝る侍女はルルリエを助けてくれた恩人が誰なのか、分からないという。
あの店に来て自身の馬車を所有しているということは身分のある者であることには違いないだろう。
「……貴族の集まりで見かけたら必ず教えてちょうだい。お礼をしなければ気が済まないわ」
ルルリエはそう言って同意を求める様にお腹を摩った。
ルルリエの願いが叶うのは難しかった。
妊娠で社交界に表立って出ることを避けたからだ。お腹の赤ん坊は順調に育ち、ふっくらとした膨らみも目立ってきた。出産までは毎日が新鮮で喜びだった。
そんなルルリエが安定期に入ったころ、姉であるエルキキから連絡があった。なんと、末の弟が意中の女性を家族の集まるミサに同行を許したという。
「何てこと! こうしてはいられないわ! 全員集合よ!!」
呆れる夫を余所に、姉達も同じ考えのようで、四人久々に集まって弟には内緒でその女性を見定めようと週末のミサに駆け付けた。
アランの相手は今や時の人物であるあのメルディ=ロックベル。
「メルディさん、お久しぶりね」
〝初めまして〟と挨拶をしなかったのは、私達四姉妹がメルディと面識があったからだ。幼い頃よく祖父に付いてロックベル家を訪ねた。とはいっても一番下のルルリエでも六つも離れており、幼い頃は遊び相手にはならなかったのだが。
「あなたはとても小さかったから、覚えていないのも当たり前よ」
「あんなに小さな子が、こんなに素敵なレディに成長するなんてね」
メルディが記憶を失くしているのは知っていたが、それを抜きにしても幼かったメルディが自分達を覚えているとは思えなかったので、先に気を使わないよう配慮する。
メルディはルルリエ達の意図を受け止め、失礼を詫びた後貴婦人の礼で丁寧に挨拶した。
突然四華と呼ばれる華やかな貴婦人に囲まれ戸惑うかと思ったメルディだが、アランの姉だと知るとこちらの意図を理解したのか、堂々とした受け答えをした。
「本日はブライトン様のご厚意で部外者である私もご一緒させていただきます。アーノルド様は私の名付け親でしたのに、不義理を働いて一度も墓前にご挨拶出来なかったものですから、このような機会を頂きました」
「……あなたにも事情があったのですから、気になさらないで。祖父も喜んでおりますわ」
庇う形にしか言葉を選ばせないメルディの話し方に、四人は臨戦態勢を整える。
あくまでも好意を持ってアランに近づいたわけではないと暗に伝えるメルディ。
「……」
この声、どこかで聞いたことがあるわ。
聞き覚えのある声に記憶の中を辿るルルリエの横で、エルキキがまずは探りを入れる。
「御免なさいね。突然四人で囲んで驚いたでしょう」
「あの子が女性を連れてくるものだから、興味を抱いてね」
「そういうお話なら、互いの家を通していただいた方がよかったのですけど」
「まあ、私達の早とちりで何よりでしたわ」
下心ならこちらの方が大いにある。侯爵家の大事な跡取りであるアランに近づいたとなれば、どんな女性か確かめなければ。四人の鬼気迫る感じにも当のメルディは余裕で頷いて笑っていた。
「ご兄弟仲が大層よろしいのですね。羨ましいです」
「仲というよりも、弟とお付き合いなさる方が侯爵家に入るにふさわしいか、嫁いだ身でも実家への心配は尽きないものです」
「いくら祖父同士が口約束した許嫁でもねえ」
「弟には身分も教養もあるふさわしい方を、と考えておりますから」
「偽物も見分けられない女性は侯爵家の嫁としては、論外でしょう?」
メルディは四人の嫌味による牽制に怒るでも、顔色を変えるでもなく、凪のような落ち着いた顔で受け流していた。アランの事はなんとも思っていない。侯爵家の嫁等自分には無関係だというように――。
「何をしているんですか!」
慌てて駆け寄ってきたアランはメルディを守るように間に割り込み、自分達に対峙する。
その慌てぶり……。この子がこんなに女性を気に掛けるなんて……。
きっと他の三人も同じことを思った事だろう、一通り弟をからかった後、メルディを人込みから必死に守るように去るその背に、全員が哀れみの目を送る。
弟よ、意識しているのはお前だけだ、と……。
「本当に、昔からズレた子よね」
「カカ、あの偽物がどうとか言うのは、一体何のこと?」
ラライアの問いにマリカカが得意げに答える。
「あら、気づかなかったの? あの子、腕にシンプルな飾りを身につけていたけど、あれ、よく見ると偽物よ」
「「「え」」」
三人は驚く。マリカカは少し考える素振りをして、「すごく精巧に作られていたからプロの仕事ね」と付け加えた。
「でも、伯爵家に偽物を売りつけるなんてあるかしら」
「そうね。さっきはああ言ったけれど、彼女の生い立ちに付け込んで買わされていたのなら可哀そうだわ。それとなくアランに伝えてもらいましょう」
皆が納得して話が一区切りをつくと、今度は考え込むルルリエにエルキキがどうしたのかと問う。
「あの子の声、違和感があるのよね……」
「ああ、確かに、面影はそのままだったけど、声は少し変わったみたいね。まあ、成長と共によくあるものよ」
「そう……いうのとも少し違うのよねえ……。どこかで聞いたような……」
ルルリエが顎に手を添えて考え込む所へ、極まりの悪そうな侍女が彼女に耳打ちした。
「……どうしたの?」
固まったまま動かなくなったルルリエを心配した三人が声をかける。
どこかで聞いたことがある声、そう、襲撃の後に倒れる寸前――。
メルディが、自分とお腹の子を救ってくれた親切な女性だったと、たった今侍女に聞かされたルルリエ。
「ああ、なんてこと!」
もう少し早く教えてほしかったと侍女を恨めしく思いながら、暫くの間後悔と羞恥に頭を抱えるのだった。