探り合い
暫くの沈黙の後、先に声をかけたのはメルディだった。
「お帰りになられるのですか? ブライトン様」
何事もなかったかのように微笑み、玄関からやって来たアランに訊ねるメルディ。
その笑顔が姉達のようで、全身から警報が発動されていた。
「そ、いや、……ゆ、友人を見送っていました。はは」
アランは咄嗟に帰宅を誤魔化した。メルディから逃げ回って帰ろうとしたなんて口が裂けても言えない。
「……ではブライトン様、少しお話をしませんか?」
そう言うとアランの返事も待たずにさっさと歩き出してしまう。
その背を慌てて追いかけ、エスコートしようと隣に立つのだが、メルディは方向を変え、会場へは戻らずバルコニーに出て階段を降り、庭園の方へと向かった。
メルディは人気のないベンチを見つけると、ハンカチを出す暇すら与えられず、自らの手で大雑把に葉を落とすと座ってしまった。そしてアランも座るよう促された。
「……」
しかしアランは、少年期に襲われかけた事を思い出し、動けずにいた。
あの時も、人気のない庭のベンチに二人きりで座っていた。
「……別に、取って食べようなんてしませんから」
「!?」
気だるげに過激な発言をするメルディに、先程まで皆と談笑していた笑顔と柔らかさはない。むしろ冷たさを感じる。
これは、知っている。
アランはこの姿を知っていた。姉達と同じ、女性が演技をやめた時の素の顔だ。
しかし、何故アランの前で素になったのだろう。先程の言い争いを目撃したから、飾り立てる必要がなくなったのだろうか。
下手に作られた笑顔で迫られるよりもマシだと、王太子から受けた任務も思い出し、涼しい顔と自然な動きでベンチへと腰を下ろした。
「あのー、遠くないですか?」
「いや?」
「その座り方、疲れません?」
「全然?」
椅子の端に体を寄せ、お尻半分だけを乗せたすぐ逃げれる体勢で臨む。無様な格好にメルディのツッコミが入るが、アランは涼しい顔で受け流した。
メルディは俯いて肩を震わせていたが、すぐに顔を上げると、きょろきょろと周囲を見回した。
「ブライトン様」
「アランでいいです。私もメルディと呼んでも?」
「はい」
メルディは仕切り直して、周囲に人がいないか確認し、「先程は大変失礼しました!」と腰を深く折ってアランに謝った。
「……何のことか、私は何も見ておりませんが?」
本来貴族というものは、失態を目にした場合は知らぬ振りをするのが常である。それをメルディは真っ向からぶつけて来たのでアランの方が動揺して気の利いた返事を出来なかった。
「……お優しいですね。でもアラン様、ばっちり目が合いましたし、驚いて口が開いていました。絶対見てましたよね」
「……」
「どうにも感情的になってしまうと下町での暮らしで使った汚い言葉が出てしまうんです。お恥ずかしい所を見られてしまいました」
苦く笑って頬を掻く手に、アランの視線が止まった。
「男性の方は知り合いですか? 随分しつこかったようですが……」
アランは誤魔化すことを止めて、メルディの手首にうっすら残る掴まれた跡を見て訝しんだ。
「従兄なんですけど、承認欲求が激しい人で、私を連れまわしては自分が目立っていると勘違いしているのです。そういう態度に辟易しているんですけど、ほら、自分でいうのもなんですが今話題になっているでしょう? 『時止まりの令嬢』なんて名前までついて。親戚だから無下にも出来ないし……あ、でもあんなにはっきり拒絶したら無下にしてますね。ハハ。どんなに断ってもしつこくて我慢の限界でした」
「それは災難でした」
「実は私、急いで令嬢教育を受けたんですが、ダンスだけは練習しても間に合わなかったんです。あ、私記憶を失くしててちょっと失礼な態度があるかもしれないですけど、先に謝っておきますね」
「はあ」
「それで、ダンスが苦手で舞踏会は避けていたんです。今夜だって夜会と聞いて来たのに急に曲が流れるので焦りました!」
「ここの伯爵は楽団を支援していますので、夜会の合間に生の演奏を流し、ゲストが踊りだすのは珍しくないのです」
「そうなんですか? 知りませんでした。知っていたらお断りしていましたよ。アラン様は女性が苦手ですよね? ダンスの時はどうしてます? 男性は自分から誘わなければ済みますもんね。羨ましいです」
なんだかメルディのイメージが、違った。
柔らかく微笑んで儚いイメージのあった少女が、こんなにおしゃべりで明るいなんて意外だった。
「アラン様、私の性格に驚いてます?」
「え!」
図星を突かれて素っ頓狂な声が出た。
「たまに皆さんにアラン様みたいな顔をされるんです。令嬢らしく振舞うんですけど、やっぱりどこかでボロが出るようで、がっかりされてしまうんです。皆さん勝手に不幸で可哀想なイメージを持つのでしょうね。声を立てて笑うと驚かれるし、元気に受け答えすると訝しがられるし。アラン様にはほら、さっきあんな姿を見られたので今更かなと。なんだか、貴族の方の前で自然でいられるのがうれしくて、いっぱいお話してしまいました。驚かせてすみません」
再び苦く笑って頬を掻くメルディ。
「……あなたの生い立ちで勝手にイメージを作っていたのは我々の方です。謝るのは私の方ですよ。すごく驚きましたが……、笑顔が素敵で私はいいと思います」
女性が苦手なアランだが、こうやって話題を提供してくれるのは助かるし、アランの気を引こうとしていないのも良かった。
これが演技ではないのなら、こちらも下手に勘繰る手間もなくて済む。
「やっぱりアラン様は、優しいですね」
「?」
「そんなアラン様に、もう一つお話がありまして……」
「なんでしょうか」
「お会いしたらお願いしようと思っていたんです。前ブライトン侯爵のことです」
「祖父のことですか?」
「はい。私が記憶を失くし、教会で暮らしている間に、アーノルド様がお亡くなりになったと父から聞きました」
アランの祖父アーノルド=ブライトンは、今から二年前、天命を全うし安らかに永眠した。
「生前のアーノルド様は私を大変可愛がってくださったのだと聞きました。私の名付け親もアーノルド様だそうです」
「それは知らなかったです」
アランの祖父とメルディの祖父は、同じ軍に配属された戦友だった。
生死を共に潜り抜けてきた無二の親友。いつか自分達が生きて国に戻ったなら、互いの子供達を結婚させようと約束を交わした。
しかし生まれた子供は十も年が離れており、どちらも男同士。やがてメルディの祖父は亡くなり、約束を交わせぬまま孫の代へと移った。
アランの母が五番目に待望の男の子を生み、その四年後、ロックベル家もメルディを授かった。
これに喜んだアーノルドは、冗談か本気かは分からないが、よくアランに「お前の許嫁だ」と聞かせていた。
実際は正式なものではなく、祖父の口癖のようなもので、アランが侯爵家嫡男にしてメルディが伯爵家の一人娘だったことから、現実的にこの婚姻は難しいと祖父も分かっていたと思う。
「たしかに祖父の代からロックベル家とは親交があったようです。きっとあなたのことが可愛かったのでしょう」
メルディもだが、アランも待望の男子とあって祖父には特別可愛がられていたと思う。懐かしい日々を思い出し、邂逅に誘われた沈黙の後、アランはメルディに微笑んだ。彼女も笑顔で返す。
「……」
よく見るとメルディの金の髪は、毛先の方に少し赤みを帯びた珍しいものだった。
肉付きの薄い華奢な体に、陶磁器の様な白い肌。吸い込まれるような菫色の瞳にかかる長いまつげ。社交界が騒ぐのは、何も彼女の生い立ちだけではないのだろう、その儚い美しさにも、皆が釘付けになっているのかもしれない。
「それで、アーノルド様の墓前にお祈りを捧げたいのですが」
メルディの申し入れはきっと祖父も喜ぶだろう。断る理由はないのだが……。
「ありがとう。しかし、祖父の墓は領地にあり、王都からは馬車で三日もかかってしまう」
「! そう……ですよね。領地の事を失念していました」
残念そうにしながら、メルディは直ぐに席を立ったので、つられてアランも立ち上がる。
「お呼び止めしてすみませんでした。アラン様とお話しできて良かったです」
話は以上とばかりに、メルディはお辞儀をして立ち去ろうとした。その潔い背に思わず声をかける。
「週末に! 我が家の、縁の教会でミサがあります。亡き祖父のために、よければ共に祈りませんか?」
「……ご家族の方もいらっしゃるのでしょう? ご一緒しても?」
「ええ。ぜひ」
「では、週末に」
メルディは了承すると、再びお辞儀をしてパーティー会場へと戻っていった。
アランは久々に女性と長く会話したことで、どっと疲労と安堵が押し寄せ、再びベンチに座り込んだ。
「メルディを……誘ったぞ……!」
「馬鹿なの?」
草木の間から姿を現した人物に驚く。
「レオン!? 君も来ていたのかい?」
「別件で来たけど、途中で捜査対象者が帰ったから会場には顔を出していない。そろそろ帰ろうと思ったら君達をみかけてね。心配でそのまま様子を見ていた」
レオンはぼさぼさの黒髪についた葉を払い落し、うっすらと色の入った銀フレームの眼鏡を押し上げる。
「メルディ嬢に接触して次の約束も取り付けた!」
メルディをミサに誘った事を誇らしげに報告する。女性を自分から誘ったのは初めてだった。
「たかが教会のミサでしょう? それをカウントするって男として駄目だろ。しかも成り行きだったし」
誇らしげに語るアランに呆れるレオン。行動を起こした事に意味があるというものだ。
「あと、レディを一人にさせるべきじゃないよ」
「! レオン君は早く帰るんだよ!」
無駄足に終わったレオンを労い、慌ててメルディの後を追いかけた。
急いでいたので、前から来た男性とすれ違いざまに肩がぶつかってしまった。
「失礼!」
ぶつかった相手はラオネル=クライシス子爵。
ラオネルは俯いたまま、無表情で会釈して去って行く。
黒い髪に黒い瞳。長い黒のフロックコートをなびかせたその全身黒に覆われたラオネルの姿は、華やかな夜会と軽快な音楽には不釣り合いで少し不気味だった。
そんなクライシス子爵を気にしながらも、アランは会場へと急いだ。
メルディは既に戻っていて、人々に囲まれて談笑していた。目が合うと、小さく会釈されてアランも笑顔で返した。
「……」
そのまま壁に寄りかかり、メルディの笑顔を暫く眺めていた。彼女の柔らかい表情は、先程の天真爛漫な姿と違って実に落ち着いていて、その容姿と相まって儚げだ。
「フッ」
思わず零れた笑いに、慌てて口を抑えた。
先程のメルディの怒涛の会話を思い出してしまった。
アランは何故かメルディが怖くないし、会話だって自然とできた。
この中で自分だけが彼女の本当の姿を知っていることに、無意識に優越感を抱くアランだった。




