生きる目的
もう二度と、あの子の声も、温もりも、戻ってはこない。あの笑顔を再び見ることは出来ないのだ。
ルディはメルの遺体から離れられず、その安らかな眠りをずっと眺めていた。
「本当に……、ただ眠っているみたい……」
『おはようルディ!』と、笑って今にも起き出しそうな……。
「ーーっ」
この死を、自分は受け止めることが出来るのだろうか。
片割れを失ったような焦燥感。これから一人でどうやって生きていくのか、わからない。こわい。このまま、メルと一緒に死んでしまいたかった。
「メル……ごめんね……」
今だけは、弱音を吐くのを許してほしい。
こんなに涙はどこから溢れてくるのだろう。
泣いても、泣いても溢れる涙。
布団に蹲り、声を殺して泣いた。
背後で扉が開いた音がした。振り返るとロックベル伯爵がこちらの様子を窺っていた。
メルの母親であるロックベル夫人は、さきほど錯乱状態でルディをメルと勘違いした。そしてルディの腕の中で気を失った。
その時ちょうどメルを診てもらうはずだった医師が到着し、夫人を別室で診察してもらうことになった。
夫人に付き添っていた伯爵が、一人戻ってきた。
ルディは泣き腫らした目を擦り、立ち上がると机の引き出しから封筒を取り出した。そして事前に外しておいた指輪と共に、伯爵へと渡した。
「メル……ディ様から預かっていました」
「……」
伯爵は手紙を受け取ると、ルディの顔をじっと見た。
自分やメルと同じ菫色の瞳。父と、こんな形で再会するとは思わなかった。
視線はルディの方から逸らした。
母であるディアンヌ亡き後、決して自ら名乗ることはしないと誓った。
暫く視線を感じたルディだったが、伯爵が手紙を開く音を聞いて、肩の力を抜いた。
もう一度メルの遺体へ顔を向ける。
伯爵とメルを二人きりにさせるため、静かに部屋を後にした。
伯爵夫妻はメルの葬儀を終えるまで街に残っていた。
ルディは、最後にメルに別れを告げたのち姿を消すつもりだった。
これ以上、伯爵家と関わるわけにはいかない。メルとの思い出は、ルディの中で生き続けるだろう。
しかし伯爵は、荷造りをするルディを引き留め、礼がしたいと言って聞かなかった。
「手紙を読ませてもらった。君は娘の恩人だ。礼をさせてほしい」
一冬、伯爵家の領地で過ごさないかという誘いだった。
家のない孤児が冬を越すには過酷な環境で、伯爵の厚意はありがたい話だった。
もしもルディが伯爵と血縁関係になければ、ありがたく厚意を受け取っただろう。
「ご厚意はありがたいのですが、お断りします」
「遠慮はいらない」
「……」
「妻のためにも、どうか一緒に来てはくれないか」
メルの葬儀の後から、伯爵夫人はルディから離れなくなっていた。
腕に絡まり、抱きつく夫人は、子供のようにルディに縋っていた。ルディの姿が見えないと、泣いて教会中探し歩いた。
「……」
行くべきではない。繋がりは絶つべきだ。
だが、メルの母親が不安定な状態で心配だ。ルディの意志は揺らいでいた。
「妻は精神が弱り、娘の死を受け入れられないでいる。このまま王都へは戻らず暫く領地で静養させようと思う。君が、妻の側にいてくれたなら心強い」
頬がこけ、憔悴した姿の伯爵も、メルを失って相当参っているようだ。伯爵の方には危うさがあった。
「……」
一人娘を誘拐され、帰りをずっと待っていた夫妻。
再会が同時に永遠の別れになってしまった原因は、自分にある。
「……わかりました」
亡くなったメルのためにも、その家族が少しでも立ち直れるまで力になりたい。メルが天国で安心出来るよう、この目で見届けよう。
ルディは伯爵の申し出を受けることにした。
***
マリーはイヴァン、メルディと共に、領地にやって来た。
教会で、イヴァンからすぐにでも領地に戻ると言われ、王都の屋敷に編みかけの手袋を置いてきたことが気がかりだった。
それもメルディと一緒ならばどうでもいいことだ。
夜も更けて寝静まった頃、マリーは物音に目を覚まし、隣に夫がいないことに不安を感じた。
私室から零れる灯りに、続き扉をそっと開け、中の様子を窺う。
イヴァンの手には拳銃が握られていた。
彼は思い詰めた顔で、じっと拳銃を見つめていた。
「あなた……何をしているの?」
マリーが声をかけると、イヴァンは笑顔を向けたまま拳銃を引き出しにしまった。
「眠れないのかい?」
マリーの視線は引き出しに縫い留められたまま、そうではないと首を振る。
イヴァンはマリーの質問に答えてくれない。イヴァンが机の前に立ったので、マリーの視線は外れ、拳銃の事がすっかり頭から抜け落ちてしまった。
「体調はどうだい?」
「とてもいいわ。だってメルディが戻って来たんですもの。あの子を見ていると、幸福に包まれているようで安心するの」
イヴァンが複雑な表情を浮かべるので、マリーは小首を傾げた。
腕の中へ誘われ、優しく抱きしめられる。
愛する夫と娘との日常、待ち望んだ幸せのはずなのに、心はなぜかざわついて、マリーはイヴァンの腕をきつく掴んだ。
「マリー?」
「……怖いわ……。なんだかすごく、不安なの」
さっきの拳銃は何? あなたは何を考えているの?
大切なことを聞かなければならないのに、また心は流れ、言葉にすることは出来なかった。
***
ロックベル家の屋敷での生活は、何もかもがルディを驚かせた。
王都の洒落た屋敷とは違い、領地の屋敷は荘厳な作りで、まるで一国のお城の様だ。
ポーチをくぐって馬車を走らせても玄関に辿り着かない。とにかく広大な土地に、移動中も開いた口が塞がらなかった。
屋敷へと到着すると、若いメイドが一人、ルディの世話に付いてくれた。
どう着たらいいかも分からないドレスを着替えるのに、手伝ってもらえたのは助かった。
だがお風呂やベッドメイキング、三食の食事の世話からお茶の用意まで、全て本物のお嬢様のように扱われることにはひどく困惑した。
「あの、一人でできますから!」
「いけませんわ。お嬢様のお世話を怠れば私が叱られてしまいます」
何度言ってもずっとこの調子である。
「お嬢様なんて、あの、私はそんな、敬われる人間じゃないんです」
こんなひらひらのドレスも、本来ならルディが着るべきで服ではない。
だがこんな立派な屋敷を前にしては、ぼろぼろの服では逆に失礼だと思ってドレスを借りたのだ。
「お嬢様の事情は分かっております。大丈夫です。直ぐに慣れますから」
何が慣れるというのか。
生まれてこの方、そんな丁寧な扱いを受けたことが無いので、メイドという生き物に非常に困惑した。
忙しい伯爵に時間を作ってもらい、世話付きの件を断りに行ったが、伯爵はルディを客人扱いしているので、それでは貴族の礼に欠くと首を縦には振ってくれなかった。
「メルディ! どこなの!? メルディ!」
応接室にまで聞こえる夫人の声に、ルディは大きな声で返事をした。
ロックベル夫人は、ルディをずっとメルディと勘違いしていた。
何度否定しても伝わらず、あまりしつこく否定すれば取り乱して泣いてしまう。
医師の見立てでは、暫くは気持ちが落ち着くまで話を合わせた方がいいという。
刺激を与えると、完全に精神が壊れてしまう恐れがあるそうだ。
ルディは伯爵にお辞儀をして夫人の元へ向かった。
伯爵は忙しい人で、屋敷も空けることが多く、ルディも毎日がこんな感じなので一向にメイドの件は話が進まなかった。
家令や侍女が困り果てている所へ、メルディが到着する。夫人は笑顔でルディに駆け寄ってきた。
「メルディ、あなたに手袋を編みたいの。談話室に来てくれる?」
暴れていたのが嘘のように、夫人の機嫌は戻り安堵した。
メイドが「お茶を御用意します」と言って階段を下りて行ったので、ルディも夫人と共に談話室へ移動した。
「何か、困ったことでもあるの?」
暖炉の揺らめく火を眺めているルディに、隣で編み物をする手を止めた夫人が訊ねた。
「……いえ。なんでもないです」
首を振るルディは、気持ちを切り替えていつものように、本を開き、お話を聞かせた。
「今日は私の大好きな物語のお話を――。主人公は冒険好きのやんちゃな少年です。彼が住んでいた島にある日、魔法使いがやって来たのです」
夫人は耳を傾けながら編み物をする夫人。
ルディのために編んでくれる手袋。嬉しくて、くすぐったくて、苦しかった。
美しくて着心地のいいドレスも、柔らかいパンと温かい食事も、毎日入れるお風呂もふかふかのベッドも。
本来それはメルのものであって、ルディが甘んじて受けていいものではない。
伯爵の心遣いもこの人の愛情も、自分が受け取る資格はないのだ。
「……」
「メルディ?」
「……ごめんなさい」
謝るルディに、夫人が小首を傾げる。
やはりここにいてはいけなかった。
「ごめんなさい。やっぱり私、ここを出ていきます」
立ち上がるが編み物を投げ出した夫人に腕を掴まれた。
「助けてーー」
夫人は目を大きく見開き、ルディにすがった。
「イヴァンが拳銃を持っているの。私室の机の引き出しに隠しているわ。あの人、きっと良くないことを考えている」
「!?」
早口でまくし立てる夫人は、一体何の話をしているのか。
「あなたにしか頼めない……お願い。イヴァンを止めて!」
伯爵が拳銃を隠し持っている?
驚くルディを余所に、夫人は腕を離すと落ちた編み物を拾い、何事もなかったかのように穏やかな顔で編み始めた。
「……奥様」
「いやだわメルディ。奥様なんて、私はあなたの母親でしょう?」
話の続きが聞きたいのに、夫人はもうその事を忘れてしまったようだった。
翌日、ルディはいけないことだと分かっていたが、メイドの目を盗んで伯爵夫妻の私室に忍び込んだ。
伯爵は朝から外出して不在だ。
忍び込んだ所を見つかったなら、言い訳の仕様がない。
それでも、確かめずにはいられない。
ルディは足音を消して机の前に行くと、扉の方を見て誰もいないことをもう一度確認し、ゆっくりと引き出しを引いた。
「!」
そこには見覚えのある色あせた封筒。
そして、メルディの最後の手紙と共に、夫人の言う通り拳銃が一丁置かれていた。
護身用の拳銃と言われれば話は終わるだろう。
だが、メルの最後の手紙と一緒に保管されているのが引っ掛かった。
夫人が感じた不安も、きっとルディと同じものだろう。
ルディが手紙と拳銃を前に動けずにいると、窓の外から馬車の音がした。
「!」
窓へ近づいてカーテンから外を確認する。
紋章付きの馬車は伯爵の物だった。
「もう戻ってきたの?」
慌てて引き出しを戻し、部屋を出ようとする。ところが、外からドアノブが回った。
ルディは慌てて机の下に隠れた。
扉は開かれたが、中へ入ってくる気配はない。
しばらくすると扉は閉められ、緊張を解いた。直後、外から二台目の馬車の音が聞こえた。
そして、廊下からは再びバタバタと慌ただしい足音が近づき、ルディは逃げる機会を失って部屋の中に取り残された。
「申し訳ございません」
「いつからいない。目を離すなと言っていただろう!」
部屋へ入ってきた伯爵は苛立っていた。ソファの前で立ったまま、家令に声を荒げている。
「只今屋敷中を探し回っております。雪の跡を見るかぎり、お嬢様は屋敷から出たわけではなさそうです」
二人の会話で、家令が謝っているのはルディの姿が見当たらないからだとわかった。
先程部屋の様子を見に来た人物は、ルディを探していたのだろう。
今、素直に出て行って謝った方がいいか?
しかし忍び込んだ理由を聞かれたら説明しづらい。
心臓が早鐘を打ち、息をする些細な息遣いでもばれてしまいそうで怖かった。
「旦那様、クライシス子爵様がお見えです」
「ラオネルが? ……応接室で待たせておけ」
「かしこまりました」
ラオネルが、ここにいるの?
それじゃあ二回目はラオネルの馬車の音だったのか。
「え? あ、いけません!」
「イヴァン! ルディはどこだ!」
ラオネルの声に驚いたルディ。口を抑えて悲鳴を押し殺した。
伯爵が家令に席を外すよう命じる。
ルディが隠れている机の向こうでは、伯爵とラオネルが対峙していた。
「ルディに会わせろ」
「……ここにはいない」
「嘘をつけ! 使用人がさっきからお嬢様がいないと探し回っているぞ」
「それはメルディのことだ」
「……は?」
ルディは思わず振り返り、伯爵の声に耳を傾けた。
「メルディは記憶を失っていて、自分を孤児だと勘違いしている」
「何を……言ってるんだ? メルディは死んだだろう。俺が言ってるのはルディのことだ」
「……」
「まさか……屋敷の使用人全員がルディをメルディだと信じ込んでいるのか!?」
ルディの心臓が早鐘を打ったが、それは見つかる恐怖からではない。
メイドが言っていた、『お嬢様の事情はわかっております』という言葉。
あれは容姿の似たルディをメルと勘違いした夫人のために、ロックベル家に世話になっているという事情を、きちんと理解してるのかと思っていた。
だが、違った。
伯爵の話を聞いて、彼女は、いや屋敷中の使用人達は、メルディが記憶を失くし、孤児だと勘違いしていると思っていたのだ。
つまりルディを、本物のメルディと勘違いしている。
「あんたは何がしたいんだ。あいつはメルディじゃない! ルディだ!」
伯爵の答えを、ルディも固唾を飲んで待った。
伯爵はルディをメルに仕立て上げて一体何をしようというのか。
伯爵は答えずに、逆にラオネルを問い詰めた。
「ならば君もすべてを話せ」
「!」
「ラオネルこそ、なぜずっと隠していた? あの子は……メルディと同じ顔で、ディアの声にそっくりだ。あの子は私の子だな? 君は全てを知っていた」
「……」
「何年か前の雪の降った日に、クライシス邸であの子を見た気がする。君がすぐにタオルをかけたのでよく見えなかったが、たしかにあの子だった……。ラオネルはあの子と私を会わせたくなかったんだな?」
ラオネルは観念したかのように答えた。
「……ディアに頼まれていた」
伯爵がどさりとソファに座る音がした。
長い、長い沈黙の後、伯爵は言った。
「君の誘いに乗ろう」
「……何の話だ」
「前に君が提案した、復讐のことだよ」
「!」
ルディは頭上にある引き出しの拳銃を見上げた。
「ディアが死んだ時、君は『関わった全ての奴を許さない』と言っただろう」
ラオネルが力なくソファに座った。
「……今更だ」
「いいや。ラオネルが何年もかけてディアの復讐に動いているのは知っている。その心に、ずっと消えることのない復讐の炎を燃やしているのを――」
「今更だと言った! あんたが! よく言えたな!」
ラオネルが机を叩いた。
「……あの時、君を止めたのは間違いだった。ラオネルの覚悟を分かっていなかったんだ」
「俺と一緒にするな。あんたに分かってたまるか」
「いいや。君と私は同じだ。あの子の遺体を見た時……」
伯爵は声を詰まらせ、絞り出すように続けた。
「どうにもならない憎しみが! 後悔と絶望が押しよせた!」
「……」
「あの子の顔半分には火傷の痕があり、手首には自傷の跡まであった。病で瘦せ細り、どんなに、辛い想いを――」
皆の前では気丈に振舞っていた伯爵の、大人の男性が泣くの見て、驚くと同時にその苦しみが理解できるルディの目頭も熱くなる。
「あの子は一人で死んでいった。私は、あの子に何もしてやれなかった。父親として、あの子に何一つ……」
「イヴァン……」
「これは自分勝手な行為だとわかっている。復讐なんてメルディが望まないのもわかっている。それでも! それでも犯人をこの手で葬らなければ……、私はあの世でメルディに顔向けできないんだ!」
伯爵の無念の想いに、ルディは机の下で蹲って涙した。
「……本当に、あんたに覚悟があるのか? 俺が許せない真の相手を理解しているのか……」
「ああ。君が一番許せない相手は、私だということは知っている」
ルディは愕然とした。
何の話をしているの? ラオネルの許せない真の相手?
「ディアは散々苦労したんだ。俺は……姉には幸せになってほしかった。俺がまだ子供で無力だったから、あんたに託したんだ。子爵家を出て、いつか好きな男が出来て、家庭を持って、幸せに……」
ラオネルの姉に対する願いは、平穏な幸せだった。
「それが! あんな一夜の過ちで出来た子供のせいで、人生を台無しにされた! 日陰の様な暮らしを、ディアを苦しませるために、あんたに託したわけじゃないっ!」
「……すまない」
「俺はあんたを許せない! どんなに許しを請われても、許せないんだ!」
執務室は静寂に包まれた。
伯爵はそれを踏まえた上で、ラオネルにもう一度協力を仰いだ。
「言っただろう、私とお前は同じだと。どの道目的を果たせたなら、我々は責任を取らねばなるまい」
「――っ」
ルディは二人の覚悟を知って、その先の未来を想像し、天を仰いだ。
なんて、馬鹿なことをーー!
二人は死ぬ覚悟で復讐を遂げようとしているのだ。
止めなければと思うと同時に、自分の言葉では彼らを止めることは出来ないと悟った。
ラオネルと伯爵は、ルディの存在を疎ましく思っている。
ルディがいたから、ディアンヌは日陰の女となり、メルは最後に家族の元へ戻れなかった。
口には出さないが、心の隅ではルディを憎んでいるのだ。
そんなルディの言葉に、二人が耳を傾けるわけがない。
「一つ聞いてもいいか?」
伯爵が静かにラオネルに訊ねた。
「ディアが無断で屋敷を空けたのは、あの一度きりだ。ルディに何かあったのだな?」
私? いつの話?
ルディは動揺する心で再び会話に耳を傾けた。
「ルディが、孤児院から姿を消した」
「孤児院で暮らしていたのか、あの子は……」
ルディは生まれた時から孤児だった。明かされた事実に伯爵はショックで頭を抱えた。
「ディアはルディ産んですぐ、あいつを捨てた。俺が見つけたのはあいつが十歳の時だ。薄情な母親だったが、あの日だけは、ルディを探す姿は、娘を心配する普通の母親だった……」
ルディが孤児院を飛び出し、ラオネル邸に救いを求めたあの夜。
ラオネルは伯爵が一緒だったので、ルディの前では他人の振りをするしかなかった。
突き放されたと勘違いしたルディは、絶望し、飛び出していった。
そして、ラオネルにディアンヌから連絡があった。
『あの子に会った。なぜあんなところにいたの』
ラオネルは急いで孤児院に問い合わせた。
すると、ルディは孤児院を出て行ったという。
ラオネルは急いでルディを探した。
使用人や金で雇った者に王都をくまなく探させた。
しかしルディを見つけられなかった。
『ディア!? どこへ行く!』
数日後、ルディの行方が分からないことをディアンヌにも伝えた。
するとディアは、ロックベル邸を飛び出していった。
ラオネルはディアを追いかけた。
二人で何日もルディを探し歩いた。
ロックベル家からの急ぎの知らせが届いたのは、ディアが無断で外出した三日後のことだった。
メルディが誘拐された。
ディアはその知らせに愕然とした。
『私のせいだわ……! 私がメルディ様のお側を離れたから!』
軍はメルディ誘拐事件の数日前から行方が分からなくなったディアンヌに事情を聴くため捕らえた。
解決を焦った軍はディアを犯人と決めつけ、口を割らせるために拷問した。
直ぐにイヴァンとラオネルが彼女の無実を証明したが、戻って来たディアは別人のようにやせ細り、憔悴していた。
行方の分からないメルとルディ。
ディアは屋敷に戻ってからもずっと自分を責め、メルの側を離れたことを悔やんだ。
伯爵夫妻もラオネルも、ディアのせいではないと何度も彼女に言った。だが、ディアは耳を傾けず、一人思い悩んで追い詰められていった。
『私、バカよね。イヴァン様のためにあの子を捨てたのに……。結局、私はあの子を捨てきれなかったんだわ。その中途半端さが、二人の娘を失う原因になったのよ……』
ラオネルに、『私は何一つ守れなかった』と呟いたディアンヌ。
その言葉を最後に、ディアは自らの命を絶った。
表向きではその死は拷問からの衰弱死とされたが、自殺だった。
「あいつを死に追いやった真の原因は、メルディの誘拐事件だ。あの事件さえなければ、死ぬことは無かった」
「……そうだな」
だから、ラオネルはメルディ誘拐事件に関わった者を許せない。
そして、ラオネルは姉を失った日から黒い服しか身に纏わなくなった。
彼にとって、ディアンヌの無念を晴らすまでは、ずっと喪はあけないのだ。
伯爵とラオネルが話を終えて部屋を出て行った後、ルディはのろのろと立ち上がり部屋へと戻った。
ルディの姿を見つけると、使用人達は安堵した。
ルディが見つかったと知らせを受けた伯爵が、慌ててやって来た。それを他人事のように呆然と眺めていた。
伯爵に何か言われた気もするが、上の空で返事は曖昧になった。
夫人がルディを呼んでいるというので伯爵と別れ、談話室へと向かった。
「どうしたのメルディ。いつものようにあなたの楽しいお話を聞かせて?」
暖炉の前で編み物をする夫人に、ルディは伏し目がちに微笑んだ。
夫人の手には完成間近の手袋。
「メルディの好きな紫色にしたのよ。素敵でしょう?」
「うん……うれしい」
ルディも夫人に何かプレゼントを用意した方がいいのだろうか。毎日温かく、お腹も満たされて充実した日々を過ごせているのだから――。
「メルディ?」
「……」
絨毯に染みた何かに、自身の頬をなぞった。
なぜ涙が出るのだろう。なぜ――。
勝手に捨てたくせに、最後だけ母親としてルディの身を案じた? ルディやメルがいなくなったのは自分のせい? それで死んだなんて、どれだけ勝手な人なんだろう。
自分勝手な母親に対して頭にくるというのに、流れる涙は怒りから来るものではないと自分でも気づいていた。
今更、寂しいと、悲しいという感情が芽生えるとは思わなかった。
だけどこの感情をぶつける相手はもういない。あの人は、この世にはもういないのだ。
そう思うと苦しくて、初めて母が亡くなったことを痛感した。
「メルディ……」
ルディは自分の手に手を添える夫人に、こんな姿を見せてはいけないと立ち上がった。
「っ、すみません……。お話は、また後でしますね」
不安気な夫人に努めて明るい振りをし、立ち上がって踵を返した。ドアノブに手を添えると、名前を呼ばれた。
「ルディ」
聞き間違いだろうか。
自分の本当の名を呼んだ夫人を振り返ると、焦点の合ったなしっかりとした表情でルディを見つめていた。
「あなたは、ディアの子ね?」
「お、奥様……」
ルディは思わず後退った。
その背には、開ければすぐにでも逃げ出せる扉が当たっていた。
「私達は、同じね?」
「!」
夫人の目から涙が一筋流れた。
顔を歪め、椅子から崩れ落ち、蹲りながら泣く夫人に、思わず駆け寄る。
夫人の肩に触れる直前で、ルディは躊躇した。
「ルディ……」
動けずにいるルディに、夫人は嗚咽を溢し、泣きながら助けを求める様に必死に手を伸ばした。
その手は、しっかりとルディに向けられていた。
同じ。この人は、私と同じ。
「――っ」
母を亡くした者。
娘を亡くした者。
伸ばされた手を、今度こそ両手で強く掴む。
大切な人を亡くし、残された二人がその悲しみを共有し、慰め合う様に寄り添う姿。それは例え血は繋がらなくとも、誰にも咎められぬ至極自然なものに感じられた。
ただただ切なくて、やるせない想い。
ーー私は、あの子に何もしてやれなかった。
ーーその心に、ずっと消え失せる事のない復讐の炎を燃やしている。
同じだけど、同じじゃない。
「私、メルディとしてここで暮らします」
許しを得るために夫人の腕の中で決意を言葉にする。
「復讐なんて誰も望んでない。二人が死ぬなんて、だれも望んでない!」
伯爵とラオネルは、復讐を果たしたら死ぬ気だ。
大切な人を守れず殺された後悔と恨みが、復讐という目的だけがあの二人を生かしているのだ。
メルも、母も死んだ。
どんなに疎まれていても私には、もう家族はあの人達しかいないというのに。私はまた、家族を失うのか。
ラオネル、
お父様、
お願い、そんなことはやめて。
生きて。
私とーー。
だけどルディの声は届かない。
二人にとって何にも代えがたい大切な人を失くしたのだから。どんなに願っても、ルディの声では彼らの意志を曲げられないのだ。
ルディには分かる。
死んだメルもディアンヌも、夫人も私も。誰一人あの人達に復讐という悲しい殺人者になってほしくないと。
そんな事はやめて幸せになってほしいと、願っている。
メルや皆の想いを私は守りたい。
伯爵とラオネルを絶対に死なせない。
復讐なんてさせない。
だからメル、力を貸して?
私はあなたになるわ。
全てが終わったなら必ず返すから。
もうこれ以上、誰の命も奪われてほしくないの。
ルディは覚悟を決めた。
それがルディの生きる目的となった。




