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時止まりの令嬢と女嫌い侯爵  作者: 千山芽佳


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メルとルディ 2


 メルは川に身を投じたが奇跡的に命は助かった。

 ここ最近の温暖な気候のおかげで、水温が高く、すぐに意識を失ったことであまり水を飲まなかったらしい。

 ルディは孤児たちに救いを求め、情報を得て宿場に駆け付けた。

 メルは川下の波止場近くまで流され、そこで近くの宿場の主人に救ってもらった。


「お前この子の姉妹か?」


 宿屋の主人は奥さんと二人で宿を切り盛りしており、ルディがメルと容姿が似ていたのもあって、すぐにメルに会わせてもらえた。

 ベッドに横たわるメルに駆け寄る。布団が上下し、息があることに安堵し崩れ落ちた。


「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございました!」


床に頭をこすりつけて泣きながら礼を言った。


「助けて良かったのか、少し後悔してたんだ。手首切って川に身投げしたなら、余程のことだろう」


ルディは泣きながらメルの手首を見た。その手には包帯が巻かれていた。


「だけどお前が泣いて喜んでるから、その子は生きるべきだと思った。……まだ意識は戻ってないが、暫くはこの部屋を使っていいぞ」


 ルディは宿屋の主人に深く腰を折り、厚意に感謝した。


 部屋は陽が入る南向きの上等な部屋だった。

 宿屋の奥さんが夕飯まで部屋に運んでくれて、久々に口に運ぶ温かなスープに心細さが和らぐ。

 夜になってもメルは意識を取り戻さなかった。

 もしこのままずっと眠り続けたら――。嫌な考えが過り、膝の上で握られた拳をぐっと握りしめる。

 メルは本気だった。

 ルディには馬鹿みたいな理由でも、メルにとっては伯爵家に戻ることは生きるよりも死を選ぶほどの苦痛だった。


「ごめんね、メル……。私、あんたの気持ちを分かろうともしなかった」


 今更ながら後悔がルディを襲う。

 ルディには想像もつかない世界で生きてきたメル。

 美しく、華やかな世界で大事に育てられてきたメルが、あんなふうに乱暴を受け一生の傷を負ったのだ。

 その痛みも恐怖も、ルディには想像を絶するものだっただろう。全ての苦労を分かったような気でいて、それを押し付けていた。


「ん……」

「!」


 待ちに待った瞬間にずっと座っていた椅子を勢いよく倒してしまう。


「メル、メル……!」


 目を開けたメルの、無事な方の手を掴む。

 顔を覗き込んで視線を合わせ、意識を取り戻したことに喜んだ。

 ところが、メルの顔は呆けたままで、予想外の言葉が返ってきた。


「あなた――だれ?」

「え?」

「私……?」


 メルは部屋を見回し、「? 分からない。ここはどこ?」とルディに聞いた。


 メルは、全ての記憶を失っていた。


 それが、神様が与えてくれた慈悲ならば。

 ルディはメルを抱きしめ覚悟を決めた。


「一緒にいよう。生きるのも辛く、帰るのも嫌ならここにいればいい。私と、ずっと一緒に」

「……いっしょ……あなたと……?」


 強く、強く抱きしめて、何度も頷く。

 伯爵家に戻るのがメルを死にたいほど苦しめるなら、もう戻らなくてもいい。

 悪夢にうなされる程辛い記憶なら、もう思い出さなくてもいい。

 だからどうか、死なないでメル。私を一人にしないで。

 願いは涙と共に流れ、メルの耳には届かない。

 もう大事な人を失いたくはない。あなたを失うくらいなら、私は地獄に行こうとも、この沈黙を受け入れよう。




「じゃあ、一番好きな花はなあに?」


 いつもの丘で、メルとルディは花摘みをしながら背中越しにおしゃべりをする。


「せぇので言おう? せぇーの!」

「「アマリア!」」


 二人は同時に振り返る。


「同じだ!」

「ええ! 同じだわ! 花の匂いも甘くて、色とりどりの種類の豊富さも、小さな花弁が集まる可愛らしさも全部がすきだわ」

「う、うん。そうだね!」

「……ルディ。本当の理由は?」

「え? 冬までもつ花だからお金になる」

「フフ、ルディらしいわ」


満面の笑みで笑うメル。

アマリアの丘で花の匂いに包まれながら、メルと笑い合う。そんなささやかな日常が幸せだった。

メルが記憶を失くし、二人で暮らすようになって三年が経っていた。


「ルディ、お帰りなさい」


笑顔で出迎えるメルの口から吐き出される白い息を、包み込むように、ルディはかけられた毛布を持ち上げた。


「温かいスープを分けてもらったの。一緒に飲もう」


メルはルディの席を空け、毛布を広げて出迎えてくれた。こうして互いを労り、支え合いながら暮らして三度目の冬が来た。

 記憶を失ってからのメルは、その辛い過去が嘘のように実に明るく楽しそうに日々を過ごしていた。

 二人は姉妹ではなく容姿のよく似た気の合う赤の他人として街では通した。

 ルディがメルの過去を知らないことにすれば、メルも無理に自分の過去を知ろうとはしないだろうと思ったからだ。

 今でもロックベル伯爵家はメルを探していて、自分だけがその居場所を知っている。

 その事に胸が痛まないかと言えば嘘になるが、それでもメルの充実した顔を見れば、これでよかったのだと言い聞かせることが出来た。


「ごほっごほっ」

「大丈夫?」


 スープを飲んで咳き込むメルは、眉尻を下げて笑顔を見せるた。

 心配をかけまいと無理をしているのが伝わる。

 夜中、背中越しに苦しそうに咳を殺すメル。

 嫌がるメルの額に手を添えると、尋常じゃない熱さだ。言葉を失うルディにメルは肩を竦め、「たいしたことないわ」と強がる。

 メルは風邪が長引いていて体調が良くない。医者に見せたいが、冬は花も仕入れられず、お金の余裕はなかった。


「ごめん……」

「ええー? 謝らないでー」


 歯痒い想いで思わず謝り、何か言われる前にメルを毛布で包み込む。身を寄せ合いながら落ちてくる雪をただひたすら眺めた。

 どんなに寒くても、空腹でも、共にいられれば温かく安らげた。

 だがそんなメルとの暮らしも、終わりを迎えようとしていた。


 体調の悪かったメルは遂に吐き出す咳と共に血を吐いた。

 ルディはメルを抱え、町医者を訪ねた。

 しかしお金の無い孤児を無償で診る程お人よしの医者はいなかった。

 途方に暮れたルディ達に声をかけたのは、いつも世話になっていた神父だった。

 神父の厚意で医者に診てもらうことは出来たが、その診断は終焉へのカウントダウンを告げるものだった。

 メルは流行り病にかかっていた。

 街で同じように死んでいった孤児たちを見てきたルディは、その場に立っていられず座り込み、メルは表情を変えず、ずっと天井を眺めていた。



 ルディは神父の所へ身を寄せ、メルを看病した。

 記憶を失くしてもルディ以外の、特に男性を怖がるメルは抵抗したが、まともな薬は無くても、病人を外で寝かせるよりはましだった。


「ルディ、少し休みなさい。君まで倒れてしまうよ」

「……」


 日に日に食は細くなり、衰弱していくメルの隣で、ルディがいつも通り食事をとる気にはなれなかった。

 いつ容態が急変するかも分からない状態で、ゆっくり眠ることは出来なかった。

 看病はだれにも頼らず一人でやった。

 幾度も吐く血に汚れる服を着替えさせ、咳き込む苦しさを少しでも和らげるために背中を摩る。

 四日に一度、体を拭いてやるのだが、その腕も背も、骨が浮き出て頬はやつれ、あんなに似ていたルディとメルは、今では似ても似つかぬ姿になっていた。


「……きれいになったよ。疲れたね、横になろうか」


 タオルで体を拭い、服を着替えさせて横にさせる。

 少しの動きでも咳き込むメルは、眠る時間も短くなっていた。


「……」


 あと、どれくらいの時間が残されているのだろう。  

 徐々に近づく死期に、必死に抵抗しようとするにはあまりにもルディは無力だった。


「ルディ……」

「!」


 メルが腕を上げ、部屋に置いてある簡易の机を指さした。

 ルディは立ち上がり、引き出しを開けた。中には封筒が一通入っていて、手に取る。


「私が死んだら、父に、渡して……」


 何のことを言われているのか、一瞬分からなかった。


「親不孝な私の……贖罪が書かれているわ。父……に」

「メル、あなた記憶が――」


 いつ記憶が戻ったのだろう。いつの間にこんなものを用意していたのだろう。


「ずっと、謝りたかった。私のせいで、ディアが……」

「!」

「ディアが死んだのは、私の、せい。すぐに、戻っていれば……こんなことには――ごほっごほっ」

「しゃべらないで、無理をしないで」


 メルが何を言おうとしているのか、ルディは分かっていた。

 ルディの母、ディアンヌは誘拐事件の犯人と疑われて亡くなった。

 その事実を新聞で知った時、自分の中に悲しみも、喪失感もなかった。ただ、母が死んだのだと、どこか他人の様な感覚でしかいられなかったのが、酷く悲しかっただけ。

 メルはルディに骨だけの腕を震えながら伸ばした。その手を支える様にしっかりと掴む。


「ねえ……私を、恨んでいる?」


 ルディと同じ、菫色の瞳に涙をためて問う異母妹に、ルディの息が詰まる。

 恨む? 


「あなたはそんなことを考えていたの?」


自分の人生を、他人の人生を恨んだこともあった。だけどーー


「馬鹿ね。生きて……メル。私を一人にしないで……!」


 恨んで等いない。生きてほしい。懇願するようにその手に縋り、涙が溢れて次の言葉が続かない。


「ごめん……。ルディに出会えて、幸せだったよ……」


 はっと顔を上げると、メルは目を閉じて眠っていた。

 力の抜けたメルの指に、絡まる指輪。ルディの指には、ずっと失くさず大切に預かっていたロックベル家の指輪が嵌められていた。


「……このまま、死なせはしない」


 こんな所で、一人で死んでいい子じゃない。メルには帰りを待つ家族がいるのだ。

 ルディは立ち上がり、再び覚悟を決めた。

 今度は、メルの願いに反する覚悟であった。


「ごめんね、メル」


 伯爵家に助けを求める。もしそれが叶わなくとも、ご両親の元で最期を――。



「こんな時にどこへ行くというんだい!?」


 薄い外套を借りたルディに、神父が外は大雪だと引き留める。


「メルを助けられるかもしれない。それまであの子をお願いします」


 街医者では限界があるだろう。或いは貴族の伝でもっといい医者に診てもらえば、救えるかもしれない。一縷の望みに縋る。

 ルディは一度教会を名残惜しく眺め、雪の中を駆け出した。

 外は雪が積もり、更に空からも大粒の雪が降り続けていた。

 こんな日は街道を行き交う馬車も皆無で、忌々しくも足を動かして王都へと向かう。

 息は上がり、体の中は暑いのに凍てつく風はルディの息を凍らせる。

 途中雪に足を取られ、何度も転びかけた。靴底がはがれ使い物にならなくなる。こんな時にと腹が立つが、靴の中に雪が入って来ようともその足を止めることはなかった。


「はあ、はあ」


 自分の足がこんなにも憎らしいと思ったことがあっただろうか。

 もっと、もっと早く動いてほしいのに、一向に進まない足は空を掻きなんとも歯痒い。足を取られながらも視界が真っ白の中をひたすら目的のために走った。


死なないで。

死んだらだめよ。


 一人残して置いてきた友を想い、じわりと目頭が熱くなる。

 それでも涙をぐっと堪えて走り続けた。

 王都に辿り着くと大通りには天候に関係なく人が溢れ、その中を縫うように駆け抜けた。

 走り続けたせいで肺が痛い。視界の悪い中、王都へ辿り着いた安堵と涙を拭いた一瞬に、目の前を歩く人に勢いのままぶつかってしまった。

 華奢な体はぶつかった拍子で投げ飛ばされ、尻もちをついてしまう。

 すぐに謝ろうと起き上がったが、怒声を放つ男に肩を蹴られ、地面に倒れこんだ。


「ごめんなさい! 急いでいて――」


 男達は面白いおもちゃを見つけた時の様な意地の悪い笑顔を向けた。

 腕を引きずられ、冷たい雪の上に顔を叩きつけられる。

 頭を足で踏みつけられ、男達に蹴られながら痛みに堪えて、やめてくれと懇願した。

 それでも男達は暴行を止めず、酒瓶をわざと顔の横で叩きつけ、甲高い声で笑っていた。


「お願いします! 急いでいるんです……!」


 頭を守るように体を丸めて叫ぶ。周囲の人々は皆関わり合うまいと見て見ぬ振りをしていた。


「助けて……」


 言葉にしても虚しさだけが残る。

 神父や宿屋の主人、親切な人はいた。だが大抵の大人は無関心で、こんな孤児を助けてくれる者はいない。

 ピンチの時には助けに来て、辛い日々から救ってくれる。そんな夢みたいな王子様、現実には存在しないのだ。

 マリアは殺され、メルは乱暴され、ルディは捨てられた。それが、現実。

 これまでの暮らしでいやというほど経験したのに。

 それでも行かなければ。待っている人がいるから、助けてくれと願わずにはいられない。


「誰か……」


 必死の願いは無情にも届くことなく淡雪と共に消えていく。


 ああ、

 雪が落ちていく。


 薄れゆく視界の中で、星の欠片がゴミの様に、儚く路上に落ちては消える様を見ていた。


「な、何だお前!?」


 暴力が止まり、男達の焦り声に閉じかけた視線を上げた。 

 ルディを暴行していた男の一人が、目の前に突然倒れた。


「このやろー!」


 再び耳にする鈍い音。なにが起こっているのか、体を起こして周囲を見渡す。

 男達は瞬く間に、一人の青年によって倒されてしまった。

 雪の中、呻く男達の真ん中で立つ青年。彼がルディを助けてくれたのだと分かった。


「大丈夫かい?」


 上等の服を着こなした美丈夫に体が竦む。

 立ち居振る舞いですぐに青年が貴族であることが分かった。

 貴族にいい思い出の無いルディは、救ってくれた相手に怯え、お礼もせず俯いてしまった。


「痛いところはない?」

「……」


失礼な態度のルディを、青年は咎めはしなかった。それどころか、膝をついて怪我の有無を確認していく。


「アラン……! 目立つなと言った側からなんてことをしてくれたんだ!」


 青年の仲間だろうか、身なりはいいのにぼさぼさ髪に眼鏡をかけた男が、青年とルディのところへ駆け寄ってきた。そして、二人に急いでここから離れるよう促した。


「連中の仲間が集まってくる前にここを離れるぞ」


 事情が呑み込めないルディ。助けてくれた青年に抱き起こされ、そのまま冷たくなった手を握られると、一緒に路地へと走った。

 何が起きているのだろう。

 連れていかれることに恐怖はあったが、体中が痛くて考えるどころではなかった。


「騒ぎを起こして身分がばれたら報復は君に降りかかるんだぞ」

「分かってる。それでも、目の前の暴行を見過ごせなかった」

「アラン……君ってやつは……」


 眼鏡の男は青年アランに呆れていた。 

 体中の痛みに耐えながら、聞き耳を立てた会話の中で、二人が男達のアジトを突き止めるために尾行していたのを知る。


「これで新興宗教のアジトを見つける機会を失った。ここまでどれだけの時間を費やしてきたと思ってるんだ」


 頭を抱える眼鏡の男。

 彼らはルディを助けた代償に、大きな成果を失ったようだ。

 新興宗教という大仰な組織名、それを調査する身なりのいい青年二人。

 国を揺るがす一大事のように感じ、ルディは恐怖で青ざめた。


「アジトを見つける機会はまたある。だがこの子の命は違う。今助けなければ、二度と救えなかったかもしれない」


 アランと呼ばれた青年は、ルディを救った行為に後悔など一切ないと言い切った。

 アランは振り返り、透き通るような茶色の瞳でルディを見つめた。


「怪我をしてるよね。見せてごらん」


 立ち尽くすルディの怪我を見るため、アラン地面に膝をつき、「痛かったね。よく我慢したね」と優しく声をかけた。

 あまい、きらきらと輝く、キャラメルみたいな瞳。

 こんな貴族もいるのか。

 恐怖と、安堵と痛みと、寒さと。張り詰めていた全ての物が振るい落とされ、手から伝わる温もりに、ぽろぽろと涙が溢れた。


「! どうした? 痛いところがーー」

「たす、助け、て……くださいっ」


 嗚咽交じりの声で、泣きながら救いを求める。


「ラオネル=クライシス様の元へ、どうかーー私を連れてって下さい!」


もう二度と、救いを求めないと誓った手は、目の前のアランに伸ばされた。


「クライシス子爵か?」

「はい。時間が無いんです! 妹が病で、救えるかもしれない……!」


 何度も、何度も払い落とされたルディの手。

 真っ赤に赤く腫れあがった手は、寒さで感覚がない。  

 恥も外聞も捨てて、アランにすがり、コートを必死に掴もうとする。しかしかじかんだ手は空を掻き、うまく掴めない。

 

「助けて……お願いします」


 力なく落ちていく手は、迷いなく伸ばされた温かい手によって浮上した。


「わかった」

「……え?」

「時間が無いのなら急ごう。レオン、悪いが馬車を借りるよ」

「君、孤児の話を信じるのか!? どう考えても、子爵家と関わりがあるとは思えない」


 レオンのごもっともな指摘に、お願いをしたルディでさえ驚いてしまう。

 アランは戸惑うルディの脇に手を差し込んで、軽々と立ち上がらせた。


「行けば分かるさ。さぁ、急ごう!」


 アランの厚意により、ルディは馬車でラオネルの元へ訪ねることが出来た。

 アランは子爵を呼んでくると言って、ルディを門前に残し一人子爵家に入っていった。

 彼は身分も高いのだろう、ルディのように門前払いを食らうことなく丁寧に通されていた。

 一人心細く待っていると、玄関扉が大きな音で開かれた。

 驚いて顔を上げると、黒曜石の瞳を見つけた。

 四年ぶりのラオネルの姿に、懐かしさで胸が締め付けられる。


「お前っ! 今までどこにーー」


 ラオネルは駆け寄ってルディの肩を掴んだ。怪我をしている方を掴まれたので、一瞬苦い顔になってしまった。


「……どうした? 怪我をしているのか!?」

「いいの。それより、メルディが流行り病で危ないの。お願い、協力して」

「は?」


 ラオネルは訳が分からないと顔をしかめた。そして、ルディを連れてきたアランへ視線を移した。


「知り合いのようでよかった」


 そう言って、二人の邪魔をしないよう馬車へと歩いていく。

 ルディはラオネルの目の前に、ロックベル家の紋章入りの指輪をかざした。


「私、ずっと誘拐されたメルディと暮らしていたの。そして今、メルディは病で命の危機が迫っている」

「まさか、お前……」


 メルディ誘拐に関わったと勘違いしているラオネルに、「違うから!」と慌てて否定する。


「ロックベル伯爵に伝えて。あの子を助けてほしいと。時間が無いの、説明は後にして急いで!」


 眉間に皺を寄せるラオネル。


「……本当か?」


 ルディは真剣な眼差しで頷いた。そしてメルの居場所を伝え、もう一度「急いで!」と促した。


「直ぐに伯爵家に向かう。だがルディ、話はまだ終わってないからな。後で詳しく聞く。もう……」

「?」

「もう二度と、俺の前からいなくなるな」

「……」

 

 ラオネルは黒曜石の瞳を揺らし、名残惜しそうに視線を最後まで残して、執事にルディを頼むと告げた。

 そして、馬にまたがると雪の中を疾走した。

 執事はルディに、中で温かいお食事を用意すると誘ってくれた。しかしルディはそれを断った。


「いけません。旦那様にお引止めするよう申し付かっております」

「また伺います。今は病の妹を一人残してますから」


 直ぐにメルの元へ戻らねば。


「……あ」


 門を出ると、アランが馬車の前で待っていた。

 雪の降るなか、後ろ手に組んで空を眺めている。

 ルディに気づくと、「乗って」と馬車の扉を開けた。

 追ってきた執事に、ルディは責任を持って送っていくと伝えてくれた。

 アランの申し出に、執事はそれ以上何も言わず、腰を折ってルディを見送った。



「あの、ありがとうございました。おかげでお医者様を呼べました」

「それは良かった」

「それに馬車まで……何から何まですみません」

「うん。だがあいにくの天候で馬車がどこまで行けるか分からないんだ」

「十分です! 止まったら歩きます。少しでも早く、妹の元へ戻りたいので助かります」


 ルディはそう言って膝の上で拳を握った。

 一刻も早く、メルの元に戻らねば。

 ところが、アランが懸念した通り、馬車は雪で街道の途中で止まってしまった。


「ごめん」

「全然! 助かりました」

 

 あと半刻も歩けば街に辿り着けるだろう。

 ルディはアランに礼を言って、馬車を降りた。


「待って。これを。時間が無くてこんなものしか用意できなかったのだけど……」


 ルディの足元に新品のブーツが置かれる。


「小さなタブロスに」

「?」


 たしか、タブロスとは童話の中に出てくる病の友人のために国中を走り回った男の子の名前だ。そして目の前に置かれたブーツは、男物だった。


「……あ」


 目深に被った帽子と短い髪。男物の服を着ていたルディを、アランは本物の男の子だと勘違いしているようだ。


「フフ……、ありがとうございます」


 彼の優しさと心遣いには感謝してもしきれない。

 心配気なアランに別れを告げ、街までの道を再び駆け出した。

 その足は行きとは違い、実に力強かった。



     ***


 

 その日、マリー=ロックベル伯爵夫人が暖炉の前で編み物をしていると、慌ただしい訪問客があった。

 せっかく愛娘メルディの手袋を編んでいたというのに、気が削がれてしまった。

 侍女の制止も聞かず、夫であるイヴァンの元へと向かった。

 来客は、仕事の関係で付き合いのある若きクライシス子爵だった。

 二人は年が離れていたが、まるで兄弟のように親しかった。

 子爵はマリーと入れ替わるように応接室を出て行った。


「イヴァン?」


 マリーが顔を出すと、夫イヴァンは視線を向けただけで、執事に何かを命じていた。


「マリー、すぐに出かけよう」


 イヴァンの顔には余裕がなく、マリーはなんだか不安になった。

 外は陽も暮れて雪も降っている。こんな悪天候の中、馬車を走らせ一体どこへ行こうというのか。


「マリー、気をしっかり持つんだ」

「ええ」


 揺れる馬車の中で、イヴァンはマリーの手を握り、ゆっくりと、まるで自分にも言い聞かせる様に話しはじめた。


「メルディが、見つかった。だが、流行り病に罹っていて、命が危ない」

「メルディ……」

「ラオネルが医師を手配してくれた。我々も急いで向かおう」

「ええ」


 マリーはイヴァンがおかしなことを言っていると思った。だってメルディは自分の部屋で休んでいるもの。


「早く屋敷に戻らないと。あの子、一人では眠れないから泣いてしまうわ」


 イヴァンの握る手が一層強くなり、痛みでマリーは顔をしかめた。

 馬車は途中、雪でこれ以上先へ進めずに止まってしまった。

 吹雪いていた雪は止んでいたが、積雪が深く車輪が回らなかった。

 イヴァンは二頭馬車の一頭に鞍を付け、マリーを乗せた。


「そういえば、昔二人で乗馬を楽しんだわね」


 イヴァンは楽しそうなマリーを前にして馬に跨ると、手綱を引いて走らせた。


 マリーたちがやって来たのは、王都の隣にあるバロンの廃れた教会だった。


「随分年季のある教会ね」


 マリーが教会を眺めている間に、イヴァンは一人でどんどん先に進んでしまう。


ーー人で逝かせてしまった! ごめんメル! 間に合わなかった!!


「……何かしら?」


 教会の奥から、女の子の叫び声がする。

 イヴァンは声のする方へ駆け出し、一人残される恐怖からマリーも後を追った。


 泣いている。

 女の子が泣いているわ。


「……きっと、悲しいことがあったのね」


 こぢんまりとした部屋では、ベッドに横たわる少女の横で、崩れ落ちて泣き叫ぶもう一人の男の子……いいえ、あの子は女の子だわ。

 イヴァンは二人の元へゆっくりと近づき、肩を揺らして足を止めた。


「あら、イヴァン。あなたまで泣いているの?」


 マリーはベッドを覗き込んだ。

 ベッドに横たわる少女は微動だにしない。

 ああ、そうか。


「この子は……、死んでしまったのね……」


 だから皆が泣いている。

 マリーは胸が苦しくなった。

 何かが崩れ、壊れていく音がする。

 メルディ……。私の可愛い娘……。


「泣かないで……メルディ」

「……奥様?」


 マリーは手を伸ばし、ベッドの横で崩れ落ちて泣いていた少女を抱きしめた。

 短い髪を梳いてやる。抱きしめた腕が温かく、忘れかけた我が子を抱く感覚を思い出させた。


「私のメルディ。一人では眠れないのね」

「お、奥様ーー」

「離さないで!」


 なぜ、涙が出るの。なぜ、胸が苦しいの。


「どこにも行かないで! いやよ! やめて! 私からあの子を奪わないでー!」


 なぜイヴァンが私達を引き離そうとするの? なぜメルディが驚いた顔をするの?

 いやね、大きな声を出して。皆が困っているわ。いいえ、困らせているのは私? 間違っているのは私? ああ、わからない。頭が痛くて何も考えたくないの。


「助けて……お願いよ……、心が死にそうなのよ……!」


 溢れる涙で何も見えない。見えないのに、自分を抱きしめる温もりが心地いい。


「ル……ディ……」


 少女はマリーを抱きしめていた。マリーを慰めるように、強く抱いて、一緒に泣いてくれた。

 ごめんね……、優しい子。


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