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時止まりの令嬢と女嫌い侯爵  作者: 千山芽佳


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24/33

メルとルディ 1

 

 それからのルディは、孤児院に戻れるわけもなく、頼れる者もいない、身寄りのない子供が真っ当な仕事に就けるわけもないく、望まずとも路上で暮らしていくしか道はなかった。

 ルディは王都から少し離れた商業の盛んな街、バロンへと移動し、路上生活を始めた。

 王都と街道が繋がったバロンの街は、常に人と物に栄え、貿易の中心となっていた。

 街にはルディと同じように王都や周辺の地域から流れてきた路上孤児も多かった。

 その中でグループがいくつか出来上がり、協力しながら生活している孤児もいた。

 しかしルディはその中に属することはしなかった。

 誰かを信用し、他人と関わるのは怖くて出来なかった。

 路上孤児の中にもルールと縄張りがあり、ルディを余所者とはじく者もいれば、親切に世話を焼いてくれる者もいた。

 一人でも生活していくために、ルディは教えられた野花を摘んでブーケを作り、それを売って日銭を稼いだ。

 髪は短く切り揃え、拾った男物の服を身に纏った。

 女一人で暮らしていると危ない目にも合うだろうと思ったからだ。

 雨風を凌げる橋の下に寝床を作り、そこで寝起きした。

 凍える夜はラオネルからもらった毛布に包まり、丸くなって眠る。

 院での生活がありがたかったと思う時もたまにあった。

 とにかくいつも空腹で、お風呂に入れないので体が痒くて気持ちが悪い。

 生きるために、我慢することはたくさんあった。

 保護下から外れた子供が一人、生きるためには不自由はあったが、それでも虐げられる日々に比べれば、縛られることのない生活はある意味自由だった。

 慣れない生活の中で、必死に、毎日を生きた。


 季節が春になると生活はいくらか楽になった。寒さで凍えることもなく、花摘みに苦労することもなくなった。

 王都へと続く街道沿いの丘には、色とりどりの野花が咲き乱れ、ルディのお気に入りの場所だ。

 静かで長閑な温かい晴れた日の丘には、時折ガラガラと馬車が行き交う音と風の音しかしない。

 ルディは袋いっぱいに花を摘み終えると、大きく息を吸い立ち上がった。背の低いルディには長い葦から顔しか出ない。

 向こうの方から商人の馬車がやって来て、その馬車をやり過ごしてから道に抜け、元来た道を歩いた。

 直後、背後から鈍い音がして振り返る。

 先程すれ違った馬車が荷物を落としていったのか、道に何かが落ちていた。


「大変!」


 目を凝らして確かめると、馬車が落としていったもの、それは荷物ではなく人だった。

 慌てて駆け出し、馬車に手を振り大きな声で叫んだ。

 しかし馬車は気付かず、そのまま視界から小さくなっていってしまう。

 ルディは馬車を諦め、落ちた人を助けに行った。

 道にはルディと同じ位の少女が倒れていた。

 抱き起こして声をかけるが返事はない。

 まず視界に入ったのは、少女の顔半分が水膨れでただれていること。

 これは火傷の痕だろうか。あまりの痛々しさに目を逸らすと、体中の至る所に血や痣の痕があり、これは今馬車から落ちた傷痕ではなく、それ以前に負ったものだと思った。

 少女はぐったりとして身動き一つしない。 

 打ち所が悪かったのだろうか、不安になり胸の音を確認すると、鼓動の音がして一先ず安堵する。

 周囲を見渡すが行き交う人も馬車の姿もない。

 道の真ん中で横たわる少女を、とりあえず安全な場所へと葦の中へと動かした。


「……」


 少女の服はルディと同じ、孤児が身に纏うような麻でできた簡素なワンピースだった。その上、服はぼろぼろに引き裂かれ、劣化で破れたというより引き千切られたと言う方が正しい。

 もしかしたら――。

 少女の身に起こったことが、ルディの想像しているものなら……。

 落ち着いて考えてみるとそもそも荷馬車から人が落ちてること自体がおかしいと気づく。

 ルディは眉間に皺を寄せながら、少女の顔にかかる髪をそっと避けてやった。

 しかしその手が途中で止まる。


「ん……」


 少女はルディの感触で気が付くと、瞼をゆっくりと上げた。

 突然目の前に現れた見知らぬ人間に、少女が目を大きく開くのと同時にルディも驚いた。

 あまりにも驚きすぎて、前屈みに様子を見ていたルディは後ろへ尻もちをついてしまう。


 なぜ……ここに……。


 その紫の目には見覚えがあった。

 いくらみすぼらしい恰好をしていても、汚れて絡まった金の髪でも、顔半分に火傷を負っていても、ルディには少女が何者か、直ぐに分かってしまった。


「メル、ディ……」


 名を呼ばれた少女は、肩をびくりと跳ね、小刻みに震えだした。


「メルディ」

「いや!」


 のろのろと起き上がったルディが、その肩に手を添えようと手を伸ばす。それをメルディが思い切り突き飛ばした。


「いや! 来ないで! 来ないで!!」


 何かに追われているかのように首を振り、後ずさりしていく。


「もう痛いことしないでぇ……!」


 怯える目で必死に懇願し、泣きながら小さくなって蹲るメルディ。その姿を目の当たりにし、膝立ちしたルディは愕然とした。


 なぜ……誰が……。


 湧き上がるのは深い悲しみと怒り。その目には涙がじわりと溢れ出した。

 あんなに幸せそうに、皆に守られて天使の様に可愛らしかったメルディ。

 彼女のことを妬ましいと、恨んだこともあった。

 だけど、こんな風に傷ついてほしかったわけじゃない。

 この子はルディを知らなかったのだから。この子は――。

 ルディは胸が締め付けられ、いてもたってもいられずメルディを抱きしめた。

 暴れるメルディに体を叩かれても、離すまいと強く抱きしめた。


「大丈夫。もう、怖いものはないから!」

「!」

「ここには私以外、誰もいない。私はあなたを傷つけない!」


 メルディは抵抗するのを止め、振り上げた腕をゆっくりと降ろした。

 この子は私の妹だ。

 メルディには何も知らないまま、幸せに暮らしてほしかった。

 だからもう二度と会うことも、関わることもないと思っていた。

 だけど、自分と血を分けた妹が、こんなに傷ついている姿を見て放っておける程、ルディは無関心ではいられなかった。

 ルディは放心したままのメルディを葦の中に隠し、急いで街まで戻った。

 僅かのお金で古着とパンを買い、メルディの元へと走って戻る。

 丘に戻ると、メルディはルディと離れた時の格好のまま、一点を見つめて膝を抱えていた。


「……メルディ、様。着替えを持って、来ました」


 息も切れ切れに声をかけるが反応はない。

 暫く待っても動こうとしないメルディを、仕方なく赤子にするように着替えさせてやる。

 メルディは体に触れるとびりと跳ねたが、先程の様な抵抗はなく、されるがままぼろぼろになった服を脱ぎ、簡素なワンピースに袖を通した。


「こんな服しか用意できなくてすみません」

「……」

「メルディ様、お腹は空きませんか?」


 聞いても返事はない。まるで魂が抜けた人形のようだ。

 パンを差し出しても見向きもしないので、黒く、硬いパンだから嫌なのだろうかと引っ込めた。きっとこんなパンをメルディは口にしたことが無いだろう。

 小さくため息をつくと、土の上にきらりと光る物が過った。

 探すとそれは、紋章入りの高価な指輪だった。


「これはメルディ様の物ですか?」


 着替えさせたときに落としてしまったのかもしれない。

 メルディはやはり返事はせず、一点を見つめたまま膝を抱えている。

 ルディは近づいてメルディの手を取り指輪を嵌めようとした。

ところが、メルディは「いや!」とルディの手ごと指輪を叩き落してしまう。


「メルディ様――」


 メルディは腕の中に指を隠し、顔も隠して更に小さくなって膝を抱えてしまう。


「……」


 困った。

 メルディの買ったばかりのワンピースにはポケットがないし、ルディの男物のズボンのポケットには穴が開いている。花籠では再び穴から指輪が落ちてしまうだろう。

 こんな大事なものを失くすわけにもいかず、ルディは申し訳ない気持ちもあったが、一旦その指輪を自分の指に嵌めることにした。


「立てますか?」


 結局パンは食べなかったので、紙に包んだまま花籠にしまい、メルディを立たせた。

 手を繋いで歩き出すと、後ろを付いてきてくれたのでほっと胸を撫で下ろす。


 街に戻ると、メルディを側に置いたまま花売りを始めた。先程の買い物でお金はもう一銭もなかったのだ。

 なんとか陽が暮れる前に花を売り終わると、そのお金を握ってメルディの手を掴み、王都へと向かう馬車を探した。

 気の良い商人に交渉し、商人はメルディを送り届けるのを快く引き受けてくれた。


「いや!」


 しかしメルディは馬車に乗るのを嫌がり、商人を酷く怖がってルディの背に隠れてしまう。


「嬢ちゃんは乗りたくないって言ってるが、どうするよ?」

「……」


 メルディは男の人を怖がっていて、その理由は痛いほど理解できたし、先程荷馬車から落ちたのだから、再び乗せるのも難しいだろうと思えた。

 ルディは商人に謝り、陽が暮れる空を見ながら震えるメルディの肩を摩った。

 それから教会や役人にメルディを頼もうとしたが、やはりメルディは抵抗し、ルディから離れなかった。

 どう見ても訳ありの孤児が二人。大人達も深く関わろうとはしてくれなかった。


「……とりあえず、私の寝床へ行きますか?」


 辺りが暗くなり途方に暮れたルディは、今日中にメルディを伯爵家に帰すことを諦めた。

 メルディは返事の代わりにルディの手を僅かに強く握り、同意した。

 二人は橋の下のルディの寝床にやって来た。


「本来あなたのような方が寝る場所ではないのですが……」


 簡易な寝床を前に、恥ずかしさと申し訳なさで小さくなっていると、メルディは首を横に振った。


「お腹、空きませんか? こんなものしかないですけど」


 昼間に買った黒く固いパンを手渡すと、メルディは両手で受け取った。


「……」


 徐々に反応してくれるようになったメルディに、ルディは安堵した。そしてメルディは、受け取ったパンを千切ると半分をルディに渡してくれた。


「! ――ありがとう」


 感激でルディが微笑むと、メルディは素早くパンにかぶりついた。


 翌日、二人は朝から王都へと続く街道を歩いていた。

 馬車を使えば半刻もすれば王都に辿り着けるのだが、やはりメルディは馬車に乗るのを嫌がり、仕方なく歩くことにした。

 少女の足では到着する頃には昼を過ぎていた。

 久々の王都の匂いに懐かしさを覚えながら、ルディは真っすぐに目的の場所まで歩いた。

 伯爵邸が近づくと、手を繋いでいる方の腕が伸び、足を止めて振り返る。

 メルディは道の先を見つめたまま立ち止まった。


「メルディ様、大丈夫です。お家に帰りましょう」


 この先の角を曲がればロックベル伯爵家が見えてくる。以前両親の姿を見に足を運んだルディには分かっていた。


「私は……、ここまでしか案内できませんが、ここを曲がればすぐにご実家で――」


 メルディは突然繋いでいる方の腕を振りほどき、元来た道を走り出した。


「メルディ様!?」


 ルディも慌てて追いかける。

 メルディには直ぐに追いつくことは出来たが、尚も抵抗する姿に困惑した。


「どうしたんですか!?」

「いや! 帰らない! いや!!」

「……なぜ」


 メルディはぽろぽろと涙を流し、泣き出してしまう。それでもずっと嫌だと首を振って助けを求める様にルディの裾を掴んでいた。


「何が……」


『何が?』の後に続く言葉に躊躇する。メルディの身に一体何があったのか、その先をどうしても聞けなかった。

 メルディは怖い目に合い、傷つき、精神的に不安定になっている。

 わざわざ辛いことを思い出させ、自分の口で語らせるのは酷だと思った。

 家に帰し、両親の元で傷を癒せればと考えたが、こんなに家に帰ることを嫌がるには理由があるのではないか。

 まさか……。

 メルディがこんな状態になった原因は、伯爵家にあるのではないか。

 令嬢が孤児の服で乱暴を受け、荷馬車に乗せられていた。

 このままメルディを伯爵家に戻してもいいのかと不安になってくる。


「……」


 迷っていると、泣いていたメルディが顔を上げ、初めてルディと目を合わせた。


「お願い……。私を見捨てないで」


 懇願する姿に胸が締め付けられる。


「見捨てないよ!」


 そう告げると、メルディはルディの胸の中へと飛び込み、力強く抱きついてきた。

 何が正しいのか分からない。だがこの子を放っては置けない。この子をこれ以上傷つけたくはない。

 だから今はまだ、伯爵家には戻せない。

 メルディの背中をさすりながら、自分の指に嵌められた指輪をみて、ゆっくりと目を閉じた。



 結局王都を離れ、バロンの街へと戻ることにしたルディ。

 ルディは前を歩いてメルディと手を繋いでいた。その腕が再び伸び、引っ張られたのでメルディが足を止めたのだと振り返った。

 そこで初めてメルディがルディに声をかけた。


「……名前」

「?」

「あなたの、名前」

「! ああ。私はルディです」


 そういえば名乗るのを忘れていた。

 メルディは名前を聞いた後、真っすぐルディと視線を合わせこちらを見た。

 今までとは違う様子にどうしたのだろうかと首を傾げると、メルディははっきりとした声でルディに言った。


「あなたは私を知っているのね」

「え」

「名前も出自も。私からは何も話していないというのに……」


 ルディの心臓が一瞬止まった。

 メルディは驚くルディの様子を窺った後、視線を落として続けた。


「私もあなたのこと、知っているわ」

「……」

「雪の日に馬車に轢かれそうになっていたでしょう?」


 繋いだままの手から、体温がみるみる失われていく。  

 冷えていったのはもちろん、ルディの方だ。


「私と同じ顔。それに、声がディアとそっくりね」


 二人の横を、荷馬車がガラガラと追い越していった。

 内心で動揺しながらも、ここで間違えてはいけないと顔を上げてメルディの目を真っすぐに見つめ返した。

 メルディはそんなルディに気圧されたのか、表情を崩して声を荒げた。


「っどうして親切にしてくれるの!? 私が憎くないの!? こんな目に合って、いい気味と思っているのでしょう!」


 好戦的な物言いなのに、再び泣き出してしまいそうな脆さを感じた。


「初めて出会った時、あなたが羨ましくて妬ましかった。でも、今はあなたを一人にしたくないって思っている。それは決して同情でも憐れみでもない。私は、あなたをこんな目に合わせた奴が、殺したいほど憎くてたまらない……!」

「……」

「あなたが伯爵家に戻りたくないのは、私のせい?」


 今度はルディが訊ねる。メルディは何を言われているのか分からないと、首をかしげた。

 メルディはルディの出自に気付いた。その上で伯爵家に戻りたくない理由が父親の不貞を許せない事にあるのなら、ルディはその事情をはっきりと話さなければいけない。


「……そうだと言ったら?」

「伯爵は私の存在を知らない。あなたのお父様は、意図してあなた達を裏切ったわけではない。それだけは分かってあげて」


 別に伯爵を庇っているわけではない。だけどそれが真実だから。


「……ばかみたい」


 メルディは俯き、ルディを追い越した先で再び立ち止まった。

 メルディの表情は実に様々に変化し、苛立ちと挑発、そうかと思えば救いを求めるような顔と、相反する表情が彼女の複雑な葛藤を表しているようだった。


「……屋敷に戻りたくないのは、ルディとは関係のないことよ。それから、私のことはメルと呼んで。〝様〟なんてこんな姿では滑稽だわ」


 そう背中越しに伝えると、その後は黙ったまま、二人でひたすらに帰り道を歩いた。



 王都から戻ると、メルの様子は少し変わった。

 相変わらずルディ以外の人、特に男性を怖がってはいたが、出会った時の様な抜け殻ではなく、感情を持て余して、常に苛立っているように見えた。

 生活も伯爵家で暮らしたころとは雲泥の差だ。

 「パンが固い」「お風呂に入りたい」「寒い」「ベッドで寝たい」

 思ったことをはっきりと言う。

 かといって屋敷に戻りたいかといえば、そうではないようで、文句を言いながらもルディの側を離れないのだった。

 メル自身、身の上に降り被った悲劇と、目の前に現れた異母姉に、心の整理が追い付いていないのだろう。

 それが分かっているから、ルディは決してメルを責めなかった。

 逆に側に自分がいてもいいのか、メルを余計にも追い詰めてしまうのではないかと、怖かった。


『望まれぬ妾腹の子供は、その存在だけで幸せだった家庭を壊してしまう』


 こんな時に母の言葉が呪いのようにルディを苦しめる。

 ルディの中にも迷いはあって、互いに複雑な心境のまま、それでもお互い相手から離れるようなことは出来ないでいる。


 メルの処遇に悩みながらも、生きていれば当然のようにお腹は空くし、養うものが増えたことで先立つ物も必要になる。

 ルディは悩みながらも花を売っては日銭を稼ぎ、一日一日を必死に暮らした。

 夜は一枚の毛布に包まり、背中合わせに眠った。

 触れる背中が小刻みに揺れているのに目を覚ます。

 メルが背中の後ろで泣いていた。丸くなり、声を殺して震えているメルは、ほぼ毎日眠りにつくとこうして悪夢にうなされていた。

 そんな時は決まってルディは寝返りを打ち、赤子をあやすように毛布で包みながら背中から抱きしめてあげる。そうすればメルは眠りにつけるのだ。

 だがこの日は違った。

 リズムよく背中をさすって寝かしつけるルディに、メルが声をかけた。


「う、グスッ、私のこと、放っておいてもいいのよ。我儘で面倒だと、思っているのでしょう?」

「? 思ってないよ」


 夜の静寂の中、二人は睦言のように掠れた声で話し出す。


「どうしてそんなに優しいの? 同じ伯爵家の娘なのに、あなたは理不尽に扱われてきた。恨まれても仕方ないわ」


 突き放すような言葉とは裏腹に、ルディの気持ちを試しているのが分かった。

 メルは傷つき、心細く、再び誰かを信じることを恐れている。

 その姿は、ルディと同じだった。

 ルディも傷つき、心細く、それなのに人と深く関わることを恐れ、期待して裏切られるのは嫌だと思っている。

 私達はずっと、相反する心で葛藤していた。


「私は……孤児院で育ったの。両親のことは十歳になるまで知らなかった。何もかも持っているあなたが羨ましくて、私を捨てた母を憎んだ。院での暮らしは厳しく、理不尽に死んでいった友達もいた。辛いことがあって、何度も、何度も捨てられて、もうたくさんって、院を飛び出した。もう人と関わりたくない。一人で生きていこうって……」


 でもメルと出会って、私はうれしかった。

 初めて家族というものに触れて、うれしかったんだ。

 彼女の境遇なんて関係ない。決して同情ではなく、一緒に過ごして、愛さずにはいられなかった。


「あなたこそ私の存在が憎らしいでしょう? 実の親からも疎まれた子だもの。その存在があなたを苦しめているのは分かっている」


 メルはきっと私なんかに、助けられたくなんかなかったはずだ。


「……ルディ」


 気付くと涙が溢れていた。

 メルは寝返りを打ち、ルディの胸にしがみついた。今度はルディを慰める様に、メルが強く抱きしめてくれる。

 それだけでメルが、ルディを大事に思っていることが伝わった。

 誰からも望まれなかった命を、自分自身もどこかで蔑んでいた命を、メルがそうではないと救い上げてくれた。

 心に傷を負った二人が、慰め合う様に抱きしめ合い、眠りにつく。

 その晩、ルディはメルと本当の姉妹になれた気がした。



 翌日からメルは、弱音を一切吐かなくなり、花摘みを手伝ってくれるようになった。

 売り子は出来なかったが、それでも自分に出来ることを必死に模索して手伝おうとしているのが所々で伝わり、愛しさが増す。

 よく行く教会の神父様は優しい人で、ルディ達に聖職者になるべく共に教会で暮らさないかと声をかけてくれた。

 しかしメルがルディ以外の他人となれ合うのを良しとしなかったので、いつも断っていた。


「ごめん、ルディ。わたしのせいで……」


 教会で暮らせば生活が楽になるのは分かり切っていただろう、メルは責任を感じていた。


「どうして謝るの? 前に言ったでしょう。私だってメルと同じ。どんなにいい人でも他人を信用するのはまだ怖いの」


 ルディは心配かけないよう笑って答えた。

 だが心の中ではいつだって、このままでいいのかと自問していた。

 私はいい。元々孤児で、路上で暮らしていたのだから。だがメルは違う。伯爵令嬢がこのままこんな生活を続けてもいいのか。ルディにはわからなかった。


 メルとの暮らしも三ヶ月が経とうとしていた。

 季節は春から夏へ、夜でも温かく過ごしやすい季節になった。

 早朝、メルが寝ている内にルディは教会の門を叩いた。


「朝早くにすみません。食べるものを恵んでいただけないでしょうか」


 ルディ達に良くしてくれた壮年の神父は、嫌な顔一つせず笑顔で答えた。


「時間は関係ありません。教会の扉はいつでもあなた達に向けて開かれているのですから」


 ルディはパンとチーズを受け取り、メルの元へと急いだ。

 朝靄が残る街は、新聞記者かパン屋しか働いていないのだろう、夜の名残が残る酒瓶やごみがころころと風で転がる静かな世界を、小走りに歩いた。

 ふと目に付いて足を止めたのは、街頭に引っ掛かり風でバタバタとなびく新聞だ。

 その見出しがルディの目に止まる。貰ったパンとチーズを脇に抱え、新聞を広げて驚愕した。


『誘拐された伯爵令嬢メルディ=ロックベル。未だ行方掴めず』


「これ……!?」


 思わず脇に抱えたパンを落としそうになった。

 メルディが、誘拐された?

 新聞を食い入るように読む。軍への批判や労働者の暴動、国王陛下の書簡などよく分からない部分はあったが、伯爵家がメルを血眼になって探しているのは分かった。

 そのまま新聞を握って全速力でメルの元へ戻った。


「メル! 伯爵夫妻はあなたを探していたの!」


 既に目を覚ましていたメルは、広げられた新聞に目を丸くした。


「ああごめん! 私の勘違いでなんてことを! とにかく、伯爵様がメルを探しているのが分かってよかった!」


 ルディの喜びとは裏腹に、メルの表情には影が落ちていた。


「お父様……お母様……」

「うん。お父様もお母様もあなたを待ってる。メル、お家に帰ろう!」

「帰る?」


 驚いた顔でメルは顔を上げた。


「? そうだよ!」

「ルディは?」


 メルは自分が去ってからのルディのその後を気にしていた。

 優しい子。この子に心配をかけないよう、努めて明るく振る舞った。


「私は、何も変わらないよ。今まで通り、自由に生きるだけ」


 だがメルは納得がいかないのか、怒ったように立ち上がった。

 「メル」という声に自分の意志を混ぜ込んだ。

 伯爵夫妻は自分の出自を知らない。メルがこの後も幸せに暮らしていけるのなら、ルディは一生伯爵家に係わらなくてもいいと考えている。

 母の、伯爵家を守りたいのと同じように、ルディはメルを守りたいのだ。


「……いや」

「メル?」


 揺れる瞳には、傷ついて出会った頃の危うさが孕んでいた。

 メルは飲み水が入った瓶に手を伸ばすと、突然地面に向けて叩き割った。


「なにをーー!」


 劈くようなガラスの割れる音と、砕け散った破片がルディにまで襲い掛かる。

 破片を避けるためにつぶってしまった目を恐る恐る開ける。目の前には、衝撃の姿が映っていた。

 それは、一瞬の出来事。

 メルの手首に突きつけられた瓶の欠片。その欠片を刺したのは他でもない、メル自身だ。


「なにしてるの!」


 駆け寄ったルディはメルの手から突き刺さった欠片を引き抜いた。同時に吹き出す血を、必死に止めようと手首を掴む。


「なぜーーこんな!」

「戻るくらいなら死んだ方がマシだからよ!」


 間近で叫ぶメルに呆気にとられる。

 手から伝わる生温かい血は、心臓の音と比例してどくどくと脈打っていた。


「――どういうこと?」

「ルディには分からないわ。私が暮らしていた社交界というのは、体裁を保ち、醜聞を嘲笑う」


 メルは自分の胸元を叩き、それから顔の傷に爪を立てて苦しそうに叫んだ。


「こんな体で! 醜い姿で! 伯爵家に戻れるわけがない! 同情されて笑われて一生を生きていくくらいなら、死んだ方がマシだわ!」


 ルディは思わずメルの頬を叩いていた。


「簡単に死ぬなんて言わないで! 分からない……。私には分からない!」


 メルの恐れる恐怖なんて、ちっぽけなものに思えた。  

 簡単に命を投げ出すメルに怒りさえ覚えた。


「生きたくても死んでいった仲間達も、生も死さえもぞんざいに扱われる世界を、あなたは知らないからそんな馬鹿なことが言えるのよ!」


 笑われるくらいが何だというのだ。メルには求めて探してくれる家族と帰る家がある。


「ええ馬鹿よ! それでも、十二年間伯爵家で生きてきた矜持が私にはある。あの世界に戻るくらいなら、あなたに見捨てられるくらいなら――」


 メルは最後に力を振り絞り、ルディを突き飛ばした。メルを掴んでいた手が離れる。


「……死を選ぶ」

「ーーっメル!!」


 伸ばした手は届くことなく空を切る。

 メルは哀し気に微笑んで川に身を投げた。

 その姿が、随分ゆっくりと感じたのは、私がその事実を受け止められなかったからだろう。



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