三人の関係
キースはロックベル家の門前で、膝を抱えて座っていた。
顔色は悪く、大柄な男が縮こまり憔悴している。
雪を踏む音で顔を上げたキースは、立ち上がってアランに駆け寄った。
「メルディは? 無事なのか!?」
その表情には本当に後悔と心配が見え、殴り掛かりたい衝動を抑えて「処置中だ」と言葉少なめに説明した。
「……俺は何てことを――」
再び頭を抱えて座り込むキースに、アランは問いただした。
「君はメルディを疑っていたよな。それなのに何故メルディが君を庇って撃たれるんだ」
落ち着こうとしても、声には怒気がはらんでしまう。
「犯人に心当たりは?」
そもそもキースが命を狙われる理由が、メルディがキースを庇う理由が全く分からない。
「……出歩いて大丈夫なのか?」
銃口を向けられた男が、直後に出歩いていることに急に心配になるが、キースは顔を上げて首を振る。
「騒ぎのあとに警備隊も来たから、大丈夫だろう。犯人は……誰かは分からないが、俺が狙われた理由なら、多分わかる」
キースが内ポケットから取り出したのは、皺が寄った手紙だった。
「実はフレッドから手紙が届いたんだ」
「フレッドから!?」
フレッドが亡くなって一月になるというのに、どうやって手紙が届くというのか。
キースの話では、フレッド自身が配達人に依頼していたという。自分から一月何も連絡が無い場合は、その手紙をキースに届けるようにと。
フレッドは亡くなり、連絡のしようがなくなったので、キースに手紙が届けられた。
死の直前に回りくどくも慎重な行動で伝えようとした、その手紙の内容が、ただの世間話ではないことくらい想像できる。
「今日、君に会うつもりでブライトン家に連絡をした。その矢先にさっきの襲撃に会ったんだ。君は王太子と親しいし、軍や警備隊にも顔が通るから、きっと犯人は勘違いしたんだろう」
「勘違い?」
「俺が既にフレッドを殺した犯人を知っていて、アランに密告しようとしていると――」
「犯人を知っているのか?」
「いいや。手紙には犯人のことは書かれてはいない。俺が君に会いたかった理由は、フレッドが宛てた手紙の中に、君宛の内容があったからだ」
キースは大事そうにフレッドが託した手紙をアランに渡した。
親愛なるキース=レントン
僕らが関わって壊し、修理に出していた時計の件だけど、ようやくなんとかなりそうだ。今から取りに会いに行ってくるが、僕に何かあった時はアランに言伝を頼みたい。〝君が前に探していたものを見つけた〟と。伝えてもらえば彼は分かってくれると思う。
フレッド=ニーベルグ
修理? 探し物? 壊した時計?
まるで暗号の様な手紙に、顎に手を添えて考える。
「俺を殺そうとした奴は、フレッドを殺した犯人だよな」
キースはアランの様子を窺いながら同意を求めた。
「そうだな。前に君が言っていた通り、フレッドが殺された可能性が高そうだ」
〝僕に何かあったら〟と手紙に残している辺り、フレッドは自分に迫る命の危機を分かっていて、犯人に〝会いに行って〟殺された可能性が高い。
そしてキースを狙った者は、フレッドの死に関係した者の仕業だろう。手紙が届いたと同時の襲撃のタイミングは、無関係とは言えまい。
ならば、何故あそこにメルディがいたんだ?
「君はフレッドを殺したのはメルディだと決めつけていた。そんな君を、何故メルディは庇ったんだ」
最初の質問に戻る。
フレッドを殺した犯人がキースを狙ったなら、キースを庇ったメルディは、フレッドを殺していないのではないか。
キースは周囲を一度気にした後、声を落としてアランに提案した。
「メルディがどうして俺を庇ったのか、彼女の真意は俺にも分からない。だけど、俺達の事をここで話すには長くなるし、できれば二人きりでしたい」
「俺達?……」
そんな風に呼ぶということはやはり二人は知り合いなのか。
アランは益々その関係が気になった。しかしキースの提案に即答できなかった。
アランは屋敷を振り返る。
メルディの様子が気がかりだった。
しかし伯爵も戻り、医師も来た後ならば、自分がメルディに会えるのは当分先になるだろう。そして、今自分にはやるべき事があるのも、そのためにはここを一度離れなければならないことも頭では分かっていた。
次にキースに視線を移す。
助けを求める彼の姿に、アランはため息を溢し、決断した。
「レオンにニーベルグ邸に行ってくると伝えてくれ。メルディに何かあればすぐに知らせてくれとも」
従者に伝言を頼み、馬車へ移動した。
「移動しながら聞こう。馬車の中なら聞き耳を立てる者はない」
アランは伯爵邸を名残惜しく眺めながら、キースと共には馬車に乗り込んだ。
「ニーベルグ伯爵邸に向かってくれ」
フレッドが言うアランが探していたものとは、マリアのことだろう。フレッドが自分に何かを伝えようとしているのなら、心当たりはニーベルグ邸にあるような気がした。
馬車は先程のメルディを乗せた時とは違い、ゆっくりと雪の中を進んでいった。
二人きりになると、キースは覚悟を決めた顔で話し始めた。
「あの時は、本当にどうかしていた。フレッドが死んで、罪をメルディに押し付けた。君にも迷惑をかけた」
「君達の間には何があるんだ、キース」
ゆっくり話すキースとは逆に、アランは続きを急かした。
以前『時……の……』というキースとフレッドの二人から零れた言葉が表していたものは、『時止まりの令嬢』メルディのことではないのか?
もしかしたら三人は知り合いだったのではないか。
「時、止まり……?」
ふと考えが頭をよぎる。
止まった時――壊れた時計? まさか――!
キースの手の中にあるフレッドの手紙を見てから、キースの表情を窺った。キースは苦い表情を浮かべ、頷いた。
「そうだ。手紙が指す〝修理に出していた時計〟は、『時止まりの令嬢』メルディのことだ」
「どういうことだ? 君達が関わっていた……?」
キースは観念したかのように重い口を開いた。
「そうだ。俺達は、メルディ誘拐事件に関わっていた」
「!」
「四年前、メルディは何者かに誘拐され、レントン商会に売られてきた。当時親父は、爵位を賜ることに固執し貴族とのつながりを強固にするべく、人身売買に手を出していたんだ。そうして平民の姿で売られたメルディを、ニーベルグ伯爵に売り飛ばし、伯爵はメルディを暴行した」
今から六年前。
キースはスクールの友人であるフレッドに呼び出された。
フレッドは深刻な顔でキースをニーベルグ伯の別宅へと誘った。
「あれは……」
扉を開けると薄暗い部屋の奥に少女が蹲っていた。
少女はキース達が入ってくると異常なほど怯え、部屋の隅で泣きながら丸くなっていた。
言葉を失うほど、悲惨な姿だった。
少女は明らかに乱暴を受けた後だった。服は千切れ、その隙間から見える体には血や痣の痕。
一番酷いのは顔の半分にまで及ぶ火傷で、適切な処置が施されていないせいか、傷口が化膿していた。
「僕の父が彼女を乱暴した」
「おいおい……」
「そして彼女を父に売ったのは他でもない、君の父親だよ、キース」
あまりの衝撃に息をするのも瞬きするのも忘れて呆然と立ち尽くした。
「そして、あの子は……メルディ=ロックベルだ」
「!!」
フレッドの淡々とした態度とは逆に、一生分の驚きを使い果たす程、キースは混乱した。
メルディ=ロックベルだと!?
メルディは一月前に誘拐され、軍が血眼で行方を追っていた。
連日世間ではこの話題で持ちきりで、国中が探している少女が、今目の前で伯爵令嬢とはかけ離れた姿でいた。
しかもその原因に自分の父親が関わっているという。
「……うそだろ」
「平民の格好はしているけど、彼女の指輪にはロックベル家の紋章がついている。父は気付いていなかったけどね」
キースは頭を抱えた。この部屋に入り、初めはメルディに同情し、事情を聞くと世間の事を考え、事実を理解すると保身が過った。
この件が世間に知られたら、レントンは終わる。
メルディをどうにかしなければ――。
「彼女を逃がそう」
「は?」
フレッドは真っすぐにキースの目を見ていた。
「父が知ればメルディの命はない。いや、遅かれ早かれ彼女は父に殺されるだろう。僕はもう何人も見てきた」
「……冗談」
と思いたかったが、こんな状況で真面目なフレッドが冗談を言うわけがない。
「メルディは今までの孤児たちとは違う。彼女は伯爵令嬢だ」
「もう遅いだろう? お前の父親は罪を犯した!」
ニーベルグ伯だけじゃない、キースの父も罪に加担した。
それならばメルディには死んでもらった方がいいじゃないか?
ほの暗い考えも芽生えたが、フレッドはそんなキースの考えを知ってか、強い意志で告げた。
「メルディにはここから遠いラントの修道院に行ってもらう。そこで身分を隠して生きてもらう」
フレッドはそう言ってメルディに近づいた。
メルディは壁際で追い詰められ、逃げる様に壁を爪で掻いていた。
「君も、こんな顔ではもう社交界には戻れないだろう。どうか誰も知らない新しい土地で、静かに暮らしてくれないか」
メルディは震えながら、焦点の合わない目で小さく頷いた。
「……」
フレッドの言う通り、こんな小さな少女が殺される様を黙って見過ごすのも後味が悪い。
普段は気が小さいフレッドの意志の強さにキースも考えを改めた。
「うちの積み荷用の馬車を用意する」
「ありがとう、キース」
二人は暴れるメルディを無理矢理荷馬車に押し込み、人気が無い街道をキースが運転し、馬を走らせた。
メルディが乗っていることがばれないように、彼女を他の積み荷の中に隠し、レントン商会の通行手形で怪しまれずに王都から出ることが出来た。
そしてラントの修道院へと辿り着いた。
そこで事件は起きる。
「どうしよう!」
ラントに到着したはいいが、荷馬車にメルディの姿がない。
忽然と姿を消したメルディに焦るキース達。元来た道をくまなく探した。
しかしメルディの姿を見つけることは出来なかった。
「このまま野放しにしていたら……」
フレッドの家も、キースの家もただでは済まない。
しかしメルディを表立って探すわけにもいかず、どうしようもできないまま過ごすしかなかった。
何事もなく月日が過ぎ、四年が経った。
あの衝撃の出来事も記憶の片隅に隠し、平穏を取り戻そうとした矢先、メルディ=ロックベルは無事帰還を果たした。
世間が喜びと歓喜に沸く中、フレッドとキースだけは違った。
不安で食も喉を通らず、眠れぬ夜が続いた。
メルディのニュースには全て目を通していた。唯一の救いは、彼女が記憶を失くしていたことだった。
メルディが伯爵家に戻ってから、フレッドとは互いに連絡を取るのを避けていた。
自分達にとって忘れたい過去が現実として再び戻って来たのだ。不安で極力思い出したくなかった。
メルディが見つかり一年が経とうという頃。
遅い社交界デビューを華々しく果たしたメルディは、世間の注目の的だった。
キースはなるべく彼女との接触は控え、記憶が戻らないことを日々願った。
そんなある日、フレッドから会いたいという手紙が届く。
大事な話があり、夜会の前に部屋を借りたから二人きりで話がしたいのだと。
今更何を話すというのか。
これ以上は関わりたくはないというのが正直な気持ちだった。それでも、不都合な事が起きているなら無視できないほど、心の余裕もなかった。
キースは指示通りフレッドが待つ部屋へと入って行った。
「フレッド、話って何だよ」
フレッドは応接室の真ん中で不安げに待っていたが、その表情に疑問が混ざる。
「話があるのは、君の方だろう?」
「はあ?」
背後で扉に鍵がかかる音と共に、いつからそこにいたのか、ベールで顔を隠した女が立っていた。
「二人に話があるのは私です」
「お前は……」
「まさか、時止まりの――」
二人をわざわざ呼び出す女はメルディしか思いつかない。その声に違和感を抱きつつも、二人は同じことを考えたに違いない。
フレッドの体は小刻みに震えだし、逆に冷静になれたキースはその背をしっかりしろと叩いて叱責する。
メルディは記憶を失くしている。何も心配ない。堂々としていればいい。何を言われても知らないふりをしよう。キースはそう心に決めた。
メルディはベールをはぎ取ると、奇麗な顔で真っすぐとこちらを見た。
「は……ははは! なんだよ、お前偽者じゃないか!」
キースは拍子抜けした。メルディは菫色の瞳を丸く開き、不思議そうな顔をする。
「何故私が偽者だと?」
「偽者に決まっている! あの時の顔の火傷が――」
「キース!」
フレッドの声で自分がしゃべり過ぎたと慌てて口を塞ぐ。
「火傷……。そう、私の火傷の痕は、私が誘拐された時に付いたものです。あなた達は何故それを知っているのでしょう」
「……」
「東方には火傷の痕も奇麗に取り除く技術もあるそうです。そして女性というものは、お化粧で如何様にも傷跡を消せるものです」
「そんな……」
確かにメルディの髪の色も瞳の色もあの頃と相違なく、違いと言えば傷跡だけ。それも誤魔化せたとあれば……。
二人は顔を合わせて愕然とした。
「それなら、君は本当に……」
「偽者か本物か、些末な事です。あなた方がメルディにした事に比べれば」
〝メルディ〟に? 自分の事なら〝私〟と言うのではないか?
自分に対する物のいい方に多少の違和感を抱きつつも、話を続けた。
「俺達は、何も……」
「ええ。実際にメルディを売り飛ばして乱暴したのはあなた達の父親よ。だけどあなた達だって見過ごしたでしょう? 私を馬車に乗せて証拠を消すために連れ出した」
違和感はあるが、やはりこの女は本物だ。当時の事を知っているのは当事者以外ないのだから――。
「何が目的だ」
メルディは記憶など失っていなかった。それなのにこの一年以上を沈黙していた。
断罪せずに沈黙し、再び姿を現した理由が知りたかった。
「少しでも罪の意識があるのなら、協力してほしいの」
「?」
「あなた達の父親は命を狙われている」
「!?」
「私は、それを止めたい」
止める?
「何故だ!」
それまで怯えていたフレッドが、大声で問い詰めた。
「どうして君が止めるんだ! 父は、君だけじゃない、もう何人もの少女を――。父は……殺されても仕方がないっ……!」
フレッドは苦しそうに叫んだ。メルディはその心からの声を受け止め、言葉を選びながら話した。
「あの男を庇うつもりなんて微塵もないわ。ニーベルグとレントンには然るべき罰を、法の下で受けてもらう。復讐という形ではいけない。私は、私の大切な人達を血で汚したくはないし、もう――」
メルディは一度目を閉じ、苦し気に吐き出した。
「もう、これ以上家族を失いたくないから」
家族を失うというなら自分たちの方じゃないのか。
しかしメルディは復讐によって家族を失ってしまうと考えているようだ。
「これ以上、大切な人の命を失いたくない。それが、私の願いだから」
「お前は……」
「父親たちの行動に気を付けて。あなた達に望むのは、それだけよ」
「……わかった」
メルディは話が終わるとすぐに部屋を出ていったが、フレッドとキースは暫くその場で動けずにいた。
「あの夜、帰りがけにアランにも会ったよな」
過去の告白を聞いたアランは、キースの言葉で思い出す。初めてメルディと話した夜会で、彼女と会う前に玄関でフレッドとキースに会った。
二人とも様子がおかしく、『時……の』というフレッドの呟きが気になった。
フレッドは過去の被害者であるメルディと会い、父親が命を狙われている事を知り動揺していたのだった。
「メルディはニーベルグ伯の罪も、俺の父親レントンの罪も知っていた。俺はその後もメルディが俺達を脅迫してくるんじゃないかと警戒した。だけどメルディは、ただ〝命を狙われている父親達から目を離すな〟と忠告しただけで、それ以上は接触してこなかった」
「……」
キース達がニーベルグから救い出した少女には、顔に火傷の跡があった。
『実は亡くなったメルの顔の左半分には大きな火傷の跡がありました。恐らくメルは虐待を受けていた可能性があります。男性を特に怖がり、ずっとルディにくっついていましたから』
これではっきりした。
やはりロックベル伯爵令嬢メルディは、〝メル〟の方だった。
キースは孤児ルディの存在を知らない。
だからメルディの言動に違和感を抱きながらも、彼女が本物だと思い込んでいるようだ。
伯爵令嬢だったメルは誘拐され、売られた先で乱暴され、顔半分に火傷の痕を残し、フレッドとキースの手によって逃げ出した。
孤児だったルディは、偶然メルと出会ったのだろうか、傷ついたメルを助け、家族のように寄り添ってきた。
そしてメルの死後、容姿の似たルディは目的のために伯爵家にやってきた。
その目的とは、決して復讐ではない。彼女はむしろ復讐を食い止めたかった。
何故止めようとしたのかは分からない。大切にしていた友人である亡きメルの願いだったのかもしれない。
ならば誰が復讐を成し遂げようとしているのか――。
そんな人間は限られている。
ルディが先程、レントン家に一人馬車で駆けだす前、彼女は異常に父親の動向を気にしていた。
ああ、
そうか。
やっと事件の真相が繋がった気がした。




