ルディの正体
舞踏会の翌日、昼を過ぎた頃にブライトン家には突然の来客があった。
それは何の前触れもない王太子レオハントの直々の訪問である。
主人であるアジル=ブライトンは朝から外出中とあって、屋敷中は大慌てで王子を出迎えた。
皆の慌てふためく姿とは違い、アランは来訪を聞いても驚かなかった。むしろ応接室で待つレオハントの姿を見て怒りさえ覚える。
レオハントはフロックコートの胸元に手を当て、わざとらしく紳士の礼をとった。
「……」
アランが到着するまでもてなしていた母と執事は、明らかに不機嫌なアランと、下手に出る王子の真逆の主従関係の姿にハラハラしていた。
「ハァ……。雪の中、殿下自ら足を運ばれますとは、火急の用事のようですね」
挨拶もそこそこに、訪問の理由を伺う。
聞かなくても分かっていたが、王太子の格好とあっては無下にも出来ない。
母と執事が退席しようとすると、レオハントが立ってそれを止める。
「昨日の言い訳に来たのだ。そのためには付き合ってもらいたい場所がある。先に馬車で待っているよ」
「かしこまりました。直ぐに準備して参ります」
先に出るレオハントを見送り、アランは急いでコートを用意し、外出の準備を済ませる。
心配そうな母を残し、王太子の乗って来た馬車に乗り込んだ。
アランの到着と同時に馬車は行く先も告げずに走り出した。
紋章の付いていない馬車と、アランも良く知る御者。供はないが、おそらく護衛は連れているだろう。
レオハントのお忍びの外出に今更驚くことはない。その服装だけが、いつもと違うので悪態をついてしまったのだ。
「その恰好で来るのは卑怯です」
「君に怒られるのは分かっていたから、少しでも鎧を纏ってきたのさ」
金の髪に指を差し込み、悪戯が成功した子供の様に青い瞳を輝かせる。
「殿下には怒れませんよ」
「レオンならそうはいかないだろう?」
「……。そのような装いではどこにも行けませんが」
レオハントは分かっていると言って、その青い瞳に銀フレームの色眼鏡をかけた。
金の美しい髪には、手際よく乱れた黒のかつらをかぶる。
ぼさぼさの黒髪に色眼鏡で青い瞳を隠した“レオン”の完成だ。
「準備がよろしいようで」
外出するならば変装しなければならないのに。アランの出鼻をくじくためだけにわざわざ王太子レオハントの姿で訪ねてきた、その手間に呆れた。
「それで? レオン昨日の説明を聞かせてくれないか?」
相手がレオンに切り替わったところでアランは苛立ちを隠さず詰め寄った。
昨日の舞踏会でのレオハントの不可思議な言動。その理由を説明しに来るとは思っていた。
まさか王太子の格好のままとは、嫌がらせかと思った。
「そう急かさないでくれ。連れて行きたい場所があると言っただろう。そこへ行けば昨日の僕の行動の真意が分かるはずだ」
もったいぶるレオハント、もといレオンは、途中商店に寄って大量のお菓子を買った後、目的の場所へと向かった。
アランが連れてこられたのは、ロースリ通りの孤児院だった。
アランがここに来たのはニーベルグの事件以来だ。
初雪に浮かれる子供たちは、レオンの訪問に喜んで集まって来た。それでレオンがその後も孤児院に足を運んでいたことが分かる。
「あ! 軍人のお兄さんと……ブライトン様だ!」
自分を呼ぶ聞き覚えのある声に振り返ると、冬にもかかわらず薄着に日焼けをした少年、ジャンが立っていた。
「やあ、ジャン。元気かい?」
「うん!」
明るい返事に安堵し、一緒にいたアンを探す。
アンは持ってきたお菓子に夢中で、両手いっぱいに持つと仲間と笑顔で走って行った。
こちらも変わりないと安堵する。
あんな事件があった後でも、子供たちの逞しい姿に驚くと同時に、胸を撫で下ろした。
「今日はどうしたの? あ! もしかして、ブライトン様がこの間言ってた人?」
ジャンの問いにレオンが頷く。
「じゃあ“ルディ”はブライトン様の所で働いているんだな?」
「ル……ディ?」
ジャンの口からその名が出てくることに驚き、レオンを振り仰ぐ。しかし彼はこちらを見ずにジャンにそうだと頷いた。
「よかったー! それならきっとルディは幸せに暮らしてるな!」
「……」
聞き間違いではない。ジャンははっきりとルディと言っている。
そしてレオンがアランを紹介したということは、ジャンの指すルディは、自分が良く知るあのメルディなのだろう。
「あれ、ブライトン様何も聞かされてないの? この間軍人さんが、ルディが元気かよく知っている人を連れて来てくれるって、約束してくれたんだけど」
連れて行きたい場所、昨日の真意――。
なるほど。これが、レオンがアランに教えたかったことか。
「……本当は、ルディを知らないのか?」
表情が陰ったジャンに、慌てて笑顔を作った。
「いや、よく知っているよ」
「……ルディ、元気?」
「元気だよ。この間、一緒にピクニックした」
「貴族様とピクニック!? ルディ相変わらずめちゃくちゃだなー!」
笑顔を取り戻したジャンに、アランは訊ねた。
「ジャンはメ……ルディとは仲が良かったのかい?」
「仲がいいっていうか、年が離れてたからルディは俺の世話係だったんだ。でも全然俺の方がしっかりしてたよ。みんなもそう言ってたし。自分ができないからって俺に生意気だって言うんだ。うん、俺生意気だからさ、結構先生から折檻受けたりして。だけど絶対ルディは助けに来てくれた。そうなると一緒に叩かれるんだけど、『見てる方が痛い』って、意味わかんないこと言うんだよ? めちゃくちゃだよなー」
ジャンの思い出の中のルディは、アランだけが知るあの天真爛漫なルディで、心優しく仲間から慕われていたのが伝わる。
「……会いたいかい?」
アランの問いに、ジャンは腕を組んで考えていた。
「う~ん。そりゃ会いたいけどさ、マリー姉さんの事があったから、俺、ルディももうこの世にいないとずっと思ってたんだ。だからさ、ルディが生きててくれて、それだけでもう十分だ」
笑顔で語る素直な想いに、その気持ちは一方通行ではないと伝えたかった。
なんとなく、ルディはもう彼らに会うことも、孤児院を訪ねることもないと思ったから。
「……本を、大事に持っていた。マリアを探してほしいと、ルディが私にお願いしたんだ」
「! そっか……。ルディ、昔っから本が好きでさ。マリー姉さんからよく借りてて……。俺達のこと、忘れてなかったんだな……」
俯いたジャンが涙を隠しているのは一目瞭然だった。小さな紳士の矜持を守るため、アラン達は気付かぬ振りをして「さあ、皆とお菓子を食べよう」と歩き出した。
孤児院の子供達と別れ、再び馬車に乗り込んだアランとレオン。
「最初の違和感はこの二通の手紙だった」
馬車に揺られながら、向かいに座るレオンが封書を二枚、アランに差し出した。
それには見覚えがあった。
一枚目は『伯爵令嬢メルディが偽者』だという手紙。
二枚目は『ロースリ通りの孤児院で起きている不明孤児の捜査依頼』の手紙。
どちらも誰の字とも読み取れない角張った字で書かれていた。
「見覚えのある字体だと思い二つを合わせてみると合致した。これを書いた人物は同一人物だ」
「……」
「全てはこの二つの封書から始まった。私はこの封書を受け取り、君にメルディの正体を探るよう依頼した。君はメルディと知り合い、マリアという少女を探すため孤児院にやって来た。全く関係のないはずだった君は、もう一つの封書であるニーベルグの凶行を探っていた僕と協力し、不明孤児の遺体を掘り起こして真相を突き止めた。さらには犯人逮捕までに至った。偶然かと思われた私達の行動。それら全ては偶然ではない。意図的に事件を解決させられた。ルディの策によってね」
「……」
「ルディはこの二つの封書で君と僕をロースリ孤児院に差し向けたんだ」
「……そうだな。恐らくこの手紙を書いたのはルディだろう」
「なんだ。もしかして気付いていた?」
教会で偽者か本物か尋ねたルディは、アランが王太子の命で調べていることを知っていた。
挑戦的に問うたルディの態度で、もしやあの封書はルディ自身が自らを疑うよう仕向けたのではないかと思った。
「ルディは何故か僕達の関係を知っていた。王太子に告発すれば動くのは君で、レオンという男がアランと共に行動していると」
姉のガーデンパーティーで、ルディはレオンを知っている素振りを見せていた。
「わからないことがある。ルディは私に、自分から出自が怪しいと言ったようなものだ。それはなぜだ?」
「自分が偽者だと知られても目的さえ果たせばそれでよかったのではないか?」
「目的……」
「マリアはルディの世話係だった」
アランはこめかみを押さえて考えた。
レオンの言いたいことは頭では理解できるが、どうも腑に落ちない。
ルディの目的がマリアや不明孤児の行方を解決する事ならば、その後のルディの様子には違和感があるのだ。
「私は、事件の解決だけが目的ではないのではと考えている。今でもルディは酷く思い悩み、何かを抱えているように感じるんだ」
「……フレッドが関係しているのかもしれない」
「何?」
「観劇でキース=レントンといざこざを起こしたらしいな。君に『フレッドを殺しただろう』と物騒な事を言ったとか。その時、確かルディも側にいたな」
「……」
アランがきつくレオンを睨むと、彼は視線を落として続けた。
「舞踏会の夜、ダンスの隙に彼女を揺さぶった。ルディは封書の事も、孤児院で暮らした事も否定しなかったよ」
「……」
「ニーベルグ事件の後、孤児院に顔を出したらジャンに遺体の中にルディはいなかったかと聞かれた。調べると、確かにルディは十歳ころまでロースリ孤児院で暮らしていた。その記録も残っている。つまり、メルディは偽者だった。孤児ルディが成りすましていたんだ」
アランは両手を膝の上で組み、俯いた。
「それなら本物のメルディは死んだメルの方だと?」
「その可能性は高いし、そうなると本当にメルが病死したのかも疑わしい」
アランは拳を握って怒りを抑え込んだ。
レオンは暗に、メルの死にもルディが関わっていると疑っているのだ。そしてフレッドの死にさえも――。
アランは深く息を吐きだした。
悔しくても感情的になってはいけない。レオンの疑いを跳ね返せる材料が無いのも事実だった。
「指輪はどう説明する?」
指輪はずっとルディが身につけたけていた。それは神父の証言で明らかになっている。
「僕からしたら、神父も怪しそうだけどね」
「私にはルディも神父も人を騙すような人には思えない」
「そんなもの、いくらでも演技できるさ。二人で伯爵家を乗っ取ろうとした可能性もある」
「いいかげんにしろレオン! 全ては推測の域を出ない」
「分かっている。だが君も情で盲目になってはいないか?」
「!」
「真実が明らかになる上で覚悟だけはしておいた方がいい」
「……」
苦言を呈したつもりが逆に窘められる。
すでにルディには情がある。もしもルディと何ら関り無く事件を知ったならば、レオン同様確実に疑っただろう。
だがアランとルディは知り合い、友達になって彼女の揺れ動く感情を目にした。
決して盲目になっているからではなく、自分の直感が、彼女が悪い人ではないと訴えているのだ。
「私はルディを信じている。信じているからこそ真実を知り、彼女の力になりたい」
決意のように言葉にすると、「恋は盲目だな」とレオンは呆れて肩を竦めた。
「まあ、いいんじゃないか? どちらも疑うだけではそれこそ偏った見方になる」
「ああ」
「では次にロックベル夫妻を訪ねよう。親である彼らがメルディの正体を知っていたかどうか、確かめなければ……。偽者と分かっていてルディをそのまま伯爵家に置いておくわけにはいかないだろう?」
「……」
もし、ルディが伯爵家を追い出されるようなことになれば……。その時は、父に頼み込んでブライトン家で世話をしよう。もしくは、アランが家を買ってルディが安全に暮らせる環境を整えてあげよう。
二人はロックベルの屋敷へと向かった。
アランとレオンはロックベル家の玄関ベルを鳴らした。
突然の訪問に、対応に出た執事は戸惑った表情をみせた。
「先程、お父様のブライトン侯爵が訪問されましたが、お会いになりませんでしたか?」
父が朝から出かけていた先は、ロックベル家だったらしい。父とは行き違いになったようだ。
「あら、ブライトン侯爵?」
そこへロックベル夫人が階段から姿を現し、執事は更に慌てた。
「お母様、お一人でお部屋から出ては駄目よ……アラン様?」
母親を追いかけ階段を降りてきたメルディが、驚いた顔をした。次にレオンを見ると明らかに不快な顔を浮かべる。
「突然お邪魔してすみません」
「はじめましてロックベル夫人、私はーー」
「あら、ええ。とても気分がいいわね。これからメルディとリンザンパークで花摘みをしに行くところなの。お花も満開でしょうから。あなたはまたお義父様に御用?」
外は天気がいいと言っても雪が積もっており、前ロックベル伯爵も他界している。
夫人の言動を見たレオンがどういうことかとアランに視線を動かした。
メルディの腕の中でにこにこと微笑む夫人に「本日もイヴァン様に用があるのです」と話を合わせた。
勘のいいレオンは夫人の異変に気付いたのか、言葉を失っていた。
「伯爵はご在宅ですか?」
「父は自室で休んでおります。直ぐに呼んできて」
メルディの命に執事は頭を下げて耳打ちした。
「旦那様は先程お出かけになられました」
伯爵は不在だった。こちらが突然伺ったのだから仕方ないだろう。
夫人もこの通りだし、仕切り直しだとレオンに目配せして、帰りの挨拶をしようとした。
「お父様はどこへ? 今日は用事はなかったはずでしょう?」
「ああ、メルディ?」
夫人から離れ、メルディは階段を降りて執事に詰め寄った。階段の上からは手摺に寄りかかった夫人が不安そうにしている。
「今朝ご連絡をいただきまして、なんでもクライシス様と共に猟へお出かけになると――」
「ラオネルと猟へ? こんな雪の日に?」
「メルディ、どうかしたの?」
瞳を左右に揺らし、焦った顔をするメルディが心配で、アランは声をかけた。
「……私、ちょっと出かけてきます」
メルディはドレスの裾を掴んでアランとレオンの間を通り過ぎ、外へと駆け出した。
「いやぁメルディ! 行かないで!」
夫人が追いかけようとするのを執事が止める。
外からはメルディが乗ったであろう馬車の音がし、アランもその後を慌てて追いかけた。
「わたくしも連れて行って!」
「奥様! いけません!」
アランが乗った馬車のドアに夫人の手がかかる。
「ルディを、あの子を一人で行かせないで!」
「ルディだと!?」
メルディを『ルディ』と呼ぶ夫人に、後方のレオンが驚いた顔で立ちつくしていた。
「アラン様、わたくしも共に。どうかルディを追って――」
自分の名とルディの名をはっきりと呼ぶロックベル夫人。その目は、真っすぐと意思が宿っていた。
「……わかりました」
「アラン!?」
事情が呑み込めないレオンを置き去りにして、アランとロックベル夫人を乗せた馬車は轍に残る跡を追った。
***
「キース!」
「メルディ?」
メルディがやって来たのは、レントンの邸宅。
そこへ丁度外出から帰ってきたキースを見つけ、馬車から降りて門前で詰め寄った。
「父親はどこ!? あれほど目を離さないでって言ったのに――」
驚くキース背後から、きらりと光る黒塗りが見えた。
それが何なのか、確認するよりも声を出すよりも、先に体が動いていた。
***
「!」
銃声!?
耳をつんざくような重い音は、一発の銃声だ。
「急げ!」
銃声を耳にしたアランは、拳を握って御者を急かした。
「ルディ?」
窓の外を不安げに見ていた夫人の声に、アランも窓に手をついてその上から外の様子を眺めた。馬車が追い付いた先、窓の外から目に入ったもの。
一面真っ白な雪の中で、赤く染まった円の上で、横たわるメルディ。
「ーーっルディ!!」
馬車が停車するのも待たずに、アランは扉を開けて飛び降りた。手をついて起き上がると、すぐにメルディに駆け寄った。
「ルディ、ルディ……!」
体を起こすとメルディは、顔を歪めて苦痛に耐える声を発した。
「いや、ルディ、だめよ!」
這いずりながら夫人が駆け寄り、うっすらとメルディが目を開けた。
「だい……じょうぶ」
意識と息があることに、アランの止まっていた心臓が動き出した。同時に、今度は早鐘を打って呼吸を乱す。
傷口を確認した。撃たれたのは左の腕、弾は貫通していたが、出血が酷く止血する。
傷口を抑えるとメルディは苦痛の声を漏らした。
アランは側で座り込むキースに向けて怒鳴った。
「何があった!」
キースは首を左右に振り、腰を抜かしていた。
「分からない……。俺、何で俺が……」
「犯人は!?」
それにもキースは首を左右に大きく振る。
「メルディが、俺を庇ったんだ――」
込み上げる怒りを何とか堪えて周囲を見回す。
メルディを撃った犯人は見当たらない。銃声を聞き、レントン家の人々が集まり始めていた。
「君たちは先に屋敷に戻ってレオンに事情を話してくれ! キース、指示があるまでこの事は口外するな!」
アランはメルディを自分のコートで隠すと、彼女を乗せてきた御者に指示を出し、横抱きに抱えて自分の馬車に乗りこんだ。
おそらく犯人は去った後だろう。
あの場で助けを求めるより、より安全な伯爵家に連れ帰った方がいいと判断した。
がらがらと、馬車の走る音と夫人のすすり泣く声がする。
ハンカチに吸い込み切れなくなったメルディの血が、アランのシャツまで染めはじめた。
天候で足場の悪い道を走らせ、屋敷まではまだかと焦りながら、ずっと眉間に皺を寄せて傷口を睨んでいた。
「ひどい、顔……」
ルディは荒い息でアランに寄りかかりながら言葉を溢した。
「ちょっと、当たっ……だけだから、心配しな……で」
「そんなわけないだろう!」
強がるメルディが余計にも痛々しくて、ついつい声を荒げてしまう。
こんなに余裕のない最悪な自分ははじめてだ。
荒い息のメルディの顔からは血の気がどんどん失せていく。
「絶対、大丈夫だ。絶対、助ける!」
「フフ……大げさ、です」
努めて明るく振舞うメルディに泣きたくなる。
メルディは時おりアランの胸に顔を埋めた。
馬車の揺れで傷が痛むのだろう。痛みに耐えるようアランの手を強く掴み、アランもメルディを抱く腕に力が籠った。
アランが屋敷へ到着すると、先に連絡を受けていたレオンと執事が待ち構えていた。
「誰か夫人に付いていてくれ!」
後方に声をかけ、馬車から崩れる様に降りた夫人を使用人が支えた。
執事はメルディを抱えるアランを部屋まで案内した。その隣にレオンが早足で付いてくる。
「城から医者を呼んだ。直ぐに来るだろう。それとレントン邸には警備隊を行かせた。とりあえずかん口令をしいておく」
レオンの采配に頷き、メルディを腕に抱いて用意された部屋へと入る。
ベッドにメルディをゆっくり降ろす。もうメルディは目を開けていなかった。荒い息と額からは大量の汗が吹き出し、アランは祈るように銃弾を受けた傷とは反対の手を握った。
「お医者様が到着しました!」
執事の声にアランは顔を上げる。立ち上がり、メルディを見下ろして名残惜しそうにその手を離した。
やって来た医師に状況を説明し、アランは入れ替わるように部屋を出た。
乱れたシャツと手にはメルディの血がべっとりと付いていて、それが彼女の失った血の量かと思うとぞっとする。
玄関の方が騒々しく、廊下の先に顔を向けた。
「メルディが撃たれたというのは本当か!」
ロックベル伯爵が慌てて外出先から戻って来たようだ。
「腕を撃たれましたが弾は貫通しています。今医師が処置を施しています」
アランの言葉に顔を向けたロックベル伯爵は、シャツを染めるおびただしい血の痕を目にし、青い顔でメルディの元へ駆けて行った。
その直後、再び勢いよく開けられた扉から顔を出した男と目が合う。
ラオネル=クライシスは血の気が引いた死神のような顔でアランを見ていた。
そしてこちらにやって来ると、アランの肩にぶつかりながら伯爵の後を追おうとした。
「待て!」
その腕を掴んで止めた。
「メルディは処置中だぞ!」
「だから何だ。放せ」
漆黒の黒い瞳には殺気と怒りが炎の様に立ち揺らめいている。
ラオネルはアランの手を力ずくで振りほどくと、制止も聞かずにそのまま部屋へと入ってしまった。
「――っ」
思わず壁を拳で殴ってしまう。
「アラン」
「……」
レオンが側までやって来るが、事情を話す気にはなれず、額を手で押さえてため息を付いた。
自分がこんなにも感情のコントロールがうまくできずにいることに酷く参っていた。
「キースが君を訪ねて来た」
さらにアランの心を揺さぶる人物の登場である。
「通すか?」
「……いや、私が行く」
どうやっても冷静になれる気がしない。
せめて伯爵家に迷惑がかからないよう、アランはできるだけ血の痕を落とし、シャツを替えて外へと出た。




