初雪
馬車の音でメルディが目覚めると、暖炉には火がたかれていた。
薄暗い部屋の中、ガウンを羽織り裸足でカーテンを開け、外の様子を窺う。
「……雪」
眩しい太陽の光を求めて開けた窓からは、淀んだ天気で薄暗さは変わらなかった。
中庭をうっすらと白く染めては消えを繰り返す初雪を眺めていた。
しんしんと降り積もる雪。
侍女が起きた主人の世話をしにやって来ても、窓の側から動かなかった。
侍女は他のカーテンも手際よく開けていき、メルディを心配しながら一言二言言葉をかけて退出していった。
ああ、もうそんな時期かとぼんやり雪を眺める。
メルが亡くなって二度目の冬が来た。
あの日、まさか自分が伯爵家で過ごすことになろうとは、夢にも思わなかった。
扉がノックされ、返事はしていないのだが誰かが入って来た。
メルディの世話を諦めた侍女ではなく、父であるイヴァン=ロックベル伯爵だった。
「……風邪を引く」
娘のだらしない恰好を諫めたいくせに、すんでのところで心配を装ったのはメルディの様子がいつもと違っていたからかもしれない。
「今朝アジルが来た」
父は相変わらず窓の外を眺めるだけの娘の側にやって来ると、隣で同じように降り続ける雪を眺めて話し出した。
どうやらメルディを目覚めさせた馬車の音は、ブライトン侯爵の訪問だったらしい。
「お前達が許嫁であった件だ。祖父同士の戯言ではなく、正式にお前と息子の婚約を結びたいと、そう申し出があった」
「……」
「いずれはそういう話が来るだろうとは思っていたが、昨日の殿下との一件で事を速めたのだろう」
「……」
父は尚も返事をしないメルディに訝しんでこちらを振り返った。
「メルディ?」
「……私は、いつかはここを出ていく身ですから……」
「ここはお前の家で、お前は私の娘だ」
父のはっきりとした声に顔を上げる。怒気を含んだ目と目が合い、そこで初めてメルディは焦点が合った。
ああ、初雪が降ったから。悔恨に誘われてしまったようだ。
慌てて「ごめんなさい」と謝る。
「昨日の事で、動揺しているみたい」
「たしかに、昨日の殿下の行動には驚かされたな」
「ええ」
国内の女性には一定の距離を取っておられる王太子が、堂々とメルディをダンスに誘った。
一度ならず、二曲続けたことで殿下の真意を勘違いしたゲストは多い。
「噂はもう広まっている。真意を尋ねるために早速上位の貴族からお前にお誘いが来ている。ここでブライトン家と婚約を結んでおいた方がお前への負担もいくらかは減るのではないかと思うのだが……。結婚は後ででも覆せる」
「その気がないのにアラン様を利用するなんて出来ません」
言葉にした後でメルディはふっと歪んだ笑みを浮かべた。
散々アランを利用しといて、どの口が言っているのか。
確かに王太子と侯爵嫡男では侯爵家の方がまだ反感と風当たりは少ない方だろう。
いずれにしても伯爵家の、礼儀作法も忘れた下町育ちの自分に務まるとも思えないが。
「殿下の一件はまだ誤魔化しがききましょう。しかし婚約となると簡単には覆せません。風当たりが強まるのでしたら、私は噂が落ち着くまで体調が悪いと言って屋敷に籠ることにします」
運よく社交シーズンは終わっている。
「しかし、お前の気持ちは……」
「私の気持ちなど、お父様の思う通りにしていただいて構いませんよ。私はあなたの娘で、貴族とはそういうものでしょう? ただアラン様とだけは……。どうかお考え直し下さい。それ以外の方と、婿に貰うでも嫁ぐでも言う通りに従いますから」
娘の投げやりともとらえかねない言葉に父は気分を悪くしたのか、それ以上は言わず部屋を後にした。
父が出ていく姿を見送って、もう一度窓の外に視線を向ける。
「嫁ぐなんて嘘ばっかり……」
自分の嘘に笑ってしまう。
ここへ来てから、嘘ばかりがうまくなった。
「不思議ね……雪が降っているのに暖かいわ、メル」
雪はどんどんと強さを増し、庭に積もりだした。
もうすぐ終わる。
全てが終わったら、その時は全てをあなたに返すから――。




