初めての外出
アランは正装を纏い、ロックベル家の玄関ベルを鳴らした。
伯爵と挨拶を交わし、執事に呼ばれて登場したメルディ。そのあまりの美しさに息を呑んだ。
髪を後ろに一まとめにし、肩から大きく開いた胸元には真珠のアクセサリー。淡いワインレッドの光沢のあるドレスは、今までのような清楚なイメージとは打って変わって魅惑的だ。
毛皮のコートを羽織り、準備が整うとその手を取って馬車へとエスコートする。
手袋越しでも分かる彼女の体温に緊張した。
「……すみません。あまりの美しさに言葉を失いました。あなたの隣に立てて光栄です」
咄嗟に気の利いた言葉が出ないほど、胸がいっぱいでメルディが輝いて見えた。
彼女は気恥ずかしいのか窓の方をみながら小さな声でお礼を言った。
もしかしたら、メルディも緊張しているのかもしれない。
二人きりだというのにあのいつもの天真爛漫さはなかった。それとも前回の事で気まずいのか。
アランも屋敷に到着するまでは、一体どんな顔で会えばと悩んだ。
ところが、彼女を前にするとそんな不安は吹き飛んで、素直に会えてうれしいと、今日を楽しもうと心から思えた。
「あ」
横を向いたメルディの髪には、先日アランが送ったアマリアの花を模した髪飾りが付けられていた。
以前夜会で髪飾りを粉々にされたのを見て、特別に作って用意した。
「よかった……。とても似合っています」
ほっと胸を撫で下ろしそう告げる。受け取ってもらえたこと以上にメルディが自分と出かける時に付けてくれた気持ちがなによりもうれしかった。
「素敵な贈り物をありがとうございます……アラン様?」
アランは顔を腕で隠していた。
さきほどから自分でも信じられないほど、心が躍っていた。
「すみません……。嬉しくて。今日も、とても楽しみにしていたのです。本当です」
情けなくも顔に熱を持っていることが自分でも分かる。
そんなアランを見てメルディも頬をうっすら染めて俯いてしまった。
違った意味で気まずい馬車の中は、会話もなく揺られること数分で会場へと到着した。
アランは咳払いをし、気持ちを切り替えて手を差し出した。
メルディも返事をするように微笑んで手を取った。
ホールの中に入っていくと、不躾な視線を感じたが、気にせず個室へと続く階段に足をかけた。
今日は捜査のことは忘れて、メルディを楽しませよう。そう心に決めた瞬間、その願いは無残にも泡となって消えてしまった。
「お客様! ここからはプライベートルームですので困ります!」
階段を中程まで進んだところで、階下が騒がしく足を止めた。
見ると男が会場のスタッフに両脇を抱えられ、止められていた。
その男には見覚えがあった。
「キース?」
キースは酒に酔っているのか、胡乱な目でこちらを睨み上げると大声で叫んだ。
「お前のせいで何もかも失ったよ! これで気が済んだか!?」
「何を……」
訳が分からない。キースはアランの方を睨みながら、床に押さえつけられても尚言葉にならない絶叫で抵抗していた。
騒ぎに他の客達も集まってきて、アランは焦った。
「キース……いったいどうしたんだ」
とにかくメルディを守ろうと彼女の前に立ち、上に行こうと促す。
「お前の思い通りさ! だがあいつが何をした!?」
キースは尚もアランに向けて叫んでいた。
「フレッドを殺したな」
その視線は、アランがその背に守る、メルディに向けられていた。
「お前がフレッドを殺したんだ!」
「いいかげんにしろ!」
アランの怒声にキースは怯み、その瞬間に完全に取り押さえられて外へと引きずり出された。
アランは聴衆から守るようにメルディの肩を抱いて、急いでプライベートルームに引き込んだ。
「……」
二人きりの静かな個室に、アランの荒い息だけが響く。
メルディはアランの胸の中で守られるように俯いていた。
扉の外はまだ騒がしく、アランが動向に注意を傾けた時だった。
アランの手に振動が伝わる。メルディの肩が小刻みに震えていた。
「メルディ……?」
怯えているのかと心配し、顔を傾ける。彼女は、泣いていた。アランの上着を握りしめ、声を殺して泣いていた。
アランは訳も分からずシャツから伝わる涙に胸が締め付けられた。
何を――、彼女は一体何を抱えているのだろう。
階下では上演が始まるベルが会場に鳴り響く。
盛大な拍手。旬の女優の歌声に合わさるコミカルなハーモニー。本来はメルディと二人、笑いながら見るはずだった劇を、彼女は自分の胸の中でずっと泣いていた。
アランは壁に背を付け、その震える肩に手を添えて天井を仰いだ。
翌日、アランは父の執務室に呼び出されていた。
観劇での騒動が早々に噂になるのが社交界というもの。
「申し訳ありません」
キースの物騒な言動は瞬く間に広まり、父の耳にも入ったことだろう。アランに非はなくとも騒動をうまく収集できずに帰ってしまった事を謝罪する。
「どういうことだ」
説明を求める父にアランが答える。
「キースはおそらく勘違いしたのかと。ニーベルグの事件は私が殿下からの命で調べていました。フレッドに父親の凶行を説明し、協力を仰いだのも私です。キースはフレッドの友人でした。フレッドの自殺に疑念を抱いているようで、事件に関係した私に絡んできたのです」
「……お前にいわれのない濡れ衣を着せたのか?」
「はい。ですが――」
「では我がブライトン家はレントンと断絶する旨を公表しよう」
「父上、キースは酒に酔っていて正常ではありませんでした。それに彼は友人を亡くし、家の問題も抱えていました」
「レントンを守って我が侯爵家への侮辱を見過ごすのか?」
「……」
「それとも奴らを断罪する後ろめたさがお前にあるのか?」
「……あります。彼もまた私の友人ですから。勿論周囲への誤解は解くつもりですが、キースはブライトン家に恥をかかせたのです。レントン家の風当たりの強さは私達が手を下さなくとも勝手に強まるでしょう。それに、静観して逆に相手にしない方が、我が家の格と正当性を印象付けるのでは?」
「……お前は甘いな」
父は呆れていたが、それでもアランの意見を受け入れてくれた。
そしてもう一つの問題を持ち出した。もしかするとこちらを本題にしたいがために、キースの件は目を瞑ってくれたのかもしれない。
「メルディ嬢の件だが、あの騒ぎでお前達二人の関係を勘繰る者が増えた。いつまでも曖昧にするわけにもいくまい。早々に気持ちを固めておけ」
「……はい」
アランの返事に気を良くした父は、退出するよう背を向けた。
アランは礼をして部屋を後にした。




