教会での暮らし
翌日、アランは前に教会でメルディと話していた神父を訪ねた。
昨日の、一度浮かんだ疑念を無かったことにすることは出来なかった。
それに、元々はメルディの素性を調べるのがアランの仕事である。神父から話を聞くのは、遅かれ早かれ必要だった。
教会は王都ではなく、馬車で三十分ほど走らせた隣街にあった。
神父はアランの顔を覚えてくれていて、挨拶を交わすと人気のない聖堂の椅子に並んで座った。
「こんなところで申し訳ございません」
謝る神父に気にしていないと微笑む。
「突然伺ったのは私の方ですから」
教会は老朽化で改修箇所がいくつかあるらしく、今はミサを休止しているらしい。
前にブライトン家の縁の教会にやって来たのは、そういう理由があるようだ。
修繕は、ロックベル伯爵が世話になったお礼にと、費用を負担してくれたらしい。
神父は何かと気にかけ支援してくれるメルディと伯爵に、大変感謝していた。
「教会には暮らしに困った迷える子羊たちがたくさん訪れます。老い先短い私の様な者はよくとも、これから教会に長く暮らす子供達にとっては、伯爵の支援の申し入れはありがたかったです」
「そうですね。メルディもここで暮らしていたのですか?」
アランは教会をざっと見回した。
そこには十人ほどの孤児がいて、彼らは一定の年になるとそのまま聖職に付く者、新たに仕事を探して自立する者がいるという。
近くに孤児院もあるのだが、受け入れ人数が決まっており、圧倒的に孤児が上回っている現状、路上生活を強いられる子供も多く、教会はそんな子供達の避難場所として開放されていた。
「ルディは路上孤児でした」
「ルディ……」
そういえば、以前も神父はメルディの事をルディと呼んでいた。
聞くとメルディは、下町で暮らしていた頃はルディと名乗っていたという。
「あの、以前、教会でメルディのことメルと呼びましたよね。その後、ルディと言い換えていた」
「ああ、そうですね。ルディの本名がメルディだと聞いた時は驚きました。というのも、ル……メルディ様は、メルというもう一人の娘と共に路上で暮らしていたのです」
「〝メル〟と、〝ルディ〟!?」
神父が驚くのも納得だ。
メルディの名前を二つに分けたような名前。それを二人の少女がそれぞれ名乗っていた。
「何度か教会で暮らさないかと、二人には声をかけたのですが、断られていました」
確認すると、路上孤児のメルとルディと出会った時期は、メルディ失踪事件と時期が近かった。
「もしや、メルとルディは容姿も似ていたのでは?」
メルに興味を示すアランに、神父は警戒を強めた。
何故そんなことを聞くのか、神父はアランを疑っていた。
「ルディは事件に巻き込まれる以前、私の許嫁だったのです。彼女は過去をあまり話したがらないもので。孤児としての辛かった暮らしも、許嫁として私は詳しく知りたいと思いました。ですから、彼女がお世話になった者が他にもいるならば、教えていただきたいのです」
メルディに後ろめたさを感じつつ、ここは許嫁を強調して神父の不審を拭うことにする。
神父は納得したようで、そのまま話を聞かせてくれた。
メルとルディは、いつも一緒で仲が良く、容姿が似ていて本当の姉妹のようだったという。
金の髪に紫の瞳、目鼻立ちや背格好まで、聞くと赤の他人だというが、本物の双子の様によく似ていた。
二人は教会で暮すことなく、野花を摘んでブーケを作り、それを売って暮らしていた。
教会裏の屋根のある場所で、寄り添っていたところを神父が声をかけた。
教会で暮らしてはという神父の厚意を、二人は頑なに断り続けたという。
『それでも教会の扉はいつだって君達に向けて開かれている。困ったことがあったなら私達を頼りなさい』
神父はそう二人に何度も語りかけ、その甲斐あってか困ったときは教会を訪ねるようになった。
食べるものがない時は食事を分け与え、穴だらけの靴や服を修繕し、教会を頼ってくれたという。
そんな暮らしから二年――。
「ルディが教会で暮らすようになったのは、メルが流行り病で倒れてからです」
「流行り病……」
「さすがに路上で病人を寝かせるわけにもいきませんからね。我々を頼ってくれたことは素直にうれしかったです。直ぐにメルを医者に見せましたが、町医者では限界もあり、メルはどんどん衰弱していきました」
その時のルディは、見るにも耐えないほど痛々しかったという。
姉妹の様に生活していた仲間の命が、刻々と削られていく現実を目の当たりにして、ルディも憔悴していった。
このままではルディも倒れてしまうのではないか、そう神父は心配したという。
「ある日ルディが、メルを助けられるかもしれないと教会を出ていきました。しかしその直後、メルの容態は急変し、そのまま天に召されてしまったのです」
メルが流行り病で亡くなった後だという事実に、アランは言葉を失ってしまう。
前にメルディが言っていた、アマリアの花が好きだと言った友人。それはメルのことだったのかもしれない。
身分の違いで離れ離れになった友人がいたのではなく、友人がこの世を去っていたのだ。
「戻ってきたルディは大変取り乱し、泣き叫んでいました」
『人で逝かせてしまった! ごめんメル……! 間に合わなかった!』
メルディの悲痛な叫びに、アランも胸が苦しくなった。
「間に合わないとは?」
「……後から分かったことですが、ルディはご実家であるロックベル伯爵家に救いを求めに行ったのです。その手に指輪を携え、友達を救ってほしいと――」
「!」
それは、メルディが記憶を取り戻していたという証拠。
王太子からは伯爵家に縁のある者がメルディを見つけたと聞いたが、真実はそうではなかった。
メルディは一体どこで記憶を取り戻したのだろう。
もしくは最初から記憶があったのか?
いずれにしても、何故彼女は直ぐにでも伯爵家に戻ろうとしなかっのか、不思議だった。
「メルが亡くなってから、ルディは忽然と姿を消しました。心配していた矢先、ルディが令嬢の姿でロックベル伯爵と共に教会を訪ねてきたのです」
『娘メルディは四年前に誘拐され、行方が分からなくなっていた。やっと私達の元に戻って来た。これも神の思し召しだろう。娘を救っていただき感謝する』
「まさかルディが、あの有名な『メルディ事変』の少女だとは夢にも思いませんでした」
神父は当時の驚きを表現しながらそう語った。
メルディの悲しい過去を聞き終え、アランは確認せずにはいられなかった。
「神父様は伯爵家の指輪を、その時初めて見たのですか?」
ロックベルの紋章の入った指輪。これを持っていた事がメルディである証拠の一つとされた。
容姿の似たメルとルディ。
そんなに似た二人ならば、メルディが本当はメルの方で、死んだメルに代わってルディが指輪を持って伯爵家に忍び込んだ可能性もあるのではないか。
「そう、もっと早く気付くべきでした。ルディはいつも、意匠の凝らした指輪を嵌めていましたから。今思えばあれが伯爵家の指輪だったのですね」
「ルディの方が、指輪をずっとつけていたのですね!? 間違いないですね!?」
「え、ええ。出会った当初から、指輪はルディの物でした。肌身離さずつけていましたよ」
はっきりとルディが指輪の持ち主だと断言してくれた神父。
アランはホッと胸を撫で下ろした。
伯爵も、ルディがメルディであると神父に告げにやって来たのだ。
「髪の色も、瞳の色も、容姿まで似ていたのなら、周囲もよく間違えてもおかしくなかったでしょう」
それでも、万が一のことを考えて念を押す。
どこかで入れ替わっていた可能性はないか。神父が何か違和感を覚えるようなことはなかったか。
「ミサで呼び間違えたことを言っているのですね。あの時はルディの横顔しか見えなかったもので。それにルディはずっと髪を短くしていましたし、メルは長い髪だったのです。正面から見たならば、見間違うはずはなかったのですが……」
「? それはどういう意味ですか?」
神父は少し言いづらそうに、苦しげな表情でその理由を明かした。
アランはメルの墓地にやって来た。
話を聞き終えた神父に、最後にこの場所を教えてもらい、その足で墓地に立ち寄ったのだ。
遮るもののない丘には、風が渦を巻いて吹きすさび、アランの整えられた紺の髪をいたずらに崩してしまう。
「……」
アランは風になびかれながら、メルの墓に花を添えた。
教会の裏を登った小高い丘の上にある墓地は、王都が視界で見渡せた。街の喧騒から離れて実に静かで、ゆっくりと眠れそうだ。
アランはメルという少女の、安らかな眠りを祈り黙祷した。
祈りながら、先程の神父の話を思い出す。
『実は亡くなったメルの顔の左半分には、大きな火傷の跡がありました。孤児が虐待を受けているのは、悲しい話ですがよくあることです。先程二人が中々教会で暮らしてくれなかったと言いましたが、メルの方が頑なに嫌がりましてね……。恐らくメルは、虐待を受けていた可能性がありました。男性を特に怖がり、ずっとルディにくっついていましたから……』
神父は亡きメルに祈りを捧げ、空中で印を結んだ。
『ルディは今でも、月命日になるとメルのお墓に花を供えに来ているようです。ご両親に出会えたことで、彼女の寂しさが少しでも和らげばと、願わずにはいられません』
顔半分に火傷があり、虐待を受けていたメル。
伯爵家メルディには火傷の痕はない。
そして指輪をずっと所持していた、メルディことルディ。彼女をメルディと認めているロックベル伯爵夫妻。
この件は、何も疑う事はない。やはりルディはメルディで本物だった。
そう結論を出し、胸を撫で下ろした。
「許嫁様は、一体何をコソコソと探っているのでしょうね」
「!?」
突然背後からかけられた声に、驚き振り返る。そこには紺色のワンピースにアマリアの花を携えた、メルディが一人立っていた。
「……」
あまりの衝撃に咄嗟の言い訳も思いつかず、アランは気まずい顔で動けずに固まってしまった。
メルディはそんなアランの横を何食わぬ顔で通り過ぎ、墓石の前でしゃがむと、アランの置いただけの花と共に手際よく飾り立てた。
「マリアの墓参りに行って本を返してきました。その帰りにメルに会いに来たのです。……メルは、一面に咲く野花が好きでした。こうやって飾り立ててあげた方が喜ぶんです」
「……」
やはり前に言っていた、アマリアの花が好きだと言った友人が、今は亡きメルのことだったのだろう。
メルディは祈りを捧げ、アランは気まずくもその姿を見下ろし、終わるのを待った。
「……ふふ、逃げないんですね」
メルディは祈りを捧げた格好のまま、後ろにいるアランに声をかけた。
「勝手にあなたの過去を暴きました。すみません」
「正直に言って、不愉快です」
「……」
「でも、メルに会いに来てくれたので許します」
立ち上がると振り返り、申し訳ない表情のアランににこりと微笑みかけた。
「メルは私の家族です。彼女の死は、私をどん底に突き落としました。ですが、メルとの思い出と、両親との再会でやっと立ち直ることが出来たのです」
「あなたがメルを大事にしていたことは分かりました。その思い出を、勝手に聞き出してしまったのは、亡きメルにも、あなたにも、大変礼を欠く行為でした」
「……だからこそ、メルに謝りに来たのでしょう?」
「……」
「損な役回りですね、人が良すぎて向いていないのでは? アラン様」
「え?」
メルディの背後の、夕闇に染まりかけた赤が彼女を照らし、一陣の風が無造作に流した長い髪を巻き上げた。
「それで、私は本物ですか? 偽者ですか?」
金の髪を赤く染め、メルディは魅惑的に微笑んでアランに問うた。
「きちんと見極めてくださいね」
すれ違いざまに、メルディが肩越しにそう囁く。
振り返っても、彼女は立ち止まることも振り返ることもしなかった。
アランだけを残して、彼女は一人、去って行った。




