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時止まりの令嬢と女嫌い侯爵  作者: 千山芽佳


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10/33

喧嘩と嫉妬

 

 馬車に揺られながら、アランは窓から外を眺めた。

 季節は秋へと移り変わり、車輪が落ち葉を踏みつける軽快な音がする。

 社交シーズンも終わりが近づいていた。

 女性が苦手なアランは、今年もなんとか乗り切ることができたと胸を撫で下ろす。

 シーズンも終われば領地に戻る貴族もいる。近年は王都の方が住みやすいと、そのまま留まる者が多い中、アランは王太子の頼みもあって王都にとどまっている。

 両親は毎年領地に戻るが、今年は姉が四人同時に懐妊中なことから、王都に残るそうだ。

 アランは昼用の正装を身に纏い、両親と共に馬車に揺られていた。

 家族でルルリエの嫁ぎ先である、リベロン伯爵家で催されるガーデンパーティーに招待された。

 アランは窓の外を眺め、向かいの父の様子を窺った。

 父もアランと同じように、窓の外ばかり眺め、時折母の様子を窺っていた。

 馬車の中はとても空気が悪かった。

 元凶である母へと視線を移す。普段は皺が増えただの口角をあげると弛みが減るから笑顔がいいと騒いでいるのに、今は眉間に深い皺を刻み、口を真一文字に引き結んで目を瞑っていた。腕を組む姿は母の怒りが伝わってくるようだ。

 どうやら、出発の直前に母の機嫌を損ねたらしい父。終始無言の両親に、業を煮やしたアランが声をかけた。


「あの、何があったのかは分かりませんが、お二人がそのような態度では姉さんが心配なさいますよ」


 不憫な父に助け舟を出す。

 今年最後の家族が集まる社交場とあって、女性が苦手なアランも参加したのだ。

 母は妊婦に余計な心配をかけるのもどうかと思ったのか、やっと腕を解きため息を溢した。それを見て父が先に謝った。


「さっきは言い過ぎた」

「いいえ。きちんと確認しなかった私も悪かったわ」


 仲直りした両親に、やっと息が吸えると胸を撫で下ろした。


「それで、何があったのですか?」

「カカから連絡をもらったの。どうもレントンの商品の中に偽物があるらしいと」

「レントンが偽物を扱っている? まさか」


 レントン商会といえば、貴族御用達の商人で、今度の叙勲では爵位を賜るのではと専らの噂だ。

 信用第一の商人が、大事な時期に、貴族相手に偽物を売りつけるとは考えにくい。


「私もまさかと思いながら鑑定に出したのよ。だってあのカカが実際見たと言うんですもの。そうしたら――」


 そこで大きくため息を溢して項垂れた。

 レントン商会から買ったいくつかの宝石に偽物があったという。

 憔悴する母に、追い打ちをかける様に父が責めたことで喧嘩になったという。


「抗議して代金も返金させよう。いずれにしても、レントンの爵位持ちは反故にされるだろう」


 父の見解に、「当たり前よ!」と母は怒りが収まらない様子だった。


 リベロン邸に到着すると、少しは気が晴れたのか、母はにこやかに夫の手を取って娘の元へ向かった。

 リベロン伯の庭園は、貴族の中でも広大で華やかさがあり、毎年アマリアの花が咲く時期になると、鑑賞もかねてパーティーが開かれていた。

 アットホームで招待客はそこかしこで気兼ねなく自由に楽しんでいる。

 アランはそんなパーティーを、最も苦手としていた。

 ガーデンパーティーでは出席者が生花を胸に飾る。その華やかさと香りが一層女性を積極的にさせるのかもしれない。もしくは格式が緩いせいか。どちらにせよ、いつもよりアランに接触する女性が多くなる。


「ああ、こわい……」


 呟くアランに母が冷たい視線を向ける。

 両親は友人達の輪の中に入り、仲間達と話に華を咲かせていた。

 アランも姉夫婦や上位の貴族に挨拶を済ませ、友人達と軽く言葉を交わす。

 その合間に令嬢たちに話しかけられそうな雰囲気を察知すると、逃げた。


「姉さん! 体調はどうですか!?」

「……ええ。大丈夫よ、と先程挨拶を済ませたでしょう」

「あなた、相変わらずねー」


 突然キキとカカの会話に混ざったアランの背後には、声をかけようと様子を伺う令嬢達がいた。


「メルディさんと仲良くしていると噂で聞いているわよ。てっきり女性恐怖症を克服したのかと思っていたのだけど」

「女性恐怖症って……」

「『女嫌い侯爵』よりもしっくりくるでしょう」


 そう……なのだが、そんな新たな二つ名をつけられても困る。


「そういえば、メルディさんも半刻前に到着していたわね」

「! そうですか!」


 招待客リストにはメルディの名もあった。チェック済みだ。

 以前アマリアの花が一番好きだと言っていたので、機会があればアランはメルディと一緒に庭を散策したいと考えていた。

 そわそわと、周囲を見回しメルディの姿を探すアラン。

ところが、カカから「メルディさんには先約のエスコートがいたわよ」と告げられた。


「ロックベル伯爵ではなく? 男性ですか? ちょ、ちょっと失礼しますね!」


 一体何処の誰だ。

 カカとキキは顔を合わせ、駆け出しそうなアランの裾を引っ張って止めた。


「あなたが行ってどうするの。メルディさんの迷惑も考えなさいな」

「迷惑?」

「未婚の女性がエスコートを付けたなら、それは父親であるロックベル伯爵のお許しがあっての事よ?」

「……それは、分かっています」

「分かっていても気になるのね? おもしろいわ。女性から逃げ回ってたあなたが、今では女性を追いかけているんですもの」

「アラン、あなたはその意味を分かっていて?」


 二人の遠回しで試すような問いに、アランは頷いてはっきりと答えた。


「ええ。メルディは怖くないし嫌いじゃないですから」

「……」


 二人の姉は表情が抜け落ちた顔でアランを見て、それから扇で顔を隠すとあっちへ行けと手で追い払った。


「?」


 姉に追い出され、再び一人になったアラン。

 すぐに令嬢と会話を楽しんでいた友人に誘いを受けたが、期待の目でこちらを窺う令嬢を背に丁重に断る。

 会場を駆け回っても大勢の招待客の中にメルディの姿を見つけられなかった。

 再び女性に声を掛けられそうになったので、庭園を散策するふりをして生け垣の中に逃げた。

 この先の開けた場所に、人気のない観賞場所があるのだが……。


「メルディと観たかったな……」


 目の前には一面に広がるアマリアの花。本当ならメルディと一緒に、この満開の花を観賞する予定だった。

 黄色の花びらに薄い赤がかかったあマリアの花を、指でそっと撫でた。メルディの髪の色と同じだ。


『ーーっ、――!』


「?」


 メルディの事を考えていたからか、一瞬彼女の声が生け垣の向こうから聞こえた気がした。

 気になって声のする方へ進んでみる。


「これで気が済んだだろう! 俺達にもう関わらないでくれ!」


 怒鳴り声に驚いていると、前から突如現れた青年と肩がぶつかった。


「ア、アラン……」

「キース?」


 先程の怒声はキースのようだ。

 彼は気まずそうに視線を左右に動かし、挨拶もそこそこに逃げる様にして走り去った。

 キースの会話の相手が気になり、さらに奥へと進んだ。

 庭園の開けた場所にいたのは、アランが先程から探していた人物だった。


「メルーー」


 しかし、彼女は一人ではなかった。

 メルディと向かい合う背の高い男は、彼女の華奢な腕を掴んでいた。背を向けて俯くメルディ。男のもう一方の手が、彼女の髪に触れようと伸びた。


「さわるな」


 思わず、自分でも驚くほど低い声が出た。

 こちらに気付いたメルディが目を丸くする。その視線を無視して、彼女の腕を掴んだままの男を睨みつけた。

 男はメルディから手を離さない。気だるげにアランに顔を向けた。

 前髪にかかる長い黒い髪の隙間から見える、黒い瞳に一瞬怯む。

 年はアランよりも上で、全身を覆う黒い服はまるで喪服のようだ。華やかなパーティーには似つかわしくない。

 ラオネル=クライシス子爵。

 アランは尚も離れないラオネルに苛立ち、再度忠告をした。


「あなたがロックベル嬢と特別な間柄でないのなら、その手を離していただきたい」

「……君こそ特別な間柄でないのなら、邪魔をせずに見て見ぬ振りをするべきでは?」


 低く、抑揚のない声で挑発的に微笑むラオネル。アランは怒りを抑え込むように拳を強く握った。


「アラン様、クライシス様には私が庭園で道に迷っていて偶然会っただけです」


 そして足場が悪くよろめいた所を支えてもらったと、メルディが不穏な空気に慌てて説明する。だがアランはそれすらも面白くなかった。


「後はブライトンに案内されるといい。私は失礼する」


 先程の挑発が嘘のように、メルディの腕を離し、長いフロックコートをなびかせてあっさりと会場へ戻っていった。

 どうやら彼はエスコートを頼まれた男性ではないらしい。本当に偶然会っただけなのかもしれない。

 その場に立ち尽くすアランに、メルディが小走りに近づいた。


「アラン様――」

「なぜ一人で行動を? もう少し危機感を持ってください」


 アランの冷たい態度に、メルディは驚いて足を止めた。


「道に迷っただけです。ラオネル様には助けていただいただけです」

「救いを求めた相手が皆紳士とは限らない」


 現にラオネルはメルディの腕を掴み、髪に触れようとしていた。


「……何に怒っていらっしゃるのか分かりません」


 怒っている?

 たしかにアランは怒っていた。

 何に?

 ラオネルが不躾にメルディに触れたことに怒っているし、メルディが彼を庇ったことにも怒っている。メルディが危機感を持っていないことにも、自分が堂々とメルディを守れる言い訳がないことにも。怒りと、憤りに自身の気持ちを持て余していた。


「……」


 メルディは唇を噛み、俯いてしまう。

 メルディからしてみれば、アランの態度は理不尽に映るだろう。その姿にアランは息を吐き出して気持ちを落ち着かせた。


「……会場まで送ります」

「結構です」

「いいえ送らせてください。普通、伯爵令嬢は侍女も付けずに一人で歩き周りません」


 メルディは気を悪くしたのか、アランを拒絶した。それに焦って考えなしに言葉を発してしまった。

 メルディの頬がうっすら紅潮する。


「下町生活が長かったもので、伯爵令嬢の〝普通〟が私にはよく分かりません」

「! そういうことを言っているわけでは……」


 自分の失言に気付き、彼女の事情を聞いていたのに、何てことを口にしてしまったのかと後悔した。

 メルディはそのまま一人で歩き出してしまう。


「すみませんでした」

「事実ですから。謝らないでください」

「いいえ。ただ私は、あなたが心配なのです」


 立ち止まらないメルディに、追いかけるアラン。


「先程仰っていたでしょう。私達は特別な間柄ではないのですから、どうか見て見ぬふりを。ほっといてください」


 一向に足を止めないメルディに、アランも苛立ちを覚える。


「真摯に謝罪している相手に、その態度はどうかと思います」

「それはアラン様だって同じでしょう!?」

「ーーっ」


 アランは焦っていた。

 何を言っても失敗してしまう。こんなことははじめてで、人生で一番、どうしていいのか困り果てていた。

 このままメルディに拒絶されてしまったらーー。考えると恐ろしくなる。

 彼女の側にいる言い訳が、今のアランにはないのだ。


「待って、メルディ」

「……」

「ーーっあなたは、私が初めて自分から追いかけた女性です! 君にだけは平気だった! 一緒にいたいと思った! 私にとって君は他人ではなく、特別で、大切なーー〝友人〟なんです!」


 メルディが急に立ち止まったので、ぶつかりそうになった。

 慌てて彼女の両肩を掴んで衝突を逃れた。初めて触れたメルディの細く、折れてしまいそうな肩に、言い争いも忘れてアランの心臓が跳ねた。


「フ、フフ」


 メルディの肩が僅かに震え、アランは慌てて手を離した。


「……何ですか、今の。友人て……アラン様って、ズレてます?」

「……は」


 音にならない息だけで辛うじて返事をしたアラン。メルディは肩を震わせて笑っていた。


「そうですね。私にとっても、あなたは素顔を出せる唯一の男性です。そう考えると、私にとってもアラン様は特別で、大切な友人のようです」


 やっとこちらを向いてくれたメルディ。

 美しい、吸い込まれそうな菫色の瞳に映る自分。 

 アランは色々なことが恥ずかしくなって顔を背けた。


「心配してくれたのに、さっきは嫌な態度を取ってごめんなさい」


 謝るメルディに、先程までの拒絶と距離は感じない。アランだけに見せる、本来の姿のような気がした。

 

「私こそ失礼な態度と言動でした」


 アランも腰を折って謝罪し、顔を上げると気まずくなって頬を掻いた。

 女性にあんな態度をどうして取ったのか、自分でも不思議だった。


「アラン様の前でまたやってしまいましたね。短気なのは直さないと」


 メルディはため息をついて落ち込んでいた。


「短気だとは思いません。私が先に礼を欠いたのですから。紳士たるもの、女性と喧嘩をするとはーーまったくもって品位に欠ける行為だ」

「喧嘩?」


 子供同士がするような軽い言い回しに、くすくすと笑いだすメルディ。それを見てアランも明るい声で答えた。


「ええ。友達と喧嘩して、今は仲直りでしょう?」


 妙齢の男女にあてはめると可笑しくて、同時に声を立てて笑った。

 それから並んでゆっくりと歩き出す。


「アラン様っておもしろいですね」

「それは私も同じことをあなたに感じています」


 メルディは不思議そうな顔でアランを見上げた。

 彼女は自分のことを短気と言うが、よく笑い、怒り、そうかと思えば落ち込んで、素直に謝り、感情と表情がころころと変わって面白い。

 アランは微笑むだけにとどめた。

 アマリアの花道を、遠回りしながら二人で歩く。

 メルディの胸には彼女の髪と同じ色のアマリアの花。女性と二人きりだというのに、その甘い香りと沈黙が何故か心地良く、いつまでもこうしていたいと望んだ。


 時間は無情にも過ぎ、いつまでもメルディを連れまわすわけにもいかず、アランは一度会場に戻ることにした。

 周囲の視線が二人に集中した。

 会場を抜け出したようにも見えて、下手な噂が立ってしまっては、前回のような迷惑がかかると、後ずさりしたその時だった。


「メルディ」


 声をかけたのは前にメルディと言い争っていた彼女の親戚のリック=ダストンだった。

 ダストン男爵家の次男で、ロックベル伯爵の弟が継いだ先で、リックはメルディの従兄にあたる。

 なるほど。彼がメルディのエスコート役なのか。

 親の代わりに親族がエスコートを務めることはよくある。

 リックは長い前髪をかき上げ、垂れ目を下から覗き込むように口角を歪め、アランに話しかけた。


「ブライトン様とは比べ物にならない下級貴族の私が、なぜ伯爵家のパーティーに呼ばれているのか不思議ですよね?」

「……」


 アランは何も言っていないのだが、勝手に心情を読んであたかも真実のように話しかける男に、会って数秒で嫌悪感を抱いた。


「本日は伯父であるロックベル伯爵に、メルディのエスコートを頼まれましてね。場違いかもしれませんが、広い心で許してください。私はこの通り、楽しんでいたところです」

「……」


 リックの手にはお酒の入ったグラスが握られており、エスコートという割にはメルディが会場から姿を消した事すら気づいてはいなかったようだ。

 アランは呆れて薄く微笑むだけにした。


「アラン」


 三人の元に、今度は父であるブライトン侯爵と主宰者である姉のルルリエがやって来た。


「こんにちは。メルディ」

「お誘いありがとうございます。リベロン夫人。素敵なお庭ですね」


 二人の挨拶を終えたのを見てから、父が口を開きかけた。ところが、それを遮ってリックが場違いな挨拶をした。


「ブライトン侯爵、リベロン夫人、お初にお目にかかります。リック=ダストンです。本日は従妹のナイト役でお邪魔しております。いや、実に素晴らしい庭園ですね。僕の屋敷にもアマリアの花はあります。よかったらみなさんを招待しましょう。いやしかしここの庭園よりは狭く品種も――」


 ぺらぺらと話し続けるリック。父は眉間に深く皺をよせ、不快な表情を隠さなかった。ルルリエも扇で顔を隠している。


「リック、飲み過ぎよ。もうお暇しましょう」

「は? なんだよメルディ、僕はまだーー」

「ここからはメルディ嬢のエスコートは息子に任せるとしよう。君はパーティーを存分に楽しんできたまえ」

「え、しかし、僕は伯父上であるロックベル伯に直接頼まれているので」

「聞こえなかったかな? 我々だけで話をさせてほしいとお願いしているのだよ」


 侯爵の迫力に気圧され、リックは逃げるようにその場から去って行った。


「とんだナイトですわね」


 ルルリエもリックを不快に感じ、大きなお腹を摩って訝しんだ。


「メルディ、従兄殿を怒らせてしまったが大丈夫?」

「ええ。逆に助かりました」


 こっそりとアランにだけ聞こえる声で、「リックから逃げ回っていたら道に迷ったの」と教えてくれた。


「まったく、イヴァンは何を考えているのか」


 父はここにはいない伯爵の真意を測りかねているようだった。


「私が誘拐される前まで、父はリックと私を結婚させたかったようなのです」

「え!?」


 ロックベル家には跡を継ぐ男子がいない。

 親類から婿をもらって継がせるのは珍しい話ではないがーー。


「それは困ったな。君はアランの許嫁だというのに」

「ち、父上!」


 先日、メルディとの仲を誤解だと伝えたばかりなのに。しかし焦っているのはアランだけで、メルディと姉は冗談と受け取って笑っていた。


「リックはあの通りの性格ですから、父も考え直したようです。ですがリックの方は中々諦めてくれなくて……。父に護衛役を頼まれたというのも本当かどうか」


 身内の非礼にメルディは困った顔で三人に謝った。


「あまりしつこいようなら私に言ってください! 親戚だからこそ強く言えないこともあるでしょう」


 アランの真剣な申し出に、メルディも素直に頷いた。


「そうだな。イヴァンには今後、君のナイトには私の息子を推薦しておこう」

「!」

「ありがとうございます。それは頼もしいです」

「……」


 メルディの返答に、本気ではないと思うが断られなかったことがうれしかった。


「どうも父は心配性な所があるのです」

「それは同じ子を持つ親としてイヴァンの心配は理解できる。それに、君たち家族に起こったことを考えたなら、過剰に心配をするだろう。それに、年頃の娘は親の縛りを窮屈に思う時期がある。私はそれを四人も経験しているからな」

「まあ、お父様。私達は大人しい方でしたわ」


 ルルリエの反論に首を振って大げさに困った仕草をする父と、辟易した表情のアランに、メルディは声をたてて笑い、慌てて口を塞いでいた。


「ねぇメルディ。私の事を覚えている?」

「? もちろんです。先日はミサでご一緒して――」

「いいえ。その前の話よ」

「……」


 話が見えないアランに、父が説明してくれた。


「ルルが暴漢に会って倒れただろう。意識を失ったルルを支え、屋敷まで送ってくれたのがメルディだった」

「そうなのですか!?」

「私もルルにさっき聞いて驚いた。父親としてお礼を言わせてほしい」


 ルルリエがメルディの手を取った。


「私達親子を救ってくれた恩人に気づかずごめんなさい。ミサでは大変な失礼をしたわ」

「夫人は直ぐに意識を失われましたから、気づかないのも仕方ありません」

「ミサで言ってくれれば良かったのに」

「私もまさかアラン様のお姉様だとは知らなかったのです。名乗らず立ち去った失礼をしたのは私ですから。ミサで元気なお姿を拝見できて満足してしまいました」

「もう! それでは私の気が収まらないじゃない!」


 ルルリエはメルディを親しみを込めて抱きしめた。


「あの時はありがとう。あなたには感謝してもしきれないわ」

「ご無事で何よりです」


 それから体を離すと、侍女が持ってきた小さな箱をメルディに渡した。


「ささやかなお礼よ」

「そんな……」


 受け取るように箱ごとメルディの手を包み込んだ。


「私達はあなたを応援するわ。どうかアランをよろしくね!」

「姉さん!」


 メルディに送り返される前にルルリエは去って行った。

 周囲のざわつきがアランの耳にまで届く。

 どうやら、ルルリエの声は周囲にまで聞こえていたようだ。

 メルディを見下ろすと笑顔で固まっている。父は上機嫌に頷いていた。

 話題を変えようとアランはメルディに飲み物を用意し、自分も何か飲もうかとグラスに手を伸ばした。

 すると、メルディが「あら?」と何かに気付いて声を上げた。


「アラン様、あちらにレオン様が」


 メルディに促されて振り返ると、大木の陰に無造作な黒髪をただ撫でつけただけの色眼鏡をかけた男がいた。

 レオンは隠れてこちらの様子を窺っていた。

 こんな目立つ所にまで顔を出すとは珍しい。何かあったのだろうと、行くべきか悩んでいると、父が「メルディ嬢は私がお相手しよう」と提案した。


「お嬢さんがよろしければ」

「ふふ。大変光栄でございますわ、侯爵」


 二人がアランに気を使ってくれたので、厚意にあまえてレオンの元へ向かった。

 レオンはアランが近づいてくるのに気づくと、先に生け垣の向こうに隠れた。追うようにアランも人気がない場所まで進む。


「アラン、こっちだ」

「レオン、あまり目立つことは――」

「分かっている。だが想定外の事が起きた」


 思いつめた表情のレオンに、アランも口を閉ざして周囲に人影がないか確認した。


「フレッド=ニーベルグが死んだ」

「……なんだって?」


 アランの旧友であるフレッドが、死んだ。


「そんな……」


 信じられない。言葉を失うアランに、レオンが経緯を説明してくれた。


 昨夜、フレッドは邸宅に戻らなかったという。

 フレッドが仲間と夜を明かして帰らないことはよくあったので、屋敷の者は特に心配していなかったという。

 まさか翌朝に死体で発見されたとは、誰も予想していなかった。

 フレッドはリンドンパークの湖で、浮いているのを管理人によって発見された。

 湖面に浮かぶ無人のボート。不審に思った公園の管理人が、ボートに近づくとフレッドの死体を発見したそうだ。

 死因は水死。争った跡もなく、ボートも湖面に取り残されていたことから、おそらく誤って落下したか、自殺ではないかという。


「フレッドの死はまだ世間には公表されていない。警備隊によると、事件性はないそうだ」

「自殺か」

「ああ。父親があんなことになったんだ。世間からの風当たりも強く、将来を悲観して死にたくなる気持ちも分からないでもない」

「……」


 実際はそれ以外にも彼が死を選んだ理由はあった。

 フレッドは保身のために父親の罪に目を瞑っていた。アランも非難し、フレッドも自身の罪を認めていた。黙認が罰せられる法はなかったので、アランはレオンには報告せず、己の胸の内だけで留めていた。

 しかし、フレッドの言っていた、責任の取り方が自らの死で償うというものならば、あの時もっと彼と話をするべきではなかったかと、後悔が押し寄せる。


「気に病むな。君のせいではない。だが、損な役回りをさせた事は申し訳ないと思っている」


 アランの心の機微に気付いたレオンが励ましてくれた。


「自殺だとは思うが、『裏ローチェ』の事もある。何か不審な噂や情報があればすぐに知らせてほしい」

「わかった……」


 レオンはフレッドの死をアランに告げ、そのまま会場を去って行った。

 アランは暫く動けずにいた。

 友人が若くして亡くなるというのは、なんとも侘しいものだった。


 アランがなんとか気持ちを立て直した頃、会場に戻ると楽しそうに歓談する父とメルディの姿があった。

 父は会話を中断してアランにメルディを託すと、母の元へと去っていった。


「アラン様、どうかなさいました?」


 塞ぎ込むアランを心配してか、メルディが顔を覗き込んだ。アランは肩を竦め、笑顔を作った。


「私がいない方が有意義な時間を過ごせたのでは?」

「あら、そんなことはありませんよ。アラン様も十分、私を楽しませてくれますもの」

「そ、そうですか……。父とはどんな話を?」

「孤児の奉仕に力を入れている『ローチェスタークラブ』のことを教えていただきました」


 アランはどきりとした。

 フレッドの件をメルディが知っているわけはないのに、タイミングよく出てきた名に驚いた。


「アラン様もローチェスターの会員だとか……。男性しか入会できないのが残念です」


 メルディは悔しそうな笑顔を作り、アランに微笑みかけた。

 そういえば……。レオンが現れた時、メルディはレオンの顔を知っているようだった。

 彼女は今年社交界デビューを果たしたばかりで、レオンと面識があるのは考えられないが。


「……」


 シーズンももうすぐ終わる。メルディは領地へは戻らず、アランと同じ王都に留まるという。


「メルディ、社交が落ち着いたら一緒に観劇に行きましょう」


 二度目のアランの誘いに、メルディも今度は冗談ではないと思ったのか、少し考える素振りを見せ、困惑しながらも今度はしっかり答えてくれた。

 「ええ。是非」と――。


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