どっちかってーとアウト
おっとっと、って感じ。いや、お菓子ではなく。
私の彼氏。恋人。ボーイなフレンド。や、ボーイフレンドって恋人のことなの? フレンドの定義について詳細求む。友達って言い方しているあたりにほんのり甘酸っぱさを感じるよね。
いやいやそれはともかく。その私の彼氏さんがですね、今私の視界の中で知らない女の子と寄り添って歩いているんだけど、どう思う? 知恵袋に相談すべき?
予定のない週末。待て、この言い方はやめよう。あえて予定にゆとりを持たせた週末、一人で楽しく駅前のショッピングモールに買い物に来ていたのだ。一人と楽しいの関連性に疑問を持つ奴は敵だ。一人でも楽しめる人間が優秀に決まってる。私は一人で映画にもカラオケにもラーメンにも行けるタイプの女。焼肉はちょっとまだ無理。まだまだ未熟である。
三つ程の買い物袋を手に、そろそろ帰るか、それともカフェで休んでから帰るか、思案しているところで彼を見つけたのだ。そしておっとっと、って気分。
彼の腕に絡みつくようにくっついている、ハニーブラウンでゆるふわパーマな髪の女の子さえいなければ、「おー偶然だねー時間あるならお茶しなーい?」なんて下手なナンパのようなことをしていたところだ。しかしあの子を認識してしまったからには「キィー! なんなのあの女!」とハンカチを噛み締めるしかない。脳内でね。
いやしかし冗談抜きに。なんなんだあの子?
漫画を適度に嗜む者として思い付く定番の展開は、彼の姉妹でしたーという勘違いなオチ。……彼、一人っ子だ。
あとはなんだろう。うーんと、彼は本意ではないが一方的に女の子の方から強引に接近してる説を提唱します。はい先生、彼のリラックスした表情からは不本意といった意思は感じられません。あ、確かにそうですね、解散。
解散してしまったので思考を止めた。
あ、そだそだ。カラオケでも行こーっと。
次の日。彼を呼び出そうとしたら彼に呼び出された。深淵を覗いたら深淵もこちらを、ってやつの派生版でしょうか。たぶん違う。
「お前、昨日のどういうことだよ」
彼に昨日のことを訊こうとしたら彼に昨日のことを訊かれた。深淵の派生版怖い。
ここは彼の家だ。彼が出してくれたお茶を飲みながら、何を訊かれているのか考えてみる。私も昨日の件については訊きたいんだけどなあ。タイミングを逃してしまった。先手をとられたことに悔しさを感じる。
「昨日の男、誰だよ」
「男?」
「二人でカラオケ入っていっただろ! 誰だよあいつ!」
ぽけっとしながら首を傾げたら、苛立った様子の彼が声を荒げた。こんな憤った彼を見たのは、先週の友人間で開催されたボウリング大会での決勝戦以来だ。……割と最近に見てるな。
しかし、カラオケ、と言われて思い出す。
「ああ、倉橋くんね」
「誰だよふざけんな。堂々と浮気かよ」
「えっ」
倉橋くんと浮気? そんなまさか。彼とは健全極まりない友人同士であり、昨日もカラオケ前で偶然会っただけだ。混んでいたからつい同室にしたはいいが、曲の趣味が全くと言っていいほどに合わず、それぞれ個人戦を楽しんでいた。部屋に入ってから彼と目が合ったのは時間最後に入れた国歌を二人で歌うときのみである。会計時、お互い、この人と来ることはもうないだろう、と内心で確信しながらきっちり割り勘して別れた。
そのことを伝えるも、彼は仏頂面をやめない。
「……俺としては、恋人以外の異性と二人きりで密室は、どっちかってーとアウト」
「ははあなるほど」
「成る程じゃねえよ浮気者」
「ごめんなさい」
「浮気者」
二回も浮気者呼ばわりされた上、額をぺチコーンと叩かれた。あう、と仰け反っていると、眉を寄せた彼が乱れた前髪をせっせと直してくれた。お前が乱したんだよ! でも甘んじて受け入れる。うむうむよきにはからえ。
やがて離れていく彼の手に少しの寂しさを感じながら目で追って、きゅうと一度口を引き結んでから開く。
「わたしは、」
「うん?」
倉橋くんについてちゃんと説明したからか、幾分和らいだ口調で彼が相槌を打つ。そのことにほっとして、言葉を続けた。
「わたし、としては、恋人以外の異性と腕を組んで歩くのも、どっちかってーと、あうと……」
尻すぼみしていく私の言葉に、彼は目を瞠った。なんだか情けないなあ。彼を呼び出そうとしたときにはもっと、激しく問い詰めてやるぜ修羅場待ったなし! という意気込みだったはずなのに、いざ彼を前にすると不安が襲う。
倉橋くんと私を見て浮気を疑うくらいなのだから、彼の心が私からなくなったわけではないだろうが、もしもを考えるとここから逃げ出したくなる。
私に倉橋くんのことを尋ねた彼も、同じように不安だったのだろうか。カラオケなんて、行くんじゃなかった。倉橋くんと国家でハモってる場合じゃなかった。
カラオケに入る私たちを見たならその場で呼び止めてくれればよかったのに、なんて他人事のようにさっき少し考えたけれど、腕を組んで歩く彼と女の子を見た私もそこから背を向けたのだ。臆病だ、私も彼も。
脳内反省会を開きながらしょんぼり肩を落としていると、ぐいと腕を引かれ、気がつくと彼の腕の中にいた。
「ごめん」
「やだ」
条件反射で拒否をした。いや、どんな反射だ。きっと彼が何を謝っているのかわからなくて、受け入れるのを反射的に拒んだのだ。ごめん、別れよう、なんて意味だったなら、私は絶対に拒否をやめない。
「ごめん、ごめんな。俺が、倉橋くんが嫌だったように、お前も嫌な思いしてたんだな。俺もただの友人だった。ちょっと距離近い奴なんだけど、前からそうだし誰にでもそうだから深く考えてなかった」
「……やだ」
もう何を拒否しているのかわからないけれど、本当はちゃんと訳を聞けて安心したのだけれど、うっかり拒否していた。
彼の力が強まる。彼の熱と匂いにちょっぴりドキドキしてしまうから思わず距離をとろうとしたら、ますます密着度が上がった。彼は離してくれる気はないらしい。
「お願い。俺とくっついて歩くのはお前だけにするから、お前と二人でカラオケ行くのも俺だけがいい」
「やだ」
来週に妹とカラオケに行く約束をしていることを思い出してつい拒否をした。きっとそういうことじゃないということにはすぐ気がついたが、撤回と言い訳をする前に口を塞がれた。わあ、唐突なちゅう。
性急に深くなる口付けに私が息を切らしたあたりで、そっと唇を離した彼は、濡れた唇を色っぽく舐めてから低い声で囁いた。
「じゃあ、二度と倉橋くんや他の男と二人きりになれないよう、閉じ込めておかないとな」
怒りなどは含まれていない優しい声のはずだが、なんだか威圧感や圧迫感を覚える囁きだった。でも愛が籠っているのには気がついたので、彼の背に腕を回し、胸に顔を埋める。
突然ぎゅうぎゅうに抱きつく私にやや戸惑った様子の彼だが、私が腕の中で肩を震わせて笑っていることに気がつくとつられて少し笑って、それから優しく髪を撫でてくれた。
「何笑ってんだよ」
「閉じ込める、って、監禁宣言?」
「駄目だった?」
「どっちかってーとアウトだけど、愛ゆえにセーフ」
有言実行の彼は本当に週末の間、家から出してくれませんでした、まる。
一言も喋ってない超絶モブの倉橋くんだけ名前が出るとはこれ如何に。