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08・遠い記憶




「二人とも、相変わらず仲が良いですね」


 ローズの背後から柔らかな声がかかり、ローズから視線上げたテュエラはわずかに顔を歪めた。対してローズは振り返ると、パッと明るい笑みを浮かべる。


「ユーナお兄様!」


 背後にいたのは、全体的に色素の薄い細身の青年。

 サラリと揺れる髪は、ミルクをたっぷりと使った紅茶のような薄茶色。肩に付くほどの長さのそれは、首の後で革紐でくくられている。白い肌にはそばかすが散り、眼鏡の奥の細い瞳は淡いブルーグレー。

 ローズの兄の友人である彼、侯爵家のユーナ・ウェントホルム卿は昔からローズにも優しく、彼女は理想のお兄様だとなついていた。

 そして実の兄はと言えば、妹のエスコートを友人に押し付けて、どこぞの未亡人のエスコートをしているはずだ。

 今回の舞踏会は規模が大きく、ローズの両親である公爵夫妻も参加している。

 両親にいつ鉢合わせするかもわからない状況で――しかも、妹のエスコートを母親に頼まれた後で――婚約者ではなく恋人とデートをするなど、どんな神経をしているのか。

 鋼の心臓をもっているのか、酔った勢いで約束して断れなかったのか。実の兄の美しくも気まぐれな、あの快活な笑顔を思い出すと頭痛がしそうだ。

 だが、彼の行動に周囲が頭を痛めるのはこれが初めてではないし、きっと最後でもないのだろう。


「飲み物を持ってきたよ、ほら」


 実の兄と違い、気遣いのできる紳士であるユーナはそう言うと右手に持ったグラスをわずかに上げ、ローズに差し出した。


「まぁ、ありがとうございます!」

「はい、レディ・テュエラもどうぞ」


 嬉しそうにローズは受け取るが、テュエラのほうは警戒したような視線をまずはグラスへ、そしてユーナへとやり、いかにも渋々といったようにそっとグラスを受け取った。

 その間、顔をしかめることなく、むしろ楽しそうに微笑んでいた彼も、ローズの兄と同じく鋼の心臓の持ち主なのかもしれない。

 テュエラはしばらく受け取ったグラスをしかめっ面で見つめていたが、最低限の礼儀とばかりにぼそりと礼を言う。


「ありがとうございます。ウェントホルム卿」

「ん? 申し訳ない、今なんて?」


 もう一度、聞こえるように礼を言うように促しているともとれる発言に、テュエラの眉間の皺がより一層深くなる。

 それを見て、ユーナはクスクスと笑った。


「冗談ですよ、どういたしまして。でも、全くの冗談というわけでもないのですよ? お顔を見ていたら、聞き間違えたのかもしれない、とも思えましたしね?」


 チクリと嫌味を言われ、テュエラの眉間のシワがますます深くなる。

 だが、いつものような刺々しい言葉はない。自分でもお礼を言うには無愛想すぎたと分かっているのだ。

 だが、わかっていても、ユーナがいつも彼女をからかうような物言いをするため、正論だろうがなんだろうが、どうにも素直になれないのだ。

 苦虫を噛み潰したような友人と、それを楽しそうに見る幼馴染をローズは困ったように見つめた。

 いつもは優しい紳士であるユーナだが、テュエラにだけはいつも、ちょっとだけ意地悪なのだ。


「ユーナお兄様ったら! テュエラで遊ぶなんて……、わたくしのお友達ですのよ?」


 ローズはとがめるように言うが……。


「なんだい、ローズ。テュエラをからかっていいのは自分だけ、とでも言うのかい? 独り占めは感心しないよ」

「まぁ、わたくしはテュエラをからかってなんかいませんわ! ……ちょっと、愛でてるだけです」

「あなた達ねぇ……。人のことを何だと思っているのかしら?」


 すごむテュエラに二人は首を傾げる。


「怒りん坊の、綺麗な黒猫?」

「警戒心の強い、可愛い子猫かな?」

「っ!」


 二人して彼女を猫扱いしているのが気に触ったのか。はたまた綺麗やら、可愛いやら言われて恥ずかしかったのか。

 テュエラは真っ赤になって、信じられない、と怒ってしまう。

 もしかしたら、ユーナに子猫と子供扱いされたのも腹立たしかったのかもしれない。

 だが、二人は慣れたもので、フワフワとした笑みで彼女をなだめにかかる。

 その目がローズが言ったとおり、愛でるような眼差しなだけに、テュエラがさらに怒りを募らせてしまうのもいつものことだ。


 親しい者だけで気楽に過ごす時間は楽しく、あっという間に過ぎていく。

 テュエラの側なら早々邪魔は入らないものの、いつまでも彼女の影に隠れてはいられない。

 ダンスの約束もあるので、しばらくすれば誰かしらやってくるし、連れ出される度に、またテュエラを探し出してひっつくわけにも行かないだろう。

 思った通り、次のダンスの約束をした紳士がやってきて、ローズは残念そうにその場を辞した。

 だが、テュエラたちとしばらく一緒にいたことで、ローズは精神的に大分持ち直せていた。おかげで、彼らを上手くあしらい、その夜を無事終えることができたのだった。


「レディ・ローズ、そろそろ帰りますか?」

「そうね、そろそろ疲れてしまったし。帰りましょうか」


 ユーナがいつも通り、取り巻きの視線を配慮して慇懃いんぎんに声をかける。

 お目付け役で一緒に来ていた叔母にも声をかけ、馬車に乗る。

 馬車の中では、リムネー公爵夫人の催し物の素晴らしさなどを話題に盛り上がるが、ローズは徐々に口数が減り、二人の会話を笑顔で聞くばかりになった。

 その様子に二人は彼女が疲れているのだろうと判断したのか、二人で静かにお喋りを続けた。

 柔らかなクッションの上、ローズは馬車の振動を感じながらぼんやりと窓を見つめる。

 外は雨がしとしとと降り続けているはずだが、明かりのある馬車の中からは、ガラスに映る自分が見えるばかり。大通りに等間隔にある街灯が現れた時だけ、照らされた街中を見ることができる。

 そんな面白みのないものを眺め続けると思考は様々に飛び、気づけば子供の頃のことを思い返していた。


 脳裏に甦るのは、九歳の時の記憶。王都へ向かう、少し前のこと――



「メリー、王都に一緒に来ないって本当?」


 アウルメール公爵家の屋敷の子供部屋で、小さな少女が眉を下げ、年老いた子守の顔を見上げていた。父が子供の頃から勤めているメリーは困ったように笑う。


「もう、私も歳でして……。王都まで馬車に揺られるのは、身体がもたないのですよ」

「具合が悪いの?」


 幼いローズの瞳が、心配と不安で揺れる。

 小さな背中をふんわりと覆う真っ直ぐなブロンドの髪。金の睫毛に縁取られた深い青の瞳。

 そして綺麗なピンクの唇と、相変わらず天使のような容貌と優しさを持ち合わせた娘だと、乳母のメリーは微笑んだ。


「いいえ、心配するほどの事ではないのですよ。ただ、疲れやすいので、若い方と同じような事ができなくなってしまったのです。ローズ様も長時間馬車の中にいると疲れるでしょう?」


 メリーの問いかけに、ローズはうなずく。


「そうなの。それじゃぁ、仕方ないわよね……」


 しょんぼりとうつむく少女をメリーは申し訳なさそうに、慈しむように見つめた。

 実の孫のように可愛がっている少女が落ち込むのは心苦しいが、優しい子に育って嬉しくもあった。

 少しでも元気になればと、労るように声をかける。


「別れは嫌なことばかりではないのですよ? 実は、楽しいこともあるのです」

「嘘よ! 私、王都の友達と別れたけど、楽しいことなんてなかったもの!」


 騙されないわ、とローズはしかめっ面になるが、メリーは慣れたもので笑うばかり。


「例えばですねぇ、……帰ってきたら、どんなお話が聞けるかと楽しみですね。お嬢様がどんなものを見てきたのか、楽しそうに話すのを聞くことを考えただけでワクワクします。私の方も、話したいことがいっぱいできるでしょう。綺麗だとか、嬉しいだとか。そういった話を一つ一つ、胸に大事にしまっておくのです。会えたら、どんなふうにお嬢様に伝えようか、お嬢様がどんな反応をするのか。……ちょっと早いですが、今から楽しみになってきましたよ?」


 少女の目が、だんだんキラキラと輝いていく様子にメリーはニッコリとする。


「期待しててっ! すっごいお話、いーっぱい、聞かせてあげるっ!」


 そう言ったと思うと、突然、慌てだす。


「どうしよう、メリー! ハウエルとシェリエに何を話せばいいかしら?」


 こうしてその日は、領地にいた間にあった楽しいことを、一緒にペンで書きだすことになった。

 ローズが王都で新しい子守に会うのは、この少し後のことだ。

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