05・ハウエルと公爵夫人
8月2日投稿の5話を削除しました。
サブタイトルはそのままで、再投稿です。
「今年もすごいな。さすが、リムネー公爵婦人のパーティーだ」
「……」
ネグリエス伯爵家の長男、ヒース・ネグリエスは、会場内をぐるりと見回すと、後ろを歩く弟に声をかけた。彼の顔立ちはそこそこ整っている、ぐらいの容姿だが、周囲の数人の令嬢の視線を集めていた。
服は流行りを取り入れつつも、スッキリとしたデザイン。髪色はありふれた焦げ茶だが、手入れがゆきとどいた艶やかな長髪で、左肩に垂らすように編まれている。また、前髪の下から覗く瞳は、はっとするような、澄んだ、濃いブルー。
次期伯爵、という身分もあり、令嬢たちからの人気は高い。
「屋敷の一部を改装するとは聞いていたし、例の魔法使いも関わっていると言う噂もあったが、この天井は予想外だったな」
「……」
真っ白な天井の精緻な模様、そして、舞い降りては消えゆく光の粒。ヒースはその出来栄えに感嘆の声を上げた。
だが、今度も連れの声は聞こえず、相槌の代わりとばかりに、ペンが紙の上を走る音が聞こえてくる。ダンスカード以外にメモする者など、舞踏会には普通はいないはずなのだが。
青年は眉をひそめて振り向いた。
「おい、ハウエル!」
「ん……、ちょっと……。いや、もう少し……」
のろのろと歩く細身の青年が、気もそぞろに返事をする。手帳に目を落としたままでいるせいで、ヒースに見えるのは短い焦げ茶の髪だけだ。ヒースは顔をしかめたが、これもいつものこと。諦めにも似た想いで、動きを早めたペンを眺めて待つ。
今は伏せられて見えない顔は、室内にこもりがちなため色白で、そこそこ整った顔立ちのわりに、どこか凡庸な印象を与える。兄弟が宝石のような色鮮やかな瞳なのに対し、彼だけは濃いグレーの瞳。しかも、服も落ち着いた色と無難なデザインで、伯爵家の地味な息子、と一部で呼ばれていた。
髪が短いのも、理由が、書物を読むとき垂れると邪魔だし、手間がかからないように、というのだから、彼にセンスを求めるだけ無駄だろう。
ハウエルが手帳を上着にしまうのを確認すると、ヒースはため息混じりに言った。
「おまえなぁ。さすがに舞踏会でメモをとるとか、やめておけよ」
「いや、その……、今回は公爵婦人の魔法使いの新作がでると噂だったので。特別です」
ばつが悪そうにハウエルは否定するが、ヒースは容赦なく言いつのる。
「『いつもはやらない』って……。魔術学院の寮からちっとも帰ってこないやつが、何を言ってるんだ。大体、おまえはなぁ……」
最近のことに始まり、昔のことまで、滔々と並べ立ててのお説教が始まる。ハウエルの方はといえば、最初は申し訳なさそうにしていたものの、だんだんと遠い目になってゆく。そして思考は、学院所蔵の魔術書でみつけた理論へと彷徨っていき……。
「……あ! おまえ、また話を聞いていないだろう?!」
ぴくりとしたハウエルは、ゆっくりと瞬くと、ぼんやりとした視線を兄へ向けた。
「あー……。はい、聞いていませんでした。すみません」
「おま……、正直に言えばいいわけじゃないんだぞ?」
「ふふっ。貴方たち、相変わらずねぇ」
第三者の声に、二人は気まずげに振り返ったが、相手に気づくとほっと胸を撫で下ろした。そして、ヒースはにやりと笑う。
「これはこれは、公爵夫人。今宵も相変わらずお美しい。花が恥らうどころか、女神ですらも、あなたの隣に立つことに怖じ気づくでしょうね」
「まぁ、お上手ね。そうやって、何人の女性を泣かせたのかしら?」
芝居がかったやり取りを交わすと、二人は唇をひくつかせながら顔を見合わせた。
「くっ」
「ふっ」
同時に二人はクスクスと笑いだす。
黒いレースの付いた、ワインレッドのドレスに、高く結い上げられた、緩やかに波打つ漆黒の髪。落ち着いた色合いの中で人目を引く、猫のように輝く金色の瞳。この妖艶な美女が舞踏会の主催者、リムネー公爵夫人だ。
「夫と一緒に挨拶した時は、ゆっくり話せなかったでしょ。ハウエルとは久しぶりだし」
「あぁ、そうか。もしかして、君の結婚後、初めて会うのかな?」
「そうね。……いえ、待って。ハウエルが学園に行く前に、ネグリエス領でのパーティーで顔を合わせたわ」
「じゃぁ、五年以上経ってるじゃないか!」
時が経つのは早いと、二人で笑い合う。公爵夫人は元伯爵令嬢だ。彼女の実家は領地が近く、同格であるネグリエス伯爵家とは親しくしており、また、ヒースと彼女の兄が同い年だったことで、両家の子どもたちは一緒になって遊ぶ機会が多かった。特に、年の近かったヒースと夫人、その兄は仲が良く、その友情は今も続いている。
二人の和気あいあいとした姿を、ハウエルは懐かしさを感じながら眺めていたが、気がつけば、その視線はまたも天井へと向かっていた。
――特に不備はなさそうだ。術式の方も、やはりこちらにして正解だったな
要所要所のチェックは済み、思いついた改良案もメモしてある。全体を眺めた感じも申し分ないし、不具合も出ていない。
満足げにハウエルは一人うなずくと、何気なく、ぐるりと会場を見回した。
目に映るのは、昼のように明るい会場。色とりどりのドレス。煌めく宝石。会場を満たす音楽と、人々のざわめき。
鮮やかで、活気に満ちた、まばゆい世界に目を細める。
この雑踏に入ることを考えただけで軽い疲労を感じ、入り口へ引き返そうとするが、目の前の二人を見てためらった。
着いた直後に帰るのは、さすがに失礼に当たる。何より、兄をまた怒らせてしまうだろうし、公爵夫人もさすがに顔をしかめるだろう。この二人の前を素通りして、公爵家の図書室へ逃げ込むのも、難しそうだ。
どうしたものか、と考えていると、声をかけられた。
「ハウエル、貴方に頼みがあるのだけれど、よろしいかしら?」
考えに没頭していたハウエルは驚いたように顔をあげ、公爵夫人に視線を向けた。彼女はにっこりと微笑んで、こちらを見つめている。その顔を見て、彼は思わず一歩、後ずさる。彼女のこの笑みには、覚えがあった。
「今夜、ダンスに参加していないお嬢さんが、数人いらっしゃるの。お相手をお願いできないかしら?」
ダンスが苦手なハウエルは、反射的に断ろうと口を開く……が。
――まさか、舞踏会で踊らず帰るなんて、言わないわよね?
公爵夫人の無言の笑みに、なぜか気圧されて口を閉じる。
「……はい。是非、そうさせていただきます」
なにか威圧する声すら聞こえた気がして、ハウエルは大人しくうなずいた。とたんに公爵夫人はぱっと、明るい笑みを浮かべる。
「助かるわ! 舞踏会に参加する男女の数は、ある程度そろえてはいるのだけれど、やっぱり誘われる女性は偏るし、そもそも全く踊らない殿方もいるしで、調整が大変で!」
思わず、といったように公爵夫人は愚痴るように言ったが、すぐにしまったという顔をする。そして、今のは秘密よ、と艶っぽく笑って誤魔化した。
パーティーの主催者は、事前の準備だけでなく、当日も忙しい。
飾りつけが乱れていないか、料理は足りているのかなど、滞りなくもてなせているかを気にし、召使に指示を出すだけではない。
招待した客人たちが、楽しく過ごしているかも気にかけてこそ、評判の良いパーティーとなるのだ。
孤立している人や、壁の花となった令嬢へ、それとなく相手となる人物を紹介するのも、それにあたる。
「ところで、ハウエルはファータテールの貴族をどう思う?」
久しぶりに会う友人への態度として相応しく、公爵夫人が、ハウエルに確認する。
「ああ、見下している者もいますが、僕は別に偏見とかはないほうだと思いますよ」
これから、この人混みのなかに分け入ることを思い、沈痛な面持ちでハウエルは力なく答えた。そんな彼の顔を見て、笑いを堪えて公爵夫人は話を続ける。
「それは良かったわ。実は、ファータテールの伯爵令嬢とうちの妹が仲良くしていてね。それで、妹がどうしてもというから招待したのは良いのだけれど、案の定、お相手がいなくて、困っていたの」
どうやら、最初は公爵夫人の妹が一緒にいたものの、主催者の血縁である妹にはダンスの誘いが殺到したらしい。妹は誘いを断り、友人と一緒にいようとしていたが、友人の方がそれを良しとしなかったようだ。妹を促し、ダンスホールの真ん中へと送り出してしまったらしい。
「妹は自業自得だから良いのよ。私たちの忠告を悉く無視して……」
何を思い出したのか、苦々しげに呟く。どうやら、彼女の妹は、友人がファータテールの貴族だろうと気にしない、と、最初から喧嘩腰だったようだ。そして、忠告のすべては友人への差別からくるものだと、拒絶。詭弁なんかに騙されないと、豪語していたらしい。
「で、結局、お友だちは壁の花。彼女の相手も、一応、何人か考えてはいたのだけれど、ほとんど断られてしまって。年の近い貴方なら、彼女も楽しく過ごせると思うのよ」
「僕はダンスが苦手で。楽しめるかは、微妙なところだと思いますけど?」
「まぁ、細かいことはいいのよ。さ、行きましょ!」
すたすたと歩き始める公爵夫人。その背中を見てため息をつくと、ぽんと肩に手を置かれた。
「まぁ、がんばれ。エドウィーナがああなったら、誰も逃げられないさ」
昔は良く振り回されていたヒースが、他人事が故の気楽さで笑う。ハウエルは眉をひそめたものの、無言のまま彼女を追った。ざわめきの中へと足を進めるが、ふと振り返れば、気づいたヒースが手をヒラヒラと振ってくる。ハウエルは、その気楽な態度に不満そうに一睨みすると、彼女の後を追った。
ハウエルは公爵夫人の後ろをついて歩くが、なかなか、目的の人物にたどり着けずにいた。公爵夫人が進むたびに、誰かしら話しかけてくるので、その度に歩みが止まるのだ。
そして、その都度、そのお連れのかたは? と尋ねられては互いに自己紹介、という型通りのやり取りを、幾度も繰り返していた。
――しがない伯爵家の三男坊。しかも、ただの学生でしかない自分なんか、みんな、無視してくれてかまわないのに。
ハウエルは同じセリフの繰り返しに、うんざりしていた。なれない人混みも、疲労を誘う。人酔いしそうだ、と思い始めた頃、漸く、目的の人物の前に辿り着いたようだった。
目の前の公爵夫人の影から、グリーンのドレスと赤毛が覗いている。その赤みがかった髪を確認し、ハウエルはやっと苦行が終わる、と安堵した。
少女は公爵夫人と少し言葉をかわすと、挨拶するよう促されたようだ。公爵夫人が一歩後ずさり、少女は目を伏せがちにしてハウエルに名乗る。だが、ぐったりしていたハウエルは、ほとんど聞き流してしまった。
「……それで、こちらは私の幼馴染みで、ネグリエス伯爵のご子息、ハウエル・ネグリエス卿よ」
ハウエルは何度目かの自己紹介をするため、気合で背筋を伸ばし、少し青ざめた顔に弱々しい笑みを浮かべた。
「ただいまご紹介に預かりました、ハウエル・ネグリエスです」
彼が虚ろな視線を前へ向けると、少女はハッとしたように顔を上げ、目を見開いた。
「……ハウエル?」
ポツリと呟くような声にハウエルは疑問を感じ、首を傾げた。彼女の方は驚いた様子で、信じられないとばかりにこちらを見つめている。深みのある濃いグリーンの瞳は、今にも零れ落ちそうだ。
――なんだ? 何か変だっただろうか。……ん?
ハウエルは目の前の令嬢をまじまじと見つめ返した。狐を連想させる赤みがかった髪。深い森を思わせる、濃いグリーンの瞳。そして、その垂れ目がちな目が記憶を刺激する。
「……もしかして、シェリエ?」
少女は破顔する。その輝くような、満面の笑みが答えだった。
この世界では、貴族の家名と領地の名が一緒です。
北部は、精霊との関係で、また別ですが。