03・リムネー公爵夫人の舞踏会
宵闇に包まれた王都の、とある貴族の屋敷。
そのテラスから軽やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
窓の向こうには、昼と見まごう明るい室内に、色とりどりに着飾った貴族たちの姿があった。
室内の光の元は、真っ白な天井に彫り込まれた、数個の巨大な魔法陣だ。
その隙間には植物の蔦や葉、花の模様が刻まれている。魔法陣は美しい飾り文字が使われており、それが魔法陣を大きくしている要因でもあるようだ。
純粋に魔法陣として見れば、非効率な欠陥品かもしれないが、ここに集った客人たちの称賛の視線を見れば、専門家の批評など無意味だろう。
魔法陣はそれ自体が光を発し、会場内を柔らかな色合いで照らしていた。
同時にシャンデリアの煌めきのように光の粒を生み出し、それらが雪のように舞い落ちては、人々の頭上で消えてゆく。
会場のそこかしこには、ふんだんに花々が飾られて、優しい香りが場内を満たしていた。
高齢のご婦人方が、壁際の椅子に座って談笑し、中央では年若い男女を中心に、音楽に合わせて軽やかにステップが踏まれる。
オードブルや飲み物を並べたテーブルも用意されているが、色鮮やかで繊細な料理が計算されて配置されたそれは、一つの芸術品のようだ。
そして、優秀な召使いたちが、色とりどりの衣装の隙間を滑らかに、密やかに移動して、客人たちの要望に応えていた。
そんな会場の一角で、金貨のように煌めくブロンドの髪を結い上げ、洗練された空色のドレスを纏う令嬢を中心に、若い男性達が集まっていた。
「去年も驚いたけれど、リムネー公爵夫人の開くパーティーは本当にステキね」
公爵令嬢のローズは場内を見回すと、感嘆の声をあげた。
十六歳で社交デビューしてから、三回目のシーズン。ローズは公爵家の一員として、さまざまなパーティーに参加してきたが、リムネー公爵婦人の催し物は、やはり別格だと思わずにはいられなかった。
「そうですね。毎年、用意される花は、公爵夫人が自ら育てているものだそうですよ。毎年テーマに合わせて、見た目だけでなく、香りにまで気を配った装飾は、なかなか真似もできないようで、ご婦人方は試行錯誤しているという噂です」
ローズの左に立つ、侯爵家の嫡男が微笑んで続ける。
飾られた花自体は普通の花のようなのに、華やかな香りが場内を優しく包んでいる。花の量からして、そんな事は不可能なはずなのだ。だが、香水などの人工の香りとは思えず、皆が首を傾げるのも無理はない。しかも、香りの強さも絶妙で、一体どうやっているのか、誰もが知りたい謎なのだ。
「まぁ、知りませんでしたわ。公爵夫人は、園芸の才能もあるのですね」
ローズは少し驚いた表情の後、落ち着いた笑みで答えた。すると、右隣に立つ青年が、割り込むように話しかけてきた。
「では、この話は知っていますか? 公爵夫人のシェフは大陸の出身というのは有名ですが、彼が一体どういった経緯で雇われたのか」
なんでも、シェフと夫人が出会ったのは、海の向こう、大陸の貴族の屋敷であったらしい。
大陸へ移り住んだ親戚を訪問した公爵夫妻が、彼らと共に出席した晩餐会。そこで食した料理に感動した夫人が 、ぜひシェフに直接声をかけたいと頼んだらしい。
その時、夫人の人柄に感銘を受けたシェフは、この方に一生仕えるために自分はシェフになったのだと、天啓を受けた。
その後の彼の行動は早かった。
雇い主である貴族に暇を告げ、海を渡り、公爵夫人を探し出したのだ。
彼がどんなに急いでも、仕事を辞めるために交渉し、引き継ぎを行い、家財をまとめるのにはそれなりに時間がかかった。
その間に夫人はすでに大陸を去っており、公爵家に雇ってもらえるかも分からない。公爵家の屋敷の場所も、数ある屋敷の何処に公爵夫妻が居るかもわからない。
そんな中、外国で仕事を得ようなど、無謀としか思えない行動だった。
だが、彼はその情熱だけで夫人のもとに辿り着き、下働きからとはいえ、厨房での仕事を勝ち取ったのだった。
リムネー公爵夫人にまつわる、こういった噂は枚挙にいとまがない。
そんな公爵夫人の毎年恒例の舞踏会は、斬新なのに洗練された、素晴らしい出来だと高位の貴族の間でも有名で、招待状をもらえないのは恥だ、と言って憚らない者までいるほどだ。
そんな公爵夫人の噂の中で、今、最も話題になっている話がある。
それは、”公爵夫人の魔法使い”についてだ。
公爵夫人のパーティーで、しばしば魔法としか思えない、また、魔法による演出があるのだが、それは新しい魔法と魔法陣が使われており、貴族たちの話題にあがる。
けれども、開発した魔法使いについては何一つ、確かな情報が得られないのだ。有能な魔法使いと懇意にしたいという貴族は多い。彼らは公爵夫人に詰め寄るものの、契約に反する、の一言で追い払われてしまっていた。
だが、頑として姿を現そうとしない魔法使いに、夫人も手を焼いている様子で、それがまた、皆の好奇心を煽るのだ。
今では、その謎の人物について皆が好き勝手に噂をし、様々な人物像が語られていた。
たとえば、年若い紳士はこのように語る。
「なんでも、田舎の下級貴族の娘だそうだ。公爵夫人に見初められ、魔法使いとして働くようになったが、生来の内気さから表舞台に立つことを嫌っているらしい」
また、社交界デビューをしたばかりの少女は、夢見るように語り、友人達とはしゃいでいた。
「きっと、公爵夫人を崇拝している、貴族の若い男性なのよ。夫人に忠誠を誓い、彼女のためだけに魔法を使うんだわ」
ある壮年は呆れたような顔をして、彼らの話を否定する。
「いや、魔法使いは平民の年老いた偏屈な魔法使いなんだろう。流行りを追う貴族たちが家に押しかけるのを嫌っているのさ。夫人だからと、特別に協力しているに違いない」
このように、三者三様の話が語られ、誰が一番もっともらしい話を考えつくのか競っているかのような状況だ。今では、どの噂を推すのかの派閥ができつつある、などという話が、まことしやかに噂されていた。
そんな噂話に花を咲かせ、紳士たちは公爵令嬢のローズの気を引こうと競い合う。彼女が微笑むたび、感嘆の声を上げるたび、優越感にほくそ笑んでいた。
ローズは落ち着きのある、優しい笑みを浮かべて彼らを見つめていた。内心の思いにしっかりと蓋をして。
そう、実を言えばローズはいい加減うんざりしていた。未来の侯爵やら伯爵やらが、行く先々のパーティーで自分を取り巻くと言えば、自慢のようにも聞こえるだろう。
だが、想像してみて欲しい。
どこへ行こうが、気づけば自分より背の高い男性陣に取り囲まれ、分厚い塀を築かれる。
しかも、移動式で何処までもついてきて、逃れられない。さらに、全員が彼女のことを結婚相手として値踏みするか求愛してくる。
そのうえプライドが高く、負けず嫌いの自信家たちで、賞品の公爵令嬢を勝ち取るのは自分だ、とばかりに牽制しあう。
ナイチンゲールは、愛を囁くから美しいのだ。
周囲を取り囲んで牽制の歌合戦とばかりに鳴かれては、はっきり言って興ざめだ。
愛らしい、天使のよう、美しい瞳だ、などの称賛も、毎回、複数人に、息を吸うように言われては、ただの形式的挨拶に早変わり。ライバルと差をつけようという気持ちから、言葉を弄り回して作られた、愛と称賛の言葉を連ねた「競争心の詩」には、苦笑するしかなかった。詩はこうも明確に本心を伝える力があるのかと、一周回って、感慨深く思ったものだ。
――あぁ、また愚痴っぽくなっているわ
いけない、とローズは自分を諌めた。
今年の社交シーズンも佳境に入ったばかりだ。
春になり、王都へやって来る貴族が増えるに連れ、パーティーの回数も増え、規模も大きくなってきている。夏に領地に帰るまで、まだまだ先は長い。久しぶりのシーズンに、まだ調子が戻っていないのだろう。意識を切り替えなければと、自分に活を入れる。
彼らはただでさえ自信過剰で、勘違いをしても、しなくても求婚してくるのだ。彼らとの絶妙な距離感を取るためにも、ぼうっとしている暇はない。
シーズンに王都へ来て、公爵家の一員としての義務を果たすと決めたのは自分だ。領地に引きこもるでもなく、高慢に振る舞って孤立するのでもなく、人脈を築く。大変なのも、努力するのも当然だ。
そうは思うものの、憂鬱な想いが消えてくれるわけではない。今年が三度目のシーズンであることが原因だと分かってはいるのだ。そろそろ婚約をしなければ、行き遅れてしまう。
それでも、ローズが壁の花で求婚がないのなら、家族も気を使い、優しく対応してくれたかもしれない。だが、ローズは一年目から、次期公爵から伯爵まで、かなり条件のいい複数の紳士から、求婚されてきた。
それらをことごとく蹴るという暴挙を許してきてくれた両親だが、そろそろ限界だろう。今年中に決まらなければ、来年には父が話しをまとめてしまうに違いない。
――いつも、最後のワルツを踊らないのですね。何か理由がありますの?
ふと、友人の問いかけが甦る。
その答えは簡単だ。
舞踏会の最後の方は疲れていて、休憩がどうしても必要だ。だから、一曲分は必ず休むようにしているのだ。
なぜ、カドリールなどではなく、ワルツなのかと言われれば、最初にそうしたのが習慣となっているだけで、他の曲にわざわざ変えたいと思わないから。
そう、決して、誰かとワルツが踊りたいなどと、淡い、決してありえない可能性を考慮しているわけではないのだ。絶対に。
誰にともなく言い訳しつつ、ローズの瞳は会場内をさっと見回す。その視線は、着飾って華やかな空気を醸し出す集団を素通りし、部屋の隅や、頭でっかちに見えるおじ様方など、冴えない集団の辺りを彷徨っていく。
だが、探した姿は見つからない。ローズは我知らず、ふっと息をついた。